Archive for category テーマ

Date: 4月 19th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その1)

ソニーのスピーカーシステムSS-G7の登場と、私がオーディオに関心をもち始めたころとは近い。
それまでのソニーのスピーカーシステムとはまったく印象の異った、
堂々とした感じさえ受ける外観のSS-G7を見て、欲しいと思ったことは一度もないけれど、
不思議と印象に残り続けているスピーカーシステムである。

自分のモノにしたいという気持はいまも持っていないが、
でも機会があれば、いい状態のSS-G7を聴いてみたい、ではなく、
自分の手で鳴らしてみたい、とはおもっている。

ソニーのスピーカーシステムで、そんなふうにおもうのは、
私の場合、SS-G7の他はAPM8だけである。

そんなふうにおもい続けているのは、
当時のソニーの広告もいくらかは影響している、と思う。

その広告とは中島平太郎氏が、木製の椅子に腰かけている。
スタジオでの撮影だから背景には何もない。
手にはティーカップ。
中島氏は、すこし斜め下をみている。
ティーカップをみているわけではない。
視線の先にあるのは、一台のSS-G7。

この写真が見開きで載っていた。

いままでいくつものソニーのオーディオ機器の広告をみてきているけれど、
この広告ほど印象に残っているものはない。

Date: 4月 18th, 2013
Cate: 型番

型番について(その5)

オーディオ機器の大半の型番はアルファベットと数字の組合せであり、
アルファベットに関しては何かの略(頭文字をとったもの)であることが多い。

だから昔から型番のアルファベットの部分については、あれこれ想像していた。
たいては、これだな、と思える理由が見つかるのだが、
長いことわからなかった型番(アルファベット)もある。

そのひとつがセレッションのUL6という小型のスピーカーシステムである。

UL6が登場するまでのセレッション・スピーカーのラインナップはDittonシリーズだった。
トールボーイのフロアー型Ditton66を筆頭に、いくつかのモデルが存在し、
セレッションらしい音を響かせていた。

そこにUL6が登場する。
この当時、ULとつくセレッションのスピーカーシステムはこれだけだった。
ということは、Dittonシリーズとはあきらかに目指す音の方向性が異ることを表している、とみるべきだろう。

UL6はずっと以前に一度だけ聴く機会があった。
Dittonシリーズとの直接の比較試聴ではなかったけれど、
このスピーカーにセレッションがUL6という型番を与えたことがわかるくらいに、
Dittonとは違う、新しさのあるセレッションの音だった。

それにしてもUL6の「UL」とはどういう意味があるのか、頭文字としたら、いったいなんなのだろうか。
最初は、LはloudspeakerのLかと思った。
だとするとUはなんなのか。
これが思い浮ばなかった。
これが中学生のときだった。

それからいろいろ勉強して、真空管アンプのことも勉強して、
ここにもULという略語が登場することを知った。
ultra linearの頭文字である。
この時、UL6とUltra Linear 6なのか、と思ったものの、確証はなかった。

けれど、やはりUltra Linear 6だったことが、つい最近わかった。
となるとUL6同様、新しいセレッションの音の代表となった、
UL6の数年後に登場したSL6の型番の意味は、なんなのだろうか。

Date: 4月 17th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その8)

なぜ天馬博士はトビオ(アトム)に、7つの力を与えたのだろうか──、
を考える前に、天馬博士にとってトビオは、いったいどういう存在なのかについて、もう一度考えてみたい。

トビオは、実の息子の飛雄の代りとして──生れ変り、とも言い換えられるだろう──、つくられた。
トビオは精巧につくられたロボットであり、その外観は飛雄そっくりであることは、
トビオ(アトム)は飛雄の記憶である、と考えられるのではないだろうか。

つまり天馬博士は交通事故で死ぬ直前の飛雄を、
それまでの飛雄をトビオに求めていた、とすれば、トビオはそれまでの記憶でしかない、ともいえる。

トビオが成長しないのはロボットだから、が、もちろん最大の理由なのだが、
実は記録だからこそ成長しない、ともいえよう。

天馬博士には飛雄の記憶は、そこまでしかないのだから……。

Date: 4月 17th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その5)

