毅然として……(その5)
グレン・グールドが一人で演奏しているピアノの録音(レコード)を聴いている時、
グールド(演奏者)と聴き手とは、一対一である。
グールドは、ピアノ協奏曲も録音しているし、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなども録音しているから、
そういったグールドのレコードを聴く時には、
聴き手がひとりであるならば、演奏者の数の方が多くなる。
オーケストラの規模が大きくなり、演奏者の人数がさらに増しても、
マーラーの「千人の交響曲」を聴いている時でも、聴き手はひとりである。
演奏会場では、まずこういったことはおこり得ない。
それこそ想像のつかないほどの資産をもつ者であれば、
コンサートホールを貸し切り、そこで演奏者を招いて、
観客はひとりだけということも実現できるであろうが、
私を含めて多くの人(ほとんどの人)は、そういった夢物語とは無縁のところで生活しているし、
その生活の場で音楽を聴いている。
たったひとりの観客のためのコンサート。
そこでどれだけ素晴らしい演奏がなされたとしても、観客から返ってくるのは、
たったひとりの観客による拍手だけである。
がらんとした広い空間に、ひとりの観客だけの拍手が響くだけである。
それがどれほど力のこもった拍手であっても、ひとりの拍手はひとりの拍手でしかない。