Archive for category テーマ

Date: 7月 1st, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その1)

JBLのD130、一本45000円だった時期がある。
円高がはじまったころの1980年前後のころである。

フェライトマグネットになったD130Hではなく、アルニコマグネットのD130の最後のころは、
こんなに安く買えていたのか、といまごろ気づいて驚いている。

一本45000円ならば、オーディオに興味をもちはじめた、
ようするにお金のない学生でも買えなくはない金額である。

D130を買う。
他にアンプやプレーヤー、カートリッジを買えば、
学生であるならば、それで予算はなくなってしまうかもしれない。

だからD130をサブロク版を一枚買ってきて二分割した平面バッフルに取りつける。
これならばさほど予算も必要としない。

こんなふうにして組合せを作っていくと、
チューナーもテープデッキもなしでよければ、予算20万円におさめることは無理としても、
30万円までは必要とせずに、とりあえず組合せは作れる。

D130が45000円だったころのHI-FI STEREO GUIDEをみていくと、
サンスイのAU-D607(69800円)、テクニクスSU-V6(59800円)、オンキョーIntegra A805(65000円)、
マランツModel 1090(59800円)、トリオKA8100(63000円)などがあり、
プレーヤーの国産のダイレクトドライヴ型ならば、候補は困らない。

カートリッジは二万円台から四万円台までをみまわすと、あれこれ選べた。

このころは私はJBLといえば4343か4350、これらが憧れだったから、
D130にはほとんど関心がなかった。
いいスピーカーユニットなんだろうけど、私には関係のない存在ぐらいにしか思っていなかったから、
いまごろ45000円の時期があったのか、と驚いている。

Date: 7月 1st, 2014
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その2)

ビクターによる生演奏とのすり替え実験の詳細がどんなものだったかは、手元に資料がない。
昭和41年(1966年)7月だと、まだステレオサウンドも創刊されていない。
ラジオ技術、無線と実験のこの時のバックナンバーを、
大きめの図書館に行き調べればおそらく記事になっている、と思う。

いまは手元にあるものといえば、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のビクター号だけである。

このムックの巻末にはビクター50年史がある(このムックが出たのは1977年)。
それによれば最初のすり替え実験は昭和35年(1960年)11月に行われている。

朝日講堂にて、藤家虹二クインテットの生演奏と録音テープとのすり替え実験で、
スピーカーはビクターのLCB1CX4が使われている。
LCB1はコニカルドーム付きのウーファーを搭載したフロアー型システム。

二回目は昭和40年(1965年)7月16日に、一回目と同じ朝日講堂で行われ、
音楽評論家、オーディオ評論家、報道陣、特約店と客、約450名が招かれている。
この時演奏したのは北村英治クインテット。
使われた機材はスピーカーはBLA50、アナログプレーヤーはSRP467など、すべて市販されているモノばかりである。

これが第一回ビクターステレオテクニカルフェスティバルである。
すり替えに気づいた正解者は9人とのこと。

ビクターの社報誌にその様子が掲載されたようで、
それが「世界のオーディオ」にも囲み記事として載っている。
     *
 ナマ演奏を途中でステレオレコード演奏にスリ替えるということで、音楽評論家をはじめ、多くのオーディオファンが注目していた「ビクターステレオ・パーフェクトサウンド・フェスティバル」は、さる7月16日午後6時半から、東京有楽町の朝日新聞社朝日講堂ではなやかに開催されました。音楽評論家、音響評論家、特約店とそのお客さま、報道陣など、約450名が招かれました。
 ナマからレコード演奏にスリ替えるのは世界ではじめての試みだけに、場内は一瞬カタズをのんで静まりかえります。曲はクラリネットの音がさえる「アバロン」──。クインテットの背後には8個のスピーカーバッフル(BLA50)が置かれています。場内の聴衆は身を乗り出すようにして、スリ替え個所を聞き出そうと耳をそばだたせています。曲は終りに近づきました。と、突然彼らは演奏をやめて聴衆に向かっておじぎをしました。しかし曲はなおも演奏されているのです。舞台のそでの幕がひらかれました。一個のプレーヤーが現われ聴衆がアッケにとられているうちに司会者がプレーヤーをとめました。思い出したように、かっさいの拍手。大成功でした。スリ替えの個所を当てるアンケートの正解者はたったの9名。
     *
五年前の実験ではテープだったのが、今回はレコードに変っている。