位相反転にオートバランス回路を採用しているのは、
伊藤先生による349Aプッシュプルアンプもそうである(つまりウェストレックスのA10、A11も、である)。

伊藤先生の349AではここにE82CC(A11では6SN7)を使われている。
E82CC、6SN7、どちらも三極管である。
QUAD IIにはEF86、五極管で、回路を比較していくと、
単に三極管と五極管の違いだけとはいえない違いがあるのに気がつく。

2本のEF86のスクリーングリッドがコンデンサー(0.1μF)で結ばれている。
いうまでもなく三極管にはスクリーングリッドはないわけで、
伊藤先生の349Aアンプには、この0.1μFに相当するコンデンサーは存在しない。

オートバランスの位相反転回路の動作からいって、このコンデンサーの必要性はない。
にもかかわらずQUAD IIには使われている。

オートバランスという位相反転回路は、プッシュプル回路の上下(+側と−側)において、
信号が通る真空管の段数に違いが生じる。

通常回路図は左端が入力で横方向に信号が流れるように描かれることが多い。
プッシュプル回路の場合、上下に真空管が配置されることになる。
それで上の球、下の球という表現がなされるわけで、
ここでも上の球、下の球という表現を使って説明していく。

QUAD IIでは入力信号はまず上側のEF86で増幅される。
この出力は上側のKT66に接続される一方で、抵抗ネットワークによって分割・減衰された信号が、
下側のEF86に入力される。
つまり上側のEF86での増幅された分を抵抗ネットワークで減衰させ、
上側のEF86に入力された信号レベルと同じにするわけだ。

下側のEF86で増幅された信号は下側のKT66へと行く。
つまり上側のKT66にいく信号はEF86を一段のみ通っているのに対し、
下側のKT66への信号はEF86を二段(プラス抵抗)を通っていることになる。

Date: 4月 17th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その1)

私がステレオサウンド編集部で働いていたのは1982年1月から1988年12月末までのまる7年。
1980年代のほとんどをステレオサウンドという場所で過ごしてきたわけで、
この1980年代のオーディオには、1982年のCDの登場というひじょうに大きな出来事があり、
その他にも1980年代ならでは、とはいえることがいくつかある。

そのひとつとして、ここでふり返ってみておくべきことだと思うのは、
国産メーカーによる59800円(1本の価格)のスピーカーシステムの流行である。

価格が59800円だったため、598(ゴッキュパッ)のスピーカー、とか、
もっと略して598(ゴッキュッパッ)とも呼ばれていた。

この598の流行の最初は、オンキョーだといわれている。
3ウェイのブックシェルフ型。
こう書いてしまうと、これといった特徴のない製品のように思われるかもしれないが、
1980年代、598のスピーカーシステムにかける、各メーカーの力の入れ方は凄まじい、といってもいいほどだった。

オンキョーの3ウェイ・ブックシェルフ型が売れた。
かなりのヒット作になったようで、それに続けとばかりに、国産他社からもいわゆる力作が登場しはじめ、
もっとも激戦の価格帯となっていく。

598のスピーカーシステムは、そのほとんどがブックシェルフ型、
しかも3ウェイで、トゥイーターはハードドーム型、スコーカーはハードドーム型もしくはコーン型だった。

エンクロージュアの外見寸法もほぼ同じで、再度はRのちいさなラウンドバッフル、
仕上げも黒が圧倒的に多かった。

遠目でみれば、どこのスピーカーなのかわからない、という厳しいことをいわれる方もいた。

そして、重かった。
598の新製品が出る度に、重くなっていった。
試聴のためにセッティングするわけだが、
重さだけは、1本59800円のスピーカーシステムとは思えぬほどだった。

Date: 4月 15th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その8)

カルロス・クライバーの放送のあった数日後、
長島先生が何かの用で編集部に来られた。
話題は、クライバーの放送のことが真っ先に出た。

長島先生も、その日、スピーカーの前で放送が始まるのを楽しみにされていたそうだ。
レコードになっていない、テープにもなっていない、
それでも聴きたいと思う演奏がFMで放送されるのならば、
その日その時間にスピーカーの前で待つ。
これはどんな人も同じ。長島先生もそうだった、私もそうだった。
これをお読みの方のなかにも、その日そうだった人がきっとおられるはず。

