Archive for 6月, 2018

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その18)

avcat氏が、どんな人なのか、
avcatというサイトを公開している人、ということ以外は知らない。

avcatは公開されて十年以上経っている、と思う。
海外のオーディオメーカーの新製品情報に関しては、
当時もっとも早く紹介していたサイトだった。

それからしばらくして、オーディオショウの写真を公開するようになった。
オーディオショウの写真に関しては、公開の早さと写真の数は、力が入っているといえた。

ただそのころの写真に関しては、アングルがほとんど変らない写真が並んでいて、
数が多い割には……、とも感じていたが、
その行動力から、かなり若い人なんだろうな、と勝手に思っていた。

写真の工夫のなさからいって、学生かも……。
大学生、もしかするともっと若くて高校生ぐらい。
オーディオに芽生えて数年ぐらいの人がやっているのが、avcatだ、とも思っていた。

若い人なんだな、ということは、今回の件に関する一連のツイートを読んでも感じることだ。
そのツイートの中に、二冊のオーディオのムックのことが取り上げられている。

はっきりとムックのタイトルを書かれているわけではないが、
どのムックを指しているのかは、明らかだ。

音楽之友社から出ている田中伊佐資氏の「音楽の見える部屋」、
音楽出版社から出ている山本耕司氏の「マイオーディオライフ2018」である。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その7)

ティアックが、ダブルカセットデッキW1200を発表したことだけは知っていた。

それ以上の関心を持っていなかったが、
OTOTENでのティアックのブースに入ったところ、
W1200の録音再生のデモが終ったばかりのところだった。

音は、なので聴けなかったが、スタッフの話を聞いていて、
やはりそうなのか、と思ったのはノイズリダクションに関することだった。

W1200の説明のところに《Dolby B NRで録音されたテープ再生》とある。

私がカセットデッキを買ったころは、ドルビー搭載が常識だった。
非搭載のカセットデッキはなかったはずだ。

ラジカセにはドルビーはついてなかった。
カセットデッキで、ドルビーのある/なしで録音・再生したりした。
ドルビーは確かに効果的だ。

ドルビーを使うことによる音質への影響も知っていた。
でも、そんなことはドルビーをONにしたときのノイズリダクション効果の前には、
些細なことのように、高校生だった私は感じていた。

少し経ったころから、ドルビーに代るノイズリダクション方式が、
オーディオメーカー各社から登場した。
それだけカセットデッキ(テープ録音・再生)には、
なんらかのノイズリダクションが前提でもあった。

W1200には、そういったノイズリダクションはついていない。
だからこそ《Dolby B NRで録音されたテープ再生》なのだ。

Dolby Bに近似の再生カーヴで、再生のみ対応している。
近似と書いたように、そっくりにすることはライセンス上無理だそうだ。

そして再生のみなのは、すでに必要なチップがないから、とのこと。

昨秋、「日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その8)」で、
オープンリールデッキの新製品開発のプロジェクトのひとつが頓挫したことを書いた。
理由は、やはりノイズリダクションについて、である。

ノイズリダクション全盛時代のオーディオフェアを知っている者は、
過ぎ去った月日がどれだけ長いのかを、こんなことで実感していた。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その17)

Components of the year、Stereo Sound Grand Prix、
ステレオサウンドが30年以上、State of the Artから数えると40年ほど、
毎年やっているのが、いわゆる賞である。

選考委員はオーディオ評論家に、ステレオサウンドの編集長である。
小野寺弘滋氏はステレオサウンド前編集長で、そうだった。
2011年からオーディオ評論の仕事をされている。

2011年12月発売のステレオサウンドでは、だから染谷一編集長が、
そのポジションにいる。
ということは、あと数年もすれは染谷一氏もステレオサウンドの編集長を辞めて、
オーディオ評論家として、選考委員として加わるのか。

私は、そうだ、と思っている。
ステレオサウンドの、いわゆるビジネスモデルといえる。

仮に十年編集長を務めたあとにオーディオ評論家だとしたら、
2021年に染谷一氏もオーディオ評論家であり、
誰かが新しい編集長になり、その誰かも2031年ごろにはオーディオ評論家。

2031年は13年後、小野寺弘滋氏も現役であろう。
そうだとすると小野寺弘滋氏、染谷一氏、その次の編集長だった人と、
賞の選考委員のうち三人が、ステレオサウンドの編集長だった人、ということになる。
それプラス、その時のステレオサウンド編集長も加わるわけだ。

