続・ちいさな結論(その7)
いい音を求めるのは、オーディオマニアならば皆同じであっても、
そこに答を求めているのか、問いを求めているのかの違いがあるのではないか。
答だけを求めた方が、ずっと合理的なのかもしれない。
理論だけでオーディオを追求した方が、やはりずっと合理的である。
けれどオーディオの世界には、そういった合理主義だけではすくえない美があるはずだ。
すくえないは、掬えないでもあり、救えないでもある。
いい音を求めるのは、オーディオマニアならば皆同じであっても、
そこに答を求めているのか、問いを求めているのかの違いがあるのではないか。
答だけを求めた方が、ずっと合理的なのかもしれない。
理論だけでオーディオを追求した方が、やはりずっと合理的である。
けれどオーディオの世界には、そういった合理主義だけではすくえない美があるはずだ。
すくえないは、掬えないでもあり、救えないでもある。
そう言われてみると、「コンポーネントステレオの世界」’77年度版に試聴風景の写真があるが、
そこには読者は写っていない。
読者の手紙を見開きで紹介しているわけだが、
そこには名前と年齢と職業、それにイラストがあるだけだ。
「読者はいないんだよ」といわれてみて、
たしかに読者が存在していないことは、
見る人がみれば、もしかすると……とわかることだったのかもしれない。
でも当時の私はそんなことはまったく想像していなかった。
そんな私が「読者はいなかったんだよ」をきいて思ったのは、
騙されていた、ではなかった。すごいな、だった。
実在の読者ではなく架空の読者だったことを知った上で読み返してみても、
「コンポーネントステレオの世界」の’77年度版と’78年度版は、
いいスタイルの本に仕上っている、と感じた。
ここに書いたことを読み実在の読者ではなかったことを知り、
騙された、と思う人は、見事に騙されたことに、
騙し方のうまさと、そのために編集部がどれだけのことを考え用意したのかについて考えてもらいたい。
実在の読者が登場して、つまらない記事になるよりも、
架空の読者が登場しておもしろい記事になることを、私だったら望む。
架空の読者を登場されることは、読者を欺いたことにならないのか。
ならない、と私は考える。
実在の読者か架空の読者かといったことは私にとっては、この場合はさほど重要ではない。
重要なのは、架空の読者を登場させてそこでつくられた組合せそのものが、
読者を欺いていないかということだ。
「コンポーネントステレオの世界 ’78」は1977年12月にでたステレオサウンドの別冊である。
つまりはこの別冊の取材は9月下旬ごろから10月にかけて行われていたはずだ。
岩崎先生が亡くなられて半年ほど経った時期にあたる。
ああ、だから井上先生はコントロールアンプにクワドエイトのLM6200Rを選ばれたんだな、とやっと気がついた。
これから書くことはずっと黙っておくか、
書くとしてもずいぶん先にするつもりでいた。
けれど、ここで書きたいことのためには、書かざるを得ない。
なので書く。
「コンポーネントステレオの世界」は’77年度版と’78年度版が、
読者からの手紙をまず紹介して、読者本人にステレオサウンド試聴室まで来てもらい、
組合せがつくられていく過程を聴いてもらう、というスタイルをとっている。
いまでも、このスタイルはいいと思う。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」は41号とともにはじめて買ったステレオサウンドでもあったし、
この企画にいつの日か出てみたい、とも思いながらくり返し読んでいた。
’79年度版以降、このスタイルはなくなった。
ステレオサウンドで働くようになって、いくつものことを編集部の先輩にきいた。
そのうちのひとつが、このことだった。
なぜ、読者が登場するスタイルをやめたんですか。
返ってきた答には、正直びっくりした。
そうだったのか、と思った。
「読者はいないんだよ」だったからだ。
グレン・グールドはゴールドベルグ変奏曲の録音でデビューしている。
テンポのはやい、反復を省略したゴールドベルグ変奏曲だった。
グールドはゴールドベルグ変奏曲を1981年にふたたび録音している。
テンポはゆったりとなっている。
1981年のゴールドベルグ変奏曲が、グールドの最後の録音ではないけれど、
最晩年の録音のひとつである。
つまりはグールドの録音は、ゴールドベルグ変奏曲のアリアからはじまり、
