Archive for 6月, 2017

Date: 6月 14th, 2017
Cate: 新製品

新製品(Backes & Müller・その5)

ステレオサウンド 117号の特集の座談会で、
山中先生はBM30の音について、
《これまでのドイツのスピーカーに聴かれたカチッとしたところに、しなやかさも加わっているのが魅力のポイント》
と語られている。

45号の新製品紹介のページで語られていることと基本的に同じである。
117号の座談会を読むと、
山中先生も45号でB&Mのスピーカーをシステムを試聴されていることを忘れられているようだが、
それでも音の印象に関しては、変っていないところが興味深い。

117号では、井上先生による新製品紹介の記事も載っている。
     *
 同社がアクティヴスピーカー用に開発したPHASEIIプリアンプを専用コードで接続した時の音は、ゆったりとした余裕がありながら、一種独特な雰囲気で整然と音楽が鳴るキャラクターがある。いかにも、MFB型システムといった誇張感が感じられないことが、このシステムの最大の特徴である。レベル調整によるバランス変化は顕著で、リモコンでの操作に違和感が少ないのは気持ちが良い。
 プリアンプを本誌試聴室でリファレンスに使用しているアキュフェーズC290にすると音の性格が一変して、シャープで見通しがよく、音場感情報が豊かな、ほどよくコントラストが付いた整然とした見事な音に変わかる。しかし、サウンドバランスの調整は必要で、低域から中低域のレベルアップでバランスは修正され、質的に高い見事な音が楽しめる。使い手に、かなりの経験と力量を要求するシステムである。
     *
ここから読みとれるのも、
B&Mのスピーカーシステムの基本的な音の傾向は、変っていないということ。
一貫した音のポリシーが、B&Mのスピーカーははっきりと流れていることがわかる。

ということは、現在のB&Mのスピーカーシステムもそうである、と思っていいだろう。
現在のフラッグシップモデルであるLine 100の構成は、Monitor 5ともBM30とも大きく違う。
MFB採用は同じであるが、
MFBの技術はMonitor 5の時代よりも、BM30の時代よりも進歩しているはずである。

何も知らない人に、Monitor 5、BM30、Line 100を見せたら、
同じメーカーのスピーカーシステムとは思わないだろう。
それでも、黙って音を聴かせたら、同じメーカーのスピーカーシステムと感じるのではないだろうか。

だからこそLine 100を聴いてみたい。

Date: 6月 14th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その3)

別項「会って話すと云うこと(その3)」で、
アナログプレーヤーの調整に六時間かけた人に対する印象の違いについて書いた。

この話をしてくれた人は、
調整に六時間もかけて、すごい人だ、オーディオのプロだなぁ、と感心した、ということだった。

私は反対だった。
熱心なオーディオのアマチュアの方だな、と感じていた。

はっきりと記憶していないが、
六時間の調整は、フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整だったはず。

四年ほど前に書いたことも、ここでもう一度取り上げているのは、
この項の(その2)で、リンクしている羽生善治氏のインタヴュー記事を読んだからである。

ある意味、サスペンションの調整に六時間かけるということは、
人工知能的といえるような気がした。

コンピューターの処理能力の驚異的な向上により、
わずかな時間でも膨大なシミュレーションが可能になっている。
考えられるかぎりのシミュレーションを行うことは、人間の脳では無理なことであり、
だからこそ、羽生善治氏が述べられているように、
《人間の思考の一番の特長は、読みの省略》があるわけだ。

フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整と、
将棋における読みを完全に同一視できないのはわかったうえで、
それでも読みの省略なしに、ただただ順列組合せ的にすべてを試してみるということは、
プロフェッショナルとアマチュアとの根本的な違いそのもの、とも思える。

羽生善治氏のインタヴュー記事を読んでから考えているのは、
省略の美、ということだ。

Date: 6月 13th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その8)

30年ぶりに聴く「THE DIALOGUE」は、いろんなことを思わせてくれた。
オーディオに関することだけでない。

聴いていて、ふとKK適塾のことを思っていた瞬間がある。
KK適塾では、まず講師の方が話される。
その次に川崎先生で、最後に講師の方と川崎先生の対談(場合によっては鼎談)という構成だ。

