「オーディオの対岸にあるもの」について(その3)
毒にも薬にもならない──、という表現がある。
毒にも薬にもならない音、というのがある。
毒にならない音だから、一定水準以上の音であるともいえる。
少なくとも、けっして悪い音ではない。
毒にも薬にもならない──、
そういう録音について、以前、菅野先生と話したことがある。
誰の録音なのかは書かない。
けれど、その人の録音は、優秀録音として高く評価されている。
私はそれほど多くの、その人の録音を聴いているわけではないが、
確かに優秀な録音であるのは確かだ。
それでも、菅野先生が、毒にも薬にもならない、といわれたのはとてもよくわかる。
その人の録音だけでなく、毒にも薬にもならない音は、
再生音にも増えてきている、と感じている。
そして、そういう音が高く評価されているようにも感じている。
優秀な録音であったり、精度の高い再生音であったりする。
ケチをつけるというのを、あら探しを無理矢理するようなことなのかもしれない。
けれど「毒にも薬にもならない」のである。
そう感じる人がどのくらいいるのかというと、
いまでは少数のようにも感じている。
なぜ「毒にも薬にもならない」音が増えてきているのか。
誤解されたくない、という気持が根底にあるからではないだろうか。