Archive for 2月, 2022

Date: 2月 21st, 2022
Cate: サイズ

サイズ考(その76)

1970年代後半ぐらいから、
アンプのウォーミングアップの問題が、オーディオ雑誌でもとりあげられるようになってきた。

電源を入れてすぐの音は、そのアンプ本来の音ではない。
電源を入れておく。ただそれだけで済むのならば、まだいいが、
実際のアンプのウォーミングアップは信号を入れて鳴らしてから始まる。

それでも30分程度で終るのであれば、まだいい。
このころのアンプの中には二、三時間程度のウォーミングアップを必要とするモノがあった。

国産アンプでは、トリオのコントロールアンプL07Cがそうだった。
瀬川先生はステレオサウンド 47号で、
《2時間以上鳴らし込むと真価を発揮するクリアーで緻密な音質が独特》と書かれている。

本調子になるのが遅いアンプといえる。
それでもL07Cはコントロールアンプで消費電力は大きくないから、
電源をずっと入れっぱなしにしておけば、ウォーミングアップの時間はある程度短くなる。

問題はパワーアンプだ。
同時代のパワーアンプでは、SAEのMark 2500(2600)がそうだった。

瀬川先生の愛用だったパワーアンプのMark 2500は、
《鳴らしはじめて2〜3時間後に本当の調子が出てきて、音の艶と滑らかさを一段と増して、トロリと豊潤に仕上がってくるこ上が聴き分けられる》
とステレオサウンド 41号で書かれている。

休日ならば、それでもまだいい。
でも仕事が終り帰宅してからのわずかばかりの音楽鑑賞の時間。

なのにアンプが本調子になるのが二、三時間後では、
いい音に仕上がってきたころには、アンプの電源を落さなければならない──、
そういうことだってままある。

いい音になるための時間はしかたない、必要な時間である──、
そう割り切ったとしても、なぜ? という疑問は残る。

Date: 2月 20th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その9)

世の中の大半のスピーカーは、ピストニックモーションによって、
電気信号を音(振動)へと変換している。

コーン型、ドーム型、ホーン型、コンデンサー型、リボン型など、
スピーカーユニットには多くの変換方式があるが、
これらはどれもピストニックモーションによるものだ。

ピストニックモーションのスピーカーがある一方で、
ごくわずかだがベンディングウェーヴのスピーカーも、昔から存在している。
割合でいえば一割にも満たないほど、ごく少数といえる。

現在、ベンディングウェーヴのスピーカーでよく知られているのは、
ジャーマン・フィジックスとマンガーである。
どちらも偶然なのだがドイツのメーカーだ。

ベンディングウェーヴを高く評価する人はいる。
けれど、これもまた少数派である。
私は、その少数派の一人である。

MQAの音を聴いていると、ふとベンディングウェーヴで聴いたら、
つまりジャーマン・フィジックスやマンガーのスピーカーで聴いたら、
どんなに素晴らしいだろうか、と思ってしまう。

Date: 2月 20th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その18)

その17)を書いていて、思い出す。
五味先生の文章を思い出す。
     *
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。
(フランク《オルガン六曲集》より)
     *
《再生装置がイニシァティヴを取ってしまう》、
コレクションのイニシアティヴは、聴く本人の趣味性にあるべきはずなのに、
いつの間にやらそうでなくなっていく。

五味先生だけがいわれていることではない。
私がオーディオに興味をもつ以前からいわれていることである。

心に近い音で鳴る再生装置であれば、
その再生装置がコレクションのイニシアティヴをとっても、
それは聴く本人の趣味性から離れることはないであろう。

耳に近い音だけの再生装置によるコレクションのイニシアティヴとは、
当然違ってくる。

五味先生は、コンクリートホーンをハンマーで敲き毀された。
徹底的に破棄する──、この行為こそが示す道がある。

Date: 2月 19th, 2022
Cate: Maria Callas

マリア・カラスは「古典」になってしまったのか(その3)

いろいろな人で、ある歌を聴く。
そのあとで、マリア・カラスで同じ歌を聴く。

マリア・カラスだけを聴いていれば……、という考えはしたくない。
それでも、誰かの歌のあとでマリア・カラスによる歌を聴くと、
ついそんなことを口走ってしまいたくなる。

先日もそうだった。
カラヤンによる「カルメン」を聴いていた。
アグネス・バルツァがカルメンを歌っている。

これだけを聴いていれば、バルツァのカルメンは素晴らしい、と心底思う。
なのに、カラスでも聴いてみよう、と思ってしまうと、もうだめだ。

なぜ、こんなにも存在感が違うのだろうか。
歌のテクニックということでは、いまではマリア・カラスよりも達者な歌手は少なくない。

カラスの歌は、生身の女性が歌っているという感じが、とにかく強い。
《お人形さんの可憐さにとどまった》歌では、決してない。

録音はカラスの方が古い。
なのに、カラスによってうたわれる歌は、色鮮やかだ。

むしろ新しい録音の、新しい歌手による歌のほうが、色褪て聴こえたりもする。

Date: 2月 19th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その3)