1981年のゴールドベルグ変奏曲のアリアが終りをつげている、といえなくもない。
ゴールドベルグ変奏曲のアリアは、録音では始まりのアリアの録音をそのまま終りのアリアに使うこともできる。
こんなことは演奏会ではできない、録音だけが可能にしていることであるわけだが、
聴けばすぐにわかることだが、グールドはそういうことはしていない。
最初のアリアは最後のアリアは、まったく同じではない。
これは1981年の録音でもそうである。
グールドの最初のゴールドベルグ変奏曲のはじまりのアリアと、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の終りのアリアが、瀬川先生の書かれたものと重なってくる。
ステレオサウンド 3号でのアンプの試聴記が最初のゴールドベルグ変奏曲のアリアと、
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」での「いま、いい音のアンプがほしい」が、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の終りのアリアと。
このブログであれこれ書いているわけだが、
どのテーマにしても最初にプロットを書いて……、ということはまったくやっていない。
テーマとタイトルだけを考えて、場合によっては最終的な結論を見つけていることに関しては、
ただひたすらそこに向って書いていくだけの作業であり、
結論を見つけるために書いていることもある。
とにかくプロットはまったくないのだから、
ある程度の時間をかけて書いていくうちに、
それに他のテーマを書いているうちに気づくことがある。
今回も、ひとつ気づいたことがあった。
ステレオサウンドが1977年12月に出した「コンポーネントステレオの世界 ’78」での、
井上先生によるある組合せのことについて、である。
この組合せはJBLの楽器用18インチ・ウーファーK151を二発、
中高域はJBLの2440と2355ホーンの組合せ。
キズだらけの大型エンクロージュアにK151が、やや離れてマウントされている姿は、
同じダブルウーファーでも4350のように二発のウーファー近接してマウントされているのを見慣れていると、
やや間が抜けたような感じも受けないわけではないが、
18インチのウーファーが小さく感じられる、その大きさはじんわりと迫力を感じる。
「コンポーネントステレオの世界 ’78」が出た時の感想は、凄いなぁ、だった。
それから30年以上が経って、感じ方もずいぶん変ってきたし、今回気づいたこともある。
そして思い出したこともある。
岩崎先生の音の大きさについて、黛さんから先日非常に興味深いことをきけた。
こういうことだった。
ベイシーの菅原さんのところも音は大きい。
けれど、それはどこか抑制されたところも感じさせるけど、
岩崎先生の音の大きさには、そういったものがいっさいない。
私はベイシーの音は聴いたことがないから、
ベイシーの音の大きさについて具体的に知っているわけではない。
それでも、あれだけのシステムで、ベイシーに行ったことのある人、
それも何度も行っている人の話をきけば、そこでの音の大きさの凄さは伝わってくる。
にも関わらず黛さんは、岩崎先生の音の大きさは……、ということをいわれた。
岩崎先生の音を聴いたことがなければ、そういう発言は出てこない、と思う。
でも、一度でも岩崎先生の音を聴いたことがあるからこそ、そう感じるのではないのか。
それはもう、つき抜けている、としか表現しようのない音の大きさなのかもしれない。
おそらく音の大きさ、つまり音圧レベルだけなら、
岩崎先生よりも高いレベルで聴いている人もいるだろうし、
自宅ではそういう大きな音で聴けなくとも、コンサート会場やクラブにおいて、
岩崎先生のよりも高いレベルの音圧を体験している人もいると思う。
岩崎先生が生きていた時代よりも、パワーアンプの出力はそうとうに大きくなっている。
1kWを超えるパワーアンプもあるのだから、大きな音ということに関してなら、
いまのほうがたやすく大きな音は出せる。
けれど、そういう大きな音では、つき抜けることはできないように思えてならない。
以前も書いているが、菅野先生は岩崎先生の音を聴いた時に、
「目から火花が出たんだ」といわれている。
岩崎先生の音の大きさは、そういう大きさなのである。
だから想像つかずにいる。