Date: 6月 30th, 2014
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その1)

1960年代、ビクターが生演奏と録音されたものとのすり替え実験を何度か行っていたことは広く知られている。
この実験は成功をおさめた、と伝えられている。

このすり替え実験の白眉といえるのは50名のオーケストラとのすり替えである。
昭和41年7月14日、虎ノ門ホールにて、第二回ビクターステレオテクニカルフェスティバルとして開催された。
服部克久指揮日本フィルハーモニーの50名のオーケストラによる生演奏とのすり替え実験である。

1621名が実験に参加して、正解した人は14名。1%以下であり成功といえよう。

こう書くと、参加者のほとんどはオーディオに関心のない人たちばかりなんだろう、という人がいる。
だがオーディオ評論家も参加している。

ステレオサウンド 34号、岡原勝氏と瀬川先生による実験記事が載っている。
34号では「壁がひとつふえると音圧は本当に6dBあがるのだろうか?」とテーマで行われている。

この記事にこうある。
     *
岡原 スピーカーというのは、かなり昔から、そういう意味でのリアリティはありましたね。いわゆるナマと再生音のスリ替えが可能だというのは、音楽が実際に演奏されている場にいけば、相当耳の良い人でも、ナマと再生音を聴きわけることができないためなのです。
瀬川 わたくしもだまされた経験があります。実際オーケストラがステージで演奏していて、そのオーケストラがいつの間にか身振りだけになってしまい、録音されていた音に切り替えられてスピーカーから再生されているという実験があった。先生もあのビクターの実験ではだまされた組ですか?
岡原 ええ、見事にだまされました。似たような実験で、わたしは他人もだましたけれど、あの時は自分もだまされたな(笑)。
     *
岡原氏も瀬川先生もだまされていた。

Date: 6月 29th, 2014
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その1)

変化・進化・純化、と以前書いた。
書いたことを思い出した。
同時に思いだしたことがある。

五味先生の文章だった。
     *
 弦楽四重奏曲ヘ長調K五九〇からレクィエムには、一すじの橋が懸かっている。つれつれと空ぞ見らるる思う人あま降りこむ物ならなくに。そんな天空の橋だ。日本語ではほかに言いようを知らない。かくばかり恋いつつあらずは高やまの岩根し枕て死なましものを──モーツァルトはそんな心懐で、その橋を紡いでいったと私は想像する。蚕が透明な体になって糸を吐きながら死に行くあの勤勉さを君はモーツァルトに想像しないか? K五九〇の弦楽四重奏曲は、その寡作は、透明なカラダになる時期だったと言えないか。
     *
これから先をどう展開していくのか、自分でもまったくわからない。
でもほとんど発作的に、これを書いておかねば、とそう思ったからだ。

Date: 6月 28th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その8)

どんなオーディオ評論家でも試聴ディスクを使って(聴いて)、オーディオ機器の試聴をする。
そしてなんらかの試聴記をしたためる。

新製品紹介の記事であれば、そこで聴いた新製品がどういった製品なのか、
どういった技術がもりこまれているのか、などについて書き、
実際に聴いた音の印象を書いていくわけだが、
この部分について、このディスクのこの部分はこんなふうに鳴った、
別のディスクのあの曲のあの部分は……、と書く人がいる。

そして、そんなふうに書く人を、具体的に試聴記を書いている、として、
この人の書くものは信じられる、とする読者がいる。

こんな記述をインターネットのいくつかのところで見かけたことがある。
そこにはそのオーディオ評論家の名前も書いてあった。

この人は、この人の書くものを全面的に信じるのか、
それも試聴記の書き方が具体的だから、ということでなのか──、
私はそんなふうに受けとっていた。

そこにあった名前はここでは書かないけれど、
私がまったく信用していない人であったし、この人の試聴記の書き方は具体的でもなんでもないことは、
ステレオサウンドをながいこと読んできた人ならばすでに気づかれているはずだ。

Date: 6月 28th, 2014
Cate: レスポンス/パフォーマンス

一年に一度のスピーカーシステム(その6)

