Date: 4月 5th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その6)

ネットワークのコンデンサーについては、これで行こう、という結論はすぐに出た。
けれどエッジに関しては少しばかり考えてしまった。

ウレタンエッジは加水分解によってボロボロになる。
どんなに大事に使ってもいずれもボロボロになってしまう。

JBLのスタジオモニターのウーファーによく採用された2231のエッジはウレタンであり、
やはりボロボロになる。
ボロボロになったら交換するしかない。

日本では輸入元のハーマンインターナショナルによって、リコーンをしてくれる。
エッジだけの交換ではなくコーンアッセンブリーまるごとの交換となる。

つまりコーン紙、エッジ、ボイスコイルボビン、ボイスコイル、ダンパーがまるごと新品に交換されるわけだ。
そのため価格もそこそこかかる。
それでも純正のコーンアッセンブリーが用意されているのだから、安心といえば安心といえる。

にも関わらずJBLのスピーカーシステムを使っている人の中には、
ハーマンインターナショナルに依頼せずに、エッジのみを交換してくれる業者もしくは人を探して依頼する人もいる。

エッジだけの交換のほうが価格が安い、ということもあるが、
理由はそれだけとはいえない。

Date: 4月 5th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

モードセレクター(その2)

モードセレクターはほんとうに必要なのだろうか、とそのころの私は考えた。
ステレオ録音のLPを聴くのであればモードセレクターは必要としない。
モノーラル録音のLPを聴くのであれば、ステレオ用カートリッジではなくモノーラル専用カートリッジを用意する。
スピーカーも左右両チャンネル鳴らすのではなく、どちらか片方だけを鳴らす。

こう考えればモードセレクターが必要な機能とは思えなかった。

そのころの私はモノーラル専用カートリッジはまだ買えなかったし、
モノーラルLPの数も持ってはいたけれどいまよりもずっと少なかった。

将来はモノーラルはモノーラル専用カートリッジで、と考えていた私は、
モードセレクターはそういう機能だとしか認識できていなかった。

モノーラル録音をステレオ装置で聴くためのスイッチとして機能しかないように考えていたわけだ。
この考えはけっこう長かった。
20代になっても30代になってもモードセレクターの必要性は感じることがなかった。

モードセレクターに対する認識がはっきりと変ったのは40代になってからだ。
モードセレクターはチェックのために必要な機能だ、とやって気がつくことができた。

Date: 4月 4th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

モードセレクター(その1)

音のために機能を省く、ということは、
1970年代ごろから始まったことであり、あの時代、いきついたのがマークレビンソンのML6ともいえた。

ML6のシルバーのフロントパネルにあるツマミはふたつだけ。
インプットセレクター(それもPhoneとLineのふたつだけ)とボリュウム。
トーンコントロールはおろかフィルター、テープモニター関係のスイッチは何ひとつなかった。

しかも左右チャンネル別シャーシーだから、
インプットセレクター、ボリュウムの操作は左右チャンネルで独立して行うことになる。

使い勝手の悪いコントロールアンプである。
それでも当時は、ここまでしないと得られない音の世界というものがあり、
それに魅了された人は確実にいる。

ML6が登場したころ高校生だった。
音のめたには、ここまでしないといけないのか、と、
まだ聴いたことのないコントロールアンプML6は憧憬の的だった。

コントロールアンプにはどういう機能が必要なのか。
ML6には最低な機能しかなかった。

未熟ながら、あれこれ考えていた。
どんなに回路技術が進歩してまったく音質の変化の生じないアンプが生れてきたとしても、
接点が一箇所増えればそれだけで音質は変化する。
ケーブルでも音は変る。

そういう微妙なところで音は変るのだから、どんなに技術が進歩しようとも、
音質変化の全く生じないアンプなど、到底無理なわけだ。

ならば音のために省けるものはすべて省いていくべきではないか、と10代の未熟な私は考えた。
コントロールアンプの機能の中で、最も必要としないのは何か。

未熟な私はモードセレクターだ、と考えた。

Date: 4月 4th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その5)

