Date: 2月 27th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(パコ・デ・ルシアのこと)

ギターは小さなオーケストラ、ということは昔から知ってはいた。
知ってはいたけれど実感したことはなかったから、そういうふうにいうんだなぁ、ぐらいの気持で受けとめていた。

“Friday Night in San Francisco”が、いくつかの意味で衝撃だったのだが、
そのひとつは、ギターが小さなオーケストラであることを実感できたことだ。

小さなオーケストラは凝縮されたオーケストラでもあった。

パコ・デ・ルシアの名前を知ったのも、そのときだった。

Date: 2月 27th, 2014
Cate: JC2, Mark Levinson

Mark Levinson JC-2(続×八・モジュール構成について)

23歳だったから1986年の夏だった。
ステレオサウンドに載っていたある販売店の広告に、マークレビンソンのML6の文字があった。

本ができあがって書店に並ぶ前に、編集部には見本誌と呼ばれるものが到着する。
その見本誌で編集部のわれわれも広告を見る。

記事は自分たちでつくっているから、広告の方が気になるといえばそうだ。
特に何かをさがしているときは、販売店の広告を注意してみる。

ML6がある。
すぐさま、その販売店に電話した。
まだ売れていなかった。

欲しかった。
数日後の休みの日に、その販売店まで出かけた。
目の前にML6がある。

1986年にはML6はすでに製造中止になっていた。
シルバーパネルからブラックパネルになったML6Aが現行製品だった。

ML6がどれだけ売れていたのかはわからない。
あまり売れなかったのかもしれない。
少なくとも1986年当時には、中古でも出ることがほとんどなかった。

だから、やっと現れてくれた、とまで思った。
ローンを組んだ。このころは36回払いまでしかなかった、と記憶している。

いまのようにクレジットの審査がすぐに出てくるわけではなかった。
数日後、その販売店から連絡があった。
審査は通らなかった。

ML6は手に入れられなかった。未練だけが残った。
その未練が、まだ私の中にはあるようだ。

Date: 2月 27th, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その6)

メーターをつけたアンプは売れる、
付けないアンプの売行きはあまりよくない──、
そんなことをずっと昔に耳にしたことがあるし、
そのころのオーディオ雑誌に誰かが書かれていたのを読んだこともある。

ほんとうにそうだったのだろうか。
当時はまだ中学生、高校生だったら確かめる術はなかった。
けれどこのころはいくつかのメーカーからメーターを独立させたモノを出していた。

オーレックスのPM55(50000円)、ラックスの5E24(80000円)、ダイヤトーンのDA-M10(30000円)、
オンキョーのIntegra U30(68000円)、ティアックのAP500(70000円)、
テクニクスのSH9020M(50000円)、ビクターのDS7070(145000円)、
ダイレックスのSE600R(168000円)などがあった。

SE600Rは入出力セレクター機能とメーターユニットを一体化したもの、
DS7070はプラズマディスプレイ搭載で10万円をこえる価格になっている。

いちばん安いDA-M10でも30000円である。
1977年ごろの、この価格だからそれほど安いモノとはいえない。
これだけの数(見落しがあるかもしれない)のメーターユニットと呼ばれるモノが出ていた。

ということはそれだけ売れていたということなのかもしれない。
とすれば、やはりメーターの有無によって、アンプの売行きが左右されていたのかもしれない。

Date: 2月 26th, 2014
Cate: ロマン
1 msg

オーディオのロマン(その5)

瀬川先生が、以前こんなことを話されていたのを思い出している。

女性の出逢いについて、だった。
その人にとって、ある女性が運命の人であるならば、
その女性がたとえぼさぼさ頭で化粧がうまくいってなかったり、
元気がなかったりしていたとしても、逢った瞬間にインスピレーションで、
運命の人であると感じるものだ。
スピーカー選びも同じだ、と。

そんなことをいわれた。

五味先生にとってのタンノイ・オートグラフ、
原田勲氏にとってのヴァイタヴォックス・CN191、
瀬川先生にとってのマランツ・Model 7とJBL・375+537-500、グッドマンのAXIOM80、
これらこそが、出逢いであるはずだ。

