Date: 1月 1st, 2021
Cate: ステレオサウンド
Tags:

ステレオサウンドの表紙に感じること(その5)

別項「2020年をふりかえって」で、
ステレオサウンド 217号の表紙のひどさについて書いた。

(その18)に、デザイナーの坂野さんからコメントが、facebookであった。
そこには、こう書かれていた。
     *
田舎に住む中学生が、書店で手に取ること、なけなしの小遣いで購入すること、そこに『誇らしさ』をも感じさせてされる表紙でした。(もちろん全内容も)
     *
坂野さんは私よりも少し年上だが、近い世代である。
だから、よくわかる。
坂野さんが書かれているとおりだったのだ、当時のステレオサウンドは。

中学生でステレオサウンドを読むことは、誇らしさを感じさせくれた。
だからこそ、ステレオサウンド編集部で働くようになり、
62号の編集後記が載ったのをみたときは、感慨ひとしおであった。

別項で触れているが、
若い世代のオーディオマニアが、周りの人たちにオーディオを趣味としている、
オーディオマニアだ、ということは、カミングアウトに近い感覚なのだそうだ。

その人、一人のことなのかもしれないが、
少なくとも、その人は、いまのステレオサウンドを、
書店で手に取ったり、人前で読んだりすることに誇らしさは感じていないはずだ。

いまでは電車で、ステレオサウンドを読んでいる人は皆無といっていい。
私が上京した、約四十年前は、読んでいる人をたまにではあるがみかけたものだった。

私も電車のなかでひろげて読んでいた。

いまのステレオサウンド編集部は、みな、217号の表紙を誇らしく思っているのだろうか。
ステレオサウンドに書いている人たちは、どうなのだろうか。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]