長島先生のことだから、きっとレコードで音楽を聴かれる時のように真剣に聴こうとされたはず。
一回目の放送では、開始早々トラブル発生でほとんど満足に聴けなかったわけだが、
長島先生は二回目の放送を、一回目の放送のときと同じようにスピーカーの前で待たれていたはず。

私は、都合がつかず二回目の放送は聴けずじまいだった。

すこし記憶が曖昧なところがあるけれど、たぶんこのころだったはすだが、
カウンターポイントがチューナーを開発したい、という話があって、
長島先生がそれに強い関心を示されていたことがあった。

カウンターポイントのマイケル・エリオットの構想では、
受信部(高周波回路)に関しては半導体で構成し、
低周波の回路は真空管で、というものだった。

このころ長島先生はルボックスのチューナーFM-A76を使われていた。

Date: 4月 15th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その4)

QUADの真空管アンプの回路のユニークさについての解説は、
ステレオサウンド別冊「往年の真空管アンプ大研究」に掲載されている石井伸一郎、上杉佳郎、是枝重治、三氏による
「QUADII+22の回路の先見性・魅力の源泉を探る」をお読みいただきたい。
(すでに絶版になっているが現在は電子書籍で入手できる)

これまでQUADの真空管アンプの回路について解説は、いくつか読んだことがある。
それでもはっきりとしないことがいくつもあって、それらがほとんどはっきりしたのが、この本のこの記事である。

QUADの真空管アンプの回路のユニークさについてこまかく解説していこうとすると、
それだけでけっこうな文量になるし、その多くを「往年の真空管アンプ大研究」から引用することになる。
なのでQAUDのアンプの詳細について知りたい方は「往年の真空管アンプ大研究」を参考にしてほしい。

「往年の真空管アンプ大研究」のQUADを記事を読んで、改めて思ったのは、
ピーター・ウォーカー氏は、五極管を使いこなしに長けていた人ともいえることだ。

コントロールアンプの22のフォノイコライザーは五極管EF86を1本だけで構成している。
しかも長年22のフォノイコライザーに関しては、CR型なのかNF型なのか、議論されてきていた。
それでも納得のいく答を出せていた人はいなかった(少なくとも私が読んだ記事の範囲においては)。

フォノイコライザーを真空管1本だけ(1段)だけで構成するのは、
三極管では増幅率が低く、まず無理であり、五極管を使うしかない。
三極管の2段構成すればもちろん可能になるわけだが、ピーター・ウォーカーはあえてそうしていない。

パワーアンプのQUAD IIもそう。
QUAD IIには三極管は使われていない(22はラインアンプはECC83の2段構成)。
初段は22のフォノイコライザーと同じEF86を2本使い、
基本的にはオートバランス型と呼ばれる位相反転回路となっている。

けれど、ここが22のフォノイコライザー同様、迷路的な回路となっていて、
なかなかその正体(動作)が把握しにくくなっている。

Date: 4月 14th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その7)

アトムは、天馬博士が交通事故でなくなった飛雄のかわりとして、
姿形までそっくりに、いわば飛雄を甦らせそうとしてつくったものである。

つまりアトムは飛雄に対して、非常にハイフィデリティ(高忠実度)なロボットしてつくられたとみれると思う。
飛雄が、オーディオでいえば生の音(原音)ということになり、アトムが再生音にあたる。

アトムを天馬博士は最初トビオと呼んでいた。
けれどトビオは成長しない。
トビオ(アトム)はロボットだから成長しない、
改良を加えない限り、最初の状態のままである。

でも実際にはアトムの内面は成長していっている。
だからアトムが成長できなかったのは、飛雄そっくりにつくられた姿形ということになる。

天馬博士がトビオの身長を測るシーンがあった、と記憶している。
何度測っても、トビオの身長は1mmたりとも変化しない。

理由はこれだけではないが、天馬博士はトビオをサーカスに売り払う。
トビオは飛雄の代りにはならなかった。
すくなくとも天馬博士にとってはそうだったことになる。

不思議なのは天馬博士は飛雄そっくりの、
飛雄の記憶をもって、飛雄として成長していけるものとしてのトビオをつくったのだろうが、
トビオ(アトム)には、飛雄にはない能力が、科学の粋を結集して授けられている。

