Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ
Tags:

S氏とタンノイと日本人(その5)

1970年代後半、JBL(proを含めて)のラインナップは充実していた。
タンノイはどうだろうか。

オートグラフ、GRFのエンクロージュアは国産になり販売は続いていたとはいえ、
どちらも設計は古い。

オートグラフは1953年のニューヨークのオーディオショウに出品されているし、
GRFは1955年に発表されている。
どちらもモノーラル時代のスピーカーシステムである。

なので当時のタンノイの主力モデルといえば、
現在Legacyシリーズとして復活しているアーデンを筆頭とする一連のモデルだった。

アーデンは220,000円(一本)だった。
1978年ごろには円高で200,000円になっていた。

同時期の4343は739,000円、その後、560,000円(どちらもグレイ仕上げ)。
タンノイのアーデンは、安価だった。

日本では4343の人気、それも異常といえるほどの人気が語られることは多いが、
アーデンもよく売れていたスピーカーだった。

タンノイ、アーデンの話になると、
昔鳴らしていた、とか、父が鳴らしていた、という話を数人の人から聞いている。

私の周りの話だけでいえば、4343よりもアーデンを鳴らしていた人の方が多い。
価格が大きく違うのだから、それも当然なのだろうが、
ステレオサウンドのベストバイでの読者が鳴らしているスピーカーの順位では、
アーデンは4343を超えたことはない。

59号での集計では、4343を使っている人は355人、アーデンは101人と、
差は、かなり大きくなっている。

私がオーディオに興味をもったころには、
タンノイのラインナップからはランカスター、ヨーク、IIILZは消えていた。

アーデンは良心的なモデルといっていいだろう。
それでもオーディオに興味をもち始めたばかりの私とって、
アーデンは憧れの存在とはならなかった。

とはいえオートグラフもオリジナルのエンクロージュアではなくなっていたから、
憧れではなかった。

そこのところで、なんとなくタンノイにもの足りなさに近いものをおぼえていた。
だからバッキンガムへは、その反動みたいなものからか、
強い関心をもっていた。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]