Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その8)

“State of the Art”をGoogleの翻訳サービスでみてみると、「最先端」と表示される。
なんともそっけない答である。

“state”は、状態、ありさま、様子という意味だから、
直訳すれば”State of the Art”は「芸術の状態」ということになるわけだが、
“art”を芸術というふうに単純にとらえれば、の話である。
このことは岡先生も指摘されていて、
英語の堪能な二、三のひとに訊ねてみても、
「ぴったりした日本語におきかえようがないのではないか」ということになったと書かれている。

最先端も”State of the Art”の意味のひとつではあっても、
最先端、と言い切ってしまえるわけでもない。

結局、”art”をどう解釈するのか。
岡先生は、愛用のランダムハウス英語辞典で、”art”の項をひかれている。
そこには、
exceptional skill in conducting any human activity
the craft or trade using these principles or methods
という解もある、とのことだ。

オーディオの世界における”State of the Art”の”art”はそういう意味とするべきなのであろう、とされ、
さらにつづけて、もうひとつの手がかりとして「db」という音響エンジニア向けの専門誌をあげられている。

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: 数字

数字からの解放(その3)

マーク・レヴィンソンは、とにもかくにもマークレビンソン・ブランドで出すアンプのスペックに関しては、
最少限の項目(入力インピーダンス、出力、消費電力など)のみの発表にしてしまった。

だからといって測定を行なっていないわけではない。
このころのマークレビンソンのアンプはモジュール形式を採用していたから、
おそらくモジュールができ上がった時点で、一個ずつ測定しチェックしていただろうし、
さらにLNP2、JC2といったアンプとして完成させた時点でも、
不備や異状がないかを測定してチェックしていたであろうことは間違いないはず。

それにアンプの開発においても測定はしていた、と思う。
けれど、それらの測定データ(歪率、S/N比など)はいっさい公表しなくなった。
マーク・レヴィンソンが次に興したチェロにおいても、そういえば使用上必要な項目のみだった。

これは、思い切ったことだと思う。
LNP2やJC2の入出力端子を、一般的でもあり標準的なRCAタイプから、
CAMAC規格のLEMO製のコネクターに全面的に変更したときも、やはり思い切ったことであった。

RCAコネクターをやめ、それまでどこのメーカーも採用したことのないコネクターを採用するということは、
他のメーカーのオーディオ機器といっしょに使う場合には、
コネクターの変換プラグが必要となる。
それにマークレビンソンが採用したCAMAC規格のコネクターは線径の太いケーブルは使えない。
頼りないと感じるくらいの細いシールド線しか使えなかった。

いくつもの制約がありながらも、
マーク・レヴィンソンがCAMAC規格のコネクターの採用に踏み切ったのは、
コネクターにおける信頼性の圧倒的な向上であり、音質的なメリットであったはず。

この時代のマーク・レヴィンソンという男は、そういう人物であった。
(Mark Levinsonのカタカナ表記については、こちらを参照のこと)

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その7)

State of the Artとは、いったいどういう言葉なのだろうか。

私はステレオサウンド 49号にて、こういう言葉があるのを知った。
49号の特集の巻頭には、
岡先生による「Hi-Fiコンポーネントにおける《第一回STATE OF THE ART賞》の選考について」という文章がある。

岡先生も書き出しは、
「まず、〝ステート・オブ・ジ・アート〟という言葉から説明しなければなるまい。」とされている。

岡先生によれば、State of the Artという言葉がオーディオ界に入り込んできたのは、
1960年代になってきてからであろう、とされている。
「High Fidelity」誌のテストリポートに稀に、こういう言い回しがされるようになってきて、
実際には〝ステート・オブ・ジ・アートというに値する〟
〝オーディオ・テクノロジーのステート・オブ・ジ・アートの所産〟という使われ方で、
「ひじょうにすぐれた製品にたいする特別な意味あいをそこに含めて用いられていた」とのこと。

1970年代にはいり登場してきた「Absolute Sound」誌では、
推薦するオーディオ機器の最上級のものに〝ステート・オブ・ジ・アート〟級として用いて、
それ以降、ほかの雑誌でもこの言葉がさかんに用いられるようになり、
さらにはアメリカのオーディオの広告では濫用気味なほどにもなっていたらしい。

このころ、すでにSOTAという略語も登場し、ソタと発音するようになっている。

State of the Artの定義については、
ぜひステレオサウンド 49号の岡先生の文章をお読みいただきたいところだが、
もう30年以上前の本だけに、手もとにないという方も少なくないだろうから、
もうすこし岡先生の文章を引用しながら書き進めたい。

