Archive for 7月, 2018

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 欲する

iPhoneの十年とJBLの十年(追補)

2016年のJBL創立70周年記念モデルを予想して、かすりもしなかったことを以前書いている。
70周年記念モデルは4312SEだった。

オーディオマニアほど、どうして4312なのか? と思っただろう。
けれど、2000年の終りにステレオサウンド別冊「音の世紀」が出た。
このムックの表四の広告はハーマンインターナショナル、JBLである。

この広告をいま見て気づいたというか、納得したというか、
その広告が暗示していた。

「音の世紀」というタイトルからわかるように、
20世紀のオーディオをふり返る内容のムックに、
ハーマンインターナショナルはJBLの、それも4312の広告を出している。

キャッチコピーは、こうだった。
「21世紀を鳴らすのはこれだ。」

単なる広告ではないか、とも思いながらも、
70周年記念モデルとしての4312SEは、この時すでに決っていたのか、と想像もできる。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(SM−SX300のこと)

オプトニカというブランドが以前あった。
シャープのオーディオ用のブランドだった。
たしか光電型カートリッジから始まったから、このブランド名になった、と聞いている。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半、
オプトニカの製品といえば普及クラスのスピーカーシステムとプリメインアンプくらいだった。
型番もすぐには思い出せないほど、印象は薄い。

オプトニカがのブランドを意識するようになるのは、ガウスを扱いはじめてからだ。
オプトニカ・ガウス、
ガウスのユニットに、オプトニカ製のエンクロージュアの組合せ。
JBLの牙城を崩すにはいたらなかった。

いつしかシャープはオーディオから徹底していた。
けれど1999年、SM-SX100というプリメインアンプで、
今度はシャープ・ブランドで、オーディオに復活した。

SX-SM100のフロントパネルには、「ΔΣ」のロゴがあり、
その下に、1BIT AMPLIFIER SM-SX100とある。

SACDと同じ2.8MHzのスイッチング周波数のDクラスのアンプである。
価格は100万円だった。
オプトニカ時代とは違っている、と感じさせるものがあった。

SM-SX100はスイッチ周波数を5.6MHzにアップしたSM-SX200、
さらに11.2MHzまでアップしたSM-SX300にまで発展した。

SM-SX100には1BITのDSD信号用の端子が用意されていた。
もちろんアナログ入力もあったが、SM-SX100の本領を発揮するのは、
DSD信号を入力しての増幅器、つまりPower DACとして、である。

DSD Power DACとしてみた場合、SM-SX300はいまこそ魅力的に映る。
入力端子にUSBがあれば──、とオーディオマニアなら、思うはずだ。

その後シャープという会社がどうなったのかは、ご存知の通り。
SM-SX300をいまの技術で復活させてくれる可能性は低い、というより、ないに等しい。

それに技術は残されているのか、とも思ってしまう。
残されているのなら、シャープがやる予定がないのなら、
どこかが引き継いでくれないのだろうか。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: TANNOY

タンノイはいぶし銀か(その1)

先ほど書いた「BBCモニター、復権か(音の品位・その7)」についたfacebookでのコメントには、
タンノイの音はいぶし銀なのか、とあった。

その方は50年来タンノイを鳴らされている。
タンノイが鳴らす弦の音は烏の濡れ羽色といったほうが近い、とも書かれていた。

日本ではいつのまにかタンノイの音を表わすのに、いぶし銀が使われている。
けれど、「BBCモニター、復権か(音の品位・その7)」で書いたように、
もともとタンノイに使われた表現ではないようなのだ。

それにオーディオ評論家の誰かが最初に使ったわけでもないようだ。
五味先生は、「むかしは」と書かれている。

誰が言い始めたのか、いまでははっきりしない。
けれど昔から使われていたのが、なんとなく広まり、
なんとなくタンノイの音に使われることが多くなっていったのが真相のようだ。

では、タンノイの音は、ほんとうにいぶし銀なのか。
いぶし銀といわれる音が、どんな音なのかについて書く前に、
私自身はタンノイの弦の音は、コメントされた方と同じで、
烏の濡れ羽色に近い、と感じる。

