Archive for 11月, 2021

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その6)

ステレオサウンド 9号(1968年冬号)の第二特集は、
「オーディオの難問に答えて」である。

「〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか?」と問いがある。
上杉先生、菅野先生、瀬川先生がそれぞれ答えられている。

瀬川先生の答の冒頭に、こうある。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言で言う事ができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印画もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来までを含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
     *
「瀬川冬樹のリアル」とは、こういうことでもある。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: ハイエンドオーディオ

FMアコースティックス讚(その4)

FMアコースティックスに関しては、音に関することよりも、
音に関係のないウワサのほうが、私の耳には先に届いていた。

けれど、音に関してもしばらくすると入ってくるようになった。
聴いた人は、かなりいい音だ、と感じているようだ──、
そんな感じのことが伝わってくるようになった。

あるオーディオ評論家から直接聞いたことがある。
地方のオーディオ店に招かれて行く。

どうしようもない音で鳴っていることがある。
イベントの開始時間は迫っている。
そういう時、FMアコースティックスのアンプがあれば、替えてもらう。

たいてい、それだけでうまくいく、ということだった。

この話をきいたときも値上りを何度かしている時だったものの、
いまみたいな価格のずっと手前ではあった。

とにかく困った時のFMアコースティックス頼み、であり、
それにきっちりと応えてくれる。

これはなかなかすごいことである。

オーディオ評論家を招いているくらいだから、
FMアコースティックスの前にスピーカーに接がれていたアンプだって、
かなりいいモノだったはずだ。

そのオーディオ店のスタッフのセッティングが未熟だから、
オーディオ評論家が困る音しか鳴っていないのであって、
本来ならば、それでも十分な音が鳴ってくれるはず。

つまりそういう状況下でも、FMアコースティックスは応えてくれるわけだ。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その8)

その6)へのfacebookのコメントに、こうあった。

秘伝のタレという表現を、揶揄する意味で使うことは、
実際に秘伝のタレを日々使い、数十年、それ以上守り続けている飲食店に対して、
失礼ではないか、と。

私もこのことは、秘伝のタレをネガティヴな意味で、
MQAを全否定する文章で見かけた時から、そう感じていた。
MQAについても誤解しているようだけど、秘伝のタレに関しても誤解している人たち。

同じように感じる人が、やはりいる。
なのに、秘伝のタレという表現の使い方について何も書いてこなかったのは、
こういう使い方をする人たちにそのことを指摘すると、
今度は「化学調味料たっぷり」といった表現を使ってきそうだから──、と思ったためである。

別項で書いている「不遜な人たち」の、品性のカケラもない表現というか、
言葉の使い方にソーシャルメディアに触れていると、どうしてもぶち合ってしまう。

来年はもっとそんなことが多くなるのだろう……。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その6)

マッキントッシュからMC3500が新たに登場するということを知って、
まず確認したのはMC2301が製造中止になったのかどうか、である。

2008年に登場したMC2301のスペックはMC3500に、かなり近い。
どちらも管球式モノーラルパワーアンプで、
MC2301が出力が300Wに対して、MC3500は350Wである。

アピアランスはずいぶん違うが、価格的にも近いところになるであろう。
そうなると発表されて十年以上経っているMC2301は製造中止になってもおかしくない。

いまのところMC2301は現行製品扱いである。
別項で書いているように、MC2301は、いまでも聴いてみたいアンプである。
マッキントッシュのパワーアンプのなかで、MC2301にいちばん興味がある。

その理由も別項で書いているので、ここではさらっと触れておくが、
管球式であってもソリッドステートであっても、
これまでのマッキントッシュのアンプにはなかったコンストラクションを採用しているからだ。

重量バランスがとれているコンストラクションである。
だからこそ、いまでも聴いてみたいし、
できればマッキントッシュの他のアンプとの比較試聴もやってみたい。

けれどインターナショナルオーディオショウで実物を見たことはあるが、
音を聴くことはできなかった。

MC2301とMC3500、
その違いをオーディオ雑誌に期待しても、まぁ無理であろう。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その5)

ステレオサウンド 52号特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」で、
瀬川先生がこう書かれている。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
《決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても》
とある。
「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオだけに、
この点は、確かにそうだな、と思いながら読んでいた。

といっても、この時点で、マッキントッシュのアンプの音を聴いていたわけではない。
五味先生、瀬川先生の書かれたものを信じて、思っていたわけだ。

その1)で引用した五味先生の文章。
そこには、《MC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある》
とある。

これこそまさに大河小説のアンプではなく、短詩で表現するアンプである。
そのMC275に対してMC3500は、大河小説的なアンプであったわけで、
MC3500だけが、当時のマッキントッシュのアンプのなかで特別だった、ともいえる。

そこからさらに四十年ほどが経っているわけで、
昔のMC3500も、52号で瀬川先生が書かれたように感じてしまうのだろうか。

そして新しいMC3500は、どう感じるのか。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その7)

