人工知能が聴く音とは……(その3)
別項「会って話すと云うこと(その3)」で、
アナログプレーヤーの調整に六時間かけた人に対する印象の違いについて書いた。
この話をしてくれた人は、
調整に六時間もかけて、すごい人だ、オーディオのプロだなぁ、と感心した、ということだった。
私は反対だった。
熱心なオーディオのアマチュアの方だな、と感じていた。
はっきりと記憶していないが、
六時間の調整は、フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整だったはず。
四年ほど前に書いたことも、ここでもう一度取り上げているのは、
この項の(その2)で、リンクしている羽生善治氏のインタヴュー記事を読んだからである。
ある意味、サスペンションの調整に六時間かけるということは、
人工知能的といえるような気がした。
コンピューターの処理能力の驚異的な向上により、
わずかな時間でも膨大なシミュレーションが可能になっている。
考えられるかぎりのシミュレーションを行うことは、人間の脳では無理なことであり、
だからこそ、羽生善治氏が述べられているように、
《人間の思考の一番の特長は、読みの省略》があるわけだ。
フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整と、
将棋における読みを完全に同一視できないのはわかったうえで、
それでも読みの省略なしに、ただただ順列組合せ的にすべてを試してみるということは、
プロフェッショナルとアマチュアとの根本的な違いそのもの、とも思える。
羽生善治氏のインタヴュー記事を読んでから考えているのは、
省略の美、ということだ。