ただし私の場合、条件つきで、
フロントショートホーンをもつタンノイが、うまく鳴った時に限られる。
オートグラフ、ウェストミンスター、タンノイ純正ではないが、
ステレオサウンド特製のコーネッタ、
これらのタンノイがうまく鳴った時の音の、
うまく鳴らした時の弦の音は、烏の濡れ羽色に近い、と表現したくなる。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その16)

エレクトロボイスのSentry Vのトゥイーターについて、
岩崎先生が「コンポーネントステレオの世界 ’77」で語られている。
     *
岩崎 そのエレクトロボイスのシステムは、じつはここ何年か、日本では積極的に受け入れられなかったわけで、若干かすんでいたんですが、最近やっと、このセントリーVが入ってきました。これは25センチのバスレフ型の低音と、中高域ユニットにつけられたラジアルホーンをもっています。エレクトロボイスのラジアルホーンというのは、他のメーカーのものとは違っていて、ひじょうに指向特性がいいのです。あまり深いホーンではありませんが、ホーン・ロードがたいへんによくかかっているということで、これはJBLともアルテックともまったく違った新しい理論だと思います。たいへん変った、上下が極端にまるみをもって開いた、あまり大きくないホーンですが、けっこう馬力があって、負荷がひじょうにかかっている感じで鳴ります。
     *
1976年の時点で、定指向性ホーン(Constant-Directivity Horn)という言葉は使われていなかった。
エレクトロボイスの当時の輸入元はテクニカ販売だったが、
Sentry Vの資料に、ホーンについての技術的なことは載っていたんだろうか。

載っていないような気がする。
Sentry Vはステレオサウンド 41号新製品紹介、
44号の特集、スピーカーシステムの総テストでも取り上げられているが、
ホーンについて、その新しさが述べられてはいないからだ。

それでも、Sentry Vのホーンが、新しい理論による設計だと気づく人は必ずいる。
おそらく日本では岩崎先生が、もっとも早く気づかれている。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その8)

教養ある音、とひとつ前に書いた。
この「教養ある音」も、わかりやすいようで、
いざ誰かに説明しようとなると、なかなか難しいことに気づく。

目の前にいくつものスピーカーがあって、
その中に、私が教養ある音を感じる音を出すスピーカーと、
その反対に教養のない音といいたくなる音のスピーカーをふくめて、
いくつかのスピーカーが用意されていたら、説明は少しは楽になり、
具体的になっていく。

けれど、いざ言葉だけで、
しかも教養ある音という意味をまったく理解していないと思われる人にどう説明するか。
結局、教養ない音を説明していくしかないのか、と思う。

私の表現力が足りないといえばそれまでであるのだが、
それでも教養ある音を見事に説明している表現に出合っていない。

たとえば別項「オーディオ機器の付加価値(その5)」に登場する人は、教養ある、とはいわない。

知識はいっぱい持っている。知識欲も高い。ついでに学歴も高い。
それが教養ある人じゃないか、といわれると、これの説明もまた困るけれど、
堂々めぐりすることになるが、結局、品がないのだ。

音の品位について書いていて、
そこでいぶし銀、教養ある音を持ち出してきておいて、
それらについて満足に説明せずに、品がない、と言ってしまう。

いいかげんな説明(にもなっていないのはわかっている)だ。
それでも、品がない、のだ。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その7)

音の品位について語ることの難しさがあるのを実感している。
音の品位に関係してくるものに、教養のある音、というのがある。

この表現も、わかったようなわからないようなものだ。
その教養のある音にも、音の品位にも関係してくるのに、いぶし銀がある。

いまでも、音の形容詞として、このいぶし銀は使われているのだろうか。

ステレオサウンド 207号にタンノイのスピーカーは、
EatonとArden、Kensington/GRの三機種が対象となっているが、
その試聴記に、いぶし銀が出てくるのは、和田博巳氏担当のArdenだけだ。

いぶし銀はいつごろから使われているのだろうか、
ということを九年前に「井上卓也氏のこと(その20・補足)」で書いている。

いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
     *
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     *
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことなのだから、
音を銀でいぶしたような──は、正しい表現とはいえないわけだが、
とにかく英国の「教養ある音」のことであり、
それがいつしかタンノイの音の代名詞のようになっていったのではないだろうか。