今回私が補修することになったスピーカーシステムは、サイズとしては日本のブックシェルフ型とそう変らないが、
メーカーはフロアー型としているし、実際に床に直置きする。

エンクロージュアは叩いてみればわかるように、そんなに分厚い板を使っているわけでもない。
補強棧をがちがちにいれているタイプでもない。

どんな造りになっているのか。
ウーファーを外してまず目につくのは、前後のバッフルを結合している太い角材だ。
この角材は、エンクロージュアのサイズ、板厚から判断しても、かなり太いように感じる。
この構造こそが肝心なのだ、と暗に語っているように感じる。

スピーカーシステムの音を大きく左右するのは、
スピーカーユニットと、この補強棧の入れ方であると、このメーカーは考えているのではないだろうか。

ネットワークのパーツやエンクロージュアの内部配線材によって音が変ることはわかっている。
けれど、そんなことよりもまず大事なことがあり、それらをきちんと押えておくこと──。
そういうスピーカーシステムなのだと、思う。

ネットワークからユニットまでの配線材も細い。
ネットワークの部品を結ぶ線もコイルの銅線を引き出してそのまま使っている。

コンデンサーを固定しているラグ板とスピーカー端子の関係をみても、
そうとうに合理主義で、きちんと作られていることがわかる。

こういうスピーカーシステムに、オーディオ用パーツは似合わない。

Date: 4月 4th, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その4)

コンデンサーに関しては代替品を選ばなければならない。
どのメーカーの、どのコンデンサーにするのか。

いまも昔もオーディオ用を謳った抵抗やコンデンサーは存在している。
これらすべてを聴いたわけでもないから、すべてを否定するわけではないが、
どの時代にもオーディオ用を謳ったパーツには、ある割合で、ひどくキャラクターの強いものがある。

不思議なのは、そういうパーツに限って高い評価を得ていることがある。
とにかくキャラクターが強いから、交換したときの音の変化は大きい。
そして、そのキャラクターが好みにはまれば、それを高く評価する人が出て来ても不思議ではない。

あくまでも自分の好む音が出て来た、という結果での高評価とことわったものであれば、
読んでも聞いても納得できないわけではない。

けれど中には、そういうキャラクターの強い音を、音楽性がある、という表現をする人がいる。
よく聴けばわかることだが、そういうキャラクターの強い音は、
すべての音を自分のキャラクターで塗りつぶす傾向が強い。

聴く音楽の範囲がごく限られていれば、そういうキャラクターの強さがうまく作用してくれることもあるが、
音楽の範囲が広くなればなるほど、何を聴いても同じ音(キャラクター)がつきまっていることに気づく。

そういう強烈なキャラクターを、音楽性がある、とは私は判断しない。
むしろ反対の評価を下す。

こういうコンデンサーは世評がどんなに高かろうと、私は使わない。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その1)

私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
四谷三丁目の路地裏にあるジャズ喫茶(私はこう認識している)、
喫茶茶会記(きっささかいき)があるからやっている、ともいえるところがある。

喫茶茶会記のマスター、福地さんの人柄から生れる空間の雰囲気に惹かれる人が多いのか、
ここにいるといろんな人が訪れて、福地さんが紹介してくれることが多い。

audio sharingの例会が終った後も、私はひとり残っていることが多い。
昨夜もそうしていた。

何度か会ったことのある人が入ってきた。
日本刀の研師の人だ。
福地さんをまじえてあれこれ話していた。

昨日はたまたまtwitterでマーク・ニューソンが日本刀のデザインをしたというツイートを読んだばかりだった。
「そういえばマーク・ニューソンが……」は話しかけたところ、
「その発表会パーティに行ってきた」ということだった。

マーク・ニューソンがデザインしたのは日本刀のこしらえである。
なぜマーク・ニューソンがこしらえをデザインするようになったいきさつとか、
会場の雰囲気とか、あれこれ楽しい話を聞くことができた。