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その6)

ステレオサウンド 41号の2年あとに出た49号で、
ステレオサウンドによる賞が始まっている。
49号でのState of the Art賞に選ばれているスピーカーシステムは下記のとおり。

●スピーカーシステム
 アルテック A5
 JBL D44000 Paragon
 QUAD ESL
 パイオニア Exclusive 3401W
 JBL 4350A
 JBL 4343
 ダイヤトーン 2S305
 ヴァイタヴォックス CN191
 チャートウェル LS5/8
 パイオニア CS955
 Lo-D HS10000
 ボザーク B410 Moorish

41号は41機種のスピーカーシステムだったのが、
名称が「世界の一流品」から「State of the Art」に変更になったのにともない選ばれたのは12機種。
1/3以下の数に減っているし、
41号ではヤマハのNS451をはじめ、
国産の比較的安価なブックシェルフ型もいくつか選ばれているけれど、
49号ではブックシェルフ型と呼べるモデルはない。

パイオニアのCS955はスタンドを必要とするタイプだけに、大型ブックシェルフと呼べなくもないけれど、
41号でのNS451、オンキョーM3、デンオンSC104といったブックシェルフ型を標準的なサイズとすれば、
CS955はセミフロアー型と呼びたくなる大きさである。

価格の面から見ても、
State of the Art賞に選ばれたスピーカーシステムで最も安価なのはQUAD・ESLの180000円(1本)と、
41号でのNS451の26500円とは大きな違いをみせている。

49号でのスピーカーシステムは、
41号から49号までに発表された新製品を除けば、当然とはいえ41号で選ばれたスピーカーシステムばかりである。

41号で選ばれ49号では選ばれなかったスピーカーシステムの一部は、
50号での旧製品のState of the Art賞で選ばれている。

参考までに50号でState of the Art賞に選ばれているスピーカーシステムは下記のとおり。
 エレクトロボイス Patrician 600
 JBL D30085 Hartsfield
 タンノイ Autograph
 KEF LS5/1A
 シーメンス Eurodyn
 ラウザー(ローサー) TP1
 AR AR3a
 JBL Olympus S7R

Date: 1月 21st, 2013
Cate: 数字

数字からの解放(その2)

アメリカは比較広告の社会であるから、
マークレビンソンの成功に刺戟され、雨後の筍のように登場したガレージメーカーの多くは、
広告において、「マークレビンソンと比較して……」という謳い文句を使っていた、ときいている。

マークレビンソンの当時のアンプはLNP2にしろ、JC2にしろ非常に高価なコントロールアンプだった。
マークレビンソン以降登場したアンプメーカーのほとんどは、
価格の面ではマークレビンソンのアンプよりも安価だった。

JC2とほぼ同価格のアンプはあっても、LNP2と同価格のアンプは、思い出そうとしても浮んでこない。
そういう、LNP2よりも安価なアンプが広告で「マークレビンソンと比較して……」をやる。

当然、そこにはマークレビンソンのアンプのスペックよりも優秀な値が並んでいたはず。

広告から音は聴こえてこない。
だからこそ広告では、もっとも比較しやすい数字を提示する。
これだけの高性能を実現しています、
けれどマークレビンソンのアンプよりもずっと安価です、
こんな広告がいくつも登場するようになっては、マーク・レヴィンソンのプライドはどうなっていっただろうか──。

ステレオサウンド 47号掲載のR.F.エンタープライゼスの広告を読んでから1年ほど経ったころ、
そんなことを私は考えていた。

マーク・レヴィンソンが、R.F.エンタープライゼスの広告で語っていたことは本心から、だとは思っている。
でも、それだけはなかったのではないか、とも思う。

あのころのLNP2、JC2はマーク・レヴィンソンの分身でもあったように思う。
そうだとしたら、レヴィンソンにとって、スペック上の数字とはいえ、
自分の分身よりも優秀な値を示すアンプがいくつも登場してきたことを認めたくなかった……。

そういう気持が皆無だったとは思えないのだ。

Date: 1月 20th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その11)

スピーカー端子が、Exclusive M5と同等のつくりになってくれれば、
どんなスピーカーケーブルであろうと、当時はしっかりと接続できたわけだが、
そんなことを期待していては、試聴という仕事はできないわけで、
なんらかのスピーカーケーブルの末端処理が必要となる。

私がステレオサウンドにいたころ、スピーカーケーブルはトーレンスのケーブルが標準となった。
これはマークレビンソンのHF10Cとほぼ同等の内容のケーブルで、
被覆の色・硬さに違いがあるくらいである。だから芯線が細く、その数が多く、太いケーブルである。

