Archive for 6月, 2011

Date: 6月 14th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その6)

LPの生産量が増えている、というニュースを最近目にした。

これはLPというモノとしての魅力が見直されてのことなのかもしれない。
だが、いまプレスされているLPとLP全盛時代のLPとでは、見た目は同じでも、同じとはいえない面もある。

いま日本でプレスされているLPが、どういうふうにつくられているのか、
信頼できる人から聞く機会が数年前にあった。
あくまでも、これから書く話、その数年前のことであり、いま現在は変っているのかもしれないし、
数年前と同じままなのかは確認できていないことをことわっておく。

このLP工場には、アナログのテープデッキがない、ときいた。
LP全盛時代には、カッティングマシーンも数台、マスターのテープデッキの数台置いてあるのがあたりまえだった。
かなり古い記事になるが、1967年のステレオ誌の記事によると、東芝音楽工業の川口工場には、
カッティングマシーンとしてスカーリーのカッティングレーサーにウェストレックスの3Dカッターヘッドの組合せ、
ノイマンのカッティングレーサーにウェストレックスのカッターヘッドの組合せ、
それにノイマン純正の組合せ(カッターヘッドはSX15とSX45)、
計4つのカッティングマシーンがあり、それぞれにテープデッキも用意されていた。

そのころといまとでは時代が違うことはわかっている。
けれどLPをつくる工場にカッティングマシーンはあってもテープデッキがないという事実には、唖然とする。

その工場でつくられるLPの多くは、CD-Rで音源を持ち込まれるとのことだ。
中には、気合いの入っている会社もあり、マスターテープとともにテープデッキも持ち込むところもあるそうだが、
マスターがアナログ録音のLPをつくるにも、
CD-R(一度デジタル化したもの)がその音源になってものが、市場に流通している。

Date: 6月 14th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その5)

CDが登場したときに、LPに比べてディスクのサイズが小さい、ジャケットのサイズが小さい。
このことによって、レコードというモノとしての魅力が半減したとか、失われたなどといわれた。

LPは直径30cm、CDは12cm。
見た目もずいぶん違う。質のいいLPの漆黒の艶っぽさは有機的な感じを与えてくれるのに対し、
CDは無機的といえなくもない。

当然のことながらジャケットのサイズも大きく違う。
それにLPの場合、ジャケットは文字通りジャケットである。
CDはプラスチックのケースに収まっていて、いわゆるジャケットはライナーノートである。

LPではレコードをかけるたびにジャケットに直接にふれる。
そこにジャケットの紙の匂いがある。
LPそのものにも匂いがある。
その匂いには、つくられた国柄による独特のものがある。

LPには手ざわり、そして匂いと触覚に関係してくる要素がある。

LPにはジャケットとディスクそのものとの相乗効果で、CDよりもモノとしての存在感は大きい。
そして乱暴に扱えば簡単に傷ついてしまうことも、LPに対する愛着、思い入れを増していってくれる。

CDは、LPよりも便利になっている。
サイズは小さくても、収録時間も長いし、ひっくりかえす手間も入らない。
多少盤面が傷がはいっても、再生に支障はない。取扱いが楽である。
そのことは本来メリットであるべきことなのに、
LPとの対比では、愛着、思い入れがわきにくいという面から、ネガティヴに捉えられることもある。

Date: 6月 13th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その21)

いま入手可能なスピーカーユニットでつくる、ということで書き始めたのが、この項だが、
この「入手可能」は現行製品に限ると言う意味での「入手可能」ではない。

中古であっても市場に流通していていた数が多いものであれば、比較的状態のいいものがあせらなければ入手できる。
そうやって入手できるスピーカーユニットと現行製品のスピーカーユニットをあわせて、2つの案を考えている。

ひとつはAmazonのA.M.T. Oneと似た構成になるが、トゥイーターにAMT型を採用したもの。
もうひとつはトゥイーターに、JBLのLE175DLHを使ってみたい、と考えている。
もちろんどちらの案でもトゥイーターは片チャンネルあたり2発使う。
その使い方もLS5/1に準じる。

