Date: 10月 12th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その10)

中学、高校の吹奏楽のコンクールが、
コロナ禍によりビデオ審査になった、ということを知った。

それぞれの学校が、それぞれの場所で、それぞれの器材を使って録画するのだろう。

これはもう録画のクォリティが、ピンからキリまで生じることになるのではないのか。
私立の学校で、吹奏楽で名が知られているところだと、
録画にもたっぷりの予算が割り当てられても不思議ではない。

プロが使う録画、録音器材、そしてプロの人たちによって、
それこそ照明を含めて、高いクォリティのものをつくりあげるだろう。

公立の学校となると、
へたするとスマートフォンの録画機能を使って、ということになるかもしれない。

そうやってつくられたものが提出され、審査する側は、そのことについてどう配慮するのだろうか。
それに器材があって技術があれば、演奏のこまかなところも修整できる。

録画による審査はしかたないことだとわかっているが、
このあたりのことに関して、録画、録音器材を指定したところで、
それらの器材を持っているところもあるし、新たに購入しなければならないところ、
その予算がないところなどがあろう。

(その6)で触れたAudio Renaissance Onlineという、
オンラインのオーディオショウに、同じことはいえる。

どんなふうに行うのかは知らないが、
出展社が一箇所に集まって、というわけではなく、
それぞれの出展社が、それぞれの場所からのストリーミングのはずだ。

オンラインのオーディオショウに出展するところは、
オーディオメーカー、輸入元なのだから、そこでの器材がスマートフォンということはない。

それでも部屋が違う、マイクロフォンを始めとする器材が違う。
同じ器材だとしても、マイクロフォンの位置は、出展社に対して指定されているとは思えない。

おそらく出展社まかせなのだろう。
こういうことを含めてのオンラインのオーディオショウとしても、
最低限のリファレンスは決めた方がいい。

今年は、まずやることが優先されているのはわかっている。
それでも送り出し側、受け手側、それぞれのリファレンスを有耶無耶にしたままでは、
お祭りのままで終ってしまうことになりかねない。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その4)

コーネッタは、ずっと以前に聴いている。
それだけでなくタンノイのスピーカーは、かなりの数聴いている。
タンノイに関するいろんな文章も読んでいる。

そうやって、タンノイのスピーカーというものに対するイメージが、
なんとなくではあっても私の中にあった。

ほとんどのオーディオマニアがそうであろう、と思う。
そのイメージは人それぞれであるから、
共通するところもあれば、そうでないところもある。

そういうイメージがあるからこそ、最初に鳴らす曲を選ぶ(選べる)わけだ。
そして、その時鳴ってきた音から、次にかける曲を選んでいく。

「コーネッタとケイト・ブッシュの相性」で書いているように、
コーネッタがそれほどうまくケイト・ブッシュが鳴ってくれるとは期待していなかった。
けれど鳴らしてみると、そうではなかった。

それどころか発見があった。
とはいえ思い切って、最初からケイト・ブッシュを鳴らしたわけではない。
コーネッタから鳴ってくる音を慎重に聴きながらのケイト・ブッシュだった。

音が鳴ってくると、すっかり忘れてしまうことであっても、
曲を選ぶ際には、さまざまな知識が頭を擡げてくることがある。

選曲の段階で、完全に頭をカラッポにすることは、いまはまだできないでいる。
けれど、今回のmusic wednesdayでは、私の選曲は一曲もない。

すべて、野上さんと赤塚さんの選曲である。
野上さんと赤塚さんが、私と同じようなオーディオマニアであれば、
その選曲は読めるところもある。

けれど違う。特に赤塚さんは違う。
コーネッタがどういうスピーカーなのか、タンノイがどうなのかは、
赤塚さんの頭のなかにはなかったはずだ。

それでも、最初に「EDMとか、大丈夫ですか」といわれた。
選曲に遠慮はなくしてほしかったので、大丈夫と答えた。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)

