3月24日
昨年の3月24日は、いい天候に恵まれていたし、日曜日だった。
桜も咲いていた。
一昨年の3月24日はでかけるときは曇り空の土曜日だった。
電車を降りたら雨が降り出していた。
今年の3月24日は月曜日だから、たぶん行けないであろうから、
21日から23日のどこかで行こうかな、と思っていたところに、
「父の墓参りに行きませんか」というメッセージがあった。岩崎先生の娘さんの綾さんからだった。
昨年も一昨年もひとりで行っていた。
今年はそうではなく、綾さんの他に、元サンスイの西川さん、元ビクターの西松さん、元パイオニアの片桐さん、
レコパルの編集をやられていた五十嵐さん、ステレオサウンドの筆者の黛さんといっしょに、
岩崎先生の墓参に行ってきた。
ひとりで行こうが数人で行こうが、墓参りそのものが大きく違ってくるわけではない。
目をとじ手を合せてきた。
それでも岩崎先生と仕事をされてきた人たちと一緒に行くのは、やはり違うところがある。
37年前の3月24日といえば、私はまだ中学二年だった。
そのころ、今日いっしょに墓参に行った方たちは、すでにオーディオの世界で仕事をされていた。
その方たちの話を聞くことができる。
これが実に楽しい。
こう書くと、懐古趣味だとかいつまでも過去を引きずっているとかいう人がいるのはわかっている。
だが、過去のことを過去の視点で考え・捉えるのこそが懐古趣味ではないだろうか。
実のところ、懐古趣味と批判する人たちこそが、過去のことを過去の視点で考え・捉えている。
私が楽しい、というのは、いまの視点で考え・捉えてのことである。
私も50をすぎているけど、今日あつまった中ではまだ若造である。
とはいえ、やはり50を過ぎているわけだから、私の下にはもっと若い世代がいる。
でも、彼らの誰かひとりでもいいから、この場にいるわけではない。
もったいないことだとも感じるし、ここで途切れるのか、とも思う。