とはいえ、この「いぶし銀」でどういう音をイメージするのかは、
そうとうに人によって違うようにも感じている。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その6)

いまから十年以上前のインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことを、
個人サイトからのデータを、オーディオ雑誌がひとことのことわりもなしに、
誌面に使っている件に関連して思い出していた。

人を待っていたので、会場のB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは伏せるが、
この二人は、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

そこにはインターネットのオーディオ関連のサイトに対しての、
はっきりとした嫌悪感があった、と私は感じていた。
なぜ、そこまで嫌悪するのか、その理由は二人の会話からは掴めなかった。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなったけれど、今回の件を、
この二人のオーディオ関係者はどう思うのか。

インターネットなんてクズだから、そんなこと問題にするほうがおかしい、とか、
オーディオ雑誌のやることに文句をいうな、とか、いうのではないだろうか。

あれから十年以上経っているとはいえ、
あの二人の年齢と、それにあの時の内容とその口調から、いまも変っていないのではないか。

オーディオ関係者のすべての人が、この二人のようだとは思っていない。
けれど、こんな二人がかなり上の地位にいた、ということもまた事実である。

雑誌が上で、インターネットはずっと下。
雑誌には志があり、インターネットには志はない。
この二人のオーディオ関係者の認識は、そうである。

今回のデジタルデータの流用が、私のサイトからだけでなく、
別の人のサイトからでも行われてしまっている。これだけではない可能性もある。

この二人のような認識の人にとっては、問題にするようなことではないのだろう。
そういう認識の人たちが、オーディオ雑誌の編集者にもいる、ということなのか。

十年以上経っている。
その十年間のインターネットの変化は大きく、
オーディオ雑誌・出版社がまったく影響を受けていない、とでも思っているのですか、と、
その二人のオーディオ関係者に問いたい。

別項で指摘したように、ステレオサウンドの試聴記のtwitter的なものへの変化、
そういうことにも、この二人のオーディオ関係者は気づいていないのかもしれない。

オーディオ雑誌には志があると、二人のオーディオ関係者は思い込んでいるのかもしれない。
いまも、そう思い込めているとしたら、シアワセな人たち、としかいいようがない。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その4)

キットを出していたということでは、
ダイナコとラックスの対比ではないか、と思われるかもしれない。

私にもそういう気持はないわけではないのだが、
ラックスのEL34プッシュプルアンプというのは印象がとても薄い。

私がオーディオに興味を持ち始めたころのラックスの真空管アンプといえば、
プリメインアンプのSQ38FD/IIであり、登場したばかりの薄型のコントロールアンプのCL32、
パワーアンプではMB3045だった。

そのころキットでA3500がEL34プッシュプルで、出力はUL接続で40W、三極管接続で30Wだった。
1978年にはMQ70も登場した。
出力は45Wだった。
MQ70はA3500の完成品ではなく、レイアウトも違っていた。

どちらも私には印象が薄い、というか、存在が稀薄だった。

日本では真空管アンプを、
トランジスターアンプ全盛時代になっても造りつづけているメーカーとして、
ラックスは知られていた。

ラックス以外にも真空管アンプメーカーはあったが、
トランジスターアンプと真空管アンプの両方、それに会社の規模ということで、
ラックスが日本における真空管アンプの最後の砦的であった。

それでもラックスのEL34プッシュプルは、印象がなさすぎる。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(ダンラップ・クラークのこと・その3)

ダンラップ・クラークのパワーアンプのこと、というより、
そのヒートシンクについては、ずっと以前に、
別項「Mark Levinsonというブランドの特異性(その18)」で触れている。

マークレビンソンML2が登場する以前から、
あの星型のヒートシンクを採用していたパワーアンプのひとつだった。
このことも含めて、なんとなくダンラップ・クラークのアンプのことは忘れることはなかった。
あとひとつ、電源コードがカール式だったのも記憶に残っている。

インターネットがありがたいと感じるのは、
いまさら検索してみて、わかることがあるからだ。

「DUNLAP CLARKE」で検索すると、画像もけっこうな数がヒットする。
内部写真もある。
Dreadnaught 500の内部写真をみると、ML2に近い。
ステレオアンプとモノーラルアンプの違い、
電源トランスの位置の違いなどはあるけれど、似ているといえば似ている。