「THE DIALOGUE」はベース(猪俣猛)と、
ベース、パーカッション、ヴィブラフォン、フルート、ギター、テナーサックス、トロンボーン、
それぞれの奏者との対話である。

おそらく録音に前に打合せはあったとしても、
「THE DIALOGUE」に収録されている対話は、
その場での、その瞬間でのインプロヴィゼーションのはずだ。
だからこそ「THE DIALOGUE」(対話)なのであり、
ここでの対話は緊張感があり、いきいとしていて、聴いていてスリリングである。

だから最後の対談が始まる前に「THE DIALOGUE」があったら……、と思った。

Date: 6月 13th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その11)

「五味オーディオ教室」には、音キチという表現が出てくる。
音キチの「キチ」とは、キチガイの略である。

「五味オーディオ教室」が出た1976年は、
ぎりぎり音キチという言葉が使われていた。

音キチは、ある意味蔑称でもある。
音ばかりに夢中になって、肝心の音楽を聴いていない──、
そんな意味も含まれて使われることがあるからだ。

けれど、私は音キチといわれようと気にはしない。

よく音(オーディオ)に関心のない人の中には、
「まず音楽ありき、でしょ、オーディオありきではないでしょ」、
こんなことをいう。

いちいち反論するのもイヤになるくらいに聞き飽きた。
だが、いいたい。
音楽ありきの前に、音ありき、である、と。

「まず音楽ありき、でしょ、オーディオありきではないでしょ」という人の多くは、
音とオーディオをまったく同一視している。

そうでないことをいちいち説明したところで、わからない人はわからない。
オーディオに関心がなくとも、わかる人はわかる。
そういうものである。

まず音ありき、なのだ。
だからこその音キチである。

Date: 6月 13th, 2017
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その18)

テクニクス・ブランド復活で登場したパワーアンプSE-R1は、
テクニクスのパワーアンプらしく大型のメーターをそなえていた。

テクニクスのパワーアンプのメーターは、
SE9600、SE10000のころは、小型のメーターが、ふたつ取り付けられていた。
それがSE-A1で、ひとつの大型メーターに、針がふたつある方式へと変更になった。
二連針メーターの採用である。

その後のSE-A3、SE-A5も、この二連針メーターを採用していたし、
SE-R1も二連針である。

復活後のテクニクスは、この二連針メーターをプリメインアンプにも採用した。
SU-C700、SU-G700がそうである。

テクニクスのプリメインアンプに、それまではメーターはなかった、といえる。
まったくなかったわけではない。
SU7300、SU7600といったエントリーモデルにはメーターがついていたが、
そのくらいである。ほとんどのプリメインアンプにメーターはなかった。

復活後のテクニクスは、プリメインアンプにもメーターを採用した。
でも、このメーターの採用は成功といえるのだろうか、と思う。

メーターの位置が、フロントパネルの下側にある。
パワーアンプの上に、薄型コントロールアンプを置いたようなデザインを意図してなのだろうか。

何度見ても違和感をおぼえる。
なぜ、メーターが下にあるのか、とその度に思うし、その理由を考える。

メーターをもつパワーアンプの上にコントロールアンプが置かれている写真は、
これまでに数えきれないほど見ているが、特に違和感はなかった。
にも関わらずテクニクスのプリメインアンプには、違和感がある。

見慣れれば印象も変ってくるのか……、と思いもしたが、
いまもって印象は変っていない。

Date: 6月 12th, 2017
Cate: コントロールアンプ像

トーンコントロール(その3)

3バンドのトーンコントロールで、
それぞれの帯域のことを低音、中音、高音と、
日本語ならばこうなるが、英語だとどうなるのか。

BASS(もしくはLOW)、MIDRANGE、TREBLE(もしくはHIGH)と、
たいていのアンプでは、こう表示されている。

中音、MIDRANGEとは、トーンコントロールの場合、どのあたりの周波数なのか。
カタログ発表値を見ていくと、
マークレビンソンのLNP2は5kHzである。
サンスイのアンプでは1.5kHz、マランツは700Hz、
マッキントッシュのC504だと750Hz、
ルボックスのプリメインアンプB750MK2は3kHzとなっている。