ステレオサウンドの編集長ではないが、山本浩司氏はサウンドボーイの編集者であり、
HiViの編集長でもあった。
つまりステレオサウンドの人だった。

そうなったとしたら、
少なくとも染谷一編集長が数年後にオーディオ評論家とデビューしたら、
はっきりとステレオサウンドのビジネスモデルといえるようになる。

ビジネスモデルと書けば、多少印象もいいが、
つまりは商売のやり方だ。

株式会社ステレオサウンドがなければ季刊誌ステレオサウンドもなくなるわけだから、
しっかりと商売しなければならないのはわかっている。
それでも、私が考えているとおりになったとしたら……、
そうなったときのことを考えてみてほしい。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その3)

41号からステレオサウンドを読みはじめた私には、
ベストバイ特集号は43号が初めてであった。

43号は1977年夏号だ。
43号でのカートリッジのベストバイを眺めていくと、
オルトフォンのMC20だけが、全員の評を得ている。

井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏全員が、
MC20をベストバイカートリッジと認めている。

五人が選定しているのは、
グレースのF8L’10、デンオンのDL103S、エラックのSTS455E、
フィデリティ・リサーチのFR1MK3、エンパイアの4000D/IIIである。

オルトフォンのSPUが、この時代、どうだったかというと、
SPU-Gが岡俊雄、菅野沖彦、SPU-G/Eが井上卓也、菅野沖彦、
SPU-A/Eが瀬川冬樹、山中敬三、SPU-GT/Eが菅野沖彦、瀬川冬樹と、
いずれも二人だけの選定である。

この時代、すでに軽針圧化の時代だった。
4000D/IIIの針圧は0.25〜1.25g、STS455Eが0.75〜1.5g、F8L’10が0.5〜2.5g(最適1.5g)、
カートリッジの自重も6g前後であった。

SPUは、というと、専用のヘッドシェル込みとはいえ、自重32gで、
針圧はカタログには2〜3gとなっているが、3g以上の針圧を必要とすることは、
43号でも指摘されていた。

しかも当時の国産のアナログプレーヤーでSPUを使おうとすれば、
サブウェイトを使ってもゼロバランスをとれないのが大半だった。

ヘッドシェル込みで24〜27gまでが、当時の上限だった。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: 型番

型番について(その4のその後)

その4)で、エレクトロリサーチのA75V1について触れた。
ステレオサウンド 47号の新製品紹介で登場したパワーアンプだ。
型番が示すように出力は75W+75WのA級アンプ。

A75V1のフロントパネルは、一般的なパワーアンプとは違っていた。
動作ポイント調整用のキャリブレーションメーター、異常動作モニター、
ランニングアワーメーターがフロントパネルに並んでいた。

当時の記事では大きな写真ではなかった、鮮明でもなかったが、
明らかに他のアンプとは違う佇まいは、小さなモノクロ写真からもわかる。

(その4)では、アキュフェーズのA級パワーアンプの型番が、
いつの日かA75となるのではないか、と期待している、と書いた。
九年が経って、ほんとうにアキュフェーズからA75が登場した。

ステレオサウンド 207号461ページに、A75が載っている。
出力は75W+75Wではなく、60W+60Wである。

A70から四年経ってのA75である。
A75の四年後には、A80となるのか、それともA75Vとなるのか。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その16)

今回のavcat氏へのステレオサウンド編集長の染谷一氏の謝罪を、
他の出版社は、どう思うのか。

なんだかんだいっても、いまのところ日本のオーディオ雑誌では、
ステレオサウンドがもっともよく知られているし、それなりの信頼は保っている、といえよう。
私のように、まったく評価しなくなった者もそこそこの数いるにしても、だ。

そのステレオサウンドが、その編集長が、多くの人の目の届かないところで、
今回の謝罪を行っていた、ということは、
オーディオジャーナリズムの信頼を崩すことである。

オーディオジャーナリズムは、確立されていない──、
以前書いている。いまもそう思っている。

確立される前に瀬川先生が亡くなられた、からだ。

それでもオーディオ雑誌への信頼がまったくない、とまでは私だっていいたくない。
それでも、今回の染谷一編集長の行為(謝罪)は、
本人はたいしたことない、と思っているのかもしれないが、
他のオーディオ雑誌の編集者は、なんてことをやってくれたんだ、と怒りを滲ませているかもしれない。