打てば響く、は基本的には褒め言葉である。
返答・反応がはやい人のことも、打てば響く、という。

返答・反応の遅い人よりもはやい人が優れているようにみえる。
遅い人は、鈍重といわれたりする。

実際は、必ずしもそうではない。
単に返答・反応がはやいだけの人がいるのを、知っている。

返答・反応のはやさが、その人自身のパフォーマンスの高さとは、ほとんどの場合関係がないばかりだからだ。

じっくりとつきあうことで、こちらの想像以上のパフォーマンスを発揮してくれるのは、
なにも人ばかりでなくスピーカーシステムも同じだと私は捉えている。

おもしろいもので打てば響く、といわれている人は、
スピーカーシステムとのつき合い方も薄っぺらであるように感じることが、私は何度か体験している。

そんな人のことはどうでもよくて、
スピーカーシステムのレスポンスの良さとパフォーマンスの高さは両立し難いものではないはずなのに、
現実にはそうでないように感じてしまうのはなぜなのか。

Date: 6月 28th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その17)

けれどカートリッジスタビライザー、および同様のアクセサリーの存在を否定するつもりはまったくない。
使うことはなかったけれど、試してみたい、とは思っていた。
使用ではなく試用という意味で使いたいのはあった。

見た目は確実に悪くなる。
けれどカートリッジスタビライザーとして確かなものであれば、
それを装着することで改善されるところがあるわけで、
改善されるということはそのところが、いままではあまり良くなかった、ということを確認できる。

そこに気づけば、なぜそうなのか、と原因を追及することになる。
そのためには原理を理解することになる。

常用するものばかりが優れたアクセサリーとは思っていない。
何かを気づかさせてくれるアクセサリーもまた、常用しなくとも優れたアクセサリーである。

アクセサリーはいくつかに分けられる。

ひとつは必要なアクセサリーである。
ケーブルは、これにあたる。ケーブルがなければ音は出せない。

それからクリーナーという、オーディオ機器、ディスクの調子を整えるためのものがある。
接点クリーナーもそうだし、ヘッドイレーサーもここにはいる。
これらがなくても音は出る。けれど接点が汚れてきたら、
レコードの盤面にほこりがたまり、油汚れがついていたら、カートリッジの針先が……、
こういったことを取り除いて、オーディオ機器の調子を維持する。

そして必要としないけれど、音に働きかけるアクセサリーがある。
カートリッジスタビライザーもそうだし、ディスクスタビライザーもそうだ。
グラフィックイコライザーも、ここにいれられる。

Date: 6月 27th, 2014
Cate: よもやま

「古人の求めたる所」(かもめのジョナサン)

「かもめのジョナサン」の最終章が加えられた完成版が6月30日に発売になる。
日本語訳が出たのは、1974年6月、とある。

小学六年だった。
背伸びしたかったのか、「かもめのジョナサン」は、このころ買って読んでいる。
どこまで理解できていたのかはあやしいところだが、
この時期、新刊が出るのを楽しみにしていたのが手塚治虫の「ブッダ」だった。

「かもめのジョナサン」と「ブッダ」同じ時期に読んでいる。
「ブッダ」は長かった。
これも当時どこまで理解していたのはあやしい。

それでも同時期にこの二冊を読んでいたことは、
いま思うと知らず知らずのうちに影響を受けていたのかも、とおもう。

「かもめのジョナサン」の完成版は、ジョナサンが亡くなったあと、
弟子のかもめたちがジョナサンの神格化を始める、とある。

ブッダが亡くなったあとは……。

Date: 6月 27th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その16)

カートリッジスタビライザーは後付けタイプとはいえ、まったく制約がないわけではない。
ディスクウォッシャーのDiscTrakerは、
写真をみればわかるようにカートリッジの取りつけビスが貫通するつくりのヘッドシェルでなければならない。

スタックスはそうでないヘッドシェルにも取りつけ可能だが、

それでもフィデリティ・リサーチのFR-S、オルトフォンのG型ヘッドシェルなどには取りつけられない。
それにどちらもヘッドシェル一体型のカートリッジには無理。

ヘッドシェルを取りつけ可能にモノに変更すればいいわけだが、
それでもこの手のカートリッジスタビライザーに興味はあったものの、
どうしても見た目が美しくなくなる。

SMEの、それもロングタイプの3012にオルトフォンのSPU-Gを取りつける。
個人的には3012-R Specialがいい。

この組合せがレコードのという黒盤の上をゆっくりと中心に向い流れていく姿は、それだけで惚れ惚れとする。
これほと様になるカートリッジとトーンアームの組合せは他にない。

これで悪い音が出てくるはずがない、と私は信じ込める。
少なくともクラシックを聴くかぎりにおいては、そう言い切れる。

この組合せの姿の美しさに惚れ込める人なら、
どれだけ効果的であってもカートリッジスタビライザーを装着したいとは思わない。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: audio wednesday