マランツがいちばん低くて700Hz、マークレビンソンがもっとも高くて5kHz。
どちらもフロントパネルの表示はMIDとなっていても、3オクターヴ近く違うわけだ。

700Hzと5kHzでは、同じMID(中音)といっても、
ツマミをまわしてみたときの音の変化はそうとうに違う。

音の感じとしては、700Hzあたりは可聴帯域(20Hzから20kHz)のほぼ中心であり、
再生音の土台ともいえる帯域の中心であり、
オノマトペ的にいえばコンコン、カンカンといった感じであり、
5kHzともなると、1オクターヴ下の2kHzあたりのキンキンと耳につきやすい感じから、
シャンシャンと浮き上るような感じになっていく。

ここで注目したいのはルボックスの表示である。
B750MK2ではMIDとはなっていない。
PRESENCEとなっている。これはうまい表示だと思う。

B750MK2の3kHzよりも高いLNP2のMID(5kHz)は、
PRESENCEと表示したほうが適切というものだ。

Date: 6月 12th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その5)

喫茶茶会記が、5月26日で十周年だった。
何度も書いているが、私はここで喫茶茶会記を、
四谷三丁目のジャズ喫茶と紹介している。

喫茶茶会記に行かれたことのある人ならば、
ジャズ喫茶ということばからイメージするものと違った雰囲気を受けるかもしれない。
喫茶茶会記の常連の方の中には、ジャズ喫茶という認識のない人も少なくないようだ。

それでも、私は喫茶茶会記をジャズ喫茶と呼んできた。
でも十年経った。

これからジャズ(スピリット)喫茶と呼ぶことにしよう。
ジャズスピリット喫茶と言葉にするのは長ったらしいし、
言葉として発する場合には、これまで通りジャズ喫茶といっても、
それはジャズ(スピリット)喫茶のことである。

Date: 6月 12th, 2017
Cate: コントロールアンプ像

トーンコントロール(その2)

3バンドのアンプということで最初に思い浮べるのは、
私の場合は、やはりマークレビンソンのLNP2であり、
次に浮ぶのはマランツのプリメインアンプである。

といっても1970年代のマランツであり、
アメリカで設計して日本で製造していたころのプリメインアンプ、
コントロールアンプは3バンドのトーンコントロールを装備していた。

Model 1070(69,900円)でも、トーンコントロールは3バンドだった。
型番が四桁時代のアンプのすべてが3バンドだったわけではないが、
それでも四桁型番のマランツのアンプといえば、
私にとっては3バンドのトーンコントロールと、テープ入出力の充実ぶりが、
まず特徴として浮ぶほどに印象に残っている。

1070の上級機のModel 1150 MKII(129,000円)、
Model 1250(195,000円)も3バンドで、しかも左右独立コントロールになっている。

この時代のマランツは日米ハーフだった。
純国産のアンプで3バンドのトーンコントロールといえば、サンスイのアンプだ。
こちらはブラックパネルと3バンドのトーンコントロールが、
特徴としてすぐに頭に浮ぶほどだ。

プリメインアンプもコントロールアンプも3バンドなのは、マランツと同じである。
AU888、AU5900(53,000円)、AU6900(65,000円)、AU7900(85,000円)、
AU9900(140,000円)、AU10000(148,000円)、
AU11000(180,000円)、AU20000(280,000)などのプリメインアンプが、
3バンド仕様になっていた。

不思議なのはマランツのプリメインアンプのトップモデル、
Model 1200B(325,000円)は2バンド仕様ということ。
設計時期の違いによるものなのか。

サンスイのプリメインアンプは、上記モデルのあとに登場したAU607、AU707、
そしてダイヤモンド差動回路を搭載したAU-D907、AU-D707、AU-D607が、
ベストセラーモデルになるわけだが、トーンコントロールは2バンド仕様になっていた。

AU-D907 Limitedは使っていた。
そのころはまだ3バンドのトーンコントロールを使ったことがなかったから、
2バンドであることに特に不満も疑問も感じなかったが、
のちにLNP2の3バンドのトーンコントロールにふれて、
なぜサンスイは3バンドのトーンコントロールをやめたのか、と思うようになった。