AMT型トゥイーターを使う案では、2ウェイでもできるかぎりワイドレンジにしたい、
LE175DLHでの2ウェイではそうはいかないし、オリジナルのLS5/1よりも高域の伸びは劣ることになる。
それでもLE175DLHでやってみたい、という気持は強い。

Date: 6月 13th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その51)

ロジャースPM510は、JBLの2405的な音の世界とは遠いところにある。
だからといってピラミッドのT1的な世界に近いかというと、そうではないとはいうものの、
2405かT1かという極端な物言いをすれば、T1よりはいえなくもない。

つまりどういうことかといえば、PM510の音には、
2405の切り張り的だから表現できる輪郭の鮮明さはないからだ。

瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれているようにPM510の音は、「おそろしく柔らかい響き」をもつ。
だから、4343をマークレビンソンのLNP2やML6、ML2、
それにカートリッジにデンオンのDL303、オルトフォンのMC30などと組み合わせたときの音に馴染みすぎていると、
PM510の音に耳のピントを合わせるのにとまどった、とも書かれている。

ピラミッドのT1の自然で立体的な音像よりも、
平面的でも、むしろ平面的であることで輪郭がはっきりしてくる2405をあえてとらえる瀬川先生が、
「音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象」の、
けっしてシャープではない音像を提示するPM510を「欲しい!!」と思われたのはなぜだろうか。

その理由について考えるときに頭に浮んでくるのが、
目黒のマンションで鳴らされていたJBLの4345の組合せ、
「続コンポーネントステレオのすすめ」での4343の組合せ、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテック620Bの組合せ、である。

4345と4343は、どちらもアキュフェーズのコントロールアンプとパワーアンプで、
620Bはコントロールアンプは上の組合せと同じアキュフェーズのC240、
パワーアンプはマイケルソン&オースチンのTVA1(管球式)だ。

Date: 6月 12th, 2011
Cate: audio wednesday, ステレオサウンド特集

第5回公開対談のお知らせ(ステレオサウンド 179号)

ステレオサウンド 179号を手にして、「薄い」とまず感じた。
この「薄い」という印象は内容とは無関係な第一印象で、一時期のステレオサウンドの、
やや異常な、といいたくなる厚さからすると「薄い」と感じただけのことで、
本の厚さと本の読み応えは必ずしも相関関係にあるわけではない。

私がステレオサウンド 179号をどう読んで、どんな感想をもったかについては、
今月22日(水曜日)に、四谷三丁目の喫茶茶会記で行うイルンゴ・オーディオの楠本さんとの公開対談で述べるが、
今号で、個人的に面白さを感じたのは、第2特集の「最新ハイクラスアンプ試聴テスト」だ。

この記事は100万〜200万円クラスのパワーアンプ10機種を、黛健司、三浦孝仁の両氏、
30万〜200万円クラスのプリメインアンプ13機種を、小野寺弘滋、傅信幸の両氏がそれぞれ試聴記を書かれている。

パワーアンプでは黛氏の文章と三浦氏の文章、プリメインアンプでは小野寺氏の文章と傅氏の文章、
それぞれに実に対照的で、そこにはオーディオに対する姿勢、文章で音を伝えることに対する姿勢が、
はっきりとした違いで現れている。

これが仮に黛氏と傅氏、小野寺氏と三浦氏、という組合せだったら、
今回私が感じた対照的な面白さは生じなかったはず。

Date: 6月 12th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その20)

数年前、ステレオサウンドの連載記事で、「名作4343を現代に甦らせる」というのがあった。

それはアマチュアの自作スピーカーの記事ではなく、
ダイヤトーンでスピーカーの設計に長年携わってこられた佐伯多門氏によるもだった。
佐伯氏がいたころ、ダイヤトーンは4343と同寸法の4ウェイのスピーカーシステムDS5000を出している。