第42回audio sharing例会のお知らせ(マーラーとオーディオ)

7月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

一ヵ月前はJBLの4350について書いていた。
いまは他のテーマを書いているためすこし中断しているが、まだ書きたいことは残っている。
4350の項でマーラーの録音についてふれた。
そのこともあってか、4350について書きながら思っていたのは、
4350でマーラーを鳴らす、ということだった。

数はすくないけれど、マーラーの録音はSPの時代からある。
録音された時代によってマーラーの、いわゆる音も変ってきている。

4350の項ではショルティとカラヤンのマーラーを例に挙げた。
このふたりの、レコーディングに積極的だった指揮者のマーラーを聴くのに、
もっともぴったりとくるのは、やはりJBLのスタジオモニターであり、
その中でも4350に、個人的にとどめを刺す。

いつの日か、4350Aをどこからか調達してきて、時代時代を代表するマーラーを鳴らすということをやりたいが、
いつになることやら。

今回はマーラーとオーディオ(録音と再生)をテーマにしたい。
マーラーは1860年7月7日生れ、蟹座だ。ちょうどいまは蟹座になっている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その15)

いまではこの手のアクセサリーはなくなってしまったようだが、
1970年代後半から80年代にかけて、カートリッジスタビライザーと呼ばれるアクセサリーがいくつかあった。

アメリカ製ではディスクウォッシャーのDiscTrakerがあった。
ヘッドシェルに取りつけ、トーンアーム、カートリッジの低域共振を低減するものである。

スタックスからはCS2という製品が出ていた。
これもヘッドシェルにとりつけるタイプで、ブラシがついていてエアーダンプ機構で低域共振を低減する。
ブラシは導電性で静電気の除去も兼ねている。

エアーダンプは写真をみるとDiscTrakerも同じと思われる。
スタックスはCS1という同社のコンデンサー型カートリッジCP-Y専用モデルも用意していた。

針交換が可能なMC型カートリッジで知られていたサテンからはIC16が出ていた。
これもヘッドシェルに取りつけるタイプで、トーンアームのイナーシャをコントロールする、とある。

ファイナルからはKKC48という、これはヘッドシェルではなくトーンアームの先端部に取りつけるモデルが出ていた。
カートリッジのカンチレバーの不要な横方向の振動を低減するもの。

メーカー名も型番も忘れてしまったが、オイルダンプ型のヘッドシェルもあった。

どれも使ってみたことはないのでどの程度の効果が得られるのかは不明だが、
効果が得られないということはなかったのではないか。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その14)

トーンアームにオイルダンプを採用したモノが昔からある。
SMEの3009、3012もフルイドダンパーFD200を後から取りつけることでオイルダンプ機構を搭載できる。
日本のトーンアームではオーディオクラフトの一連のモデルがワンポイント支持のオイルダンプである。

他にもグレイの206といった重量級のトーンアームもあるし、
常にどの時代にもオイルダンプのトーンアームはあった。

これらのトーンアームは軸受け、もしくは軸受け周辺でのオイルダンプである。
だが制動ということで考えればトーンアームの軸受けもしくは周辺でよりも、
カートリッジの針先に近いところで制動をかけたほうが、より効果的であるし、
その両方で制動をかけるという手もある。

ステレオサウンド 68号に、ロックというイギリスのアナログプレーヤーが紹介されている。
特集記事でも新製品紹介のページでもなく、
巻末にあるBestBetsというイベントや新開発の技術などを紹介するページに載っている。

ロックに搭載されているトーンアームはオイルダンプ。
軸受けでのオイルダンプの他に、ヘッドシェルの先端部もオイルダンプしている。

SMEのFD200をもっと長くしたオイルバスがキャビネット前面にあり、
ディスクをターンテーブルプラッターの上にのせてから、このオイルバスを動かし、
ヘッドシェルの先端をこのオイルバスにつけるというものだ。

オイルも軸受けとフッドシェル先端では粘性の違うものを採用している、とある。

このプレーヤーは、イギリスのベドフォードシャーにあるクランフィールド工科大学が開発し、
エリートタウンズヘッド社が製品化。

このプレーヤーの情報は輸入商社からではなく、別のところから届いたものだった。
イギリスの最新アナログプレーヤー事情ということで誌面に載せたけれど、
掲載時には輸入元は決っていなかった。
その後、このロックについての情報を聞くことはなかった。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その15)

