ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その15)
このことはどこに書こうか、少し考えたけれど、結局、ここに書くことにした。
最近、ソーシャルメディアを眺めていると、爆音という表現がけっこう出てくる。
爆音と表現された、その音を私は聴いているわけではないから、
そこで鳴っていた音が、ほんとうに爆音なのかどうかはなんともいえないが、
ただ私が思っている爆音と、ソーシャルメディアに爆音と書き込んでいる人たちの爆音とは、
どうも違うような気がしてならない。
鼓膜を圧するほどの大音量が、爆音なのではない。
いうまでもなく爆音とは、辞書には、
飛行機・オートバイなどのエンジンの発する大きな音、
火薬などが爆発する音、とある。
私にとっての爆音とは、菅野先生が表現された岩崎先生の音のことだ。
(その2)で、そのことについて書いている。
「よくマンガであるだろう、頭を殴られて目から火花や星が飛び出す、というのが。」
こんな出だしで、菅野先生が話してくださったのは岩崎先生の音について訊ねたときのことである。
「岩崎さんの音をはじめて聴いた時、ほんとうに目から火花が出たんだ。まるでマンガのようにね」と続けられた。
そのくらいの衝撃が、岩崎先生の音にはあったということだ。
大音量で知られる岩崎先生。
ただ大きなだけではない。
菅野先生が表現されているような音だからこその爆音だ。
岩崎先生が求められていた爆音とは、これも(その2)で書いているが、
こういうことだと思っている。
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アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
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爆音という表現を使っている人たちで、
こういう音を聴いている(出している)人がどれだけいるのだろうか。