「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その16)
今回のavcat氏へのステレオサウンド編集長の染谷一氏の謝罪を、
他の出版社は、どう思うのか。
なんだかんだいっても、いまのところ日本のオーディオ雑誌では、
ステレオサウンドがもっともよく知られているし、それなりの信頼は保っている、といえよう。
私のように、まったく評価しなくなった者もそこそこの数いるにしても、だ。
そのステレオサウンドが、その編集長が、多くの人の目の届かないところで、
今回の謝罪を行っていた、ということは、
オーディオジャーナリズムの信頼を崩すことである。
オーディオジャーナリズムは、確立されていない──、
以前書いている。いまもそう思っている。
確立される前に瀬川先生が亡くなられた、からだ。
それでもオーディオ雑誌への信頼がまったくない、とまでは私だっていいたくない。
それでも、今回の染谷一編集長の行為(謝罪)は、
本人はたいしたことない、と思っているのかもしれないが、
他のオーディオ雑誌の編集者は、なんてことをやってくれたんだ、と怒りを滲ませているかもしれない。
また別のオーディオ雑誌の編集者は、
なんだ、結局、われわれと同じ穴の狢なんだな、ステレオサウンドも、と思っているかもしれない。
信頼は地に墮ちた──、
そういう表現がある。
今回の件は、本人たちはどう想っているのか知らないが、
地に墮ちた、というより、自ら地に堕としている。
一度でもこんなことをやってしまい、そのことが表沙汰になれば、
今回だけなのだろうか、とも思われる。
ステレオサウンドがやっていたんのだから、他も……、とも思われることだってある。