私の勝手な憶測だが、あえてDS5000を4343と同寸法で出してきたということは、
4343を研究し尽くして、のことだと思う。
それにステレオサウンド 47号に掲載されている4343の測定は、ダイヤトーンによって行なわれている。

だから記事の1回目を読んだときは、期待もあった。
けれど残念なことに、回が進むごとに、おかしな方向に進んでいった。

おかしな方向、と書いてしまったが、技術的におかしな方向という意味ではなく、
「名作4343を現代に甦らせる」というタイトルからそれてしまった、という意味でのおかしな方向である。

結局「名作4343を現代に甦らせる」は、
「名作4343の使用ユニットを現代に甦らせる」とタイトルを変えるべき内容であり、
4343という1970年代のスピーカーシステムを、
21世紀のスピーカーシステムとしてリファインする内容ではなかった。

この「名作4343を現代に甦らせる」に欠けていた、
しかし最も大事にしなければならなかったことは、
4343というスピーカーシステムを4343と存在させ、認識させている要素・要因はなんなのかを、
しっかりと見極めたうえで、
変えてもいい箇所、絶対に変えてはいけない箇所をはっきりとさせたものでなくてはならないはずだ。

なのに変えてはいけないところまで無残にも変えてしまった。
だからこの記事は「名作4343の使用ユニットを現代に甦らせる」とすべき内容である。
このタイトルでだったら、こんなことを書かなくてもすむ。

ここの項のタイトルには「妄想組合せ」とはつけてはいても、こんな過ちは犯したくない。

Date: 6月 12th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その19)

BBCモニター系列のスピーカーシステムが、LS5/1から採用してきた、
ウーファーの開口部を矩形にすることを、ストロットと呼ぶ。

LSナンバーをもつBBCの正式モニターでは、このストロットを採用したのはLS5/8が最後だが、
1981年にスペンドールから登場したSAIIIにもストロットは採用されている。
さらに日本のオーディオクラフトが、LS5/8の原型となったチャートウェルのPM450Eを設計し、
ポリプロピレンのコーン型スピーカーに関する特許をもつステビング氏を招いて、
スピーカーシステムの開発を行なっていた。
1982年ごろのことだ。ステレオサウンド 65号のオーディオクラフトの広告で、そのことが触れられているし、
この年のオーディオフェアでも試作品が展示されていた。

型番はAP320で、ロジャースのPM510とほぼ同じ構成で、30cm口径のポリプロピレン・コーン型ウーファー、
ソフトドーム型トゥイーターの2ウェイ構成。
PM510との相違点はトゥイーターが片チャンネルあたり2発使われている。
といってもLS5/1的な使い方ではなくて、フロントバッフルを見る限りは通常の2ウェイ・システムだが、
表から見えるトゥイーターの後ろ側にもう1発のトゥイーターがあり、
表側のトゥイーターの周囲にいくつも開けられている小孔から、そのトゥイーターからの音が放射されるもの。

製品化を待っていたスピーカーシステムだったが、登場することはなかった。
このAP320も、ウーファーの開口部はストロットである。

LS5/1のときは矩形だったストロットは、LS5/8のときには四隅を斜めにカットした形状に変更されている。

この項の(その12)に書いたAmazonのA.M.T. Oneは、
BBCモニターのようにフロントバッフルの裏側からウーファーを取り付けるのではなく、
表側からとりつけ、エンクロージュアの両端にサブバッフルを用意することで、ウーファーの左右を覆っている。
これもAmazon流のストロットといえる。
しかもエンクロージュアの横幅は、これもBBCモニターと同じようにぎりぎりまで狭めている。

Amazonのサイトでは日本の取扱いはスキャンテックになっているが、
スキャンテックのサイトには、取扱いブランドにAmazonはない。
いま日本には輸入代理店がない状態のようだが、A.M.T. Oneは興味をそそるスピーカーシステムだ。

Date: 6月 11th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十六 K+Hのこと)

