Archive for category テーマ

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(続・音を鳴らさないゆえの楽しさ)

昔、山中先生がいわれたことがある。

われわれが若いころは、とにかくいまのように情報がなかった、少なかった。
オーディオ雑誌に載る海外のオーディオ機器の写真にしても、
いまのようにカラー写真で細部まで見えるのとは違って、白黒で目の粗い、そんな写真だった。
でも、その写真を、文字通り穴が開くほどじっと見ていた。
ここはどうなっているんだろうかと、知識を総動員して見えない部分を想像で補ってきた。

こういった主旨のことだった。

いまはどんなことでも知りたいと思えば、たいていのことはインターネットで検索すればわかる。
画像も充分すぎるほどある場合もある。

山中先生が若いころのような粗い、低解像度の写真ではない。
(山中先生は1932年生れ)

その意味では恵まれている。
けれど、山中先生がいわれていたような接し方をしているとはいえない。

いまのほうが 情報量は豊かなのだから、そんなことはそもそも必要ではないし、
時代が違ってきているのに、一緒くたに考える方がおかしい、という反論もあるのはわかっている。

それでも私が若いころは、山中先生と同じようなことをやっていた。
(私は1963年生れ)
山中先生の若いころとくらべると、オーディオ雑誌の写真もずいぶんまともなになってきていたとはいえ、
いまのようにカラーページが多いわけではなく、
紙質もあまりよくなく、モノクロの写真は細部が不鮮明であることも少なくなかった。

だからとにかくじっと見つめていた。
インターネットもない。他に情報を得る手段がないわけだから、
とにかくそこにある写真を見つめるしかないのだ。

そして何度も同じ文章を読んできた。
そうやって想像力を鍛えていた、といえよう。

それにこれが大事なだが、想像力を鍛えてくれる文章が、
私が若かったころには、あったことだ。

話すよりも音を鳴らすだけでの方が楽な面もある。
面倒なこともある。

音を鳴らさないことにこだわるつもりはないし、
必要があって、条件が整えば音を出していく会もやりたい。

それでも音を出さずに、という会を続けていくのがあってもいいと思っているし、
音を鳴らさないのがいい、といってくれる人もいる。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(音を鳴らさないゆえの楽しさ)

インターネットが急速に普及して、オーディオの個人サイトが急激に増えたころ、
そういった個人サイトにある掲示板を利用したオフ会もまた急速に広まっていった印象がある。

あちこちの個人サイトに、今日は、どこどこに行って音を聴いてきた、とか、
誰々さんがお見えになって音を聴いてもらいました、とか、
そういったことが、意識して探さなくても目に入ってきていた。

それらの個人サイトがいまも存在しているかといえば、
細かくチェックしているわけではないので正確なことはいえないものの、
あのころとくらべるとずいぶん減ってきたように感じている。

とはいえオフ会そのものがまったく行われていないわけではない。
ただ第三者に目につく感じではなく、ひっそりと行われているだけのことかもしれない。

オーディオは音を出す趣味といえるところがある。
だからオフ会(つまりは人様の音を聴いたり人様に自分の音を聴いてもらう)が行われる。

言葉だけでは伝わりにくいこと、伝わらないことも、
そこに出かけて音を聴けば、すぐさま理解できることもある。

実際に音を出して聴く、ということは大きな楽しみではある。

なのに私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
もう四年目にはいっているけれど、音を出すことをいまのところ一度もやっていない。

音が聴けないから、そんな集まりに、どんな面白さ、楽しさがあるのか、と思われる。
でも、あえていえば音を出さないゆえの楽しさもある、といいたい。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その9)

ラックの天板・棚板の上でオーディオ機器を前後させて、
ある程度いいポイントを見つけるとともに、前後移動による音の変化の傾向をつかんだら、
今度は左右に動かしてみる。

この左右方向の移動でも音は変る。
特にアナログプレーヤーは左右移動の音の変化が大きい傾向にある。

左右方向に動かして、自分にとっていい音のポイントが、左に大きくずらしたところにあったとする。
だが前後方向の移動と違い、左右のどちらかに大きくずれていると、見た目のバランスがよくない。