Date: 6月 11th, 2017
Cate: コントロールアンプ像

トーンコントロール(その1)

私がオーディオに興味を持ち始めたころぐらいから、
国産のアンプにはトーンコントロールをバイパスするスイッチがつくようになっていた。

トーンコントロールをバイパスすれば、
それだけ信号経路はシンプルになり、音の鮮度はたいていの場合、高くなる。

トーンコントロールの有用さはわかっていたし、
瀬川先生がよく書かれていた。
なのでバイパスすることもあれば、積極的に使うことも多かった。

トーンコントロールは必要なのだろうか。
瀬川先生は、そういわれていた。
確かにそうだ、とうなずける。

一方で長島先生は、トーンコントロールでいじれるのは音の表面的なところであり、
本質的な性格は変化しない、といったことをいわれていた。
これも、確かにそうだ、とうなずける。

まるでトーンコントロールにポリシーがないように思われるだろうが、
自分で使ってみると、瀬川先生のいわれることも長島先生がいわれることも、
わかるとしかいいようがない。

これも何度も書いていることだが、どんな方式にもメリットとデメリットがあるわけで、
そこをどう理解して使うか、でしかない。

それでもトーンコントロールを使わなくなってきたのは確かである。
まずトーンコントロールが省かれるアンプが、1980年ごろから増えてきた。
まずコントロールアンプから省かれ、
プリメインアンプからも省かれるようになってきた。

そうなると使いたくともトーンコントロールがないのだから、どうしようもない。
トーンコントロールは不要になってきたのだろうか。

私にとって必要なトーンコントロールは? ということをだから考えてみた。
一般的な低音と高音だけの、2バンドのトーンコントロールは正直、あまり必要性を感じない。

私にとって必要なトーンコントロールは、中音もコントロールできる、
3バンドのトーンコントロールである。

このことはマークレビンソンのLNP2を触ったことのある方ならば、わかってくれるだろうか。
マーク・レヴィンソンがJC2にトーンコントロールをもうけなかったのは、
2バンドならば不要と考えたためではないだろうか……、と勝手に妄想するくらいに、
LNP2のトーンコントロールの中音のツマミは動かしてみると、その有難みがわかる。

Date: 6月 11th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その17)

5月のOTOTENでのCSポートのブースでの美空ひばりのことについては、
別項『30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その5)』でも触れている。

音量は大きかった。
大きかったこと自体は、それはそれでいいと思っている。

あの音量で美空ひばりを聴いていて、
何かで見た美空ひばりの東京ドームでのコンサートの模様を思い出していた。

何も東京ドームでなくてもいい、地方のホールでもいいわけだが、
美空ひばりの熱心な聴き手の多くは、オーディオを介して、ではなく、
美空ひばりのコンサートに足を運んで、という人が多いのかもしれない──、
ああっ、これはコンサートホールで聴く美空ひばりの音量に近いのではないか、
そんなことを思っていた。

CSポートのブースでの美空ひばりの「川の流れのように」に感じた不満は、
音量の大きさではなく、別のところにある。

全体に明るいのだ。
音量の大きさから明るさもあったと思うが、
それ以上に、ここで美空ひばりの歌を鳴らしているシステム全体の傾向が、
美空ひばりの歌には少しばかり明るすぎるように、私の耳には聴こえた。

アナログプレーヤーとパワーアンプはCSポートの製品だったが、
他はTADの製品でかためられていた。

そのへんも関係してのことかもしれない。
美空ひばりが堂々と目の前で歌っていても、どこか他人事のようにしか感じられなかった。

2015年のインターナショナルオーディオショウでのヤマハNS5000の試作機で、
同じ音量で、同じアンプとプレーヤーで美空ひばりを聴いたら、
ニュアンスの違いはあっても、同じようにしか感じられなかったかもしれない。

6月のaudio wednesdayで、八代亜紀のCDを聴いた。
わりと新しい録音のようだった。
このCDでの八代亜紀の日本語には、首を傾げざるをえなかった。
最初、耳が急に悪くなったのか、と思ったほど、歌詞がうまく聴きとれない。