累積スペクトラムを、私はスピーカーシステムの残響特性と捉えている。
いうまでもなく、そのスピーカーシステムを設置して鳴らす実際の部屋にも、
それぞれの部屋固有の、千差万別の残響特性がある。

残響特性が、スピーカーシステムにも、部屋にも存在しているために、互いに影響しあい、
部屋が変れば同じスピーカーシステムがまったく別物のように響くことだってある。

オーディオ・コンポーネントの間にも、相性はある。
それは使いこなしでどうにかある領域もあれば、やはりそれぞれの機器同士の相性は、
これからどんなにオーディオ機器が進歩していったとしても、
スピーカーの発音原理がいまのままである以上、スピーカーとアンプとのあいだには相性は残り続ける。

そういう相性とすこし性格の異るところで、部屋とスピーカーシステムの相性がある。
スピーカーシステム選びの難しさの要因のひとつが、ここにある、ともいえる。

極端な話、無響室で聴くのであれば、無響室とスピーカーシステムとの相性は存在しない。
だが、そんなところで音楽を聴くわけではない。
恵まれた環境であったとしても、部屋の広さは有限であり、有限である以上残響が生じる。

残響はその部屋の固有音であり、
累積スペクトラムで表示される音が鳴り止んだときのスピーカーシステムの固有音があり、
このふたつがどういうふうに干渉しているのか、くわしく知りたいところでもある。

置き場所を変えてみる、向きをこまかく調整していく──、そういったスピーカーシステムの調整とは、
スピーカーシステムの残響特性と部屋との残響特性との折り合えるポイントを見つけていくことでもある気がする。

相性のいい部屋とスピーカーシステムであればそれほど苦労しなくてもすむことを、
相性の悪い部屋とスピーカーシステムであれば、たいへんな苦労となっていく。

でも、どちらかがほぼ理想的な残響特性をもっている(実現できている)としたら、
この部屋とスピーカーのシステムの相性の問題は、ずっと軽減されるはずだ。

Date: 6月 11th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十五 K+Hのこと)

アナログ技術だけだった時代のオーディオよりも、
デジタル技術をとりいれることによってオーディオは、
ハードウェアとソフトウェアの融合が一歩も二歩も先に進んだ、
そしてK+HのO500Cは、その成功例のひとつだ、と私は思っている。

技術は進歩していても、2000年の時点で、O500Cがあれだけの特性を実現できたのは、
ハードウェアの進歩だけではなくて、
スピーカーのコントロール/マネージメントというソフトウェアがあってこそもののはずだ。

今日現在、O500Cの後継機種の情報はなにもない。それでも必ず出てくるはずだと思っている。
なぜかといえば、O500Cが、1976年に登場したO92からつづくFollow-up modelであるからだ。
しかもO500Cはフラッグシップモデルでもある。
そしてハードウェアとソフトウェアが、もっとも緊密に融合したスピーカーシステムでもあるからだ。
このO500Cが、このまま消えてしまうのは、なんとももったいないことであり、大きな損失ではないだろうか。

O500Cは実物を見たこともないから音も聴いたわけではない。
それでもひとついえることは、従来のスピーカーシステムよりも部屋の影響を受けにくい、
部屋との相性をそれほど問題にしなくてもすむスピーカーシステムだと予想する。

それはO500Cのインパルスレスポンスと累積スペクトラムの特性の見事な優秀さ、からである。

Date: 6月 10th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その71)

Kingdomと同じ18インチ口径のウーファーの4ウェイ・システムにJBLの4345があるが、
Kingdomは規模としては、4345というよりも4350に相当する、といってもいい。

4350の外形寸法はW1210×H890×D510mmで、重量は110kg。
横置きスタイルの4350を縦置きにしてみてならべてみると、横幅(4350の高さ)が狭いだけで、
あとはKingdomのほうが大きいから、その大きさがより実感できると思う。

ミッドバスを受け持つユニットの口径は12インチで、4350もKingdomも同じ。
低域は4350は15インチ口径が2発、Kingdomは18インチ口径が1発だから、
振動板の面積は4350のほうが大きいが、振動体積という点からみれば、
15インチ2発と18インチ1発は、ほぼ同じくらいのはずだ。