その1)から六年。
書きたかった結論は、冒険と逃避は違う、ということだけだ。

黒田先生の「風見鶏の示す道を」には、
駅が登場してくる。
幻想の駅である。

駅だから人がいる。
駅員と乗客がいる。

駅員と乗客は、こんな会話をしている。

「ぼくはどの汽車にのったらいいのでしょう?」
「どの汽車って、どちらにいらっしゃるんですか?」
「どちらといわれても……」

どこに行きたいのか掴めずにいる乗客(旅人)は、
レコード(録音物)だけを持っている。

そのレコードは、いうまでもなく旅人が、聴きたい音楽であるわけだが、
この項で書いてきたのは、その「聴きたい音楽」をつくってきたのは、
なんだったのか、であり、
聴きたい、と思っている(思い込んでいる)だけの音楽なのかもしれない。

嫌いな音を極力排除して、
そんな音の世界でうまく鳴る音楽だけを聴いてきた旅人が携えるレコードと、
「風見鶏の示す道を」の旅人が携えるレコードを、同じには捉えられない。

前者は逃避でしかない。
本人は、冒険だ、と思っていたとしてもだ。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その15)

メリディアンの218はプリント基板一枚に、
ほぼすべてのパーツが取り付けられている。

コネクターもそうである。
このコネクターは、さらにリアパネルにタッピングビスで固定されている。
プリント基板はシャーシーの底板にビス三本で固定されている。

これらのビスはすべて鉄製である。
これらのビスをステンレス製に交換する。

そんなことで、どれだけ音が変化するのか、といえば、
手を加えてきた218では、決して小さくない。

まったく手を加えていない218で、ビスだけを交換しても、その違いは小さいだろう。
けれど、version 9まであれこれやってきて、それからのビス交換である。

あっ、と驚くほどの違いではないが、
だからといって、元の鉄製のビスに戻そうとは思わない。

Date: 10月 10th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その10)

前回と今回のaudio wednesdayで試したケーブルのことを、
私は便宜的にグリッドチョーク的ケーブルと呼んでいる。

もっといい呼称を思いついたら、そちらに変更するが、
いまのところグリッドチョーク的ケーブルと表記していく。

グリッドチョーク的ケーブルには、トランスを使う。
トランスには巻線がある。この巻線はいうまでもなくコイルである。

二年くらい前から、このブログでCR方法について書いている
この方法は、グリッドチョーク的ケーブルにも応用できる。

今回のケーブルもそうしようか、と思ったが、
前回のケーブルと今回のケーブルの違いを、
前回来られた方が今回も来てくれるのであれば、比較試聴になるしということで、
あえて試してない。

グリッドチョーク的ケーブルに使っているタムラのA8713の一次側巻線の直流抵抗は、約1kΩ。
なので1kΩの抵抗(ここはDALEの無誘導巻線抵抗)と0.001μF(1000pF)を直列にして、
巻線に並列に接続する。

次はこれを試してみる予定だし、来月のaudio wednesdayの最初の方で、
ありなしの音を聴いてもらう。

さらには開放状態の二次側巻線をどうするかである。
ここにもCR方法を試すつもりである。

これらのことを試していくとともに、
いまはむき出しのままで使っているトランスを、どうケーシングするのかも、今後の課題。
その後、A8713だけでなく、グリッドチョークのいくつかも試してみたい。

それにA8713も一次側巻線を、いまの20kΩから5kΩに変更すれば直流抵抗は約500Ωとなり、
直流域でショート状態に近づけることが、どれだけ音に影響していくのかも、
audio wednesdayでの公開試聴でやっていく予定だ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その14)

10月7日のaudio wednesdayには、ラインケーブルのほかに、
LAN端子用のターミネーターも新たに自作していた。

ターミネーターの効果がどれほどなのか、
それを試すために自作したのをversion 1とすれば、
その効果をさらに増すために、DALEの無誘導巻線抵抗で作ったのがversion 2。

