Archive for 7月, 2020

Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その6)

バッキンガム、ウインザーといっても、
タンノイにそんなスピーカー、あったっけ? という人は多いかもしれない。

私はすごく注目していたけれど、
だからといって音を聴いているわけではない。
実物をみたこともない。中古でもみたことはない。

バッキンガムは25cm口径の同軸型ユニットに、
30cm口径のウーファーを二発加えた、かなり大型の3ウェイモデルである。

最初、三つのユニットは縦一列に並んでいた。
その後、ウーファー二発が横に並べられたモデルも登場してきた。
縦型と横型のバッキンガムがあったわけだが、そのどちらもみたことはない。

バッキンガムのことは別項で以前ふれている。
ある意味ハーマン時代だからといえるところも見受けられる。
同軸型ユニットに、スラントプレートの音響レンズが設けられているところがそうだ。

それから、バッキンガムが登場した時点では、まだタンノイはアルニコ磁石が主流だった。
HPDシリーズが現行ユニットだった。

なのにバッキンガム、ウィンザーはフェライト磁石を採用しているだけでなく、
25cm口径の同軸型ユニットでは、フェライト磁石を低域・高域で独立している。

デュアルコンセントリックと呼ばれているタンノイの同軸型ユニットは、
アルテックの同軸型(デュプレックス)とは違い、磁石を一つにしていることのメリットを、
謳っていたにも、関らずである。

それは置くとして、バッキンガムは物量投入のスピーカーシステムだった。
たとえばLCネットワーク。
バッキンガムでは、大小七つの空芯コイルが使われている。

6mH、4mH(2つ)、2mH、0.8mH(2つ)、0.7mHという内訳だ。
バッキンガムの同軸型ユニットとウーファーのクロスオーバー周波数は350Hzだから、
コイルの値は大きなものとなる。

通常ならば鉄芯入りコイルである。
JBLの4343も鉄芯入りである。

それからエンクロージュア積層構造で、
それまでのタンノイのイメージからは想像できないほどにリジッドなつくりとなっている。

アーデンが43.0kgなのに対し、バッキンガムは95kgである。
4343が79kg、4350が110kgである。

アーデンとバッキンガムの外形寸法を比較してみると、
W66.0×H99.0×D37.0cm(アーデン)とW60.0×H117.5×D45.4cm(バッキンガム)。
このことからも、エンクロージュアのつくりが、アーデンとバッキンガムはそうとうに、
というよりも、根本的に設計思想が違っている。

Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その5)

1970年代後半、JBL(proを含めて)のラインナップは充実していた。
タンノイはどうだろうか。

オートグラフ、GRFのエンクロージュアは国産になり販売は続いていたとはいえ、
どちらも設計は古い。

オートグラフは1953年のニューヨークのオーディオショウに出品されているし、
GRFは1955年に発表されている。
どちらもモノーラル時代のスピーカーシステムである。

なので当時のタンノイの主力モデルといえば、
現在Legacyシリーズとして復活しているアーデンを筆頭とする一連のモデルだった。

アーデンは220,000円(一本)だった。
1978年ごろには円高で200,000円になっていた。

同時期の4343は739,000円、その後、560,000円(どちらもグレイ仕上げ)。
タンノイのアーデンは、安価だった。

日本では4343の人気、それも異常といえるほどの人気が語られることは多いが、
アーデンもよく売れていたスピーカーだった。

タンノイ、アーデンの話になると、
昔鳴らしていた、とか、父が鳴らしていた、という話を数人の人から聞いている。

私の周りの話だけでいえば、4343よりもアーデンを鳴らしていた人の方が多い。
価格が大きく違うのだから、それも当然なのだろうが、
ステレオサウンドのベストバイでの読者が鳴らしているスピーカーの順位では、
アーデンは4343を超えたことはない。