4350はJBL初の4ウェイ・システムであり、Kingdomはタンノイ初の4ウェイ・システムであり、
システムの規模のほぼ同じといえる。

JBLは4350の1年後に4341(4340)を発表している。
タンノイもKingdomの翌年に、Kingdom 15を出している。

この4341(4343といっていい)とKingdom 15が、
4350とKingdomと同じように、対比できる、ほぼ同じ規模のスピーカーシステムとなっている。

4343は15インチ口径のウーファー、10インチ口径のミッドバス、
Kingdom 15は型番が示すようにウーファーが15インチになり、同軸型ユニットは10インチと、
Kingdomよりもひとまわりちいさくまとめられている。

このウーファーとミッドバスの口径比は偶然なのだろうか、と思えてくる。

Date: 6月 10th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その4)

フィリップス・インターナショナルの副社長の話は、レコード会社だけにとどまらず、
出版社に対しても、まったく同じことがあてはまる。

出版社は何を売る会社なのか。本を売る会社ではない。
広義での情報を売る会社であり、
それがこれまでは紙に印刷されてそれがまとめられて「本」という形態をとっていただけ、ともいえる。

いま音楽はCDの売れゆきが落ち、インターネットを通じたダウンロード環境が構築されはじめている。
本は、昨年iPadが登場し電子書籍元年ともいわれ、紙の本とは違う形態での、
何度目かの提供が、今回は大々的に模索されはじめている。

これからさきどういう展開を見せていくのかははっきりとしたことはいえないけれど、
この方向を成功させていくために必要なことは、「編集」を根本的に考え直し捉え直すことであることは、
はっきりといえる。

紙の本では、ときとして編集作業は、紙の本をつくるための作業になっていたところもある。
そのままで電子書籍を編集しようとしても、紙の本の代用品ではないのだから、うまくいくはずはない。

Date: 6月 9th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その50)

線の細い音が好きなんだ、と思いながらも、ロジャースのPM510の音を聴いたときには、まいった。
「欲しい!!」と強く思っていた。
その強さは、はじめて4343を聴いたときに感じた「欲しい」よりも、ずっと強いものだった。

PM510は図太い音では決してないけれど、だからといって線の細い音、
マークレビンソンのLNP2に通じるような線の細さを持っているかといえば、そうとはいえない。

スペンドールのBCIIも聴いた時にも「欲しい」と思っていたけれど、
PM510のときは、BCIIのときよりも強い。
線の細さでえいば、BCIIのほうが細いといえるのに。

このとき(1981年)は、PM510にこれほど惹かれているのは、PM510の音色であって、
それはつまりBBCモニター系列のスピーカーシステムに共通して流れているもので、
開発の時代は違えどもBCIIにもそれはもちろんあり、PM510を「欲しい!!」と思わせたのは、
この音色の魅力のはず、と思っていたし、その後もしばらくそう思いつづけていた。

PM510を「欲しい!!」思ったのは、実は音色ではなく、他に理由があったことに気づくのは、
PM510を手離して、シーメンスのコアキシャルにして、セレッションにSLを使い、QUADのESLと続いて、
その後にやっと気がつく。

そのことに気づいたからこそ、今年の1月1日に書いた「BBCモニター考(特別編)」──、
瀬川先生のロジャースPM510についての「メモ」にある「欲しい!!」がどういうことなのか、が、
私なりにではあるけれど、わかってくる。

Date: 6月 8th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その3)

「聴こえるものの彼方へ」には「音楽の値段」という文章がある。

オーディオを通して聴く「音楽の値段」は、レコードの値段ということになる。
ずっと以前はSPの値段、それからLPの値段になり、1980年代からは、それはCDの値段ということになる。