なのでたいていは左右に関しては真ん中に置くことが、私の場合は多い。

それにしてもなぜオーディオ機器を移動することによって音が変化するのか。

どんなに分厚く振動しにくいといわれている材質の天板・棚板であっても、
振動を皆無にすることは不可能である。
どんなものでも振動している。

この振動が、上に置くオーディオ機器の脚の位置、荷重によって変化していく。
前に動かせば、脚の位置はとうぜん前寄りになるし、天板・棚板の前のほうに荷重がかかる。

四点の脚ならば四つのポイントで、三点支持ならば三つのポイントで、
機器の荷重を支えているともいえるし、天板・棚板を押えているともいえる。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その23)

コーネッタの組合せを考え書いてきた。
もう少し全体の価格を抑えたいという気持はあったけれど、
コーネッタをうまく鳴らしたいという気持が強くて、
組合せの価格としては、それほど抑えたものとはいえなくなってしまった。

とはいえ昨今の、おそろしく高価なオーディオ機器(中には理解不能な高価なモノもある)からすれば、
現実的な価格の範囲には収まっている。

このコーネッタを中心としたシステムであっても、
オーディオマニア以外の人からみれば、かなり高価なシステムであり、
価格を抑えたシステムとは映らないのもわかっている。

そういうシステムを、この「程々の音」とつけて書いているのは、
このシステムならば、グレードアップをはかろうという気にさせないのではないか──、
そんな気がするからでもある。

「五味オーディオ教室」を読んで始まった私のオーディオは、
エスカレートしていくばかりだった。
そのことを後悔しているわけではないけれど、
以前書いたように、母の希望でもあり、私もある時期目指していた教師になっていたら、
東京に出てくることもなかったし、家庭をもち、
ここで書いてきたコーネッタのシステムをつくりあげたら、
そのままレコードを聴くことを楽しんでいたのではないのか。

地方公務員の給料で、家族に迷惑・負担をかけることなく、
音楽を聴くことを楽しむのに、コーネッタのシステム以上のものは、どれだけ必要なのだろうか。

日本では「音は人なり」が時として、悪い方向で使われることがある。
程々の音で聴いているということは、程々の人である、
最上(極上)の音で聴いている私は、最上(極上)の人である──、
ここまであからさまに意識していなくとも、「音は人なり」のそういう解釈もまた存在している。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その9)

こんな人がいた。
「4343よりも4333がデザインがいい」

同意はできないけれど、これだけなら「あぁ、この人は4343よりも4333が好きなんだな」と理解できる。
デザインの良し悪しを好き嫌いだけで判断している人だと理解できる。

けれど、彼は続けてこういった。
「4343よりも4333の方が、いい音で鳴るからデザインがいいんだ」と。

彼がデザインについてあれこれいうのは、音がいいか悪いかでの判断であって、
音が悪ければ、どんなに優れたデザインであっても、それはひどいデザインということになる。

彼はいかにも自信をもって、そういった。
彼にとって、これは絶対に揺るがない正論であって、これ以外にデザインを評価することはできない。

彼の、この主張に納得したり同意する人がいるのか。

彼は「4343よりも4333の方が……」といった時点で、
彼自身がオーディオにおいて未熟であることを告白していることに気づいていない。
気づいていないからこそ、自分は正しいことをいっているんだ、からこその彼の虚勢である。

こういう人は少なからずいる。

不思議なのは、4343がいい音で鳴らない、といった時点で、
4343をうまく鳴らすことができなかった、と白状していることに気づいていない点である。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その20)

ステレオサウンド 3号には、もう一機種、
デザインについて考えていくうえで興味深いプリメインアンプが載っている。
パイオニアのSA81というアンプだ。

このSA81のデザインについての瀬川先生の評価はこうだ。
     *
どこかで見たようなデザインだと思ってよく考えたら、マランツのプリの左右をそのままひっくり返した形であった。パイオニアほどのメーカーが、いまどき何ということか。特に、他の機種がパイオニアとしてのオリジナルなカラーで統一してしかもそれが成功しているのに、これひとつだけ別物のような感じがする。
     *
瀬川先生が厳しく書かれているSA81のパネルは、
安っぽくしたマランツModel 7といいたくなる程度である。

