ステレオサウンドの表紙に感じること(その6)
(その5)を読んで、同感だ、という人もいれば、
そう思わない、という人もいることだろう。
そう思わない人が、どういう人なのかはまったく私にはわからない。
私の友人で、古くからステレオサウンドを読んできた人は、
217号の表紙は、ひどい、と感じている。
彼らは、中学、高校時代のステレオサウンドを誇らしく感じていたのだろう。
だから217号の表紙をひどい、と感じる。
217号の表紙を、そんなふうには感じない人たちは、
書店で手に取ること、
なけなしの小遣いで購入することに誇らしさを感じてなかった人たちなのだろう。
そんな人たちにとっては、当時のステレオサウンドの表紙も、
217号の表紙も同じに見えているのだろう。
たかが雑誌じゃないか、
そんなものに誇らしさを感じるなんて……、
そんな意見もあるはずだ。
坂野さんも私も、学生時代、なけなしの小遣いをやりくりして、
ステレオサウンドを買って読んでいた。
そのころのステレオサウンドを、すでに社会人になっていて、
何の苦もなく買えていた人もいるのはわかっている。
そういう人のなかには、誇らしさを感じたり、
ステレオサウンドに特別な思い入れをもったりすることはなかったのかもしれない。
最近感じていることは、ステレオサウンド編集部は、
思い入れをもっている読者は要らない、と思っているのではないか、である。