ここでもTIDALのことを取り上げるが、
TIDALでは「ウエスト・サイド物語」、
「ウエスト・サイド・ストーリー」のサウンドトラックだけでなく、
バーンスタインによる自作自演盤、ブロードウェイ盤(新旧)が聴ける。

「ウエスト・サイド・ストーリー」以外はMQAで聴ける。
バーンスタイン盤は、MQA(96kHz)で聴ける。

「ウエスト・サイド物語」に特に思い入れのなかった私でも、
バーンスタイン盤はCDで、出てすぐに買っている。
発売時期からいって、てっきりデジタル録音だとばかり思っていたのだが、
TIDALで96kHzで聴けるということは、アナログ録音ということになる。

バーンスタイン盤がMQAで聴けることは、早い時期から知っていた。
でも、改めて聴こう、とは、バーンスタイン好きの私なのに、そう思うことはなかった。

それでも「ウエスト・サイド・ストーリー」を観て帰宅したら、
ひさしぶりに聴いていた。三十数年ぶりに聴いていた。

といっても最初から最後まで通して聴いたわけではなく、
選曲しながらだから、正味半分ほどしか聴いていない。

聴いていて、私にとってのバーンスタインは、やっぱり指揮者だな、と思うとともに、
ジョン・ウィリアムズのことも少し考えていた。

Date: 2月 18th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その8)

1982年にCDが登場した。
その音を、マランツのCD63で初めて聴いた。

これも以前書いていることなのだが、
その時のCD63は、その後市販されたCD63とは音が違う。
あきらかに良かった。

その音だったからこそ、CDの音に拒否をおぼえることはなかった。
とはいえ、同じディスクを、LPで聴き比べると、
可能性への期待ということではCDが圧倒的だった。

聴いたのは「ツァラトゥストラはかく語りき」だった。
こういう曲で、小澤征爾の指揮ということもあって、
よけいにCDがよく聴こえたといえるのだが、
LPとCDの良さがうまく融合した音を、いつか聴けるようになるのだろうか、
そんなこともちょっとだけ思っていた。

それからさまざまなCDプレーヤーの音を聴く機会があった。
可能性をより強く感じることもあったし、
デジタル嫌いの人がいうのもわかるなぁ、ということもあった。

デジタルとアナログの良さが融合したとしよう。
その音は、デジタルにアナログの良さが加わったものなのか、
それともアナログにデジタルの良さが加わったものなのか。

その二つがあるように感じているし、
でも、それでも究極的にそれぞれの良さがくわわれば、
二つの音は限りなく似てくるのだろうか。

まだそんな日は来ないようである。
だから感じているのは、MQAの良さとは、
デジタルにアナログの良さが加わった音である、ということ。

MQAはデジタルの技術なのだから、ベースはデジタルなのだから、
当り前すぎることを言っているわけだが、
それでも、このことはきちんと意識しておかなければならないことのように思っている。

そして、デジタルにアナログの良さが加わった音を、
メリディアンのULTRA DACがMQA再生で初めて聴かせてくれた。

Date: 2月 17th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その22)

SAEのMark 2500にはマークレビンソンのLNP2が、
私にとってのベストの組合せなのだろうが、
現実は違うわけで、いまのところメリディアンの218をダイレクトに接続している。

今年になって、
ふと思い立ってQAUDの405の相棒となっているAGIの511と組み合わせてみた。

この511はブラックパネルで、
RFエンタープライゼスの輸入品ではない。
並行輸入品である。

それでも、私にとってのAGIの511の音といえば、
このブラックパネルの音である。

以前書いているので詳細は省くが、
私が聴いた511の音は、ブラックパネルの511であって、
瀬川先生によれば、初期の511の音が聴けるのは、
並行輸入のブラックパネルの511だ、ということだった。

511の初期モデル、ブラックパネルの511に使われているOPアンプは、
一般的なFET入力型ではない。
全段トランジスターによる構成である。

511の改良モデルは、FET入力のOPアンプへの変更が主である。
アンプとしての特性は優秀になっているし、
音的にも現代的になっているともいえるが、
それでも初期の511の、音楽の表情のコントラストのはっきりとした音は、
FETが使われていないことによるものだ、と私は思っている。

