数字からの解放(その2)
アメリカは比較広告の社会であるから、
マークレビンソンの成功に刺戟され、雨後の筍のように登場したガレージメーカーの多くは、
広告において、「マークレビンソンと比較して……」という謳い文句を使っていた、ときいている。
マークレビンソンの当時のアンプはLNP2にしろ、JC2にしろ非常に高価なコントロールアンプだった。
マークレビンソン以降登場したアンプメーカーのほとんどは、
価格の面ではマークレビンソンのアンプよりも安価だった。
JC2とほぼ同価格のアンプはあっても、LNP2と同価格のアンプは、思い出そうとしても浮んでこない。
そういう、LNP2よりも安価なアンプが広告で「マークレビンソンと比較して……」をやる。
当然、そこにはマークレビンソンのアンプのスペックよりも優秀な値が並んでいたはず。
広告から音は聴こえてこない。
だからこそ広告では、もっとも比較しやすい数字を提示する。
これだけの高性能を実現しています、
けれどマークレビンソンのアンプよりもずっと安価です、
こんな広告がいくつも登場するようになっては、マーク・レヴィンソンのプライドはどうなっていっただろうか──。
ステレオサウンド 47号掲載のR.F.エンタープライゼスの広告を読んでから1年ほど経ったころ、
そんなことを私は考えていた。
マーク・レヴィンソンが、R.F.エンタープライゼスの広告で語っていたことは本心から、だとは思っている。
でも、それだけはなかったのではないか、とも思う。
あのころのLNP2、JC2はマーク・レヴィンソンの分身でもあったように思う。
そうだとしたら、レヴィンソンにとって、スペック上の数字とはいえ、
自分の分身よりも優秀な値を示すアンプがいくつも登場してきたことを認めたくなかった……。
そういう気持が皆無だったとは思えないのだ。