老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)
天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。
「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。
主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。
とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。
オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。
なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。
「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。
「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」
「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。