瀬川冬樹という変奏曲(その3)
ステレオサウンド 3号でのJBLのSG520とSE400Sの瀬川先生の試聴記には、こう書いてある。
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マッキントッシュにJBLの透明な分解能が加われば、あるいはJBLにマッキントッシュの豊潤さがあれば申し分ないアンプになる。JBLのすばらしい低域特性は、スピーカーの低域が1オクターブも伸びたような錯覚を起させる。JBLとマッキントッシュの両方の良さを兼ね備えたアンプを、私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする。
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この試聴記はステレオサウンドで働きはじめたころに読んでいた、はずだった。
読んだ記憶はたしかにある。
けれど、その時には気づかなかったことを、いま気づいている。
《JBLとマッキントッシュの両方の良さを兼ね備えたアンプを、私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする。》
とある。
当時、この箇所は読んでいた。
瀬川先生は、このころまではアンプの自作をまだやられるつもりだったのか……、
そのくらいのことしか読みとれなかった。
いまは、この《私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする》が、
一気に「いま、いい音のアンプがほしい」にまで飛び、そこと結びつく。
そしておもったのが、私は瀬川冬樹という変奏曲を読んできたのだ、ということだった。
さらにおもったのが、私にとって変奏曲といえば、まず浮ぶのはグールドのゴールドベルグ変奏曲であり、
ゴールドベルグ変奏曲はアリアではじまり、30の変奏曲をはさみ、最後もまたアリアである。
瀬川先生の残されたものを読んでいくと、
アリアではじまりアリアで終るながい変奏曲のようにみえてくる。
こじつけといわれようが、いまの私には、そうみえている。