分割でプラスされてきたもののなかで、もっとも象徴的ともいえるのが、
ステレオ化といえるのではないだろうか。
モノーラルからステレオへは、それまで1チャンネルしかなかった伝送系に、
もう1チャンネルをプラスして2チャンネルとしたものだから、
その考えでいえばあくまでもプラスであり、分割でプラスされたものとはいえない。
けれどそういえるのか、とも考えられる。
モノーラルでスピーカーが一本しかないときには、すべての音源はスピーカーの位置にあった。
ステレオになりスピーカーが左右に設置されることで、音は左右に拡がっていった。
ここで考えたいのは、センター定位の音について、である。
歌のレコードだと、ほとんどセンターに歌手が定位しているように聴こえる。
けれど2チャンネルのステレオ再生には、スピーカーはあくまでも左右の二本であり、
センターにはスピーカーは存在しない。
モノーラルでの歌は一本のスピーカーからのみ、である。
それがステレオでは二本のスピーカーから、ということになる。
つまりこれはセンター定位する音を、左右のチャンネルに分割しているわけで、
左右のスピーカーから同じ音を出すことによって、
われわれ聴き手はあたかもセンターに歌手がいるように錯覚できる。
なにもセンター定位の音だけではない。
たとえば左側に定位する音に関しても、左側のスピーカーからしか音が出ていないわけではない。
右側のスピーカーからも左側に定位する音の一部は出ていたりする。
センター定位の音では左右に等しく分割していたのが、
片側のチャンネルに寄って定位する音の場合は、分割が等しいわけではない。
こんなふうに考えていくと、ステレオも分割というプラスという見方が可能になる。
1970年代後半は、50万円をこえていれば、そのオーディオ機器は高級機であり、
100万円をこえているモノは超高級機という認識だった。
これはこの時代のオーディオを体験してきた人ならば、同じはずだ。
1980年代にはいり、200万円をこえるモノ、300万円をこえるモノが登場してきた。
トーレンスのリファレンスが350万円をこえていた。
スレッショルドのSTASIS1も350万円をこえていた。
瀬川先生はステレオサウンド 56号のリファレンスの記事の最後に書かれている。
*
であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。
*
時代が30年以上前のことではあるけれど、オーディオ機器ひとつの価格が350万円というと、
とんでもない価格であり、「おそろしいことになった」と私も感じながらも、
それでもいつの日か、リファレンスを買える日が来るのではないか、とも思えていた。
リファレンスは買えなかったけれど、927Dst(すでに製造中止になっていたので中古だったが)は買える日が来た。
このころは350万円がオーディオ機器の最高価格といえたし、
1980年代も350万円あたりで落ち着いていた。
たしかに松田聖子の声の質感はガラードとオルトフォンによる音のほうが、滑らかだった。
それでも気になるのは、松田聖子の歌手としての力量をどちらのプレーヤーがより正確に伝えてくれるか、
正確に再現してくれるか、という視点に立てば、私には930stのほうが、より正確に感じられる。
ガラードでの声の滑らかさはよかった。
それでもガラードでの松田聖子は、EMTでの松田聖子ほど歌手として堂々としているようには感じられなかった。
このへんは松田聖子に対する思い入れによっても評価は分れるかもしれない。
松田聖子の声・歌に何を求めたいのか。
松田聖子の熱心な聴き手であれば、親密感を求めるのかもしれない。
930stでの松田聖子は、人によっては立派すぎると感じるかもしれないところもある。
その意味では、親密感は稀薄ともいえよう。
それでもひとりのプロの歌手として松田聖子を聴きたいのであれば、やはり930stを私はとる。
私は松田聖子のレコードをかけたときに、そこに親密感を求めてはいないからである。
ガラードとオルトフォンでの松田聖子は声の質感だけでなく、
930stほど、各演奏者の距離感が適切には表現されていない。
そのため、こじんまりとしたスタジオで録音している雰囲気が漂う。
これもまた親密感ということではうまく働いてくれるのかもしれない。
ダイヤトーンのDS1000というスピーカーシステムについて、一言で表現すれば、
いまでは「レスポンスに優れた」という。