また別のオーディオ雑誌の編集者は、
なんだ、結局、われわれと同じ穴の狢なんだな、ステレオサウンドも、と思っているかもしれない。

信頼は地に墮ちた──、
そういう表現がある。
今回の件は、本人たちはどう想っているのか知らないが、
地に墮ちた、というより、自ら地に堕としている。

一度でもこんなことをやってしまい、そのことが表沙汰になれば、
今回だけなのだろうか、とも思われる。

ステレオサウンドがやっていたんのだから、他も……、とも思われることだってある。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その4)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
オーディオの行きつく渕を覗き込む人は、そこに飛び込むことになろう。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その6)

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半は、
バッファーアンプを搭載するプリメインアンプやコントロールアンプ登場の時期と重なっている。

普及クラスのアンプではバッファー搭載例はなかったと記憶しているが、
価格帯が上になればなるほど、国産アンプに関しては、バッファーをREC OUTに入れている。

REC OUT端子といっても、現在のアンプからはほぼなくなっているから、
若い人の中には知らない人もいる時代なのだろう。

REC OUT端子に接続されるのはテープデッキの入力である。
つまりテープデッキの入力インピーダンスが、REC OUTの負荷となる。

例えばアナログディスクをテープ録音する場合、
フォノイコライザーの負荷となるのは、テープデッキとラインアンプの入力インピーダンスの合成である。

フォノイコライザーの出力段が余裕をもって設計されていて、
十分に低い出力インピーダンスであれば、バッファーを特に必要とはしない。

けれど、そのころのフォノイコライザーの出力インピーダンスはそれほと低いわけでもない。
となると入力インピーダンスの低いテープデッキが接続されていると、
フォノイコライザーの負荷は重くなり、音質は劣化する方向へと動く。

端的な例を、五味先生がステレオサウンド 50号掲載の「五味オーディオ巡礼」で書かれている。
     *
もうひとつ業務用パーツとホーム用パーツをつなぐときこわいのは、インピーダンスの合わぬことで、以前、ノイマンの業務用パワーアンプを拙宅でつないだときもそうだった。最近プロ機のスチューダーC37を入手して、欣喜雀躍、こころを躍らせ継いでみたら、まったく高域にのびのない、鼻づまりの弦音で呆っ気にとられたことがある。理由は、C37は業務用だからマイクロホンの接続コードをどれ程長くしてもINPUTの音質に支障のないよう、インピーダンスをかなり低くとってあるため、ホームユースの拙宅のマランツ#7とではマッチしないと知ったのだ。かんじなことなので言っておきたいが、プリアンプとのインピーダンスが合わないと、単にテープの再生音がわるいのではなく、C37に接続したというだけでレコードやFMの音まで鼻づまりの歪んだ感じになってしまった。愕いてC37を譲られた録音スタジオから技術者にきてもらい、ようやくルボックスA700やテレフンケンM28Aで到底味わえぬC37の美音に聴き惚れている。
     *
C37は業務用テープデッキだから、入力はコンシューマー用とは比較にならぬほど低い。
そういう低い入力インピーダンスの機器が接続されては、
フォノイコライザーの負荷としては、そうとうに重くなる。

その結果が五味先生の場合では《まったく高域にのびのない、鼻づまりの弦音》である。

コンシューマー機器ばかりの時には、ここまでひどくなることはないといっていいが、
それでもREC OUTにテープデッキを接続するということは、大なり小なりそういうことである。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その2)

火曜日、Aさんと吉祥寺で飲んでいた。
一軒目を出た後に、五日市街道沿いのハードオフに二人で行った。

中古オーディオを見ながらのオーディオ談義。
「D/Aコンバーターだけは新しいモノが常に優れている」という趣旨のことを、
Aさんが言われた。

基本的には私も同意見なのだが、
ここ二年ほど、やたらワディアの初期のD/Aコンバーターが気になって仕方がない。
Wadia 2000やX64.4のことが気になる。

基本性能の比較だけでは、数万円のD/Aコンバーターに劣る。
たとえばCHORDのMojo。
いま六万円前後で購入できる、この掌サイズのD/Aコンバーターの性能は、
Wadia 2000、X64.4が登場したころには想像もつかないレベルだ。

19年前のPowerBoook G3よりも、iPhoneは比較にならないほど性能は向上している。
しかも掌サイズまで凝縮されている。

D/Aコンバーターもデジタル機器である。
Wadia 2000、X64.4から30年ほど経っている。

同時代のMac、SE/30をいま現役で使っている人はいないだろう。
けれど音に関しては、どうなのか。
Wadia 2000、X64.4を、いま聴いたら、どう感じるのか。