八代亜紀のCDの前に、グラシェラ・スサーナ、
藤圭子、美空ひばりの歌においては、なんの問題もなく日本語の歌詞が聴きとれるのに、
これらのCDの中では、新しい録音のCDにも関わらず八代亜紀の歌が聴き取りにくい。

この後にグラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」をかけたのは、
そのことを確認する意味もあった。
これはもう、そういう録音だと思わざるをえない。

なんだろう、この日本語の歌の扱いのぞんざいさは……、とおもうことが、
この八代亜紀のCDだけでなく、いくつか感じてしまうことが続いている。

Date: 6月 10th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その10)

「五味オーディオ教室」にこんなことが書いてあった。
     *
 よくステレオ雑誌でヒアリング・テストと称して、さまざまな聴き比べをやっている。その結果、AはBより断然優秀だなどとまことしやかに書かれているが、うかつに信じてはならない。少なくとも私は、もうそういうものを参考にしようとは思わない。
 あるステレオ・メーカーの音響技術所長が、私に言ったことがあった。
「われわれのつくるキカイは、畢竟は売れねばなりません。商業ベースに乗せねばならない。百貨店や、電気製品の小売店には、各社のステレオ装置が並べられている。そこで、お客さんは聴き比べをやる。そうして、よくきこえたと思える音を買う。当然な話です。でもそうすると、聴き比べたときによくきこえるような、そんな音のつくり方をする必要があるのです。
 人間の耳というのは、その時々の条件にひじょうに左右されやすい。他社のキカイが鳴って、つぎにわが社の音が鳴ったときに、他社よりよい音にきこえるということ(むろんかけるレコードにもよりますが)は、かならずしも音質自体が優れているからではない場合が多いのです。ときには、レンジを狭くしたほうが音がイキイキときこえる場合があります。自社の製品を売るためには、あの騒々しい百貨店やステレオ屋さんの店頭で、しかも他社の音が鳴ったあとで、美しく感じられねばならないのです。いわば、家庭におさまるまでが勝負です。さまざまな高級品を自家に持ち込んで比較のできる五味さんのような人は、限られています。あなたはキチガイだ。キチガイ相手にショーバイはできませんよ」
 要するに、聴き比べほど、即座に答が出ているようでじつは、頼りにならぬ識別法はない、ということだろう。
 テストで比較できるのは、音の差なのである。和ではない。だが、和を抜きにして、私たちの耳は、音の美を享受できない。ヒアリング・テストを私が信じない理由がここにある。
     *
「五味オーディオ教室」を最初に読んだとき、
つまり中学二年だったころは、
ここに書いてあること、そのままに読んだ。

ヒアリングテストはあてにならない、ということ。
「五味オーディオ教室」が出た当時は、
自分のリスニングルームで比較試聴できる人は、ひじょうに限られていた、だろう、ということである。

でも、いま読むと,別の捉え方ができる。
あるステレオ・メーカーの音響技術所長の「キチガイ相手にショーバイはできませんよ」、
この発言こそが、オーディオブームを端的に語っている、ということだ。

Date: 6月 10th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その3)

中学一年のことだから、まだ「五味オーディオ教室」に出逢う前のことだ。
クラスで、A0くらいの大判の紙に好きなことを書こう(描こう)ということになった。
書きたい人だけで、ということだった。

私は鉄腕アトムの絵を描いた。
できるだけ正確に描きたいと思った私は、
元の絵に、薄くマス目を描いた。

描く先の紙にもマス目を薄く描いた。
マス目の大きさは拡大して描くので、その分大きくしていた。

元の鉄腕アトムを描いている線が、
マス目のどのあたりを通っているのか、それを丹念に見ては、同じところを通るように描いていった。

小学生のころから、手塚治虫のキャラクターはよくまねて描いていたから、
鉄腕アトムにしても、こんなめんどうなことをしなくとも、ある程度は描けていた。

それでも、このときはそっくりそのままの鉄腕アトムを描きたかった。
結果は、元の絵と寸分たがわず拡大したものが描けた。

クラスの半分くらいが好きなことを書いた(描いた)紙は、教室の壁に張られた。
社会科の時間だったか、先生が、私が描いた鉄腕アトムを指さして、
ひじょうにうまく描けているけれど、手塚治虫が描いたものではない、ということをいわれた。

