Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 日本のオーディオ
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S氏とタンノイと日本人(その3)

ステレオサウンドに執筆されていたオーディオ評論家で、
タンノイを鳴らされていた、といえるのは、上杉先生だけといっていい。

上杉先生は最初にGRF、その次にオートグラフを購入されている。
それからウェストミンスター、RHR、たしかオートグラフ・ミレニアムも買われていた。

長島先生も、一時期GRFを鳴らされていた。

そのGRFについて、ステレオサウンド 61号で、
タンノイのやさしさがもの足りなかった、といわれている。。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたいから、ジェンセンのG610Bにされている。

瀬川先生も一時期タンノイを鳴らされていた。
最初はユニットだけを購入されて、そのあとで、レクタンギュラーGRFを鳴らされている。

「私とタンノイ」の最後のほうで、こう書かれている。
     *
 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
     *
結局、瀬川先生のリスニングルームにタンノイが落ち着くことはなしに、
ある愛好家の方に譲られている。

井上先生は、タンノイを所有されていた。
「私のタンノイ観」では、こう書かれている。
     *
 つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。
     *
タンノイとのかかわりあいはけっこうあっても、
なぜか、ここでもメインのスピーカーの座にタンノイはない。

菅野先生は、(その1)で引用した文章にあるように、
《一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係》である。

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