59号での集計では、4343を使っている人は355人、アーデンは101人と、
差は、かなり大きくなっている。

私がオーディオに興味をもったころには、
タンノイのラインナップからはランカスター、ヨーク、IIILZは消えていた。

アーデンは良心的なモデルといっていいだろう。
それでもオーディオに興味をもち始めたばかりの私とって、
アーデンは憧れの存在とはならなかった。

とはいえオートグラフもオリジナルのエンクロージュアではなくなっていたから、
憧れではなかった。

そこのところで、なんとなくタンノイにもの足りなさに近いものをおぼえていた。
だからバッキンガムへは、その反動みたいなものからか、
強い関心をもっていた。

Date: 7月 25th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その25)

7月のaudio wednesdayで、フルニエのバッハの無伴奏をかけたときに、
「目の前で弾いているかのようだ」という感想があった。

そのときのコーネッタは、まだまだ本調子といえる鳴り方ではなかったけれど、
そう感じられるところは確かにあったし、そう感じてくれた人がいたのは嬉しいことでもある。

ここでの「目の前で弾いているかのようだ」は、人によってはそう感じないこともあるだろう。
もっと別の鳴り方でなければ、そう感じない人がいても不思議ではない。

いまどきのハイエンドオーディオの鳴り方になれている人だと、
「目の前で弾いているかのようだ」とは、たぶん感じないであろう。

フルニエのチェロの音像は、いわば虚像である。
その虚像に対して「目の前で弾いているかのようだ」と、まさしく錯覚であって、
錯覚のしかた、というか、そのひきがねとなる要素は、すべての人がみな同じなわけではないだろう。

同じ人であっても、時と場合によって少しは違うことだってありうるであろう。

7月のaudio wednesdayで、「目の前で弾いているかのようだ」と錯覚させてくれたのは、
なんだったのか、といえば、それはおそらく弦の息づかいではなかろうか。

ここ十年以上ステレオサウンドの試聴記をきちんと読まなくなった。
なので、そんな私の感想にすぎないのだが、
最近の試聴記に「弦の息づかい」は使われていないような気がする。

使われているとしても、
私が熱心に読んでいたころとは、ニュアンスの違いがそこにあるような気すらする。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その19)

孔子の論語が頭に浮ぶ。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「人は歳をとればとるほど自由になる」とは、
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」でもあるのだろう。

「心の欲する所に従って、矩を踰えず」といえる音を出せた時に、
音楽の聴き手にとっても、バッハが友達となってくるような予感がある。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その18)

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

YouTubeに「Play with Gulda」というタイトルの動画がある。

グルダの二番目の妻、祐子グルダが「今の友達はバッハ」と語っている。
この動画の撮影時、祐子グルダは73歳。

内田光子は、70でバッハを、と以前語っていた。

「人は歳をとればとるほど自由になる」からこそ、バッハが友達となってくるのか。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: ディスク/ブック

伝説の歌姫 李香蘭の世界(その2)

「伝説の歌姫 李香蘭の世界」は、録音データが記載されている。
1940年から1954年までの録音がおさめられている。

同時代、もしくはもう古い録音のディスクは何枚も持っている。
いずれもクラシックの録音で、海外の録音である。
これらを聴いてもっていた印象と「伝説の歌姫 李香蘭の世界」の音の印象は、
昔から、海外オーディオメーカーの人たちが、
日本の音(スピーカー)は甲高い、といっていたのに関係しているように感じる。

そう甲高く感じられる。
録音器材のせいなのか、それともあえてこういう音に録っているのだろうか。

1940年代の日本の録音を、「伝説の歌姫 李香蘭の世界」で初めてきちんと聴いた。
他の、この時代の日本の録音がそうだったのかはまではまだ確認していない。

「伝説の歌姫 李香蘭の世界」の一枚目の一曲目、
「紅い睡蓮」が収録されたディスクは、1940年に10月に発売され、
1941年2月末までに28万枚以上製造された、という記録が残っている、とのこと。