Date: 4月 14th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その3)

QUADの50Eの増幅部の回路構成は、
P-K分割の位相反転回路をもつ真空管のプッシュプルアンプの増幅素子をトランジスターに置き換えたもの、
ということで説明できるわけだが、
このことをQUADのアンプの変遷のなかでみていくと、
そこには創立者であるピーター・ウォーカーのしたたかさと柔軟さ、とでもいうべきなのか、
そういう面が浮び上ってくる。

QUADは1948年に最初のアンプQA12/P(インテグレーテッドアンプ)を出している。
KT66のプッシュプルアンプということ、それにモノクロの写真以外の資料はなく、
どんな回路構成だったのか、以前は不明だったのだが、
いまは便利なものでGoogleで検索すれば、QA12/Pの回路図は簡単に見つけ出せる。

その後1950年にQUAD Iを、1953年に今でも良く知られているQUAD IIを発表している。

この3つのアンプの回路図を比較すると、すでにQUAD IIに至る出発点としてQA12/Pが生れていたことがわかる。
なので、これからはQUADの真空管アンプ=QUAD IIとして話を進めていく。

50Eは真空管アンプのプッシュプル回路と基本的には同じである──、
実際にそうなのだが、だからといってQUAD IIの回路と同じかというと、まったく違う回路である。

真空管時代のQUADのアンプは、コントロールアンプの22にしても、パワーアンプのQUAD IIにしても、
細部をみていけばいくほど、「?」が浮んでくる、そういう回路構成となっている。

Date: 4月 14th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その2)

私がQUADの50Eの存在を知ったのは、ステレオサウンド 43号に載った記事である。
「クラフツマンシップの粋」という連載記事で、鼎談形式により過去の銘器について、
その時点の視点から捉え直そうというもの。

43号ではQUADの管球式アンプがとりあげられていて、
最後のところでQUAD初のソリッドステートアンプの50Eについても語られている。

山中先生の発言をひろってみる。
     *
この50Eというアンプは、いままでのパワーアンプと違って(註:QUADのそれまでの管球式アンプのこと)、完全に最初からソリッドステートということを意識したスタイリングをもっているわけで、これも大変シンプルで、しかもプロ的なイメージの強い製品として興味深いんですが、音の点でも大変ユニークな製品だったと思うんです。いわゆるソリッドステートアンプということではなく、球のアンプのもつスムーズさというか……。これはピーター・ウォーカー氏によれば、現時点ではもう特性的に魅力がないんだということですが、実際に聴いてみると、303とはやはり全然違った魅力というのはありましたね。
     *
ピーター・ウォーカーの発言がいつのことなのかは、これだけでははっきりとしないが、
ステレオサウンド 43号は1977年3月に出ている。
すでにカレントダンピングという新しい回路を搭載した405は世に登場していた。

405の登場の時の発言なのか、それとも303の時点での発言なのか。
どちらにしても50Eが「特性的に魅力がない」ということは、そのまま言葉通りに受けとめていい、と思う。

けれど音の魅力としては、山中先生の発言にもあるように「魅力がない」とはいえない。

私は43号を読んだ時点では、50Eをそういうアンプとして受けとめていた。

50Eは1965年ごろに発表されている。
もう50年近く経っている。
ステレオサウンド 43号の1977年は50Eが発表されて約10年、
製造中止になってそれほど経っていないころだ。

この間、アンプだけをみてもずいぶんと変遷があり、
あのころの50Eをみていた眼といま50Eをみている眼は、私個人に関してもずいぶんと変化してきている。

あらためて50Eの回路図を眺めていると、どこか新鮮さにつながるものを感じている。

Date: 4月 14th, 2013
Cate: 電源

電源に関する疑問(その28)

伊藤先生の349Aプッシュプルアンプは、ウェストレックスのA10がベースになっている。
A10はいうまでもなく映画館で使われるアンプであり、
そこではセリフのとおりがもっとも重要視される。