そんな私の耳には、
やはりFETを使っていないMark 2500との相性も悪くないように聴こえる。

Date: 2月 16th, 2022
Cate: 新製品

新製品(Chord Mojo 2・その3)

Mojo 2の日本での発売は、2月25日からで、価格は79,800円である。

Mojo 2は、私が見た海外のサイトでは599ユーロとなっていた。
なので日本での販売価格は、良心的といえる。

売れるんだろうな、と思っていたら、
18日から先行予約が始まる、とのこと。

先行予約をやるということは、輸入元も売れると踏んでいるのだろう。
25日には、レヴュー記事を公開する個人サイトもいくつか出てくるだろう。

MojoとMojo 2との比較もあちこちで語られるはず。

Date: 2月 16th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その2)

ミュージカルが好きな人にとっては、
「ウエスト・サイド・ストーリー」は昂奮の一本なのかもしれないが、
ミュージカルが余り好きじゃない私には、夢中になって観ていたとはいえなかった。

冒頭から、いきなりミュージカル全開といった感じで、
そのせいで入り込めないものを感じていたわけで、
そんな私だから「ウエスト・サイド・ストーリー」の映画の出来について、
なにか書こうとは思っていない。

ただ観ていて感じたのは、「ウエスト・サイド・ストーリー」はやはりアメリカの映画だし、
アメリカでなければ撮れない映画だと感じていた。
そうだからこ予告編をみて、大きなスクリーンで観たい、と思ったのだろう──、
と一人で納得していた。

「ウエスト・サイド・ストーリー」で何がいちばん印象に残っているのかといえば、
「Gringo(グリンゴ)」が、セリフの中に何度か出てきたことである。

手塚治虫好きの私は、手塚作品の「グリンゴ」で、その言葉を知った。
「グリンゴ」とは、よそものという意味のスペイン語とのこと。
いわゆる蔑称である。

私の記憶にないだけで、「ウエスト・サイド物語」のセリフにも登場していたのだろう。
そのころ小学生の私には、そんなことはまったく憶えていない。

だからといって「ウエスト・サイド物語」をいま一度観ようとは思っていない。
小学生のころ観た「ウエスト・サイド物語」は、けっこう大きなスクリーンだった。
田舎の映画館だから、意外にも大きいものである。
設備はもう古びていたように記憶している。

ほぼ五十年前のことだ。記憶も古ぼけている。
「ウエスト・サイド物語」と「ウエスト・サイド・ストーリー」を比較しようとも思っていない。

このことに関しては、いろんな人が語るはずだ。

Date: 2月 15th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その1)

「ウエスト・サイド・ストーリー」を観てきた。
1961年公開の「ウエスト・サイド物語」も、ずっと昔(1970年代)に観ている。

私が観たのは、小学生のころだったはずだ。
当時、課外授業のかたちで映画鑑賞があった。
どこかが推薦している映画を、映画館で観る。

小学生のころの記憶だから、不確かなところもあるけれど、
観なくてはならない映画だったから「ウエスト・サイド物語」を観ていた。

「ウエスト・サイド物語」を観たのは、この一度きりである。
ミュージカルがあまり好きじゃないということも、みなかった理由の一つだ。

そんな私が「ウエスト・サイド・ストーリー」は観に行った。
スピルバーグがリメイクするという情報は前から知っていたけれど、
興味を持つことはなかった。

それでも映画を観に行くと、本編上映前に、
予告編やら最新映画情報などが流れる。

「ウエスト・サイド・ストーリー」もそうだった。
撮影が行われている時期から、最新情報としてその映像が流れていた。

そして去年、予告編が流れるようになった。
なにかの映画を観に行くたびに、
「ウエスト・サイド・ストーリー」の予告編をみることになる。

予告編を一度でも、映画館でみると、
これは大きなスクリーンで観たい、そう思うようになり、今日観てきた。

Date: 2月 14th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その27)

1980年ごろ、トリオがΣドライブという方式を、
プリメインアンプ、パワーアンプに採用していた。

リモートセンシング技術を応用したもので、
スピーカーケーブルを二組使うことで、NFBループ領域を拡大するものだった。

この時、トリオはスピーカーの逆起電力を測定するために、
特殊なユニットを開発していた。

二組のボイスコイルと磁気回路をもつユニットである。
一つのボイスコイルは通常のボイスコイルで、パワーアンプと接続されている。

その後方にもう一つのボイスコイルがある。
もちろんボイスコイルボビンは同じである。

二つのボイスコイルは連動している。
このボイスコイルが逆起電力の検出用である。

当時の日本のメーカーは、こういうことまでやっていた。
いま思うと、さらにもう一歩突っ込んで、
磁気回路を対称磁界と非対称磁界の両方で作り、
対称磁界と非対称磁界で、逆起電力に変化が発生するのか、
発生するとしたら、どういう変化を示すのか、
そこまで測定してほしかった。