今回いくつかの写真を見て、少々驚いたのはパワーアンプに関してではなく、
コントロールアンプに関してである。

Model 10の内部写真もあった。
パッとみて、電源トランスは? と思った。
Model 10は外部電源ではなかったはずなのに、電源トランスが見当たらない、と、
最初にみた写真ではそう思った。

よーく見ると、電源トランスはある。
かなり小さなサイズの電源トランスが端っこのほうに取り付けてある。

こんなに小さいのか、と思うほどのサイズだ。
同時代のAGIの511の電源トランスも、同じくらいに小さい。

けれどダンラップ・クラークのModel 10は、
独特の重みをもったエネルギー感十分の音であり、
黒っぽい音楽にぴったりマッチングのとれる音ということで、
電源部は充実しているはず、という思い込みがこちらにあったから、
よけいに小さく見え、最初は見逃していた。

ダンラップ・クラークのアンプを聴くことはおそらくないであろう。
なので、エレクトロボイスのSentry Vとの組合せの音を勝手に想像しする楽しみがある。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(ダンラップ・クラークのこと・その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
読者からオーディオ評論家にあてた手紙から始まる組合せの試聴である。

読者は愛聴盤を手紙に書いている。
どんな音、どういうふうにオーディオとつきあっていきたいのかも含めて、
指名されたオーディオ評論家が読者といっしょに試聴して組合せをつくっていく。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」ではクラシックが主だが、
ジャズもあれば歌謡曲もあったし、邦楽、そしてブラック・ミュージックもあった。

岩崎先生が、その組合せを担当されている。
(架空の)読者は22歳の学生。
「黒っぽい音楽」「黒っぽい音」が好きだと、手紙にはある。
ジェームス・ブラウン、ウィリー・ディクソン、ジミ・ヘンドリックス、
マーヴィン・ゲイ、エスター・フィリップス、ジョー・リー・ウィルソンのレコードが挙げられていた。

岩崎先生による最終的な組合せは、
スピーカーがエレクトロボイスのSentry V、
コントロールアンプがラックスのCL32、パワーアンプがダイナコのMark Viと、
どちらも管球式で、新製品として登場してそれほど経っていない。

アナログプレーヤーは、ビクターのTT71を専用キャビネットCL-P1におさめ、
トーンアームはビクターのUA5045、カートリッジはピカリングのXSV/3000である。

スピーカーもパワーアンプも、カートリッジも黒っぽい組合せで、
音もきっと黒っぽいサウンドを響かせたのだろう。

この組合せは、見た目からして、私がもとめる世界ではないけれど、
それだけに強烈だったし、
こういう音楽を聴くのに、最適な組合せにも感じられた。

その印象が残ったままで、ダンラップ・クラークの記事を読んだのだった。
読みながら、もう少し早くダンラップ・クラークが登場していれば、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」の組合せに登場していたはずだし、
岩崎先生はダンラップ・クラークのアンプの音を、どう評価されただろうか、と思ったから、
このあまり知られていないブランドのアンプのことが、いまも気になっている。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(ダンラップ・クラークのこと・その1)

ダンラップ・クラーク(DUNLAP CLARKE)というアンプメーカーが、アメリカにあった。
ステレオサウンド 
42号の新製品紹介で、パワーアンプのModel 500とModel 1000が、
43号でコントロールアンプのModel 10が取り上げられている。
当時の輸入元は、オーディオファイルだった。

型番は、正しくはDreadnaught 1000、Dreadnaught 500なのだが、
輸入元がそうしたのか、42号ではDreadnaughtのところがModelに置き換えられていた。

これ以降、ダンラップ・クラークのアンプがステレオサウンドだけでなく、
他のオーディオ雑誌で取り上げられていたことはないはずだ。

私は実機も見ていない。
ステレオサウンドの新製品の記事以上のことは知らなかったのだが、
不思議と印象に残っているアンプだった。

だから、いつかダンラップ・クラークのことは書こうと思っていたが,
ついつい他のことを書いていて、置き去りにしたままだった。

42号では、井上先生と山中先生の音について語られていることが興味深い。
日本の300Wのクラスのアンプのパンチ力にくらべると、
鈍くて重い重量級のパンチだ、と表現されている。