今回のversion 3はDALEの無誘導巻線抵抗を使っているのは同じだが、
二手間かけているところがある。

実は、これも当日、作っていた。
version 2のターミネーターでけっこう満足していたから、
もう二手間かけてまで作るのを億劫がっていた。

抵抗はすでに買っていたので、その気になればいつでも作れたのだが、
一ヵ月以上放ったらかしにしたままだった。

このままだと、ずるずる来年になるまで作らないかもしれない……、
さすがにそれは無精すぎる、と自分でもわかっているから、
ようやく当日重い腰をあげたわけだ。

ターミネーターを作り、それからラインケーブルを作っていた。
こんなことをやっていたら、喫茶茶会記に向う時間が迫っていた。

どちらも自分のシステムでは聴かずに、喫茶茶会記に持ち込んだ。
その結果が、当日のコーネッタの音にはっきりとあらわれていた、と思っている。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その11)

私が知識過剰だと感じる人は、どうして攻撃的な面を、
インターネットで見せるのだろうか──、
その理由のはっきりとしたところはわからないけれど、
ただ感じているのは、その人からは、いわゆる力を感じないことと関係しているように思う。

ここでの力とは、オーディオの力ということになるが、
ではオーディオの力とはどういうことなのか、となると、難しい。

例えば高価なオーディオ機器を次々と買える人は、経済力という力がある。
重量級のオーディオ機器をひょいと持ちあげる人は、文字通りの力持ちである。

ここでいう力とは、そういう力ではない。
オーディオ力と書いてしまうと、よけいに混乱させてしまうだろうが、
私がいいたいのは、そういうことである。

その人の音を聴かなくとも、何度かオーディオのことを話す機会があれば、
感じとれるものだ。

オーディオ力は、最初からあるわけではない。
オーディオに興味をもったばかりの人が、オーディオ力を持っていなくても当然であり、
そういう人を知識過剰とは感じない。

知識過剰と感じてしまうオーディオマニアは、
オーディオのキャリアも長くて、
オーディオに関することさまざまなことに積極的でありながらも、
いざ話してみると、底の浅さが透けて見えてしまう人といったらいいのだろうか。

本人が、そのへんのところはいちばんに感じているのかもしれない。
強がっているようなところを感じるからだ。

その強がるところを、インターネットは補強してくれる、武装してくれる──、
そしてますます知識過剰になっていく。
力を身につけることなく、である。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

7月からの四回、
audio wednesdayではタンノイ・コーネッタを鳴らしてきた。

11月4日のテーマは「Bird 100」だから、ひさしぶりにアルテックを鳴らそう、と、
10月のaudio wednesdayの前までは、そう思っていた。

コーネッタの、その時の音を聴いて、
「Bird 100」もコーネッタで鳴らそう、と思うようになった。

チャーリー・パーカーのMQA-CDが11月に発売になる。
けれど6日なのだ。間に合わない。
わずか二日であっても、手に入れられないモノは無理である。

だからといって12月のaudio wednesdayは、「Beethoven 250」で決っている。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(OTOTEN 2019・その11)

その4)で、ミュージックバーの店員に、
オーディオマニアであることをバカにされた人のこと、
北海道の若いオーディオマニアが、周りの人に、オーディオマニアだ、というのは、
カミングアウトに近い感覚であることを書いた。

先日、ある量販店のオーディオコーナーに寄ってみた。
30前後か、もう少し若いのだろうか、二人の男性がいた。
友人同士のようだった。

一人はオーディオマニアで、もう一人はオーディオに関心がない人だということが、
話している内容からわかる。

オーディオマニアのほうが、スピーカーにこれだけ使った、アンプにはこれだけ、という、
自慢話をしていた。
オーディオに関心のない人は、一言「ダッセー!」と返していた。