オーディオ雑誌を読んで評判のいいオーディオ機器をいくつか借りて、
自宅試聴して良かったモノを買う──、
これを出逢いと呼んでいいのか、出合いでもないのかもしれない。

われわれは、つい自分が選択しているものと思い込んでいる。
一方的な選択なんてものは、この世に存在しないのではないか。
結局、選び選ばれている、としか思えない。

だからこそ出逢いでありたいと願う。

Date: 2月 26th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その4)

オーディオ機器はどんなものでも安くはない。
それどころがかなり高価なモノのほうが多いともいえる。

金の成る木は持っていないから、選択の失敗は避けたい。
そのためには充分すぎるほど調べ、試聴する。
それも販売店の試聴室だけの試聴ではなく、できるだけ自宅試聴を行いたい、と思う人はいる。

インターネットを見ていると、自宅試聴を行った、とか、
自宅試聴ができるような客になれ、とか、そういう書き込みが目につく。

自宅試聴こそが、選択の最終手段でもあるかのように書かれている。

自宅である程度の時間をかけて、じっくりと気になる機種をいくつか借り出して比較試聴ができれば、
選択で失敗することはないのかもしれない。

失敗はしないだろう。
でも失敗しない選択が、最良の選択であるのかは、また別のことである。

いまは情報と呼ばれているものがあふれすぎている。
そんな情報と呼ばれているものは、インターネットで検索すればかなりの量に接することができる。

自宅試聴して、インターネットでも人の評価を調べまくる。
そうやって買ったオーディオ機器は、人に自慢できるモノではあっても、
その人を幸福に導いてくれるモノとは限らない。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その3)

瀬川先生も同じ体験(買い方)をされていることは、
瀬川先生の書かれたものを読んできた人ならば思い出す。

マランツのModel 7がそうだったし、JBLの375+537-500もそうである。

こういう例は昔のオーディオ雑誌、オーディオについて書かれた文章を丁寧に読んでいけば、
これだけではないことがわかる。

こう書くと「そういう時代だったんだろう」という反論が来る。
たしかに「そういう時代」だったわけだ。

五味先生がオートグラフ、齋藤氏がデコラ、瀬川先生がModel 7、375+537-500を買われたときには、
まだステレオサウンドは創刊されていなかった。

海外のオーディオ機器の情報を詳細に伝える雑誌はまだなかったころであり、
インターネットは影も形もなかった時代。
情報は極端に少なかった。

試聴をしたくとも実物を目にすることすらほとんどなかった、そういう状況だから、
実物も見ず試聴もせずに買うのは、時代のせいといえばそうであることは確かなのだが、
それだけではないことも、また確かである。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その2)

私がツイートしようと思っていて、
先に同じことを別の人にツイートされたからやめてしまったのは、
五味先生、ステレオサウンドの原田勲会長、齋藤十一氏(新潮社のS氏)、瀬川先生のことである。

五味先生の書かれたものを読んできた人ならば、オートグラフを買われた経緯を知っている。
五味先生がオートグラフを最初に日本で買われた人であり、
それ以前に日本にオートグラフは入ってきていない。

つまり実物も見ることなく、1963年のHiFi year bookに載っていたオートグラフを見て、
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにいられなった」五味先生は、
タンノイにオートグラフを発注された。

ステレオサウンドの原田氏も、ヴァイタヴォックスのCN191は音も聴かずに買われた、と聞いている。
五味先生のオートグラフを何度も聴かれているだけに、
オートグラフと肩を並べる存在で、英国のスピーカーシステムとなると、
ヴァイタヴォックスのCN191しか、当時はなかった。
だからCN191にされた。

原田氏のCN191は横浜港に到着した。
今も当時もヴァイタヴォックスの輸入元は今井商事。
今井商事としては日本に初めて入ってきたCN191を会社に持ち帰りチェックをした上で出荷するつもりだったが、
イギリスからCNs191とともに届いた英国の空気を少しでも失いたくないから、
半ば強引に横浜港から自宅に搬入した、と原田氏ご本人から聞いている。