黒っぽいロックなどを鳴らしたら素晴らしい、ともあるし、
異色のアンプともある。

同じ傾向は43号のModel 10でも語られている。
ここでも、ロックやソウルなどを鳴らすには、これほどピッタリとマッチングのとれるアンプはない、と。
コントロールアンプも、パワーアンプと同じ性格で、
独特の重みをもったエネルギー感を十分に感じさせる、と。

だから、私が聴く音楽とも、私がもとめる音とも離れたところにある音のアンプにも関らず、
いまもこうやって書くほど印象に残っているのは、
42号の三ヵ月に前に出ている「コンポーネントステレオの世界 ’77」の影響である。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その4)

今日(7月29日)で、2018年のツール・ド・フランスは終る。
昨日の個人タイムトライアルが終了した時点で、総合優勝は決っている。

夏はまだまだ続くが、ツール・ド・フランスは今日で終る。
20年前のツール・ド・フランスのことは、いまも思い出す。

マルコ・パンターニが総合優勝した。
1994年のツール・ド・フランスでのパンターニの走りを知ったときから、
パンターニを応援していたものの、
1987年も前年の優勝者ヤン・ウルリッヒが勝つものだと思っていた。

けれど20年前の7月27日。
悪天候の中のレースで波瀾があり、パンターニが総合首位に立った。

レースの途中で、テレビ画面の下に、誰がトップを走っていて、
後続とのタイム差はどのくらいなのか、そういった情報が表示される。

パンターニが山岳コースでアタックをかけてどのくらい経ったのか、
そこに暫定マイヨジョーヌとしてパンターニの名前が表示された。

心の中で歓声を挙げた。
そんなことを思い出しながら、
パンターニは、山岳のしんどさから少しでも早く抜け出したがっていたことを、
ずいぶん後のインタヴュー記事で知る。

自転車で走ることは楽しい。
速く走れることも楽しい。
けれど、しんどいことから逃れられるわけではない。
登坂ではしんどさは増す。

山岳を誰よりも速く走ることは快感でもあったはず。
パンターニがどう感じていたのかは、いまとなっては確認のしようもないが、
山岳のしんどさから速く抜け出したい──、
という気持と同じ気持をまったく持っていないと言い切れるオーディオマニアはいるのか。

抜け出したい──、
そうどこかで思っているオーディオマニアも、情熱的と周りから思われているのではないか。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その4)

キカイダーでは服従回路にはルビがふられていた。
イエッサー(Yes, Sir)である。

軍隊で上官の命令に対する返答である。
この服従回路から良心回路(こちらはジェミニィ、ピノキオのコオロギの名前)をみれば、
良心回路とは命令の拒否ということにもなる。

命令にイエッサーといい服従するのか、時には拒否するのか。
ここでの命令とは何なのかについて考えなければ、答はいつまでたっても出てこない。

キカイダーは、最後に服従回路を埋めこまれる。
良心回路も残されたままであり、それによってキカイダーは嘘をつけるようになる。

キカイダーより先に造られたキカイダー01には、
良心回路はないため服従回路を埋めこまれた後は、
命令に絶対服従するようになる。

キカイダーは単なるロボットではなく、人造人間という扱いなのだが、
服従回路により命令に支配されたキカイダー01は、ロボットとどこが違うのか、となる。

ピノキオには、良心回路も服従回路もなかった。
だから良心回路的な存在のコオロギ(ジェミニィ)が共に行動し、
嘘をつくと鼻が伸びていく。

キカイダーがつく嘘とピノキオがつく嘘は、同じとは考えにくい。
時代も国も、作者も違う、まったく別の二つの物語を一緒に考えていく無理があるのは、
承知しているつもりだが、このふたつの嘘を無視して、
レコード(録音物)とオーディオを介しての音楽を聴くという行為を考えていくのは、
それこそ無理があるのではないのか。

Date: 7月 28th, 2018
Cate: 映画

ストリート・オブ・ファイヤー(映画性とは)

ストリート・オブ・ファイヤー(Streets of Fire)」を数日前に観てきた。
もう少し早く行きたかったけれど、うだるような暑さに負けて延ばし延ばしにしていた。