もしA10で鳴らしたときに低音がボンつくことがあったら、
セリフの明瞭度は著しく落ち、とおりも悪くなるだろう。
だからA10では、絶対にそういうことがないだけでなく、
むしろセリフの明瞭度ととおりが、他のアンプ(いいかえれば家庭用のアンプ)より優れていなければならない。

そういうアンプに、ウェストレックスの開発陣は出力管に350Bを使い、
出力トランスの2次側からのNFBをかけることをとっていない。
かわりにチョークインプットと1kΩの抵抗の直列挿入を行っている。

つまり、このことはA10の出力段はAクラス動作であることを表してもいる。
A10の出力段、伊藤先生の349Aアンプの出力段がBクラスもしくはABクラスであったなら、
1kΩという値の抵抗を直列にいれることは無理となる。

抵抗の中を電流が通れば、電流×抵抗値の分だけ電圧降下が起る。
出力段の電流変動の大きいBクラス、ABクラスだと大出力時、電流が多く流ることで電圧降下が大きくなり、
結果出力管のプレートにかかる電圧が大きく低下することになってしまう。

電流変動がごくわずかであればこそ、電源回路に1kΩという抵抗を挿入することができる。

ウェストレックスのA10は一見すると無駄の多い回路のようにもうけとれる。
チョークインプットと1kΩの抵抗で、電圧のロスはかなり大きい。
抵抗が発する熱もかなり大きい。
そして三極管より効率の高い多極管をあえてAクラスで使い、出力はアンプ全体の規模からすれば小さい。

こういうアンプを、あえてウェストレックスの開発陣がつくったということは、
セリフの明瞭度ととおりを重視してのことなのかもしれない。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: 50E, QUAD, 電源

電源に関する疑問(QUAD 50E・その1)

この項の(その2)にこう書いている

真空管アンプには、いくつか採用例があったチョークインプット方式だが、
トランジスターアンプになってからは、1987年に登場したチェロのパフォーマンスまで採用例はなかった(はず)。

今日、ある方から、このことで指摘を受けた。
QUAD最初のソリッドステートアンプ50Eも、チョークインプットだ、と。

回路図を見ると、たしかにチョークインプットである。
となると、ほぼまちがいなくトランジスターアンプで最初にチョークインプットを採用したのは50Eだろう。

50Eの増幅部の回路構成は、真空管アンプのプッシュプル回路の増幅素子をそのままトランジスターに置き換えた、
そういえる回路構成である。

そのため、一般的なトランジスターアンプ(シングルエンテッドプッシュプル型)にはない位相反転回路がある。
真空管アンプのP-K分割ならぬ、トランジスターだけにC-E分割回路である。
50Eは出力トランスも搭載している。

こういう回路構成のアンプ、当時いくつかのメーカーで試作品的なものはつくられたそうだが、
実際に製品化されたのはQUADの50Eだけ、らしい。

実は増幅部の回路構成については回路図を以前みたときから知っていた。
でも、そのときは電源部にまで注意がいかなかった。

増幅部の回路構成が真空管アンプそのものであるなら、
電源部もそうである、と、なぜか当時は思わなかった。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その7)

1980年にはいったころからか、
「FM放送がライヴ中継をやらなくなりはじめた」という声を耳にしたり目にしたリした。

これがどのくらい正確に当時の状況を語っているのかは、
国会図書館にでも行き、1970年代、1980年代のFM誌に掲載されていた番組表を照らし合せてみるしかない。
でも、そこまでやろうとは思わない。

FMにもそれほど関心があったわけでもない私の、なんとなくの印象ではそうかなしれない、ぐらいである。
ライヴ中継は減っていたかもしれない。
けれど五味先生の影響をつよく受けている私にとって、
FMでの大きな意味をもつ放送といえば、バイロイト音楽祭ということになる。

これはライヴ中継ではなく、毎年録音による放送で12月だった。
これはずっと続いていたし、
来日した演奏家の演奏会のいくつかは録音による放送があった。

ステレオサウンドにはいったばかりのころ、シルヴィア・シャシュをよく聴いていた。
菅野先生も試聴レコードに、ある時期、よく使われていた。

ある日、NHK-FMでシルヴィア・シャシュの演奏会の放送があった。
ライヴ中継ではなかった、と記憶している。
それでも嬉しくて、
ステレオサウンドの試聴室にあったケンウッドのL02Tとナカミチの700ZXL(だったと思う)で録音した。