TIDALがあるおかげなのかもしれないが、
今年は「クラシックを聴き続けてよかった」と実感している。

四十数年聴いてきて、いままでそんなふうに思ったことはなかっただけに、
齢をとったのかも……、と思いながらも、
そんなことはどうでもいいわけで、ほんとうに聴き続けてよかった。

私はクラシックを主に聴き続けてきたからそう思うわけで、
クラッシクでなければならないわけではない。

ジャズでもいい、ロック・ポップスでもいいし、歌謡曲でもいい。
好きな音楽を永い時間、聴き続けていることが大切なのであって、
そのことをいつの日か、実感できるようになる、というだけのことだ。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その15)

このことはどこに書こうか、少し考えたけれど、結局、ここに書くことにした。

最近、ソーシャルメディアを眺めていると、爆音という表現がけっこう出てくる。
爆音と表現された、その音を私は聴いているわけではないから、
そこで鳴っていた音が、ほんとうに爆音なのかどうかはなんともいえないが、
ただ私が思っている爆音と、ソーシャルメディアに爆音と書き込んでいる人たちの爆音とは、
どうも違うような気がしてならない。

鼓膜を圧するほどの大音量が、爆音なのではない。
いうまでもなく爆音とは、辞書には、
飛行機・オートバイなどのエンジンの発する大きな音、
火薬などが爆発する音、とある。

私にとっての爆音とは、菅野先生が表現された岩崎先生の音のことだ。
その2)で、そのことについて書いている。

「よくマンガであるだろう、頭を殴られて目から火花や星が飛び出す、というのが。」
こんな出だしで、菅野先生が話してくださったのは岩崎先生の音について訊ねたときのことである。

「岩崎さんの音をはじめて聴いた時、ほんとうに目から火花が出たんだ。まるでマンガのようにね」と続けられた。
そのくらいの衝撃が、岩崎先生の音にはあったということだ。

大音量で知られる岩崎先生。
ただ大きなだけではない。
菅野先生が表現されているような音だからこその爆音だ。

岩崎先生が求められていた爆音とは、これも(その2)で書いているが、
こういうことだと思っている。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
爆音という表現を使っている人たちで、
こういう音を聴いている(出している)人がどれだけいるのだろうか。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その6)

一年前の11月17日からTIDALを使い始めた。
丸一年、ほぼ毎日、TIDALで音楽を聴いてきた。

ソニー、クラシカル、ソニー・ミュージックの音源のMQA配信が、
今夏から行われるように、TIDALで聴く時間は増える一方。

グレン・グールドがMQA Studioを聴けるようになったのは、
今年一番嬉しかったことであり、これ以上の喜びは、これから先もそうそうないように思う。

グールドのハイドン、モーツァルト、バッハをMQA Studioで聴ける。
ありきたりの表現になっしまうが、まさに至福の一時であるし、
スリリングな時間でもある。

MQAの音を、秘伝のタレをかけた音、と酷評する人が、オーディオ業界には数人いる。
この人たちは、どういうシステムで、
どういう聴き方をしての「秘伝のタレ」という表現なのだろうか。

グールドをMQAで聴きたければいまのところTIDALしか手はない。
だから来年もTIDALで音楽を聴く時間は増えることはあっても、減ることはない。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: 「オーディオ」考
1 msg

「オーディオの対岸にあるもの」について(その4)

その3)で、「毒にも薬にもならない」音が増えてきているのは、
誤解されたくない、という気持が根底にあるからではないだろうか──、と書いた。

では、なぜ誤解されたくない、という気持はどこから生れてくるのか。
一つには、人に音を聴かせるからだろう、と思っている。

インターネットの普及によって、
それまで接点のなかったオーディオマニアのあいだにつながりが生れ、
互いの音を聴く、ということがあたりまえのように行われようになったし、
そのことを個人サイトやブログ、ソーシャルメディアで、どうだったのかを公開する。

インターネット普及以前は、初対面の人の音を聴きにいくということは、
そうそうなかった。
共通の知人がいれば、そういうこともあったけれど、いまは違う。

そのことが悪いこととは思っていないけれど、
そのことが誤解されたくない、という気持を生む下地になってきているのではないだろうか。

人に聴かせなければいい。
私はそう考える人間だ。

誰にも聴かせなければ誤解も生じない。
もっとも誰にも聴かせなければ、褒めてもらうこともなくなるわけだが。

いい音ですね、素晴らしい音ですね、と認めてもらいたい、褒めてもらいたい気持と、
絶対に誤解されたくないという気持。

それを両立させるのが、オーディオのあり方なのだろうか。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その4)

MC3500が業務用アンプであり、
今回のMC3500 Mk IIが家庭用アンプとして開発されたものであることは、
マッキントッシュのMC3500のサイトの写真からもはっきり伺える。

新旧二台のMC3500が並んで写っている。
MC3500は、当然古いわけだけど、ここでの写真では、
どこかで使っていたMC3500を持ってきてそのまま撮影している感じである。

