ショルティの「指環」(続々続・スコア・フィデリティ)
けれど、そのCDでもオペラによっては幕の途中でかけられるものがある。
ワーグナーのパルジファルや神々の黄昏、ジークフリートなどが、そうだ。
これはもうしかたのないことだと、CDが出たときからそう思ってもいたし、
もしもう少しCDのサイズが大きかったら、
ワーグナーの楽劇でも幕の途中でかけかえるということはなくなったかも、と思わないではなかった。
とはいえ、こういう長さの作品のほうが、音楽の全ジャンルをみてもごく少数なのだから、
注文をつけることではないのはわかってはいる。
それでも、今回のショルティのニーベルングの指環がブルーレイディスク1枚にすべておさまっている、
ときくと、やっとこういう時代が来た、という感がある。
ニーベルングの指環は四夜にわたって演奏されるわけだから、
ディスク1枚ごとに、ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏がおさまって、
計4枚のセットでいいわけだが、それを飛び越えてすべてが1枚にまとまってしまった。
収録時間という点からのスコア・フィデリティにおいて、これ以上のものは必要としない。
とはいえ、CDでもリッピングしてコンピューターに取り込んでしまえば、
スコア・フィデリティは文句なしになる。
楽章の途中でも幕の途中でもリッピングしてしまうことで、
ひとつの楽章、ひとつの幕として切れ目なく再生してくれる。
このことはデジタルの大きなメリットだといっていい。
いまはハードディスクが大容量化されているから、
以前のように圧縮しなくてもCDのデータをそのまま取りこめる。
そうしたデータをコンピューターから再生してもいいし、
iPodにコピーして、ワディアのiTransportなどを利用してデジタル出力を取り出しD/Aコンバーターに接続、
という聴き方をすれば、
iPodがブルーレイディスクをこえる記録容量をもつパッケージメディアとみることができる。
だから私は、別項「ラジカセのデザイン!」の(その11)でも書いているように、
iPodを21世紀のカセットテープだと考えている。
カセットテープの対角線は、世に出なかったものの、もともとのCDの直径でもある11.5cm。
もしCDが11.5cmのまま登場していたら、
16ビット、44.1kHzの規格ではベートーヴェンの第九は1枚に収まらなかった。
フィリップスは最初14ビットで行こうとしていた。16ビットを強く主張し実現させたのはソニーである。
14ビットだったら、11.5cmでも第九はすんなりおさまったのかもしれない。
とにかくいまはどんなに長い演奏時間を必要とする作品でも、
切れ目なく再生することがいともたやすくできる時代になった。
それは、聴き手に音楽を聴くことのしんどさを思い出させてくれることでもある。