夜の質感(その1)
五味先生は、著書「いい音いい音楽」のなかで、こんなことを書かれている。
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「ハイドンは朝きく音楽だ」
と言った人があるほど、出勤前などの、爽快な朝の気分にまことにふさわしい音楽である。そしてあえて言えば、ハイドンは男性の聴く音楽である。
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すこし誇張された書き方なのはわかっている。
けれど、たしかにそうだ、と読んだときに思ったものだ。
ハイドンのすべての作品が朝きく音楽、というわけではないだろうが、
ハイドンの作品でよく知られているものに関しては、そんな気はするし、
特に男性の聴く音楽というところは、まさにそうだと思う。
ハイドンが朝きく音楽であるとすれば、夜きく音楽はマーラー、ということになるだろう。
いまの季節、快晴の日は空が高くて、しかもからっと気持がいい。
そんな日の朝に、マーラーの交響曲(第四番ならまだしも)は、ふさわしい音楽はいえない。
朝からどんよりとした陰鬱な朝であれば、まだマーラーの交響曲もいいかもしれないけれど、
やはりマーラーは夜きく音楽だろう。
朝、マーラーの交響曲、二番、六番、七番とかを聴いて、
さあ、仕事に出かけよう!、という人は、まぁ、いないと思う。
音楽の聴き方は自由、ともいえる。
いくつものことが自由である。
音量も、音質も、時間も、場所も。
ソースが手元にあれば、いつでもさまざまな音楽が聴ける。
聴けるから、といって、その音楽にふさわしい時間というものがあることを、聴き手は無視できない。
けれどそうもいってられない状況もある。
ステレオサウンドの試聴室での取材が、そうだ。
天気のいい昼間からマーラーをかけることが多かった。