レコードの値段=「音楽の値段」とすると、ふしぎなことに誰もが気がつく。
レコード1枚の値段は昔も今も、LP時代もCD時代も、そう大きくは変動していない。
さらにぽっと出の新人のレコードの値段も、大ベテランのレコードも値段も同じであり、
ピアニストが一人で録音したレコードの値段も、
オーケストラと歌手と合唱団を必要とするオペラのレコードも値段は同じ。
レコード1枚の収録時間も長短あるけれど、これも同じだ。
音楽のジャンルに関係なく、レコード1枚の値段は、基本的には同じである。

つまりこれは、そのレコードに収められている音楽の値段ではなく、
レコードというパッケージメディアの値段でしかない。

収録にかかる費用は、音楽のジャンルや演奏家のキャリア、それに音楽の規模などによって大きく異るが、
それがレコードの値段には反映されない。

反映されているのは、LPなりCDを作る費用である。
となると、レコードの値段を「音楽の値段」とイコールにできない。

Date: 6月 8th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その49)

このころ、いい音と感じていたのは、スピーカーシステムでいえばスペンドールのBCII、
JBLの4341、4343、KEFの105に104、
カートリッジだとEMTのTSD15、ピカリングのXUV/4500Q、
エレクトロ・アクースティック(エラック)のSTS455E。
アンプでは、マークレビンソンのLNP2、DBシステムズのDB1、スレッショルドの800Aといった機種が、
聴くことのできた数はけっして多くなく、地方で聴けるもの、という条件の中ではあったけれど、
これらのモノが、すぐに頭に浮ぶ。

大半が音の描写線・輪郭線の細いものであって、図太い線のものはなかった。
このことと、読んでいて共感できる瀬川先生の文章とが相俟って、
線の細い音を好むんだなぁ、と感じはじめていた。

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」が出たころ、私が住んでいたところにも、本格的なオーディオ店ができた。
それでもバスに乗って1時間ちょっとかかるところではあったけれど、
ステレオサウンドでしかみかけない、海外のアンプやスピーカーシステムを置く店ができ、
ここに瀬川先生が定期的にこられていた。
だからよけいに「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の巻頭の鼎談記事はうなずきながら読んでいた。

私が求めている音は、瀬川先生よりの音であって、
井上先生や黒田先生が高く評価されているピラミッドのT1的な世界ではない、と思っていた、
というよりも、思うようにしていた、といったほうが、いまからみると、より正確かもしれない。

それに、こまやか、こまやかさ、は細やか、細やかさとステレオサウンドだけでなく、
ほんとんどのオーディオ雑誌では使われていたことも、関係してくる。

Date: 6月 7th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その48)

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談で、井上先生は、
JBLの2405の音を、トランジスターアンプの音に、
ピラミッドT1の音を、管球アンプの音にも喩えられている。

2405は景色を切り張り風に見せるために、奥行はあるけれども、それは平面の展開になってしまう。
T1は立体のまま音像を空間に置いたという感じで、奥行に厚みが出る。

ここで言われている井上先生のトランジスターアンプと管球アンプの喩えは、
あくまでも1978年当時のことだということは、忘れないでいただきたい。

2405はトランジスターアンプのように、くっりきと音像が定位する、のに対して、
T1は管球アンプの特長のように立体感の音像が定位すること、については、
実は瀬川先生もそのとおりだと認めながらも、
2405は切り張りであるがゆえに輪郭がとてもはっきりしてくる、
それはごまかされていると知りながらも、縁の線がキチンとカミソリで切ったようにピリッとしていたほうが、
つまりT1の自然な立体感よりも、おもしろいから、2405をとりたい、と言われている。

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談を、1978年当時,私は瀬川先生側から読んでいた。
このころはGASのアンプの音よりもマークレビンソンのアンプの音に、魅力を感じていた。
それは音だけでなく、アンプそのものの魅力として、GASよりもマークレビンソンが、私のなかでは上にあった。

図太い音はもちろん論外だが、自然な立体感の音よりも、平面的であっても切り張りの音の面白さに惹かれていた。
そして、それが求めている音だ、とも思っていた。