五味先生はデッカ本社でデコラを聴かれている。
そしてS氏(齋藤十一氏)に「ピアノの音がすばらしい、デコラをお購めなさい」と国際電話をされている。
齋藤氏はデコラにされている。
齋藤氏も実物を見ることなくデコラに決められているはずだ。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その1)

昨夜、twitterでフォローしている人のツイートが目に留った。

そこには、不見転でオーディオを買う人は幸福になれない、と書かれてあった。

不見転とは、後先考えずに事を行なうことであるが、
ここでの不見転は、そのオーディオ機器について十分に調べもせずに試聴もせずに、ということを意味している。
少なくとも私はそう受けとめた。

このツイートについてあることを書こうと思っていたら、
別の、フォローしている人が、ほぼ同じことをツイートされていた。

でも「不見転で……」のツイートをした人の意図は、
私がしようと思っていたこととは、少し違うところの人たちの事ではないか、とも思える。

私は実際に見たことはないけれど、
オーディオ店には時々、「いちばん高いオーディオをくれ」という買い方をする人がいる、と聞いている。

とにかく価格がいちばん高いモノであればいいらしい。
店にとって、これほど有難い客は他にいないだろう。

こういう買い方をする人は、何も調べもせず、何も試聴もせずに買っていく。

おそらく、この人たちのことを「不見転で……」のツイートをした人は思い浮べていたのではないのか。
たしかに、こういう買い方をする人には、どんなにいいオーディオ機器を購入したところで、
幸福になれる可能性は、まったくないとまではいわないけれど、ほとんどない、と私もいいたい。

Date: 2月 25th, 2014
Cate: audio wednesday, 背景論

第38回audio sharing例会のお知らせ(断片としてのオーディオ背景論)

3月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

テーマについて、オーディオ背景論です。

オーディオ背景論については、昨夜書いたように一年以上前から書こうと考えていたけれど、
その間ずっと考え続けてきたわけでもない。
ほんとうに書こう書こうと思いながら、ずるずる延ばしてきてしまった。

けれどいま書いているいくつかのテーマに、どうしても背景論が関係してくる。
背景論について項を立てて書いていかないと、
別のテーマの項の中で背景論について長々と書いていくことになるのがはっきりしてきたから、
とにかく書き始めようということで、新たに項を立てた次第だ。

オーディオにおける背景は、ひとつではない。
それについても「オーディオ背景論」で書いていく。
だからかなり長くなる気がしている。

3月の例会では、断片としてのオーディオ背景論。
つまりまだ「論」になっていない断片について、語っていこうと考えている。
とりとめのない話になる可能性もある。

でも、オーディオ背景論について断片ではあっても実際に言葉にすることではっきりしてくることがあるし、
来られた方の反応からも見えてくるものがあるから、
来週水曜日のaudio sharing例会のテーマは、オーディオ背景論にする予定である。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 24th, 2014
Cate: 背景論

オーディオ背景論(その1)

一年以上前からテーマとして思いつき、
いつか書き始めようと思いながらも、今日までずるずるとのばしてきたのが、オーディオ背景論である。

オーディオ背景論と表示したくて「おーでぃおはいけいろん」と入力すると、
「オーディオは異形論」と変換された。
これはこれでなかなか示唆に富むタイトルになるかもしれないと思うが、
ここではオーディオ背景論について書いていく。

もう40年ほど昔の話になるが、10歳ぐらいのころ、
手塚治虫に憧れていて、漫画家になりたいと思っていた。
ヘタながら途中までマンガを描いたこともあった。
でも早々とあきらめたのは、弟の絵の巧さを知ったからで、
こんなにも易々とこれだけの絵が描けるのか……、と落ち込んだ。

漫画家になろうとはもう思わなくなったけれど、
ずっと読みつづけてきて感じているのは、絵の緻密さの変化である。

マンガと小説、どちらにもストーリーがある。
けれど、小説では必要がなければ、その場面場面での背景について書かなくてもすむ。
マンガではそうもいかない。

その場面場面ごとにふさわしい背景を描いていかなければならない。

Date: 2月 24th, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その5)