瀬川先生でなくとも、SA81のデザインに関しては、厳しいことをいいたくなる。
ほんとうに、なぜパイオニアは、この時代に、こういうデザインのアンプを送り出したのだろうか。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その8)

数年前にステレオサウンドの連載記事として、4343を現代に甦らせる、というものがあった。
エンクロージュア、ネットワークを新たなものにつくり変えて、という企画だった。

一回目から、いやな予感があった。
それでもステレオサウンドというオーディオ雑誌を、どこかで信じていた。
だから最終的にはいい企画になるんだろうな、という期待をもって、
二回目、三回目……と読んでいった。

4343はパーフェクトなスピーカーシステムとはいえない。
パーフェクトなスピーカーシステムなど、この世に一台も存在したことがないのだから、
4343がパーフェクトでないから、
といって、他の優秀な最新のスピーカーシステムよりもひどく劣っているわけではない。

4343が登場したのは1976年だから、
ステレオサウンドの4343改造(改良とはとうてい書けない)記事が出た時点でも、
古い時代のスピーカーシステムという括り方をされるようになっていた。

30年ほど経っていれば、気になるところがないわけではない。
技術も進歩している。
だからもう一度、現代の視点で4343を徹底的に見直していけば、
文字通り「4343を現代に甦らせる」ことは充分に可能である。

だがステレオサウンドの4343改造記事は、
4343というスピーカーシステムが、どういうモノなのかを徹底的に検証することなく、
改造に取りかかってしまっていた。

これ以上こまかいことはここでは書かないけれど、
結局のところ、あの記事は4343改造記事であり、
4343を、ではなく、4343に搭載されているスピーカーユニットを、というところで終ってしまっている。

話をもとに戻そう。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その7)

JBLには、特徴あるデザインのスピーカーシステムは、4343の他にもいくつもある。
パラゴンがそうだし、ハーツフィールドもあるし、ハークネスもある。

これらコンシューマー用のJBLのスピーカーシステムと、
4343が違うところはプロフェッショナル用というところではなく、
スピーカーユニットを見せた状態でのデザインの美しさである。

4ウェイだから、4343には4つのユニットがついている。
それだけのユニットがフロントバッフルについていながらも、
洗練されているのは、最初にステレオサウンド 41号の表紙で見た時も、
そして知人のリスニングルームで4348のあとにそこにおさまった4343を見た数年前でも、
その印象はまったく変ることがない。

4343のスピーカーユニットは、前身の4341と同じである。
4341もいいスピーカーシステムだとは思う。
音に関しては4343よりも4341のほうをとる人がいるのも知っている。

でも4341は、どこか間延した印象が拭いきれていない。
4343には、そういうところがない。

4343について書き始めると、書きたいことはいくらでもあってとまらなくなる。
ここでもすでに少し脱線しはじめていることはわかっているが、
あと少しだけ脱線したまま書いていく。

Date: 2月 7th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その6)

1970年代後半のJBLのスタジオモニターは、ひとつのピークを迎えていた。
ラインナップも豊富だった。

ラインナップが豊富なだけのメーカーはほかのメーカーでもあるけれど、
この時代のJBLのスタジオモニター(4300シリーズ)は、
もっともローコストの4301にしても、トップモデルの4343、4350にいたるまで充実していた。
2ウェイの4331があり、3ウェイの4333、それにブックシェルフ型の4311が揃っていた。

なかでも4343は、もっとも洗練されたモデルだった。
それは音だけでなく、デザインにおいても、
4343はJBLというスピーカーメーカーの体質のもっともよいところを凝縮したような、そういう存在だった。

いまもJBLには4300シリーズはある。
これらのスピーカーシステムの音が評判がいいのは知っている。
いいんだろうな、とは思っている。
それでも、デザインに関しては、ほとんど魅力を感じない。

そういえば数年前、知人のところで4348を聴いたことがある。
4348は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター。
つまり4341から始まった4ウェイの最終形態でもある。