話ながら聞きながら、「とぐ」は研ぐだな、研究、研鑽の研と同じ。
音を良くするための行為は、この研ぐと共通するところがあるし、
研ぐにはとうぜん砥石が必要である。

音を磨いていくには、いったいどういう砥石が必要となるのか。
研師は、そのシステムの所有者である。

研師と砥石があれば、それで研げる(磨げる)わけではない。
水が必ず必要となる。

音を磨いていくのに必要な水、
これはなんなのか。

そんなことを昨夜は考えてもいた。

喫茶茶会記は、私にとってこういう場でもある。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(独り言)

オリジナル至上主義の人たちがいう「価値」とは、結局のところ資産価値なのではないか、と思うこともある。
あまりにもオリジナルオリジナル、という人に対して、
その「価値」って、いったいどういう価値ですか、と訊きたくなる。

資産価値ということでは、確かに高く売れる方が価値がある・高いということになるわけだから、
オリジナルとひとつでも違うパーツが使われいてることは、資産価値を大きく損なうわけだ。

でも資産価値というのは、己ではなく他人の評価なのではないか。

そうでない人もいるのだろうが、
オリジナルでなけれは価値が……、といわれてしまうと、
この人は他人の評価のほうが大事なんだろうな……、と思わないわけではない。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その3)

とにかくオリジナルであることが、なによりも大事な人たちがいるのは知っている。
車の世界では、そのことがとても大事なことらしい。

昔の名車を、オリジナルと違うパーツに交換したり、それで修理したりすれば、
それで、その車の価値は大きく下る、らしい。

オリジナルと少しでも違う箇所があれば、それでその車の価値は下る。
理解できないわけではないが、
それだけで、その車の価値がそれほど左右されてしまうのか、とも正直おもう。

オーディオに似たようなもの。
とにかくアンプにしてもスピーカーにしてもオリジナル通りのパーツで修理しなければならない。
少しでも違うパーツを使えば……、という人たちがやはりここにもいるわけだ。

そういう人たちは、今回、私が補修するスピーカーシステムをどうするのか、興味がある。
オリジナルと同じパーツで修理するとなれば、左右で違うパーツを使うことになる。
オリジナル至上主義の人たちは、これでいいのか。

それに補修するスピーカーシステムに使われているコンデンサーは、有名なパーツではない。
そんなパーツ、しかも40年以上のパーツ(コンデンサー)を探し出してくることは、決して不可能ではないだろうが、
それにはどれだけの時間を必要とするのか。

仮に新品・未使用の同じコンデンサーが見つかったとしても、
40年以上のパーツであれば劣化しているとみるべきである。
そういうパーツを使って補修したところで、それは音が出るようになっただけにしかすぎない。

オリジナル至上主義の人たちは、それで満足なのだろうが、
今回のスピーカーシステムは私自身が使うモノではない。
そういうスピーカーシステムに対して、そういった自己満足にすぎない補修は行えない。

Date: 4月 2nd, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その2)

片方のスピーカーの音がでなくなっていた原因はネットワークにあった。
そしてこのネットワークが左右で微妙とは言い難いレベルで違う。

コイルの数、コンデンサーの数、それらの配置・配線は同じなのだが、
片方はコイルを透明なピッチで固めてあるのに、もう片方はそんなことはしてない。

コンデンサーもトゥイーターのローカット用のフィルムコンデンサーは、両方とも同じ品種なのだが、
ウーファーのハイカットの電解コンデンサー、スコーカーのローカットの電解コンデンサー、
これらが容量は左右で同じなのだが、メーカーも品種も違うものがついている。
なので同じ容量でも大きさに違いもある。

ウーファーのハイカットのコンデンサーが目で見てわかるのだが、破損していた。
この70μFのコンデンサーを交換すれば、音は出て修理は完了、とすることもできないわけではない。

もちろん、そんなことは絶対にやらない。
故障箇所だけでなく気になるところも含めて補修することで、あと最低でも十年は安心して使えるする。
このスピーカーシステムの鳴らし手がオーディオマニアであれば、その人の判断まかせのところも出てくるけれど、
今回の、このスピーカーシステムに関してはそうではない。

まったくマニアでない人が大切な存在のスピーカーシステムであり、
すべてこちらに一任されている。

このスピーカーシステムを、どう補修していくのか。

Date: 4月 1st, 2014
Cate: オリジナル

オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その1)