Date: 2月 13th, 2022
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その35)

つぼみのままで終ってしまう音と花を咲かせる音。
どちらを愛でるのか。

つぼみのままで終ってしまう音は、
花を咲かせはしないものの、熟すことのない音ともいえるだろう。

ずっとつぼみのままなのだから。

そういう音を愛でるのが好きな人がいる。
対象が音なのだから、周りがとやかくいうことではない。

けれどつぼみのままで終ってしまう音は、決して実を結ぶことはない。
花を咲かせた音は、いつか花が散ってしまうことだろう。

そうなるくらいならつぼみのままのほうが──、という人にはわからないだろうが、
花が散っていった先には、実が生る。

この音の「実」を意識することなく終るのか、そうでないのか。

Date: 2月 13th, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(その10)

小林秀雄氏は1902年4月11日、
五味先生は1921年12月20日の生れである。

五味先生は、フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」を、
三十代ではじめて聴いて《勃然と、立ってきた》と、
ステレオサウンド 2号の「音楽談義」でそう語られている。

小林秀雄氏は、「そんな挑発的ものじゃないよ。」と返されている。
このとき小林秀雄氏は六十代である。

フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」は1952年の録音。
ということは小林秀雄氏は、
フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」を聴かれた時は、すでに五十代である。

五味先生ははじめて聴いたのが三十代である。
もし小林秀雄氏が三十代のころ、
フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」があったならば、
その演奏を聴かれていたならば、なんといわれただろうか。

《勃然と、立ってきた》といわれただろうか。

Date: 2月 13th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その26)

非対称磁界と対称磁界のユニット、
それぞれで、どういう音の違いが生じるのか、
スピーカーの開発者でなければ聴く機会はない、といっていい。
私も聴いたことはない。

どれだけの音の違いがあるのかは、正直わからない。
もしかするとそれほどの音の違いはないのかもしれない。
なのにJBLのSFGのアピールがうまくて、対称磁界でなければ──、
そんなふうに思い込んでいるだけなのかもしれない。

ただボイスコイルの種類によっても、
対称磁界と非対称磁界の音の違いのあらわれ方には差が出てくるであろうことは、
容易に想像できる。

ボイスコイルの幅がトッププレートの厚みよりも短く、
しかも最大振幅においても、
ボイスコイルの端がトッププレートからはみ出さない、
つまりショートボイスコイルであれば、
対称磁界と非対称磁界の音の違いは、それほど大きくないはずだ。

トッププレートの厚みと同じ幅のボイスコイルであれば、
振幅が大きくなれば、ボイスコイルの端がはみ出すことになり、
ボイスコイルの一部が非対称磁界に中におかれることになる。

となるとショートボイスコイルよりも、音の違いが大きくなるだろうし、
同じ考えでいけばロングボイスコイルであれば、より大きくあらわれるはずだ。

実際はどうなのだろうか。

Date: 2月 12th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その25)

1980年前後に、コバルトの世界的な不足により、
アルニコマグネットからフェライトマグネットへの変更が、
各スピーカーメーカーで行われた。

タンノイもアルテックもJBLも、アルニコからフェライトへという流れに逆らえなかった。
この時、JBLだけが、対称磁界ということを謳った。

アルニコとフェライトでは、磁気特性の違いにより、最適な形状が違ってくる。
そのためスピーカーユニットの磁気回路の設計も、当然変更になる。

JBLは、SFGということを積極的にアピールした。
SFGとはSymmetrical Field Geometryである。

フェライトマグネットはドーナツ状であり、外磁型となる。
フェライトマグネットをはさみこむようにトッププレートとバックプレートがある。

磁気回路のセンターポールピースがあり、
このポールピースとトッププレートのあいだに磁界が発生する。

ここで重要になるのはポールピースの形状である。
通常のフェライトマグネットのユニットが円筒状であるのに対して、
JBLのSFGユニットはT字状になっていた。

ポールピースがただの円筒状だと、非対称磁界になってしまう。
ポールピースがT字状であり、
T字の横棒の部分がトッププレートと同じ厚みであるSFGユニットでは、
対称磁界となる。

JBLは特許を取得していたはずだ。
だから他社はマネすることができなかった。
けれど、それからずいぶん時間が経っている。
特許は切れている(はず)。

振動板やフレームとか、外側から見えるところに関しては、
各スピーカーメーカーが、積極的にアピールしている。
マグネットについても同じである。

けれど磁界が対称であるのかそうでないのか。
このことに触れているメーカーはどれだけあるのだろうか。