このトーレンスのケーブルが、
当時、いろいろあったスピーカーケーブルのなかでもっとも音質的に優れていた、というわけではない。
比較的癖の少ないケーブルで、どのようなパワーアンプに接続しても、
アンプの動作が不安定になるようなこともない。
そういう観点から自然と決っていった、といえるものである。

1980年代もなかばにはいると、アクセサリーとして末端処理用の製品がいくつか登場し始めた。
それらのいくつかを試したことは、もちろんある。
けれどどれも試聴室で使うには満足できるものがなく、結局、いくつか試行錯誤した結果、
ある方式に落ち着いた。

私が考えついた、この方式が完璧な末端処理とはいわないものの、
それでも音質的な変化は少なく、ほぼどんなスピーカー端子であっても確実に接続できた。
これは決して自己満足ではなく、
実はあるメーカーの担当者から、スピーカーケーブルの末端処理をどうしているのか、と訊かれたこともある。

井上先生が、その担当者に「ステレオサウンドの宮﨑にきけ」といわれたから、であった。

Date: 1月 20th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その10)

もっともJBLのスピーカー端子のみが、
ユニット全体の規模からしてみるとしょぼく感じていたわけではなかった。
アメリカ製のパワーアンプの多くも、1980年代までは同じであった。

マークレビンソンのML2(ML3は専用のコネクターを使用するタイプ)、
スレッショルド、クレルなど、物量投入型の規模の大きなモデルであっても、
スピーカー端子は、太いスピーカーケーブルを末端処理なしではそのまま接続することは無理だった。

だからステレオサウンドの試聴室で使うスピーカーケーブルには、
なんらかの末端処理が必要となる。
できれば末端処理はしないほうが音の面では有利とはいえ、
当時のクレル、スレッショルドなどに採用されていたスピーカー端子(メーカーは失念してしまった)は、
バナナプラグでの接続も可能としていて、そのためもあってプラスとマイナスの端子は接近した状態だった。

末端処理なしでは芯線がどうしてもばらけてしまう。
しかもプラスとマイナス側の端子が近いため、
気をつけないとばらけた芯線がショートしてしまう危険性もある。

このころパワーアンプの試聴でもっとも気をつかったのが、この点だった。
試聴ではすばやく次の機種に交換しなければならないわけだが、
スピーカーケーブルをショートさせてしまうわけにはいかない。
しかもしっかりとケーブルが端子に接続されていなければならない。

いったいいつ太いスピーカーケーブルをしっかりと接続できる端子が、
スピーカー側にもパワーアンプ側にもついてくるようになるのか、
早く、スピーカーケーブルを楽に接続できるようになってほしい、と思っていた時期もある。

パイオニアのExclusive M5の登場は、だから嬉しかった。
ケーブルの挿込み口3.8×14mmと大きかった。
しかも万力式にがっちりとケーブルをくわえこむ。圧着されている、という感じのするものだった。

Date: 1月 19th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その8)

「オーディオ真夏の夜の夢」もステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」同様、
未来の世界にタイムスリップした現代のオーディオマニアの視線から描かれている。

こんな書き出しではじまっている。
     *
あるオーディオ・ファイルという人の家に行き、そこで一番驚いたのは、オーディオ・システムらしきものはあるものの、レコードが1枚も無いことでした。多少スタイルが違っているとは思っていたのですが、1枚も無いとは。そこでその彼に聞くと次のように言うのです。「君達はレコードを買っていただろうけど、それはレコードの中味、つまり音楽を買っていたはずだ。だから聴きたいときに聴きたい音楽が聴ければ何も生活空間を犠牲にしてまで膨大なレコードを持ち込む必要はない。
     *
長島先生が書かれている、このことがどういうことなのかは、
続きを書かなくても、いま(2013年)のオーディオマニアならば容易に想像がつくことだ。

長島先生はレコード会社がマスターとなるソースを所有していて、
それを聴き手のリクエストに応じて、
光ファイバーの利用して提供するというシステムを、1981年の時点ですでに予測されている。
そのためには家庭にコンピューターが当然のモノとしてある、ということもについても、同じである。

「2016年オーディオの旅」では、レコードはLPやCDのようなディスクではなく、
固体メモリーを利用したレコードパックと呼ばれるものを、
タイプライター状のプレーヤーにセットするというものだった。
これが2年後には、光ファイバーによるインターネットという予測の変更をされている。

これに、私は驚いたわけである。

Date: 1月 18th, 2013
Cate: 数字

数字からの解放(その1)