仲のいい二人のようで、それで険悪な雰囲気になることなく、
話をしながら別のコーナーに移っていった。

オーディオマニアの彼が使った金額というのは、
関心のない人からすれば、けっこう金額であるだろうが、
そのくらいじゃ……、というオーディオマニアの方が、世の中には多い。

びっくりするような金額ではないけれど、
それでもオーディオにそれだけ注ぎ込んでいることを、「ダッセー!」の一言で否定される。

オーディオだからなのだろうか、
それとも趣味にのめりこみ、けっこうな金額のお金を使う、
そのことすべてが「ダッセー!」なのか。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その1)

マイケル・ジャクソンのディスクは一度も買ったことはない。
それでも、あれほどヒットしていたから、どこかでは耳にしている。
“Billie Jean”も、何度かは聴いている。

断片的に聴いたこともあるし、通しで聴いたこともある。
それでも自分のシステムで聴いたことはないし、
誰かのシステムで、というわけでもなかった。

今回、コーネッタで“Billie Jean”を聴いた。
こうやって聴くのは今回が初めて、といっていい。

聴いて、こんなにも音がいいのか、と驚いた。
いまさら驚くなんて……、といわれるだろうが、
なんと気持ちの良い音なのか。

キレッキレの躍動感で鳴ってくれる。
だからといって耳障りなわけではなかった。

音が鳴ってきた瞬間、音がいいと驚いた。
聴いているうちに、たっぷりとお金をかけられた音のよさでもあるな、と思っていた。

マイケル・ジャクソンほどヒットを飛ばしている歌手だから、
これだけの録音が許されたんだろうなぁ、
いまこんな贅沢な録音が許される人は誰がいるんだろうか……、
そんなことも思っていた。

コーネッタで“Billie Jean”なんて……、と思い込んでいる人は聴かなくていい。
そんな人は、今回のaudio wednesdayと同じシステムを与えられても、
“Billie Jean”をうまく鳴らせっこない、と思うからだ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その9)

グリッドチョークのことに、前回気づいてから思い出したことがある。
ステレオサウンドでの井上先生の試聴でのことだ。

CDは登場していたけれど、
まだまだアナログディスクの売上げが多かった時のことだ。
だからプリメインアンプ、コントロールアンプには、
きちんとしたフォノイコライザーが搭載されていた。

その時の試聴はCDのみを使ってだった。
途中で、井上先生がその時使っていたアンプのフォノ端子に、
MC型カートリッジの昇圧トランスを接続してみろ、と指示された。

なぜ、そんなことを? と思いながらやってみると、
小さくないどころか、かなりの音の変化があった。

昇圧トランスの接続前は、フォノ端子には何も接続されていなかった。
次に、昇圧トランスを外して、MC型カートリッジをトーンアームに装着した状態で、
フォノケーブルをフォノ端子に挿す。

また音が変る。
最後はフォノ端子にショートピンである。

アンプの入力セレクターをフォノにして、ボリュウムをあげていく。
レコードは再生していない状態だから、ノイズのみがスピーカーから出てくる。

ここに昇圧トランスを接続すると、ノイズが減る。
MC型カートリッジでも減る、ショートピンでも減る。

ショートピンの時が、もっともノイズが減るのは理屈通りである。
このときはフォノイコライザーのノイズが、
CD再生にどれだけ影響しているのか確認であった。

この時は、CD再生時に、フォノイコライザーのノイズの処理の手法であったわけで、
昇圧トランスの二次側巻線の直流抵抗がどれだけだったのかはわからないが、
少なくともフォノイコライザーの入力インピーダンス(47kΩか50kΩ)よりは低い。

ということはフォノイコライザーほどゲインは高くないし、
ノイズも少ないラインアンプであっても、ノイズの低減化の効果もあるといえる。

とはいえこの時は、
フォノイコライザーのノイズ影響の低減化だけに気を奪われて、
ライン入力にトランスの巻線を並列に接ぐこと、
つまり池田 圭氏が盤塵集に書かれていたことを思い出していたわけではなかった。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その8)