あるスピーカーシステムの補修をやることになった。
ずいぶん古い、アメリカ製のスピーカーシステムで、私のモノではない。

片チャンネル、まったく音が出なくなった、ということで、二週間ほど前にそこに行ってきた。
リアバッフルは接着されているつくりなので、ウーファーを外して中を見ることになり、サランネットを外す。

このサランネットもベリッとはがせるものではなく、エンクロージュア底部からネジ止めしてある。
木ネジを四本外してサランネットを取った。

30cm口径のウーファーのエッジがボロボロになっていた。
ほぼ40年前のスピーカーシステムだから、しかもウレタンエッジだからこうなってしまうのはしかたない。

この時点でエッジの貼り替えが必要となる。

ウーファーを外してみた。
このスピーカーシステムのエンクロージュアの中を初めて見ることが出来た。

実は半年ほど前に伺ったときにサランネットを外してユニットの状態は確認していた。
この時はウレタンエッジはかろうじて形を保っていた。
けれど家の建て替えのため二度の移動がまちがいなくエッジにとどめをさしたのだろう。
ほんとうにボロボロになっていた。

ウーファーを外す。
グラスウールが見える。
その裏にネットワークがある。

こうなっているのか、とiPhoneで写真を撮っていく。

もう片方もウーファーを外してみた。
まず気づいたのはグラスウールの枚数と入れ方に違いがある、ということ。
さらにグラスウールをめくってネットワークをみると、ここにも違いがあった。

Date: 4月 1st, 2014
Cate: audio wednesday

第39回audio sharing例会のお知らせ(オーディオのチェックについて)

今月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)、明日です。

先月後半の忙しさと風邪をこじらせての体調不良で、テーマを何も考えずに3月が終ってしまった。
3月最後の日、朝電車でtwitterをみていたら、アナログディスク再生で不具合が出た、というツイートがあった。
原因がはっきりとしない、とのことだった。

140文字という限られた情報からの、おそらくこうじゃないか、という推測をして返事を書いた。

その人も仕事をしているし、私もしているから、
twitterを介してのやりとりはゆったりしたものである。

何度かのやりとりによって、朝の時点よりもどういう状況なのか、という情報が得られた。
とはいえ会ったことのない人のシステムに関することだし、
140文字の、いくつかのツイートから推測していくしかないわけで、
これがめんどうだと思う人もいるし、私のようにけっこう楽しむ人もいる。

まだはっきりしたことはわからない。
けれどtwitterのやりとりをしながら思っていたのは、
オーディオのチェックの難しさであった。

どこかシステムがおかしくなる。
はっきりとした故障であれば、そして故障したオーディオ機器がわかっていれば修理に出す。
けれど音が出たり出なかったり、ある操作で症状がおさまったりする不具合もある。
故障といえばそういえなくもないわけだが、どこかがおかしいのであり、故障とは呼ばないことが多い。

どこがおかしいのかをきちんとつきとめれば、自分で直せる。
けれどどこが悪いのか、どう悪いのかつきとめるまでのチェックは、意外に面倒な作業である。
簡単に見つかる場合もある。
けれどなかなか特定できないこともけっこうある。

しかもチェックという作業は、地味である。
その地味な作業をひとつひとつシステマティックにやっていかなければならない。
面倒な作業だ。

でもこの面倒な作業をきちんと行ない、そのときのシステムの挙動を確認していくことで、何かが身につく。
たとえ自分で直せなかったとしても、得られることは確実にある。
とにかく安易に決めつけないことだ。

オーディオのチェックを具体的にどうするのか。
そのことについて詳細に話していくのは、ありとあらゆることについて話すことになるので、
それなりの時間を要する。

それでも限られた時間の中で、伝えられることもあるように考えている。
なので、明日は、オーディオのチェックをテーマにしようと思っている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: audio-technica

松下秀雄氏のこと(その3)

先週facebookで知ったニュースがある。

オーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏のコレクションが福井県に寄贈された、とある。
オーディオに関係するいいニュースだ。