4つのユニットをすべてインライン配置している4348は、4343の後継機といえる。
4343のあとに4344が登場しているけれど、
4344は4345の弟分であり、4343のエッセンスを継承しているといえるのは、4348のほうである。

4348の知人は、しばらくして4343の中古を手に入れた。
知人のリスニングルームで、短期間のうちに4348と4343がおさまっているのを見たわけだ。

4343はやはり洗練されたスピーカーだ、と強く実感できた。

Date: 2月 7th, 2014
Cate: きく

音楽をきく(その1)

2月5日の、作曲のゴーストライターのニュース以来、
facebookでもtwitterでも、この件に関する書き込みが多い。

いろんな意見がある。

私はというと、問題となった人がつくったといわれている曲をまったく聴いていないから、
この件に関しては何かを書こうとは、いまのところ思っていない。

それでも、いまこうやって書いているのは、
twitterでの、いくつかの書き込みを見たからである。

問題となっている人は、「現代のベートーヴェン」と呼ばれていた。
そのこともあってtwitterには、ベートーヴェンの音楽を聴いても、
ベートーヴェンがどういう人性で、
それゆえにどういう人生をおくってきたかのということにはまったく関心がなくて、
「純粋に曲を聴いている」というのがあった。

何もベートーヴェンだけに限らない、他の作曲家の音楽においても、
「音楽自体を聴いて感動できる」というのもあった。

「純粋に曲を聴いている」も「音楽自体を聴いて感動できる」も、
表現は違えども同じことを主張している。

だが、ほんとうにそんな聴き方ができるのか。
純粋に音楽を聴く、ということはいったいどういうことなのか。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その8)

思い込みが、いい音を思い込んでいる本人だけにいい音を聴かせることはある。
だが、そうやってのいい音には、遅かれ早かれ気がつく。
思い込みが強ければ強いほど、気がつかなかったりするけれど。

実際にはラックの天板なり棚板のどの位置に置くのがいいのか、とはいえない。
天板、棚板の上でアンプなりCDプレーヤーを動かしてみる。

最初は基準として真ん中に置いて、音を聴く。
それからオーディオ機器を前に移動する。
落ちないぎりぎりまで手前に持ってきて、そのときの音を聴く。
今度は反対に後に移動して、また音を聴く。

真ん中、手前、後と、三つの音を聴いたことになる。
システムがうまく調整されていれば、
この移動による音の差は、決して小さくはない。

動かしたからといって、あるアンプがまったく別のアンプに変るわけではないが、
音のバランスが変化していることに、まず気がつくはずだ。

三つの位置のどこかに、求める音に近いところがあるはず。
たとえば手前に持ってきたときの音が、すべての面ではいいとは感じられなくても、
全体としては求めている音に近ければ、
次の段階として、真ん中と手前の中間の位置に移動して音を聴いてみればいい。

このときの音の判断によって、もう少し真ん中寄りにするのか、それとも手前寄りにするのか。
すこしずつ移動距離が短くしていくことで、追い込んでいく。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その6)

こんなことを考えながら書いていると、ルートヴィヒ二世のことが頭に浮ぶ。

ワーグナーを宮廷に招き、
ワーグナーのためにバイロイトに、ワーグナーの作品の上演のためだけの劇場、
バイロイト祝祭劇場の建築を全面的に援助する。

バイロイト祝祭劇場で最初に上演されたのは「ニーベルングの指環」。

バイエルン国王だからできたことであるけれど、
ルートヴィヒ二世たったひとりのためだけの上演をワーグナーが行ったという話はきいたことがない。

ルートヴィヒ二世は、たったひとりでワーグナーを聴きたかったのだろうか。
ワーグナーはどうおもっていたのだろうか。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その1)

数年前のことだった。
あるオーディオ店で試聴会をやっていた。
試聴会をやっているのは知らずに、たまたま入ったらやっていたので、そのまま椅子に座り聴いていた。

オーディオ店の試聴会というのも、ずいぶんとひさしぶりだな、と思いながら聴いていたわけだが、
不思議なことに、音を鳴らすたびにディスクをかえる。

オーディオ機器の試聴会だから、いくつかの機器の比較試聴もやっているわけだが、
なのになぜか機器を替えると、鳴らすディスクも替える。

このオーディオ店だけの、こういうやり方なのか、
それともこのオーディオ店に働いている、この店員だけのやり方なのか、
それとも、私がこういう試聴会に行かないあいだに、こういうやり方が一般的になっていたのか。