帯域バランスがどうなのか、については設置やチューニングでかなり変化してくる。
だからDS1000はこういう帯域バランスといったようなことは言いにくい面をもつ。
耳につく音域がある、という人もいるのは知っている。
けれど、それはほとんどの場合、DS1000を含め、アンプやプレーヤーの設置、調整の不備によるものである。
以前も別項で書いたように、こういった不備に対してDS1000は容赦ないところをもつ。
他のスピーカーシステムだったら、そこまではっきりとは音として提示してこないようなところまで、
聴き手に音で提示してくる。
その不備がどこにあるのかを見極め、少しずつ調整をつめていく作業による音の変化も、
DS1000はきちんと反応し、音として出してくれた。
これほどレスポンスのいいスピーカーシステムは、当時他にはなかった。
つまりDS1000は、打てば響く、といえる。
この面白さは、オーディオの使いこなしのあれこれに目覚めたものにとっては、たまらないものだ。
私は井上先生のDS1000の試聴取材に何度か立会えたことで、その面白さを直に味わえ、その過程に昂奮もした。
にも関わらず、DS1000を欲しい、と思ったことはない。
DS1000が現行製品だったときに、その理由について深く考えることはなかった。
いまになって、理由を考えている。
結局のところ、DS1000はレスポンスに優れたスピーカーシステムではあった。
けれど、音楽を聴くスピーカーシステムとしてのパフォーマンスに優れたスピーカーシステムであったのか、
というと、ここには疑問を感じてしまう。
昨年の3月24日は、いい天候に恵まれていたし、日曜日だった。
桜も咲いていた。
一昨年の3月24日はでかけるときは曇り空の土曜日だった。
電車を降りたら雨が降り出していた。
今年の3月24日は月曜日だから、たぶん行けないであろうから、
21日から23日のどこかで行こうかな、と思っていたところに、
「父の墓参りに行きませんか」というメッセージがあった。岩崎先生の娘さんの綾さんからだった。
昨年も一昨年もひとりで行っていた。
今年はそうではなく、綾さんの他に、元サンスイの西川さん、元ビクターの西松さん、元パイオニアの片桐さん、
レコパルの編集をやられていた五十嵐さん、ステレオサウンドの筆者の黛さんといっしょに、
岩崎先生の墓参に行ってきた。
ひとりで行こうが数人で行こうが、墓参りそのものが大きく違ってくるわけではない。
目をとじ手を合せてきた。
それでも岩崎先生と仕事をされてきた人たちと一緒に行くのは、やはり違うところがある。
37年前の3月24日といえば、私はまだ中学二年だった。
そのころ、今日いっしょに墓参に行った方たちは、すでにオーディオの世界で仕事をされていた。
その方たちの話を聞くことができる。
これが実に楽しい。
こう書くと、懐古趣味だとかいつまでも過去を引きずっているとかいう人がいるのはわかっている。
だが、過去のことを過去の視点で考え・捉えるのこそが懐古趣味ではないだろうか。
実のところ、懐古趣味と批判する人たちこそが、過去のことを過去の視点で考え・捉えている。
私が楽しい、というのは、いまの視点で考え・捉えてのことである。
私も50をすぎているけど、今日あつまった中ではまだ若造である。
とはいえ、やはり50を過ぎているわけだから、私の下にはもっと若い世代がいる。
でも、彼らの誰かひとりでもいいから、この場にいるわけではない。
もったいないことだとも感じるし、ここで途切れるのか、とも思う。
ステレオサウンド 3号でのJBLのSG520とSE400Sの瀬川先生の試聴記には、こう書いてある。
*
マッキントッシュにJBLの透明な分解能が加われば、あるいはJBLにマッキントッシュの豊潤さがあれば申し分ないアンプになる。JBLのすばらしい低域特性は、スピーカーの低域が1オクターブも伸びたような錯覚を起させる。JBLとマッキントッシュの両方の良さを兼ね備えたアンプを、私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする。
*
この試聴記はステレオサウンドで働きはじめたころに読んでいた、はずだった。
読んだ記憶はたしかにある。
けれど、その時には気づかなかったことを、いま気づいている。
《JBLとマッキントッシュの両方の良さを兼ね備えたアンプを、私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする。》