当時の28万枚は、そうとうな数字である。
つまり、多くの人が、「紅い睡蓮」を、ああいう音で聴いている、ということでもある。

それとも当時の蓄音器では、これできちんと鳴っていたのだろうか。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その4)

ステレオサウンドのベストバイの企画は、35号が一回目で、二回目は43号である。
43号からは、読者の選ぶベストバイ・コンポーネントも始まっている。

43号ではタイトル通りの内容(集計)だったが、
三回目の47号からは、読者の現在使用中の装置の集計も載っている。

47号は1978年の夏号。
この時のステレオサウンド読者が鳴らしているスピーカーの一位は、
ヤマハのNS1000(M)である。
二位はヤマハのNS690(II)、三位はタンノイのレクタンギュラーヨーク、
四位はテクニクスのSB7000とJBLの4343、六位はタンノイのアーデン、
七位はダイヤトーンのDS28B、八位はタンノイのIIILZ、九位はJBLのL26(A)、十位はKEFのModel 104(aB)。

ブランド別では、一位は、やはりヤマハで13.4%、二位タンノイ(11.1%)、
三位JBL(9.0%)、四位ダイヤトーン(8.6%)、五位JBL Pro(7.1%)となっている。

このころはJBL(コンシューマー)とJBL pro(プロフェッショナル)に分れていて、
4300シリーズのスタジオモニターはJBL proである。

二つのJBLをあわせると16.1%となり、ヤマハを抜いて一位となる。

43号、47号での読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカーの一位は、4343で、
51号でも4343が一位、55号、59号もそうである。
五年連続4343が、読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカー部門の一位である。

人気だけではなく、47号では四位(2.4%)だったのが、
51号では二位(5.0%)、55号では現用機種の発表はなく、
59号では一位(12.6%)と着実に順位を上げていっていた。

読者の選ぶベストバイ・コンポーネントでも、
55号では得票数1059(42.1%)でダントツだった。

1970年代後半の4343の人気と実績は、こういうところにもあらわれていた。
この時代のタンノイはどうだったかというと、
4343の勢いにおされていっていた。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その3)

ステレオサウンドに執筆されていたオーディオ評論家で、
タンノイを鳴らされていた、といえるのは、上杉先生だけといっていい。

上杉先生は最初にGRF、その次にオートグラフを購入されている。
それからウェストミンスター、RHR、たしかオートグラフ・ミレニアムも買われていた。

長島先生も、一時期GRFを鳴らされていた。

そのGRFについて、ステレオサウンド 61号で、
タンノイのやさしさがもの足りなかった、といわれている。。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたいから、ジェンセンのG610Bにされている。

瀬川先生も一時期タンノイを鳴らされていた。
最初はユニットだけを購入されて、そのあとで、レクタンギュラーGRFを鳴らされている。

「私とタンノイ」の最後のほうで、こう書かれている。
     *
 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
     *
結局、瀬川先生のリスニングルームにタンノイが落ち着くことはなしに、
ある愛好家の方に譲られている。

井上先生は、タンノイを所有されていた。
「私のタンノイ観」では、こう書かれている。
     *
 つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。
     *
タンノイとのかかわりあいはけっこうあっても、
なぜか、ここでもメインのスピーカーの座にタンノイはない。

菅野先生は、(その1)で引用した文章にあるように、
《一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係》である。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 新製品

新製品(LEAKの復活)

イギリスのLEAK(リーク)が、ひさしぶりに復活する、とのこと。

LEAKというブランドのことは知識としては持っている、
当時のアンプが、どんな回路構成だったのかは知っている、
実物を見たこともあるが、音を聴いたことはない。

LEAKのスピーカーシステムに関しても同じだ。
みたことはある。でも聴いたことはない。

なので特別な思い入れはない。
それでもLEAKが復活するのか、とちょっと嬉しくなるのはなぜなのだろうか。

今回登場したのはプリメインアンプのSTEREO 130とCDトランスポートのCDTの二機種である。
STEREO 130は昔の、STEREO 30、70といったプリメインアンプのイメージである。
そのためなのかどうかはわからないが、トーンコントロールが、ちゃんとある。