以前書いているように1984年に公開されたとき、映画館で二回観た。
その後もレーザーディスクでも観ていたし、
最近ではHuluやAmazon Prime Videoでも観られる。

なのでけっこうな回数観ている。
最初と最後の、ダイアン・レイン扮するエレン・エイムのライヴシーンだけに限っていえば、
さらに観ている。

それをまた映画館に観に行った。
前日にもAmazon Prime Videoで観てたから、
もう字幕ナシでも楽しめるかもしれない──、
そんなふうにいえるくらい観ている。

同じ料金を払うのなら、最新の映画を観た方がいい、とは私も思う。
それでも「ストリート・オブ・ファイヤー」を映画館で観る機会は、
私が生きている間はもうないだろう。

それに一本くらいは、こういう映画があってもいいじゃないか、
そんな理由にもならない理由をつけて行っていた。

今回上映しているシネマート新宿は300人ほどの劇場だ。
当時観た新宿プラザよりも小さい。

それでも始まれば、夢中になっていた。
何度観ても飽きないシーンから「ストリート・オブ・ファイヤー」は始まる。

ラストもよかった。
ここも何回観たかわからないほど観ているのに、うるっとしそうになった。

そういえば、この映画、淀川長治氏が高く評価されていたことも思い出した。
「ストリート・オブ・ファイヤー 淀川長治」で検索すると、確かにそうだった。

1984年の外国映画のベスト10でも選ばれている。
六番目に「ストリート・オブ・ファイヤー」がいる。
その前がウッディ・アレン監督の「カメレオンマン」だ。

《ことしのアメリカ映画の収穫は「カメレオンマン」の頭脳に迫る「ストリート・オブ・ファイヤー」の映画感覚》
とある。

2017年1月に書いた『「音楽性」とは(映画性というだろうか・その11)』のことを思い出した。

ステレオサウンド 130号、勝見洋一氏の連載「硝子の視た音」の八回目の最後に、こうある。
     *
 そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
     *
このフェリーニの言葉が、「ストリート・オブ・ファイヤー」にぴったりとはまる。

Date: 7月 28th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その12)

CR方法は、コイルに対しての手法であり、
コイルのあるところならば、いろいろてところに試せる。

スピーカーユニットのボイスコイル、
トランスの巻線、カートリッジのコイル、それからネットワークのコイルもそうである。

ネットワークのコイルに関しては、6月のaudio wednesdayで実験している。
6dBスロープのネットワークだから、コイルはウーファー側にだけ入る。
このコイルの直流抵抗は、約0.5Ω。

DALEの無誘導巻線抵抗は、もっと低い値まであるが、
ディップマイカは下限は1pFまで。
なので1Ωと1pFの直列回路をウーファーのネットワークのコイルに並列に接続した。

ここでの効果は、デメリットになるかもしれない、と半分くらい思っていた。
結果は、意外なことに、ここにおいても効果的だった。

コイルは定常状態を維持しようとする。
信号が流れていないコイルを信号を流そうとすると、
流させまいとしてパルス性のノイズを発生する。
反対の場合も同じである。ノイズが発生する。

このノイズに効いているのだろうか。
効いていないとは考えていないが、それだけとは思えない。

トランスを含めて、コイルのあるところ、今後試していく予定だが、
個人的に興味があるのは、真空管アンプのヒーター回路である。
それも出力管用のヒーター回路である。

ヒーターの点火方法は、定電流(定電圧ではない)点火だと考えている。
以前書いているから省略するがTL431を使った定電流回路が、いまのところはいい。

ただ電圧増幅管はまだいいが、出力管を定電流点火しようとするなら、
非常に大がかりになる。
出力管の定電流点火は、大きなメリットをもたらすだろうが、
その音は聴かない方が賢明だと思っている。

誰かがやったのを一度聴いてしまったら、きっとやってみたくなるはずだからだ。
アンプを設計したことのある人ならば、その大変さは想像できよう。
だから聴かない。

それでも……、とやはり考える。
定電流点火までは無理でも、従来の交流点火も見直せるのではないか。
そのひとつが電源トランスのヒーター巻線へのCR直列回路の取り付けである。