少しでも鮮度の高い音で、ということで L02Tの出力はコントロールアンプを通さず、
直接7000ZXLのライン入力に接いだ。

1986年、カルロス・クライバーがバイエルン国立歌劇場管弦楽団と来日した時、
やはりNHK-FMが放送した。これも録音による放送だった。

たしか放送された日の演奏は会場にいて聴いていた。
それでももう一度聴けるとなると、嬉しい。
そのときチューナーはすでに持っていなかったから、知人にところに聴きに行ったこともある。

その彼もチューナーは持っていなくて、
なかば無理矢理、その日チューナーを買わせてしまった。
「何がいいですか」ときかれたので、トリオのKT3030を薦めた。
そして、ふたりしてスピーカーの前で、放送が始まるのを待っていた。

けれどクライバーの演奏が始まり、すぐに一瞬モノーラルになり、
その後放送が中断してしまった。NHK側のトラブルで後日再放送ということになった。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その6)

私がチューナーはほとんど関心をもっていなかったことはすでに書いている。
それがいまごろになって、チューナーのデザインに強い関心をもちはじめて、
記憶を辿っているのだが、メーカーもチューナーに力をいれていた時期は短かったように思う。

日本でのFM多局化は1980年代後半以降なのだが、
この時期以降、チューナーで意欲的な製品が登場していただろうか。

いまでもチューナーの銘器として、中古市場でも人気をもつマランツの10Bは1963年に登場している。
10Bの設計者のセクエラが自らの名を冠したセクエラ・Model 1を発表したのは、1970代中頃か。

日本には高級チューナーがいくつか存在していた。
パイオニアのExclusive F3、ヤマハのCT7000、オーレックスST720、アキュフェーズのチューナー、
サンスイのTU-X1、ケンウッドのL01Tなどあった。
これらは1970年代のモノばかりである。

これらのなかで、その後もチューナーの開発を継続していたのはアキュフェーズだけではないだろうか。
トリオからはケンウッド・ブランドでL01Tを超えるL02Tが1982年に出ている。
けれどその後に登場したL03Tは、L02Tのような性格のチューナーではなくなっていた。
パイオニアにしてもアンプに関してはその後もExclusiveシリーズをC5、M5、C7、M7と開発していったけれど、
チューナーのF5、F7は存在しない。

メーカーはチューナーの新製品は出していた。
けれど1970年代のチューナーを超えようとする意欲的な製品では決してなかった。
少なくとも私はそう感じている。

何度も書くが私はチューナーに関心・興味がほとんど持てなかった。
けれどメーカーも、オーディオがブームのころは積極的にチューナーを開発していても、
いつしかメーカー側も「チューナーはこのくれらいで充分」というふうに流れていってしまった──、
私にはよけいにそうみえてしまう。

Date: 4月 12th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その6)

再生音とは……、ということについてあれこれ考えていると、
アトムのことが頭に浮ぶ。

アトム──、
鉄腕アトムのことだ。

マンガは幼いころから読んできた。
とくに手塚治虫のマンガは集中的に、意識して読むようにしてきた。
私にとっては「昭和が終った……」と実感したのは、手塚治虫の死だった。

ブラック・ジャックが、私にとって最初のヒーローだった。
ブラック・ジャックのような大人になりたい、と思っていた。
何も医者になりたいわけではなかったけれど、
どんな職業につくにしろ、ブラック・ジャックのように生きてきたい──、
そんなことを夢想していた。

このことを書いていくと、別の話になっていくのでこのへんにしておいて、
アトムに話を戻せば、アトムはいわゆる人型のロボットである。

天馬博士が事故でなくなった息子・飛雄(トビオ)の替りとして、似せられてつくられたロボットであるから、
人型、それも少年としてのロボットである。

鉄腕アトムだけでなく、手塚治虫のマンガの中には、さざまなロボットが登場する。
アトムのような人型のロボットもいれば、ある機能に特化した形態のロボットも登場する。

それら数多くのロボットの中で、アトムは突出して優れたロボットと位置づけられる。