とにかくとまどいながら音を聴いていた。

何枚かのディスクが鳴らされたあと、あるお客が、
「なぜ同じディスクで鳴らさないのか」と店員に訊ねた。

やっぱり、これはこの店(この店員)の独自のやり方なんだな、と安心したのも一瞬だった。

店員の返答は、
「同じディスクを鳴らしたいんですけど、そういうやり方をするとお客さんが帰られるんです」。

あるオーディオ機器の、いわゆるプレゼンテーション的な試聴会であれば、
ディスクを替えているのはわかる。
けれど比較試聴においても、ディスクを替えなければ、お客が帰っていく。
俄には信じられないことだったけれども、
店側としても客が帰っていくような試聴会をやるよりも、
客が最後までいてくれる試聴会のほうが、商売に結びつきやすいだろうから、
そうであれば、こういうディスクのかけ替えも仕方ないのかもしれない。

それにしても不思議としかいいようがない。

Date: 2月 5th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その7)

とにかくGTR1Bの天板の真ん中にくるようにオーディオ機器を置く。
後にもっていったり、前寄りにしたり、左右どちらかにずらして置いたりは、この段階ではしない。

とはいえ、ラックの天板、棚板の真ん中に置くのが必ずしもベストというわけではない。
にも関わらず、神経質そうに天板の真ん中に置くのを、ミリ単位で測る人がいる。
そして、それが音がもっともいい、という。

アンプでもCDプレーヤーでもいいのだが、たいてい脚は四つもしくは三つついている。
これらの脚に均等に荷重がかかっているのであれば、
つまりオーディオ機器の重量バランスが完璧であれば、
ラックの天板・棚板の真ん中に置くのがいちばんいい、というのはわかる。

だが現実には、重量バランスはたいていがどこかに偏っている。
偏っていれば、すべての脚に均等の荷重というわけにはいかない。
それにすべてのアンプなりCDプレーヤーの脚が、筐体底部の四隅に取り付けられているとはかぎらない。

メーカーによっては脚の位置を前後で変えているものもある。
それに三点支持で、三つの脚のものも少なくない。

そういったオーディオ機器の場合でも、とにかくきちんと真ん中に置くことが、
もっとも音がいいと思い込み、定規できちんと合わせている人を見ていると、
滑稽というよりも、なんといったらいいのだろうか、
思い込みの激しいことはシアワセなんだなぁ、と羨ましいのとは違うけれど、
ほんのちょっとだけそれに似たものを感じないわけではない。

Date: 2月 4th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その5)

グレン・グールドが一人で演奏しているピアノの録音(レコード)を聴いている時、
グールド(演奏者)と聴き手とは、一対一である。

グールドは、ピアノ協奏曲も録音しているし、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなども録音しているから、
そういったグールドのレコードを聴く時には、
聴き手がひとりであるならば、演奏者の数の方が多くなる。

オーケストラの規模が大きくなり、演奏者の人数がさらに増しても、
マーラーの「千人の交響曲」を聴いている時でも、聴き手はひとりである。

演奏会場では、まずこういったことはおこり得ない。
それこそ想像のつかないほどの資産をもつ者であれば、
コンサートホールを貸し切り、そこで演奏者を招いて、
観客はひとりだけということも実現できるであろうが、
私を含めて多くの人(ほとんどの人)は、そういった夢物語とは無縁のところで生活しているし、
その生活の場で音楽を聴いている。

たったひとりの観客のためのコンサート。
そこでどれだけ素晴らしい演奏がなされたとしても、観客から返ってくるのは、
たったひとりの観客による拍手だけである。

がらんとした広い空間に、ひとりの観客だけの拍手が響くだけである。
それがどれほど力のこもった拍手であっても、ひとりの拍手はひとりの拍手でしかない。