マーク・レヴィンソンは1977年にパワーアンプのML2を発表したときに、
実際の使用にあたって必要となる基本的な項目──、
入力インピーダンス、電源電圧と消費電力、外形寸法と重量、こういった項目以外の、
たとえば周波数特性、混変調歪率、高調波歪率、S/N比などの表示を行わない、と明言している。

このことはステレオサウンド 47号に掲載されている、
当時のマークレビンソンの輸入元であったR.F.エンタープライゼスの広告が詳しい。

レヴィンソンは、その理由として、
「10年も20年も前に作られた製品の中に、現在のすばらしい〝特性〟を誇る優秀製品のあるものに比べても、
音楽をきいたとき、ずっと楽しめるものがすくなくない」ことをまず挙げ、
「こうした測定によって得られた数値から、われわれはいったい何を知ることができるのだろうか」
と続けている。

さらに
「最も重要な問題は、これらの〝特性〟のうち何が、肝心の音の良し悪しを明確に示してくれるか、ということだ。
答えは、『どれも、それを示すものはない』である。これはまことに、いらだたしくもあり、
厄介千万なことだけれども、しかし、これが事の真相だ。」
と語っている。

47号は1978年6月に出ているから、47号を読んだ時、私は15歳。
素直に、マーク・レヴィンソンが語る言葉を信じていた……。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その7)

「2016年オーディオの旅」的な文章を、長島先生が書かれたのは、
他にはない、とずっと思っていた。
すくなくともステレオサウンドには載っていなかった。
だから、ないものと思い込んでいた。

けれどスイングジャーナルの1981年9月号にも載っていたことを、つい先日知った。
なにもスイングジャーナル1981年9月号を手に入れたのが、つい先日というわけでもない。
1年以上前から手もとにはあった。
あったけれど、読み返していたのは岩崎先生、瀬川先生の文章が読めるスイングジャーナルであって、
そうでないスイングジャーナルは積んだままになっていた。

いま、もうひとつのブログ、the Review (in the past)の作業を行っている最中で、
数ヵ月先に大きく更新する予定なのだが、
そのための作業中に1981年9月号を手にして、ぱらぱらとめくっていて気がついたわけである。

「オーディオ真夏の夜の夢」という記事で、
長島先生のほかにも石田善之、及川公生、斎藤広嗣、落合萠の四氏も書かれている。

ページ数はひとりあたり見開き2ページ。
ステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」は扉をふくめて16ページ。
読みごたえということでは、ステレオサウンドのほうが上である。
でも、スイングジャーナル1981年9月号の「オーディオ真夏の夜の夢」に書かれていることは、
いまのオーディオ、これからのオーディオをかなり正確に描かれているだけに、驚きは大きい。

もっとも「2016年オーディオの旅」を読んだときと「オーディオ真夏の夢」を読むまでには、
30年以上が経っている。だから感じ方も違って当然なのだが、
それでも「オーディオ真夏の夜の夢」は、じつにおもしろい。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その6)

ステレオサウンド 50号は、創刊50号記念特集号だった。

巻頭特別座談会として「ステレオサウンド誌50年の歩みからオーディオの世界をふりかえる」と題して、
井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏による座談会を筆頭に、
旧製品のState of the Art賞など、いくつもの記念特集が載っている。

そのなかに「オーディオファンタジー 2016年オーディオの旅」という記事がある。
副題には、本誌創刊200号、とついている。
長島先生が書かれている。

小説仕立てのこの記事は、長島先生による未来のオーディオの予測でもあり、
長島先生によるオーディオへの、こうあってほしいという希望でもある、この記事では、
主人公がある朝目覚めると2016年にタイムスリップしているところから始まる。

ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ている。
37年後の世界を描かれている。
いまは2013年、もう3年後に迫っている。

ここに書かれたことで、現実のほうが進んでいることもあるし、
そうでないこと、まったくそうでないことがある。

当時高校生だった私は、2016年は遠い未来のことにおもえていた。
だから2016年に自分がいくつになっているかなんて、想像もしなかった。
けれど長島先生の「2016年オーディオの旅」は何度か読み返した。
おもしろかったし、あれこれ刺戟されるものも多かった。

ステレオサウンドにはいり実感したのは、
「2016年オーディオの旅」を書けるのは、長島先生だからこそ、ということだった。
長島先生の「豊富で貴重な雑学」があればこその記事である。

Date: 1月 16th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その2)

スピーカーは音は出しても、何も語らない。
こういうふうに、ほんとうに鳴らしてほしい、とか、
こういうふうに調整してくれれば、もっともっと能力を発揮できるのに……、
などと語ってくれるわけではない。