それからD/Aコンバーターも内蔵している。
だからCDプレーヤーではなくCDトランスポートを出してきている。

このCDTの操作ボタンが、ボタンそのものといえる。
操作の感触まではいまのところわからないが、愛矯を感じさせる。

昔のLEAKのブランドイメージは残っている、と思う。
少なくともLEAKの製品といわれて、納得できる雰囲気に仕上がっている様子だ。

日本の取り扱いはLEAKのサイトによれば、
ロッキーインターナショナルであるが、
ロッキーインターナショナルのサイトにはまだ何の情報もない。

インターナショナルオーディオショウが中止にならなければ、11月に聴けたはずだ。

LEAK Hi-Fiで検索していたら、「LEAK Audio Hi-Fi」という本が出ているのを見つけた。
884ページのペーパーバックで、amazonで購入できる。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その17)

「これでいいのだ」と、
10代の私、20代の私、30代の私、40代の私、
そしていま50代の私がそういったとしよう。

「これでいいのだ」は、たったこれだけで完結している、といえる。
だからといって、それぞれの年代の私の「これでいいのだ」が、同じなわけではない。

40代のまでの私は、「これでいいのだ」とはいわなかったし、思わなかったところがある。
それらがあっての、いま考えている「これでいいのだ」である。

いまどきの若い人のなかには、諦観ぶっている人がいないわけではない。
本人は諦観の境地に達している、つもりなのだろうが、
そんな歳で諦観ぶって、どうするの? といいたくなる。
けれど、そんなことを直接言ったりはしない。

それに私と同世代であっても、オーディオを少しばかりかじった程度の人が、
オーディオに対して「これでいいのだ」といったとしても、
その「これでいいのだ」と私の「これでいいのだ」とは、そうとうに意味するところが違う。

心の底から「これでいいのだ」といえる日が来るのかどうかは、なんともいえない。
それでも「これでいいのだ」が芽ばえてきていることだけは否定できない。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)

天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。

「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。

主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。

とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。

オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。

なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。

「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。

「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」

「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その13)

そのオーディオ機器のなかにある趣味性と実用性、そのバランス。
そんなことを書いているけれど、若いころは、そんなことを意識していたわけではない。

それでも何かを選ぶとき、そんなことをんとなく思うようになってきたのは、
40を超えたころからだろうか。

(その12)で挙げている例にしても、
同時代の製品を比較しているのではない。

4311は4311Aになり、4311Bとなり、4312へと大きくモデルチェンジした。
その4312も型番の末尾にアルファベットがつくようになって、4312Gで何代目なのだろうか。

それに4311がよく知られているから、4311の名を挙げたのであって、
この一連のシリーズで私が、いま欲しいのは4310である。

4310のアピアランスが、いちばん気に入っているからが、その理由である。

マッキントッシュのMC2300とMC2600のあいだには、
MC2500、MC2500(ブラックパネル)がいるから、世代の違うモノの比較である。

どちらがいいか、ではなくて、どちらが欲しいか、である。
どちらが好きか、ともちょっと違う。

ほかの人は、そこのところのどうなのだろうか。
新品しか買わないという人は、ここでは関係ないが、
何か買う時に、新品も中古も選択肢となる人にとって、
時代・世代の違いを、どう受けとっているのだろうか。

単純に、どちらが音がいいのか、だけで判断しているのか。
それとも、私のようなことを考えてのことなのか。

こんなことを考えていたら、
私にとってメリディアンの218は、どういう存在なのか。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: audio wednesday

第114回audio wednesdayのお知らせ(再びTANNOY Cornetta)

