オーディオの楽しみ方(続・音を鳴らさないゆえの楽しさ)
昔、山中先生がいわれたことがある。
われわれが若いころは、とにかくいまのように情報がなかった、少なかった。
オーディオ雑誌に載る海外のオーディオ機器の写真にしても、
いまのようにカラー写真で細部まで見えるのとは違って、白黒で目の粗い、そんな写真だった。
でも、その写真を、文字通り穴が開くほどじっと見ていた。
ここはどうなっているんだろうかと、知識を総動員して見えない部分を想像で補ってきた。
こういった主旨のことだった。
いまはどんなことでも知りたいと思えば、たいていのことはインターネットで検索すればわかる。
画像も充分すぎるほどある場合もある。
山中先生が若いころのような粗い、低解像度の写真ではない。
(山中先生は1932年生れ)
その意味では恵まれている。
けれど、山中先生がいわれていたような接し方をしているとはいえない。
いまのほうが 情報量は豊かなのだから、そんなことはそもそも必要ではないし、
時代が違ってきているのに、一緒くたに考える方がおかしい、という反論もあるのはわかっている。
それでも私が若いころは、山中先生と同じようなことをやっていた。
(私は1963年生れ)
山中先生の若いころとくらべると、オーディオ雑誌の写真もずいぶんまともなになってきていたとはいえ、
いまのようにカラーページが多いわけではなく、
紙質もあまりよくなく、モノクロの写真は細部が不鮮明であることも少なくなかった。
だからとにかくじっと見つめていた。
インターネットもない。他に情報を得る手段がないわけだから、
とにかくそこにある写真を見つめるしかないのだ。
そして何度も同じ文章を読んできた。
そうやって想像力を鍛えていた、といえよう。
それにこれが大事なだが、想像力を鍛えてくれる文章が、
私が若かったころには、あったことだ。
話すよりも音を鳴らすだけでの方が楽な面もある。
面倒なこともある。
音を鳴らさないことにこだわるつもりはないし、
必要があって、条件が整えば音を出していく会もやりたい。
それでも音を出さずに、という会を続けていくのがあってもいいと思っているし、
音を鳴らさないのがいい、といってくれる人もいる。