9月のaudio wednesdayに引き続き、
今回もラインケーブルにタムラのA8713の一次側巻線を並列に接続したものを持っていった。

ただし今回は、A8713をメリディアンの218出力側から、
マッキントッシュのMA7900の入力側へと位置を変更した。

A8713を二組(四個)持っていれば、
ラインケーブルを二組作って、比較試聴ができるけれど、あいにく一組しか持っていない。

ならばケーブルの向きを入れ替えて、ということになるだろうが、
これでは厳密な比較試聴にはならない。

ケーブルの方向性もあるけれど、
それ以外にも自作ケーブルの構造上、
単にケーブルの向きを反転させれば済むというわけにはいかない。

なので当日の午前中、ラインケーブルを自作していた。
前回のケーブルとの比較試聴はできないが、
喫茶茶会記には、同じシールド線を使ったトランスなしのケーブルがある。

9月も、このケーブルとの比較を行っているから、
今回も短いけれど、比較しているから、A8713をどちら側にもってきたらいいのかの、
一応の結論は出た、といっていい。

前回試したときから、今回の結果はある程度は予測できていた。
それにグリッドチョークのことを思い出してもいたし、
そのことからも受け側(MA7900の入力側)のほうが、
好結果が得られる可能性が高いだろう、と。

実際にそうだった。
A8713なしのケーブルとの比較でいえば同じ傾向で音は変化する。
けれどA8713の位置の変化で、今回の方がよさが際立っている、と感じた。

今回A8713をMA7900の入力側にもってきたことで、
アンプの入力と出力、両端にコイルが接続するかっこうになった。

出力には、マッキントッシュ独自のオートフォーマー、
入力にはA8713の一次側巻線というふうに、である。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その3)

選曲という冒険。
このことを実感した10月7日の、四時間の夜だった。

音の世界は茫洋だ。
音の世界だけにかぎったことではないのだろうが、
音の世界は茫漠だ。

茫洋か、茫漠か。
どちらにしても、その音の世界を渡っていくためには、
乗り物が必要となる。

ここでは乗り物とは、オーディオ機器である。

乗り物だけでは、行き先を示してくれる、そして照らしてくれる存在がなければ、
人は先に進めないだろうし、
たとえ進んだとしても、同じところをぐるぐるまわっているだけだったり、
正反対の方向に歩み出したりする。

行き先を示してくれる、照らしてくれるのは、音楽。
ここでの音楽とは、録音された音楽である。

別項『戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」)』で書こうとしているのは、
そういうことである。

オーディオ機器がある、レコード(録音物)もある。
これらが揃えば冒険ができるのか。

何度もしつこいぐらい書いているが、「音は人なり」である。
オーディオからの音が、往々にして聴く音楽の傾向に影響する。

その音は、それを鳴らす人そのものだ。
ここにオーディオのジレンマがあるように感じている。

冒険しているつもりなのではなく、
音の世界を冒険していくために、野上さんと赤塚さんにDJをお願いした、ともいえる。

8月下旬に、二人にお願いした。
その時は、音の冒険ということなんて、まったく考えていなかった。

それに昨晩のスピーカーをコーネッタではなく、
アルテックにしていたら、音の冒険に必要なこととして、
信頼できる、尊敬できる音楽の聴き手の存在について考えることはなかっただろう。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その2)

