Date: 6月 10th, 2017
Cate: 再生音
Tags:

続・再生音とは……(こだわる・その3)

中学一年のことだから、まだ「五味オーディオ教室」に出逢う前のことだ。
クラスで、A0くらいの大判の紙に好きなことを書こう(描こう)ということになった。
書きたい人だけで、ということだった。

私は鉄腕アトムの絵を描いた。
できるだけ正確に描きたいと思った私は、
元の絵に、薄くマス目を描いた。

描く先の紙にもマス目を薄く描いた。
マス目の大きさは拡大して描くので、その分大きくしていた。

元の鉄腕アトムを描いている線が、
マス目のどのあたりを通っているのか、それを丹念に見ては、同じところを通るように描いていった。

小学生のころから、手塚治虫のキャラクターはよくまねて描いていたから、
鉄腕アトムにしても、こんなめんどうなことをしなくとも、ある程度は描けていた。

それでも、このときはそっくりそのままの鉄腕アトムを描きたかった。
結果は、元の絵と寸分たがわず拡大したものが描けた。

クラスの半分くらいが好きなことを書いた(描いた)紙は、教室の壁に張られた。
社会科の時間だったか、先生が、私が描いた鉄腕アトムを指さして、
ひじょうにうまく描けているけれど、手塚治虫が描いたものではない、ということをいわれた。

なぜ、授業中にそんなことをわざわざ話されたのかまでは、いまとなっては憶えていないが、
いまごろになって、ふと思い出した。

いわれるとおり、どんなにうまく、というよりも正確に描いたところで、
私が描いた鉄腕アトムは、手塚治虫が描いた鉄腕アトムではないのは事実である。

鉄腕アトムに限らず、マンガはマンガ家が描いた原画が印刷所にまわされて、
大量に印刷されて本になり、市場に出回る。

週刊誌の紙の質はそれほどいいわけではない。
そこに印刷されているわけだが、
それでも、そのマンガの読み手は印刷されたキャラクターを、
そのマンガ家が描いたものとして認識する。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]