音の精細さでは、Mojoに負けているかもしれない。
同一視はできないのはわかっているが、
カートリッジにおける軽針圧型と重針圧型の音の違いに近いものが、
D/Aコンバーターの新旧にもあてはまるところはあるのではないか。
その疑問がある。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その1)

1998年にPowerBook 2400cを買うまでは、
SE/30を使い続けていた。

アクセラレーターを載せ、ビデオカードも取り付け、
メモリー増設も二回、ハードディスクも交換して使っていた。

愛着はあった。
けれど1998年時点でも処理速度は遅かった。
それでも使い続けていたのは、新しいMacを買うだけの余裕がなかったからだった。

PowerBook 2400cは、速かった。
同じ金額ならば、もっと速いMacもあったけれど、これを選んだ。
PowerBook 2400cの処理速度でも、速かった。

翌年にはPowerBook G3にした。もっと速かった。
デジタルの信号処理能力は、新しいほど速い。
パソコンの進歩も、実に速い。

それと比較すると、デジタルオーディオ機器の進歩は遅く感じがちだ。
それでもD/Aコンバーターの基本性能は、確実に向上している。

20年前、30年前のD/Aコンバーターは大きかった。重かった。
そして高かった。

いまは掌にのるサイズのD/Aコンバーターがある。
基本性能を比較すると、掌サイズのD/Aコンバーターが優れている。

こんなに小さくて、低価格だからとあなどれない。
DSDも11.2MHzまで対応しているモノも当り前になっている。

現在のモデルでも、むしろ高価格帯のD/Aコンバーターのほうが、
11.2MHzへの対応は遅かったもする。

音の良さは、基本性能の高さだけで決るわけではないが、
それにしても基本性能の向上は、なかなかすごい。
ワクワクもする。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その6)

オーディオ雑誌に対しても、読み手がどんなことを求めているのかは、
さまざまなんだろうな、ともう思うしかない。

わかりやすい答を求めている人もがいる。
どれがイチバンなのか、それだけを欲している人が、少なくない。
ベストバイや賞関係の記事は、そんな人には好評のようだ。

そこまでではなくとも、雑誌に答が載っている、と思い込んでいる人も少なくない。
オーディオ雑誌に答が載っていたら、どんなに素晴らしいか──、
そんなことは思ったことがない。

載っていないからこそ、オーディオ雑誌は面白くなるはずなのだが……。
それから自分が使っているオーディオ機器を褒めてほしい、と思っている人もいる。

そういう人は、その人が使っている機種に対して、
少しでもネガティヴな評価が載ると、不愉快になったり怒ったりする。

そんな時、こいつら(試聴記を書いた人)、
このオーディオ機器の真価がわかっていないな、ぐらいに思って読めばいいのに、
どうもそうではないようだ。

これは間接的な承認欲求が満たされないから、そういう感情になってしまうのか。
そのへんのはっきりとしたことはわからない。

読み手側には、とにかくさまざまな人による求めていることが、人の数だけあるのだろうか。
ゆえにオーディオ雑誌もひとつだけあれば足りるのではなく、
いくつものオーディオ雑誌がある、といえる。

それでも、ひとつのオーディオ雑誌に求めていることも違う。
ステレオサウンドに何を求めるか、人によってほんとうに違うことを知っている。

オーディオショウについても、同じことがいえる。
答をひたすら求めている来場者もいる、ということだ。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その5)

その4)へのコメントに、
《そんな程度の低いユーザーを作ったのは業界じゃありませんか?》とある。

そうともいえるし、そうではないともいえる。
ゆるく製品を作って利益をあげたいことばかりを考えている会社からすれば、
ユーザー(オーディオマニア)は賢くない方がいい。
その方が商売がやりやすいからだ。
言葉は悪いが、だましやすい。