ヤマハの1970年代後半のプリメインアンプでメーターがついていたCA-V1の価格は33000円、
CA1000IIIは128000円、CA2000は158000円だった。

当時のヤマハのラインナップではCA-V1の下には29800円のCA-Z1があるだけだった。
CA2000はヤマハのプリメインアンプのトップモデルである。

つまり上位機種と下位機種にヤマハはメーターを搭載している。

ヤマハは当時NS500というスピーカーシステムを出していた。
一本55000円のブックシェルフ型で、エンクロージュアの仕上げは黒。
ウーファーのフレームの形状もそれまでのヤマハのウーファーとは異っていて、円である。
それまでのヤマハのウーファーのフレームはNS1000Mのウーファーを思い出してほしいのだが、
八角形であり、フレームはネジ用の穴が開いていた。

NS500はそうではなく、
JBLのスタジオモニターのウーファーのように固定金具によってフロントバッフルに固定される。

たったこれだけのこととはいえ、
スピーカーシステムの印象としてはそれまでのヤマハのモノとは違ってきている。

それにYP-D7という、これもまた黒仕上げのキャビネットのアナログプレーヤーも出していた。

これらの製品は、それまでのヤマハの製品イメージとは180度転換したといえる。

Date: 2月 23rd, 2014
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その16)

最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見て思うのは、
このアンプなり、CDプレーヤーなり、スピーカーなり、アナログプレーヤーを開発した人は、
オーディオはコンポーネントであることを、どう考えているのか、である。

つまりオーディオは組合せである。
どんなに優れたスピーカーシステムであっても、
そのスピーカーシステムだけ持っていても音は出せない。
アンプだってそうだ。優秀なアンプを持っていても、
スピーカーを接ぎ、CDプレーヤーなりアナログプレーヤーを接続しなければ音を聴くことはできない。

そして、これらのシステムを構成するオーディオ機器は、
ほとんどの場合、同一空間に設置される。
リスニングルームと呼ばれる空間に、スピーカーシステムが置かれ、
アンプ、プレーヤーが置かれる。

リスニングルームにはオーディオ機器だけが置かれることはない。
最低でも椅子があったり、アンプやプレーヤーを置くラックもある。
照明器具もある。

ようするにオーディオ機器のデザインは、そういう場でのデザインとして語るべきではないのか。
オーディオ機器のデザインについて語る時、
最低でもシステムを構成する他のオーディオ機器との関係性・関連性を無視するわけにはいかない。
というよりも重要なことではないかと考えている。

だが、最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見ていると、
自分だけよければそれでいい、とでも考えているかのようなデザインのモノが目立つようになってきた。
しかも、それらは美しい、とはいえないモノばかりである。

Date: 2月 23rd, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その4)

私より上の世代の人で、CA1000、CA1000II、CA10000IIIと順番に見てきた人は、
CA1000IIIにメーターがついたことをどう受けとめられたのだろうか。

私はCA1000IIIを最初に知った世代だから、
メーターのないCA1000、CA1000IIのデザインをいいとは感じなかった。

CA1000とCA1000IIIのフロントパネルを構成しているツマミの数は同じである。
ツマミ、スイッチの形状も同じ。
ということはCA1000IIIになり、メーターが増えた分だけ、
フロントパネルは窮屈になるはずでなのだが、
CA1000IIIを最初に見た私は、メーター無しのCA1000のほうが窮屈な印象を受けた。

CA1000とCA1000IIIを比較すると、筐体のサイズも変更されている。
CA1000IIIのほうが少しだけ大きい。

ヤマハはなぜCA1000IIIになり、メーターをつけたのだろうか。
CA2000が登場し、CA1000IIIはそれまでのCA1000シリーズの改良モデルという位置づけではなく、
CA2000の弟的モデルといしての位置づけを印象づけるためであろう。

となるとヤマハなぜCA2000にメーターをつけたのだろうか。
CA2000と同時期のCA-V1もメーター付きだが、
こちらはブラックパネルで、明らかにCA2000、CA1000IIIの購買層とは違う層、
つまり若者向きということを狙ったものだけに、
メーターをつける意味合いにも違いがあるように考えられる。