なぜ、授業中にそんなことをわざわざ話されたのかまでは、いまとなっては憶えていないが、
いまごろになって、ふと思い出した。

いわれるとおり、どんなにうまく、というよりも正確に描いたところで、
私が描いた鉄腕アトムは、手塚治虫が描いた鉄腕アトムではないのは事実である。

鉄腕アトムに限らず、マンガはマンガ家が描いた原画が印刷所にまわされて、
大量に印刷されて本になり、市場に出回る。

週刊誌の紙の質はそれほどいいわけではない。
そこに印刷されているわけだが、
それでも、そのマンガの読み手は印刷されたキャラクターを、
そのマンガ家が描いたものとして認識する。

Date: 6月 9th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その7)

今回のaudio wednesdayでは、いろいろなことを思っていた。
「THE DIALOGUE」を聴くのは30数年ぶり。

つまり最後に聴いたのは20代のはじめのころ。
いまは50を過ぎている。

その頃からすれば老いているとそういえよう。
「THE DIALOGUE」までが老いた音で鳴ってきたから……、
どんなにセッティングを詰めていっても、あの頃聴いた感じがなくなってしまったような音だったら……、
そんな不安のようなものが少しはあった。

でも、それは最初の一音で吹き飛んでしまった。
セッティングを詰めていく前の状態でも、これならば、と思える勢いがあった。

聴いていて体温が上ってきたように感じたのも、そのためだったのかもしれない。

百点満点の音が出せた、とはいわないが、
少なくとも出したい音であった。
でも、聴きながらダブルウーファーだったら……、とも実は思っていた。

それから「THE DIALOGUE」はCDとSACDのハイブリッド盤である。
D38uはCD専用機だから、CD層での音出しだったわけだが、
ここまで鳴ってくれると、SACDでの「THE DIALOGUE」をぜひ聴いてみたい。

どこからかSACDプレーヤーを調達してこなくてはならないが、欲が出てきた。

それから忘れてはならないが、アンプのMA7900のことだ。
以前書いたようにMA2275が何度目かの故障で、MA7900へと交代になった。
真空管アンプからトランジスターアンプへとなったわけだ。

同じマッキントッシュのプリメインアンプとはいえ、
趣味性ということではMA2275の方が魅力的といえる。

でも、音は、というより、アンプとしての実力はMA7900の方が高い。
MA2275と比較試聴したわけではないが、
スピーカーのセッティングを変えたときの音の変化の仕方から判断するに、
MA7900は、想像していた以上の実力をもっているようだ。

今回「THE DIALOGUE」を聴きたいと思うようになったのも、
もしかするとアンプがMA7900になったことも関係しているのかもしれない。

Date: 6月 9th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その6)

美空ひばりのあとには、松田聖子の「ボン・ボヤージュ」。
今年、この歌を聴くのは何度目だろうか。

「ボン・ボヤージュ」を聴き終ったあとで、小休止。
ここで喫茶茶会記の店主、福地さんから頼まれていたことをやる。

ラックスのCDプレーヤーD38uは、アナログ出力の真空管によるバッファーを、
スイッチで挿入することができる。
12AU7(ECC82)のカソードフォロワーだと思われる。

この真空管を、別ブランドの12AU7に交換してほしい、ということだった。
木製キャビネットからD38u本体を取り出して、
真空管周囲のカバーも外して交換。
そのまま木製キャビネットに戻そうか、と思ったけれど、
せっかく中身を取り出したのだから、ちょっと細工した。

といっても数分程度で終ることであるし、すぐに元の状態に戻せる内容である。
これで、また「THE DIALOGUE」を聴く。
真空管バッファーのありなしの音も確かめる。

そんなことをやっていたら、喫茶茶会記のお客さんが四人、
われわれが音を聴いているスペースの方に来られた。

ここでもう一度「THE DIALOGUE」を鳴らす。
ドラムスとベースの対話である。

前半の最後に鳴らした「THE DIALOGUE」よりも、
この時の「THE DIALOGUE」の方がより凄みを増している。
(真空管バッファーは通していない)