もちろん、そういうメーカーばかりがあるわけではない。
これは、オーディオ業界だけではないのではないか。
どの業界でも、前者のようなメーカーはあるはずだ。

それからオーディオ雑誌を出している出版社。
読者(オーディオマニア)のレベルを上げていくことも、
オーディオ雑誌の、ひじょうに重要な役割のはずである。

けれどそれを実効するには、作り手側である編集者のレベルも、
それ以上に高めていかなければ、そういう本作りはできない。

やりたくてもできないオーディオ雑誌があるともいえるし、
オーディオ雑誌のレベルが高くなっても、読者がついてこなければ……、
という問題も生じることになる。

結局、それっぽいことをやっているような誌面をつくれれば、
それがなんとなく少なからぬ人が満足できるのかもしれない。
作っている側も満足できよう。

こんなことを書いていても仕方ないことで、
本来ならば、そういうメーカー、出版社の思惑に関係なく、
オーディオマニアが自身でレベルを高くしていけば、それでいいわけだ。

だから《そんな程度の低いユーザーを作ったのは業界じゃありませんか?》に対しては、
そうともいえるし、そうではないともいえる、と私は思っている。

そさ以前別項で書いているが、とにかく答だけを求めようとする人は、
今も昔もいる。
そういう人は歳をとったからといって、変りはしない。

そういう人に、答の前に、もっと大事な前提を話そうとしても、
それを遮り答だけを欲する。
しかも何度も同じことを訊ね同じ答を欲する。

そういう人に向い合っても、何ができるというのか。
なのでくり返す。
《そんな程度の低いユーザーを作ったのは業界じゃありませんか?》は、
そうともいえるし、そうではないともいえる。

Date: 6月 20th, 2018
Cate: ステレオサウンド

3.11とステレオサウンド(その3)

(その1)に書いているように、
ここで書こうとしていることは、2011年6月に思ったことだ。

なのに2014年3月に(その1)、4月に(その2)を書いたままだった。

書こうとしていたことをストレートに書いてしまえば、
ステレオサウンドの編集長の染谷一氏に対して、かなりキツイことを書くことになる。
それは気が引けるし、そのままにしていた。

それでもいつか書かなければ……、と思い続けてきた。
なにも、こんな時に書き始めるのか、といわれそうだが、
別項で書いているステレオサウンド 207号に関する件は、
やはり書かなければならないのか──、そう思わせる。

(その4)以降を書きたいわけではない。
けれど、書くことになるのか。

Date: 6月 20th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その15)

今回は柳沢功力氏だっただけだ。
今回と同じことが起らない、といえる人はいないだろう。

むしろ今回の件を、avcat氏がツイートしてくれたおかげで、
少なからぬ人が知り、そのうちの一人の方のおかげで、私も知ることが出来た。

私がこうやって、ほぼ毎日、この件について書いていっていることで、
今回の件を知った、という人もいるわけだ。

その人たちが、また仲間内に拡げていく。
電話やメールやSNSで拡散していく。

avcat氏のツイートがなかったなら、
今回の、ステレオサウンドの染谷編集長の謝罪を知る人は、
avcat氏と染谷編集長だけ、であった。

avcat氏にとって、染谷編集長は、とても「物分かりのいい人」であろう。
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスの試聴記に不愉快になり、
そのことについての自身の意見をツイートした。

それを読んだ染谷編集長が、
6月9日と10日開催のアナログオーディオフェアの会場で、
avcat氏をみかけて自発的に謝罪。
その際に《これからこのようなことがないように対策します》といっている。

avcat氏にとって、染谷編集長は、ほんとうにわかってくれている人なんだろう。
謝罪された、というツイートのあとの投稿を読めば、そのことは伝わってくる。

avcat氏には染谷編集長を陥れる意図はまったくなかった、と思う。
むしろ逆だったのだろう。

けれど、今回の謝罪の件と、
染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》といったことが、
拡散されていくことで、ステレオサウンドというオーディオ雑誌が浮ける痛手を、
avcat氏はまったく考えなかったのか。

《これからこのようなことがないように対策します》、
これは、ステレオサウンドに書いていて生計をたてている人たちに対して、
間接的な恫喝といえるものである。

それに、《これからこのようなことがないように対策します》を、
メーカーや輸入元の人たちは、どう受けとるか。

avcat氏と同じように連続ツイートしていけば、
染谷編集長が自発的に謝罪に来てくれて、
《これからこのようなことがないように対策します》と約束してくれるのか──、
そう捉えることだってできるわけだ。

メーカーや輸入元のスタッフがツイートしても無視されるのであれば、
自社製品のユーザー(できれば染谷編集長と面識のある人)にツイートしてもらえばいい──、
そんなふうに考えるメーカー、輸入元がない、と言い切れるか。

Date: 6月 20th, 2018
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その3)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
オーディオの行きつく渕を覗き込んだ人だから、こう書けるのだろう。