Date: 2月 23rd, 2014
Cate: 型番

型番について(その27)

マーク・レヴィンソンがマークレビンソンの次に興したチェロのコントロールアンプにEncoreがある。
小改良が施され、Encore 1MΩとなった。

型番末尾の1MΩが表しているように、ライン入力のインピーダンスを1MΩに変更したモデルである。
ライン入力のインピーダンスは以前は100kΩ、50kΩ、47kΩが一般的だったが、
たいていのコントロールアンプはライン入力からの信号は入力セレクターの次にはボリュウムが来る。
このボリュウム(ポテンショメーター)のインピーダンスがそのまま入力インピーダンスとなる。

高域特性を考慮するとこの値は低い方が有利である。
ただあまり低すぎると、CDプレーヤー、チューナー、テープデッキといった、
ライン入力に接続される機器にとっては負荷として適当とはいえなくなるので、
10kΩあたりで低い方は落ち着いている。

Encore 1MΩは1MΩという高いインピーダンスのボリュウムを採用したのではなく、
ボリュウムの前に1MΩという高い入力インピーダンスをもつバッファーアンプを設けて実現している。

その改良(変更)点を、型番の末尾に1MΩとつけることでアピールしている。
マーク・レヴィンソンらしい型番のつけ方のうまさ(ずるさかもしれない)である。

いかにもEncore 1MΩ以前に、
これだけの高入力インピーダンスのアンプはなかったかのように思わせることができるし、
事実、そう思ってしまった人を知っている。

けれど、ヤマハはC2の改良型C2xにおいて、CDプレーヤーの入力に関してはバッファーアンプを追加して、
2.2MΩという、Encore 1MΩよりも数年早く、しかも2倍以上の高入力インピーダンスをやっていた。

けれど型番のどこにも高入力インピーダンスを謳ってはいない。
最初のC2からC2aに、C2xになったわけだが、型番からはどういう変更点があったのかはわからない。

それに最近オーディオを始めた人にとっては、
C2が最初のモデルということはわかっても、次がC2aなのかC2xなのかははっきりとしない。

このことはアキュフェーズのC200、P300についても同じことがいえる。
このシリーズは末尾にS、X、Lがつくように改良されていったが、
アルファベットの順序に従えば、L、S、Xというふうになっていったと思われる。

もっと型番のつけ方がうまくなってほしい。

Date: 2月 23rd, 2014
Cate: JC2, Mark Levinson

Mark Levinson JC-2(続×七・モジュール構成について)

人によって、ティボーのところにあたるアンプの型番、
フランチェスカッティのところにあたるアンプの型番は違ってくる。

どんなアンプをどういうふうに聴いていたのか、
いつの時代に聴いていたのか、どういう出合いをしたのか、
そういった事柄によって、ある人にとってはティボーのところにあたるアンプが、
別の人にとってはフランチェスカッティのところにあたるアンプになっても不思議ではない。

それが、オーディオだと思うからだ。

私にとって、フランチェスカッティのところにあたるアンプの筆頭は、
やっぱりマークレビンソンのLNP2である。
それもオプションのバッファーアンプを追加したLNP2ということになる。

このLNP2が他のどのコントロールアンプよりも性能、音において優れている、とはいわない。
LNP2の音を醒めた目(耳)でみれば、ネガティヴな面も強く感じるところがある。

たとえば同じマークレビンソンのLNP2とML7。
どちらが優れているアンプかと問われたら、ML7と答える。
LNP2とML7との間には、はっきりとしたアンプの進歩というものが感じとれる。

ML7でも、いまでは旧いアンプとなる。
いまはもっともっと新しいアンプはいくつも登場してきている。

そういった新しい、優秀なアンプとML7を比較したら、私だって新しいアンプをとる。
けれど、LNP2と新しいアンプとなったら、新しいアンプがどのアンプかにもよるけれど、
ほとんどの場合、LNP2(バッファーアンプつき)をとる。

どうしてもLNP2をすぱっと捨てきれないところがある。