続・モーツァルトの言葉(その4)
2008年9月3日に、このブログを始めた。
一本目のタイトルは「言いたいこと」だ。
いまもだが、当時のほうがいまよりもひどかったように感じているが、
五味先生、瀬川先生について、上っ面だけで、否定的なことを書く(言う)人がいる。
昔から、そんな人たちはいたのだろう。
それでも十数年前は、ひどくなっていたと感じた。
それに対する怒りがあった。
ブログを始めた理由の一つは、この怒りからである。
いまもおそらく、そんな人たちはいるだろう。
結局、そんなひとたちに欠けているのは、愛なのだろう。
愛のはずだ。
音楽への愛、音への愛、オーディオへの愛、
そういった愛が欠けていることに、本人は気づいていないのかもしれない。
以前、モーツァルトのことばを引用した。
*
天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。知性と想像力を合わせても天才はできない。
愛、愛、愛……それこそが天才の魂である。
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いまどき、愛が大事、といおうものなら、
時代掛っている、とか、安っぽい、とかそんなふうに受けとられるかもしれない。
そんなことをいいたいヤツはいっていればいい。
そんなヤツはほっとけばいい。
モーツァルトの音楽を聴く聴き手に求められるのも、愛のはず。
モーツァルトの音楽についての知識ではなく、愛、愛、愛であろう。他に何がいるのか。
モーツァルトの音楽だけに限らない。
思うのは、音楽を愛するということは、そこに美を見出すこと、そして生み出すこと、ということだ。