なぜ、こだわるのか、──このことも考えている。

私にラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話してきた知人は、
そこでの演奏に感動していたからこそ、わざわざ電話をくれたのだった。

あえて確認もしなかったけれど、彼はラインスドルフのモーツァルトのレクィエムが、
ケネディの葬儀の実況録音であるから感動している節があった。

彼は何に感動していたのか、とおもう。
聴いていない演奏に対してあれこれいうのは控えるべきなのは承知しているが、
それでもラインスドルフの演奏が素晴らしかった、とは私には思えない。

もちろん人には一生に一度しか演奏できないレベルの音楽を奏でられるときがあるのはわかっている。
ラインスドルフにとって、それがこの時だったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。
聴いていないのだから、これ以上はいえない。

それでも……と思いながら、知人の話を電話越しに聞いていた。
彼は、演奏会場での感動を、リスニングルームでも得たいのか、
演奏会場での感動の共有というものをしたいのだろうか、
──私はこういったことをオーディオを介して聴く音楽に求めていないことを、
知人の話をききながら自覚していた。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その13)

シュアーのV15 TypeIVの広告の図をみていると、
カートリッジが上下動することでカートリッジの移動距離という間隔も、
ダイナミック・スタビライザー有無によって変化する、とある。

この図をみているとレコードの反りの影響で、正確なトレーシングが阻害されている、となる。
この図をみなくともレコードの反りが悪影響を与えているのはあきらかである。

シュアーの広告によると、レコードの反りは、0.5〜8Hzとなっている。
この周波数はカートリッジとトーンアームの共振周波数と重なる。

シュアーが以前出していたテストレコードには、この共振をテストするために、
4、5、6、8、12Hzという低い信号を音楽信号に重ねてカッティングしてあるトラックがあった。

シュアーの広告には、共振周波数は5〜15Hzとなっている。
つまり反りの周波数とカートリッジとトーンアームの共振周波数が一致すれば、どうなるか。
一致しないまでも近い周波数であればどうなるか。

レコードに反りがあれば、なんらかの対策は必要といえる。
シュアーの解決策がダイナミック・スタビライザーである。

シュアーの広告だけをみていると、いいことだけを書いてある。
広告だからそういうものといえるわけだが、ダイナミック・スタビライザーといえど完璧な対策とはいえない。

おそらくシュアーのことだから、当時発売されていたトーンアームを研究して、
できるだけ広範囲なトーンアームとの組合せを考慮しての、
ダイナミック・スタビライザーの制動を決定しているはずである。

とはいえトーンアームが変り、ヘッドシェルも変れば実効質量もかわり、
ピックアップ全体の慣性質量も変化するわけで、おそらく極端に重いトーンアームとヘッドシェルでは、
V15 TypeIVのダイナミック・スタビライザーの制動範囲をこえてしまう可能性がある。

そうなるとダイナミック・スタビライザーの効果は薄れ、場合によっては役に立たなくなる。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その14)

指揮者のリハーサル風景をおさめたディスクがある。
これはドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDと呼べよう。

その感覚からすると、ヨッフムの、鐘の音から司祭の朗読までおさめたCDを、
ドキュメンタリーCDと呼ぶことにはためらいがある。
このディスクで聴けるのは、他では聴くことのできない、いわばかけがえのない音楽だからである。

今回例としてあげた録音の中で、私がドキュメンタリーだと思っているのは、
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムである。
聴いてもいないディスクのことを、そう言い切ってしまうのもひどく無責任なことではあるが、
このディスクを聴いてこなかった理由は、ここにもある。

音楽のドキュメンタリーを、さして聴きたいとは思わない。
リハーサル風景をおさめたものは、好奇心から聴くけれど、
ラインスドルフの、1964年のモーツァルトのレクィエムに、そういった好奇心は私はもてない。

ケネディの葬儀でのモーツァルトのレクィエムだから、といって、
そこでの演奏が素晴らしく聴こえてくるような、そういった音楽の聴き方はしてこなかったつもりでいる。

にも関わらずヨッフムのモーツァルトのレクィエムに関しては、
鐘の音、司祭の朗読がふくれまている方を選択するのはなぜなのか、と考えるわけだ。

こんなことを考えなくとも音楽は支障なく聴ける。
それがわかっていてもなお、考えている。