この項の(その2)で「土」について書いた。
これに関連して、別の項でも「土」について書いた。

今回のニュースで思ったのは、松下秀雄氏のコレクションが、
新たな「土」になるであろうことだ。

この「土」はそう広くはないかもしれない。
けれど、大事にしなければならない「土」であるはずだ。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(平均的な音について)

程々の音をテーマにして書いていて、ふと思ったのは、平均的な音という表現に関して、である。

「平均的な音」。
たとえば、あるスピーカーシステムについて、
この価格帯の、この構成のスピーカーシステムとしては平均的な音がする、といった使われ方が以前はされていた。
スピーカーシステムに限らず、
価格や方式、構成などから推測される音としての「平均的な音」だったのかもしれない。

「平均的な音」。
便利な表現のようでもある。
一見わかりやすい。
なんとなくわかるところがある。
だからそれ以上深く追求せずに読み、受けとり、そのまま使ってしまう。
それもなんとなく使ってしまう、はずだ。

そうやって「平均的な音」が意味するところが、
話しているふたりのあいだになんとなく形成されていくのだろうか。

私がここで書いていて、これからも書いていく「程々の音」は、「平均的な音」のことではない。
けれど、「平均的な音」をなんとなく受けとりなんとなく使っている人には、
もしかすると「程々の音」と「平均的な音」は同じか、そこまでいかなくとも似ている類の音かもしれない。
そう思えなくもない。

「平均的な音」。
いまのところ、これをテーマにして書く予定はないけれど、
これから先あれこれ書いていく途中で、面白いテーマにつながっていきそうな気がしないでもない。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その5)

ステレオサウンド 3号の瀬川先生のアンプの試聴記は、すべてthe Review (in the past)で公開している。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」も公開しているし、
2010年11月7日に公開したePUBにも収めている。

ひとつは試聴記という短い文章の集合体、
もうひとつはエッセイというかたちのながい文章。

この違いも、こじつけといわれようと、
グールドの最初のゴールドベルグ変奏曲と1981年再録のゴールドベルグ変奏曲との違いに近いものを感じる。

ステレオサウンド 3号の試聴記を読んでわかること、
「いま、いい音のアンプがほしい」を読んでわかること、
それは瀬川先生がどういう音のアンプを理想のアンプとして求められているかであり、
実のところ、ここに関しては、
ステレオサウンド 3号の1967年と「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の1981年、
ここには14年の歳月があるけれど、なにも変っていないことがわかる。

変ったのは、1967年の瀬川先生は「私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする」と書かれているのが、
1981年の瀬川先生は「そんな音のアンプを、果して今後、いつになったら聴くことができるのだろうか」
と書かれていることだ。

Date: 3月 30th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その7)

「コンポーネントステレオの世界 ’79」で井上先生が、アルテックの604-8を、
25mm厚の三尺×三尺の合板を二枚に切り90cm×90cmの平面バッフルに取り付けた組合せ、
これは1979年の3月に出たステレオサウンド 50号のマイ・ハンディクラフトと関係しているものだと、
その時は思ってしまった。

50号は「コンポーネントステレオの世界 ’79」の約三ヵ月後に出ている。
さらに「コンポーネントステレオの世界 ’79」と50号のあいだには、HIGH-TECNIC SERIES-4も出ている。

ここでは国内外のフルレンジユニットを2m四方の平面バッフルに取り付けての試聴を行っている。
だから、「コンポーネントステレオの世界 ’79」での井上先生の平面バッフルも、
この流れの中のひとつだと捉えてしまったわけだ。

このころは私はスイングジャーナルのバックナンバーを読むことはなかった。
その機会もなかったし、特に読みたいとも思ってもいなかった。

けれどこの二年、スイングジャーナルのバックナンバー、それも70年代のものを集中して読んでみると、
岩崎先生の組合せに、たびたび平面バッフルが登場していることを知った。

岩崎先生自身も、「またか」といわれそうだが、
とことわりながらも平面バッフルにスピーカーユニットを取り付けた組合せを、1976年においてもつくられていた。

そのことをいまは知っている。
知った上で、「コンポーネントステレオの世界」での井上先生の組合せをみていくと、
当時では見えていなかったことに気づく。

気づくと「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せも、そうなのだ、とおもえるわけだ。