冷却ファンをもつMC3500の内部はホコリがたまりがちである。
写真のMC3500は、まさにそのとおりであって、
写真撮影にあたって内部のクリーニングを行っていない。

そのとなりに新品のMC3500 Mk IIである。

この写真をみて、二台のMC3500は、
出力こそ、そしてアンプとしての規模こそ同じであっても、別物であることを、
マッキントッシュは提示している、と感じた。

だからこそ新型のMC3500は、
フロントパネルにもリアにも、型番の表記がMC3500 Mk IIではなく、MC3500なのだ。

MC3500 Mk IIとするのであれば、
業務用のMC3500の改良版でなければならない。

今回発表されたMC3500は家庭用アンプである。
いまのマッキントッシュは、MC3500を発表した時のマッキントッシュはとは違い、
業務用アンプメーカーではなく、家庭用アンプの専業メーカーである。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その14)

その7)で,6月からAmazon Music HDも利用している、と書いている。
いまは、というと、10月にAmazon Music HDは契約解除した。

TIDALよりも日本語の歌に関しては揃っている。
Amazon Music HDで聴くのは、ほぼ日本語の歌だけになっていた。

それでも月々の支払い額は高いわけでもないから、
そのまま使っていてもいいと思ったけれど、
9月、10月になるとほとんど聴かなくなっていた。

また聴きたいと思うようになったら、その時また契約すればいいし、
それも簡単に行えるのだから、それでいい。

結局、私のシステムでは、Amazon Music HDはそれほどいい音とは思えなかった。
TIDALがMQAにさらに積極的になってくれたことも関係している。

TIDALで聴く時間がほんとうに長くなってきている。
楽しくて楽しくて、といった感じで聴いている。

この楽しいという感じが、Amazon Music HDには私の場合、感じられなかった。
まったくなかった、とはいわないが、薄いなぁ、と思っていた。

TIDALという書店とAmazon Music HDという書店。
どちらも規模は大きく、ラインナップもまったく違うというほどではない。

それでも楽しい、という点において、私はTIDALという書店をとる。
Amazon Music HDという書店は、思い出したようにふらっと入ればいい。

Date: 11月 15th, 2021
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その18)

「トイレのピエタ」。
手塚治虫が死の前日、日記に書き残した作品のタイトルであり、
その構想が「トイレのピエタ」である。

インターネットで検索すれば、いくつかの記事がヒットする。

癌患者が入院先の病院のトイレの天井画を描き始める──。

映画「MINAMATA」の最後のシーン。
あの写真の撮影シーン。
あれもピエタである。

あの写真は、私だってずっと昔に見て知っている。
そのくらいよく知られている写真だ。

手塚治虫が知らなかったわけがない。

私には無関係とはとうていおもえない。

Date: 11月 15th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、グレン・グールドのこと(その5)

昨晩遅くに、グールドのハイドンを聴き始めた。

グールド初のデジタル録音であるハイドンは、最初LPで買って聴いていた。
それからCDを買って聴いていた。

今回MQA Studioで聴いていると、LPで聴いていたころを思い出す。
結局、最後まで聴いていた。

こうやって夜更かしの日が続いていくわけだ。

Date: 11月 15th, 2021
Cate: 四季

さくら餅(その6)

すやの栗きんとんのことを書いている。
ひとつだけ補足しておきたい。

私がよく買っていたころは、毎年9月2日に発売が開始されていた。
おそらくこれはいまも同じだろう。

以前の記憶では、11月になると味が落ちる。
9月、10月の栗きんとんの色と11月の栗きんとんの色は違う。
ほのかな感じの色が、そうでなくなってくる。

旬のものだから、その変化は仕方ないわけで、
早い時期に食べるのがおすすめである。

おそらく、このこともいまも変っていないはずだ。

Date: 11月 15th, 2021
Cate: 孤独、孤高

ただ、なんとなく……けれど(その4)

EMIのクラシック部門のプロデュサーだったスミ・ラジ・グラップの、
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
──もう何度も引用している。

引用するたびに思っていることは、
ここでの音楽とは、
孤独な人にむかって「僕がここにいる」といってくる音楽とは、
レコード(録音物)を再生しての音楽を指しているように感じることだ。

スミ・ラジ・グラップがレコード会社のプロデューサーだったから、
そう思うわけではない。

少し考えてみればわかることだ。
孤独に陥っている人が、コンサート会場に音楽を聴きに行くだろうか。
行く人もいよう。
それでも、ほんとうに孤独を強く感じている、まさにその時に、
都合よくコンサートが行われているなんて、稀なことだ。

それに聴きたい音楽、心が必要としている音楽が、
そのコンサートで演奏されるか──、これはもっと可能性が低くなる。

それでもゼロではないだろうが、
そこでの演奏が素晴らしいかどうかの保証もない。

「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
それはオーディオを介して聴く音楽である。