吉田日出子の「上海バンスキング」、
「伝説の歌姫 李香蘭の世界」、
この二組のCDは、8月5日のaudio wednesdayに持っていく。

7月はクナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
今回はカラヤンの「パルジファル」にしようと考えている。

それからケンプ、バックハウスのベートーヴェンのピアノ・ソナタを、
どちらもMQAで持っていく。

ここまで書いて、ふと気になって確かめたことがある。
1981年の8月と今年の8月は、土曜日から始まる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

上海バンスキング(その2)

「上海バンスキング」のCDを聴いていた。
吉田日出子の歌を聴いていた。

瀬川先生が「上海バンスキング」で、吉田日出子の唱うブルースにしびれていたころは、
すでに離婚されて中目黒のマンション住いだった。

4345がスピーカーだった。
そのころの瀬川先生のところに行った人によれば、
アキュフェーズのアンプだった、という。
C240とM100の組合せだ、と思う。

アナログプレーヤーはパイオニアのExclusive P3のはず。
カートリッジまでははっきりとしないが、
オルトフォンのMC30、MC20MKII、デンオンのDL303、EMTのXSD15あたりだろう。

そういうシステムで、世田谷・砧のリスニングルームよりずっと狭い空間で聴かれていた。

このことを、吉田日出子の歌を聴いていて思い出していた。
吉田日出子の歌を聴くのは初めてである。
吉田日出子という人の印象も、テレビのない生活がながい私には、ほとんどない。
なんとなく顔が思い出せるくらいだ。

吉田日出子の顔は、なんとなく知っていたし、検索して確認もしていた。
それでも、聴いていて、
瀬川先生が好きだったバルバラ、アン・バートンとはずいぶん違う、と感じた。

なんとなくそんな感じはしていたけれど、そのことは少し意外でもあった。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その12)

この項は、どちらかといえば思いつきで書き始めた。
コーネッタを、中古とはいえペアで八万円ほどで入手できたことから始まっている。

いまペアで八万円前後で購入できるスピーカーシステム(当然新品)と、
中古のコーネッタを比較して、どちらが音がいい、といいたいのではなく、
どちらを人は選ぶのだろうか、それも私のような50代と、
オーディオを始めたばかりの若い世代の人とでは、どう違ってくるのだろうか。

そんなことを考えながら書き始めた。
書き始めてエアパルスのA80の存在を知った。
そのことで、自分でも、これから先、どんなことを書いていくのかほとんど考えていない、
というかわかっていないところがある。

それでもスピーカーシステム(スピーカーに限ったことではないが)の趣味性と実用性、
そのことでいえば、(その5)と(その6)でのJBLの4311と4312のこと。

4311の存在を初めて知った30代くらいの人は、4311をかっこいいと言っていた。
4312よりも4311を欲しい、と言っていたわけだが、
この人は4311のほうに、趣味性を感じたのではないのか。

実用性の高さということでは、4311よりも4312である。
4312の最新モデルの4312Gは、120,000円(一本、税抜き)である。

1977年、4311は193,800円していた。
その後円高が進んで安くなったこともあるとはいえ、
40年間の物価の上昇を考えると、4312の価格はいささか驚くところがある。

もちろん4312をとりまくいろんな状況が変ってきているからこその、この価格ともいえる。
(その6)で書いているが、私ならばどちらを選ぶか。

他にスピーカーを持てないのであれば4312Gであり、
他にスピーカーを持っているのであれば4311であるのは、
他にスピーカーを持てないのであれば実用性を重視するし、
他にスピーカーを持っているのであれば趣味性をとるから、である。

このことは以前別項でふれたマッキントッシュのMC2300とMC2600にも、
そっくりそのまま当てはまる。
他にパワーアンプを持てないのであればMC2600なのだが、
他にパワーアンプを持っているのであればMC2300を、私は選ぶ。

だからといって、4312G、MC2600に趣味性がない、といっているのではない。
趣味性と実用性のバランスを、その製品にどう見ているか、ということだ。