もしスピーカーが、そんなことを語ってくれたら、
スピーカーのいままでの、いい音を出すための苦労の何割かはなくなってしまうかもしれない。
スピーカーは、なにひとつ具体的なことは語らない。

けれど、そのスピーカーが鳴らす音、音楽を聴くことで、
聴き手が、具体的なことをそこから感じとることは決して不可能なことではない。

私は、オーディオはスピーカーとの協同作業だと思っている。
協同作業だからこそ、スピーカーから学ぶことがある。
学ぶことがあれば、考えることも生じてくる。
だから、これまでもいろいろと考えてきたし、いまもあれこれ考えている。
これから先も考えるのは、スピーカーとの協同作業において、スピーカーが語ることができないから、ともいえる。

ステレオサウンド 72号に掲載されている上弦(シーメンス音響機器調進所)の広告は、
伊藤先生が書かれている。
「スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。」

スピーカーはそんなことはもちろんいわない。
おくびにも出さない。

協同作業であるからこそ、試されている、といえるのではないのか。

Date: 1月 15th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その9)

ベルデンの、オレンジと黒の撚り線タイプのスピーカーケーブルの太さは、
細いわけでもないし太いというわけでもなく、
JBLのユニット、スピーカーシステムに長らく採用されてきたバネ式のスピーカー端子に、そのまま挿入できる。

いまでこそJBLもスピーカー端子を、より太いケーブルを確実に接続できるタイプに変更されているけれど、
1980年代まではコンシュマー用、プロフェッショナル用ともに、バネ式のスピーカー端子だった。

この端子に不満をもつ方は少なくないと思う。
実際、ときどききかれる、「なぜ、こんなショボイ端子なのか」と。

でも、考えてみてほしい。
ランシングが、このバネ式の端子を採用したのはD130からである。
D130の出力音圧レベルは高い。1Wの入力で100dB以上の音圧がとれる。
しかも、この時代のスピーカーユニットだからインピーダンスは16Ωである。

1Wで100dBの音圧ということは、実際の過程における聴取レベルでは、
アンプの出力はもっともっと低くなる。

オームの法則では電力は電流の二乗と負荷インピーダンスの積である。
つまり8Ωよりも16Ωのほうが電流は少なくてすむ。
D130を過程で常識的な音量で鳴らす分には、
それにD130が登場したころの同時代のパワーアンプの出力もそれほど大きいわけではない。

そうするとオームの法則から求められるD130が必要とする電流は、意外にも低い値である。
その電流を充分に流せるケーブルの太さと、その太さのケーブルをそのまま接続できる端子があればいい、
こういう合理的なところからみれば、あの貧弱にみえるバネ式の端子も、
それ以上は必要としない、ということの裏返しでもある、と受け取ることもできよう。

Date: 1月 15th, 2013
Cate: 菅野沖彦

嬉しい知らせ

月に一二度はステレオサウンドのサイトにアクセスしている。
今年になって、今日最初のアクセスだった。
HEADLINEを溯ってみていると、「ステレオサウンド編集部より新年のご挨拶」というページがある。

ここに嬉しい知らせがある。
「3月1日発売の186号では、いよいよ待望のあの方が誌面に戻ってくる予定です。」

これ以上の情報はなにもないけれど、
待望のあの方は、やはり、ひとりだけである。
そう思って3月1日の発売日を待っていて、いいと思う。

Date: 1月 14th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その8)

この理屈からいけば、スピーカーケーブルは短いほうがいい、ということになる。
けれど実際には、必ずしもそうではない、と菅原氏はいわれた。

全体の長さからすると、ほんのわずかとはいえ短くすることで音は良くなる。
さらに短くするともう少し良くなる。もっと短くすると……、
これをくり返していくと、あるところでよい方向への変化が頭打ちになって、
そこから先は短くすることによって音が悪い方向へと変化していく。
それでもさらに短くしていくと、これまた悪い方向への変化も底打ちになって、
そこからは一転よい方向への変化になっていく……。

ちょうどサインウェーヴのようにプラスとマイナスが交互にやってくるような音の変化をする、という。

中野氏と本田氏による、30mのスピーカーケーブルの、10cm単位での長さの調整は、
ベイシーの菅原氏が経験的に感じられていたことを、
意図的に調整に利用された、ともいえるだろう。

ベイシーにて菅原氏が使われているスピーカーケーブルの銘柄・品種はなにか知らない。
でも極端に太く、高価すぎるケーブルではないはず。
おそらくベルデンのスピーカーケーブルなのだと思う。