とある。
当時、この箇所は読んでいた。
瀬川先生は、このころまではアンプの自作をまだやられるつもりだったのか……、
そのくらいのことしか読みとれなかった。
いまは、この《私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする》が、
一気に「いま、いい音のアンプがほしい」にまで飛び、そこと結びつく。
そしておもったのが、私は瀬川冬樹という変奏曲を読んできたのだ、ということだった。
さらにおもったのが、私にとって変奏曲といえば、まず浮ぶのはグールドのゴールドベルグ変奏曲であり、
ゴールドベルグ変奏曲はアリアではじまり、30の変奏曲をはさみ、最後もまたアリアである。
瀬川先生の残されたものを読んでいくと、
アリアではじまりアリアで終るながい変奏曲のようにみえてくる。
こじつけといわれようが、いまの私には、そうみえている。
ダイヤトーンのDS1000の実力を最初から知ること(聴くこと)ができたのは、
ステレオサウンドで働いていたおかげであり、井上先生が鳴らされるのを最初に聴くことができたからである。
もし自分の手でDS1000を鳴らしていたら、
井上先生が鳴らされたDS1000の音を聴いてなければ、
いまここでDS1000をとりあげることはなかったはずだ。
ヤマハのNS1000M。
このスピーカーシステムが登場したときは最新鋭機であった。
そのNS1000MもDS1000が登場するころには、ロングセラーモデルになっており、
最新鋭機とは呼べなくなっていた。
DS1000もまたダイヤトーンが送り出した最新鋭機ともいえよう。
カタログや技術資料をみれば、スピーカーユニットに投入された技術について知ることができる。
ここでは具体的には触れないが、この価格帯のスピーカーシステムにこれだけの内容を……、と感心する。
とにかくDS1000はそういうスピーカーシステムだったゆえに、
ただ設置して接続して鳴らしたときの音は、うまく鳴ることはまずない。
たいていはひどい音がするはずだ。
DS1000はとにかくいろんなことに敏感に反応してくれた。
ケーブルの交換に対しては勿論のこと、アンプやプレーヤーの設置位置の違いにも、
セッティングをつめていくことで敏感に反応していくのが、手にとるようにわかる。
つまりレスポンスのいいスピーカーシステムであった。
そして、このレスポンスについてが、この項を約一年ほったらかしにしていて、思いついたことでもある。
4月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。
テーマについて、後日書く予定です
時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
(その1)を一年前に書いた。
(その1)を書いたとき考えていたのは、ダイヤトーンのDS1000のことを書こう。
つまりは私にとってDS1000がどういう位置づけのスピーカーシステムであったのかについて書いていこう──、
その程度のことを思いついて、忘れないうちにとにかく(その1)を書いておこう、ということだった。
そんな思いつきからの(その1)だったから、
(その2)以降をどう書いていこうか、と少し思案していた。
私の中に、DS1000を一年に一度でいいから鳴らしたい、という気持はある。
これはDS1000がよく鳴っている音を聴きたい、というわけではない。
あくまでも自分の手でDS1000をセッティングして、細かなチューニングをして、
納得のいく音が出るまで鳴らしてみたい、ということである。
いわば腕試しでもあり、自分の鳴らす技術の確認という意味合いも、ここにはある。
では、なぜそんなことを考えるのか。
それはDS1000というスピーカーシステムの性格にあるように感じている。
DS1000をステレオサウンドの筆者で高く評価されていたのは、井上先生だけ、といっていい。
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌では、はっきりとは憶えていないけれど、悪い評価ではなかったはず。
高性能なスピーカーシステムとして、高い評価を得ていたのではなかろうか。
だが、あの当時DS1000を高く評価していた人のどれだけが、
本当のDS1000の音を聴いていたのか、
表現を変えれば、どれだけの人がきちんとDS1000を鳴らしていたのか、
甚だ疑問である。