7月からの三ヵ月、audio wednesdayではコーネッタを鳴らしていた。
今回は、私が選曲するわけではない。

野上さんと赤塚さんの選曲であり、
そこでの選曲しだいでは、コーネッタでは無理を強いることになるのでは──、
と思うところもあった。

ひさしぶりに喫茶茶会記のアルテックを鳴らそうか、とも思いながらも、
コーネッタとどちらにしようかと迷ってもいた。

迷っていることはすでに書いているから、
読まれた方のなかに、なぜ迷うのか? と思った人もいよう。

どちらにしたか、というと、タイトルからわかるようにコーネッタである。
10月7日は雨だった。
それから赤塚さんの好きな音楽に、モロッコの音楽がある。

モロッコとイギリス(タンノイ)、モロッコとアメリカ(アルテック)。
どちらが近いかといえばモロッコとイギリス。

傍からすれば理由にならないような理由で、コーネッタを選んだ。
コーネッタでどうしても対応できないようなことが生じたら、
アルテックに替えよう、とも考えていたけれど、
コーネッタのmusic wednesdayでの音は、
タンノイ号での井上先生のオートグラフの組合せの音は、
こういうことだったのか、と思わせてくれた。

タンノイ号を読んでから41年。
こういうことだったのか、と納得がいった。

それだけでなく、井上先生、すごい! とも思っていた。
コーネッタはステレオサウンドの記事から生れたエンクロージュアである。
井上先生がいたからこそ、コーネッタは誕生した、といえる。

井上先生でなければ、コーネッタは誕生したとしても、
その出来は雲泥の差が生じていた、とも思う。

ここまでコーネッタは鳴るのか、というよりも、
こんなふうに鳴るのか、という驚きが、昨晩の音にはあった。

昨晩のプレイリストは、すでに公開している。
一般的にコーネッタに向いている曲はほとんどない。
むしろ向いていない、と思われる曲が並んでいる。

そういう曲を、なんとかがんばって鳴らしている、という感じではない。
持っている実力で鳴らしている、という感じだった。

昨晩のコーネッタの音を、井上先生に聴いてもらいたかった。
叶わぬことと承知している、それでも心底、そうおもっていた。
「なかなかうまく鳴らすじゃないか」、
そういってくださった、と勝手におもっている。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その1)

1979年にステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号が出た。
タンノイ号の終りのほうに、井上先生による組合せがあった。

いくつかの組合せ(もちろんスピーカーはすべてタンノイ)のなかに、
当然ながらオートグラフの組合せもあった。

このことは別項「井上卓也氏のこと」で書いているので、
こまかいことは省くが、井上先生のオートグラフの組合せの意図は、
ジャズであった。

タンノイ号を読んだ時、私は16歳。
その内容がウソとは思わなかったけれど、俄には信じられなかった。

「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に足を踏み入れた私にとって、
オートグラフはクラシックを鳴らす最上のスピーカーの、数少ない一つという認識があった。

井上先生の組合せに登場するオートグラフは、
タンノイによるエンクロージュアの生産が中止になったあとの、
輸入元のティアックによる日本製のエンクロージュアと、ユニットもHPD385Aであり、
同じオートグラフの名称であっても、
五味先生のオートグラフと、井上先生の組合せのオートグラフは、
音の上で同じところもあればそうでないところもある。

それでもオートグラフというエンクロージュアの、構造的なところにある音の本質は、
変化することはないわけで、ジャズが聴ける、という感じにはなっても、
ジャズを鳴らしきることができるとは思えなかった。

ステレオサウンドで働くようになって、井上先生に直接訊ねた。

「こまかいことを言うと、そりゃ、ベースの音は、バックロードホーンだから、
(最初の「ウ」のところにアクセントを置きながら)ウッ、ウーンと鳴る。
でも腰の強い低域で、表情のコントラストも豊かだし、聴いて気持いいから、いいんだよ」
(「ウーン」は、バックロードホーンを通って出てくる、遅れをともなう音を表されている)

楽しそうに話してくださった。
「あれは、ほんとうにいい音だった」とも言われたことも、思い出す。

井上先生は、試聴記にしても大袈裟に表現されることをされない。
そういう井上先生が、こんなふうに表現されているのだから、
タンノイ号でのオートグラフで聴くジャズは、ほんとうにいい音だった、はずだ。

昨晩のaudio wednesday、テーマはmusic wednesdayで、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん二人による選曲を聴いていて思い出したのが、
このことだった。