あるスピーカーの述懐(その2)
スピーカーは音は出しても、何も語らない。
こういうふうに、ほんとうに鳴らしてほしい、とか、
こういうふうに調整してくれれば、もっともっと能力を発揮できるのに……、
などと語ってくれるわけではない。
もしスピーカーが、そんなことを語ってくれたら、
スピーカーのいままでの、いい音を出すための苦労の何割かはなくなってしまうかもしれない。
スピーカーは、なにひとつ具体的なことは語らない。
けれど、そのスピーカーが鳴らす音、音楽を聴くことで、
聴き手が、具体的なことをそこから感じとることは決して不可能なことではない。
私は、オーディオはスピーカーとの協同作業だと思っている。
協同作業だからこそ、スピーカーから学ぶことがある。
学ぶことがあれば、考えることも生じてくる。
だから、これまでもいろいろと考えてきたし、いまもあれこれ考えている。
これから先も考えるのは、スピーカーとの協同作業において、スピーカーが語ることができないから、ともいえる。
ステレオサウンド 72号に掲載されている上弦(シーメンス音響機器調進所)の広告は、
伊藤先生が書かれている。
「スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。」
スピーカーはそんなことはもちろんいわない。
おくびにも出さない。
協同作業であるからこそ、試されている、といえるのではないのか。