この後に福地さんの希望で八代亜紀を聴いて、
またグラシェラ・スサーナをかけた。
「仕方ないわ」をかけた。

「THE DIALOGUE」の鳴り方から予想していたよりも、よく鳴ってくれた。
それは後から入って来て聴いている人の表情からもわかる。

Hさんが、グールドのブラームスを聴きたい、といわれた。
私も、そう思っていたところだった。
けれどいつもは喫茶茶会記にあるグールドのブラームスはなかった。

ゴールドベルグ変奏曲をかけた。
新録のほうである。
アリアが、うまく鳴ってくれた。
こうなると途中でストップボタンを押すのが惜しくなる。
結局、最後のアリアまで聴いていた。

これで6月7日のaudio wednesdayは終った。
19時少し前から始めて、約4時間半、
23時30分ごろに解散した。

Date: 6月 9th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その9)

この項の(その8)にfacebookでコメントがあった。
そこには、ある個人サイトのURLがコピーされていた。

DoromPATIOというサイトの中の「日々雑感2000」の6月6日の記事についてのリンクであった。
タイトルは「合掌:長岡鉄男氏逝去」である。

そこに次のような記述がある。
     *
と言う話とは関係なく、その初めて買った「ステレオサウンド」に、岩崎千明、瀬川冬樹(いずれも故人。当時のカリスマ的オーディオ評論家。以下、敬称略)、菅野沖彦などに混じって、明らかに異色・異質の長岡鉄男も参加した大規模な試聴会の記事が載っていた。何が異色・異質かと言えば、長岡鉄男だけが音をまともに論評しており、他の全員は音の前にブランドと国別の文化論を語っていたのだ。
このようなわけだから、その後、長岡鉄男が「ステレオサウンド」に登場することはなかった。
     *
facebookにコメントされた方も、ここのところに興味を持たれたようだ。
「岩崎千明、瀬川冬樹(いずれも故人。当時のカリスマ的オーディオ評論家。以下、敬称略)、菅野沖彦などに混じって、明らかに異色・異質の長岡鉄男も参加した大規模な試聴会の記事」、
この記事とはいったいどの号に載っているのだろうか。

「合掌:長岡鉄男氏逝去」の中で、こまかなことについては触れられていない。
私もすぐには、どの号なのか思い出せない。

大規模な試聴会とある。
総テストをひとつの売りにしていたステレオサウンドだから、
大規模な試聴会とは特集のことである。

特集記事で、岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、長岡鉄男の四氏が参加されているとなると、
実は該当する記事を見つけられないでいる。

ステレオサウンド 50号巻末附録を見ているところだが、
どの記事のことを書かれているのだろうか。

4号の特集は「組み合わせ型ステレオの選び方・まとめ方」で、
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、山中敬三の四氏が登場されている。
特集後半の「オーソリティ10氏が推す組み合わせ決定版」に長岡鉄男氏は登場されているが、
10氏の中のひとりである。

ここでの長岡鉄男氏が語られていることが、異色・異質とは思えない。
それにこの号の後にも長岡鉄男氏はステレオサウンドに書かれているから、
4号ではないことは確かである。

16号の特集「ブックシェルフ型スピーカーシステム53機種の試聴テスト」にも、
長岡鉄男氏は登場されているが、この特集に登場されているのは、
上杉佳郎、岡俊雄、瀬川冬樹であり、岩崎千明、菅野沖彦の名前はない。
これも違うことになる。

17号の特集「コンポーネントステレオのすべて」も規模の大きな試聴である。
けれど、ここには岩崎千明の名前はない。

私が見落しているのだろうか。
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、長岡鉄男の四氏が参加された記事を見つけられないでいる。

それに長岡鉄男氏は、(その8)でも書いているように、
23号までステレオサウンドに登場されている。

23号の記事は連載の「オーディオ工作室」である。

仮に私が記事を見落していたとしても、
長岡鉄男氏が、特集記事で異色・異質なことを語られていたとしても、
それ以降、ステレオサウンドに登場されなくなった、という事実はない、といえる。