Archive for category テーマ

Date: 9月 11th, 2014
Cate: 真空管アンプ

真空管の美(その1)

「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオは、
真空管への興味も同時に始まった。

最初に憶えた真空管はKT88。
五味先生愛用のマッキントッシュMC275の出力管だからだ。
その次に憶えたのはF2a-11。
ただしこれに関しては型番だけであり、いったいどんな真空管なのか、
1976年当時、私は知ることができなかった。

それからいろいろな真空管の型番と形と特徴を憶えていく。
その過程で、まさに一目惚れした真空管はシーメンスの直熱三極管Edである。

無線と実験に伊藤先生が発表されたトランス結合・固定バイアスのプッシュプルアンプで、
Edの存在を知り、こんなに美しい真空管は他にない、と思ったほどである。

Edの存在を知る前に、アメリカに300Bという真空管があるのは知っていた。
熊本では、当時300Bの実物を見ることはできなかった。
写真ではよく見ていた。

アメリカの直熱三極管300Bとドイツの直熱三極管Ed。
見た目だけで判断すれば、圧倒的にEdの方が、いい音がしそうに思えた。

それにST管と呼ばれる真空管の形状が、
懐古趣味的真空管の形のようにも思えて、Edの形はそういう要素が感じられない、ということも、
私には大きかった。

Date: 9月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 書く

毎日書くということ(続・実感しているのは……)

自分が属している業界の色に染まってしまったのかどうか、ということは、
なかなか本人にはわからない。
誰かに指摘されたとしても、本人は納得がいかないのではなかろうか。

結局のところ、自分で気づくしかない。
ではどうすれば、気づくのか。

各軸なことは、いまのところなにひとついえない。
ただいえることが、ひとつある。

その人は毎年11月には瀬川先生の墓参に行く。
オーディオ業界に長くいる人であり、きいたところによると身内の墓参にはあまり行かない人らしい。
そういう人が、毎年11月に瀬川先生の墓参には行くという。

墓の前に立てば自然と手を合せて目をつむる。
その時の気持は、その人だけのものである。

なぜ、その人は行くのか。
理由は知らない。あえて聞こうとも思っていない。

私が、だから勝手に思うのは、
瀬川先生の墓参に行くという行為は、自分で気づく行為のはずだ、ということである。

Date: 9月 10th, 2014
Cate: 表現する

音を表現するということ(その13)

菅野先生の「レコード演奏家」論がある。
私は「レコード演奏家」論に賛同しているが、
すべてのオーディオマニアがそうでないことは知っている。

ただ「レコード演奏家」論に異をとなえる人の中には、
誤解以外のなにものではないだろう、といいたくなることもある。

菅野先生の「レコード演奏家」論は、ステレオサウンドから出ている。
audio sharinngでも、2002年版を公開している。

私が公開しているところに以前リンクがはられていた。
そこで「レコード演奏家」論がどう語られているのか、見てみた。

そこには料理人が差し出した料理に、味見もせずに塩コショウをふりかけるのと同じ行為だ、
音楽の聴き手として許せない行為だ、とあった。

どこをどう読めば、そう受けとれるのか、逆に訊ねたくなったくらいである。
そんな読み方で「レコード演奏家」論を誤解している人がいる。

賛同していない人のすべてがこういう人ではない。
人それぞれであって、「レコード演奏家」論を認めていない人もいる。

その一方で「レコード演奏家」論に賛同しながらも、曲解されているのでは? と思える人もいるように感じている。

Date: 9月 8th, 2014
Cate: Technics, 「ネットワーク」
1 msg

オーディオと「ネットワーク」(テクニクスの場合)

9月3日に、テクニクス・ブランドの復活が正式に発表され、新製品も登場した。
その時から、毎日のようにテクニクスの新製品に対する書き込みを目にする。
その大半がfacebookで、なのだが、他のところを検索しては見てみた。

発表された写真を見た時から、
こんな意見が出るだろうな、というのが多い。
私が目にしたものの大半は、否定的なことばかりである。

これは私のfacebookでのつながりゆえなのかもしれないが、
それにしても……、と少々思う。

あれこれいいたくなる気持は私にだってある。
否定的なことを書き始めれば、どれだけでも書ける。
それでも、いまのところは書かないでいる。

まだ実物を目にしていないし、音を聴いていないからだ。
こう書くと、写真をみればおおよその見当はつくよ、と返ってきそうだ。

それでも、音を聴いていないのだから、と私は思っている。

松下電器産業の創業者の松下幸之助氏が、かつて言っていた、らしい。
「会議で七割が賛成する意見はもう古い。七割の人に反対されるくらいの意見がちょうどよい」と。

会議とインターネットでの意見の交換を完全に同一視できないのはわかっていても、
インターネットというネットワークは、ひとつの会議とみなせる。
ならば、それこそちょうどいいのかもしれない。

私が目にしたテクニクスの復活に関しての意見・感想は七割くらいの人が否定的だったからだ。
ちょうどよいからといって成功する保証はどこにもないけれど、
音を聴くまで、もうすこし待ちたい。

Date: 9月 7th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その24)

この項の(その1)を書いたのは、
それほど深い意図があってではなく、とにかくタンノイ・コーネッタについて何かを書きたかったから、であり、
コーネッタの最終的な組合せをイメージしてのタイトルとして「程々の音」をつけた。

(その1)を書いたのが2013年12月、半年以上かけて書いているわけだが、
書いている途中で、ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” を何度か思い出していた。

“plain living, high thinking” どう訳すか。
Googleで検索すれば、いくつかの訳が見つかる。
plain livingをシンプルな生活と訳してあるのは、ちょっとひっかかる。

程々の音を直訳的な英語にすれば、moderate soundになるが、
私のなかでは(中途半端な英語だが) “plain living, high thinking” なsound ということに落ち着く。

これではあまりにも中途半端すぎるから、もう少し考えれば、
“plain sounding, high thinking” というところか。
決して “high sounding, high thinking” ではない。

“high sounding, high thinking” があり得ない、といっているのではない。もちろん、ある。
“high sounding, low thinking” があることをいいたいのだ。

Date: 9月 7th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(その2)

一緒に音を聴いていて、後からであっても、どういう音の聴き方をしているのか聞いてくる人もいれば、
まったくそんなことに関心のない人もいる。

オーディオは趣味だから、好きなように聴いて好きな音を出すものでしょう、という人を知っている。
別にひとりではない。
そういう人が多数なのかどうなのかははっきりとしないけれど、私の感覚では意外に多い、と受けとめている。

オーディオが趣味であっても、そういうものではない、と私は考えているわけだが、
このことは音の聴き方に関係してくることだし、
その結果がインターネットの普及とともに目にすることが増えてきている。

好きなように聴く──、それがその人のオーディオの楽しみ方、やり方、
さらには音楽の聴き方であるのなら、第三者である私がとやかくいうことではないのはわかっている。
それでも、あえてこんなことを書いているのは、
好きなように聴いていては、どこまでいっても、その人にいえることは好きか嫌いかの範疇にとどまる。

このことに気づいている人に対しては、私は何もいわない。
そうであれば、その人の楽しみ方であるのだから。

だが、中には好きなように聴いてきているだけなのに、良し悪しについて語る人が少なくない。
これは別項「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」で、これから書いていくことと関係しているが、
好きなように聴いていて、良し悪しは語れない、ということをはっきりとさせておきたい。

好きな音は、その人にとって良い、嫌いな音が悪い──、
これはあくまでもその人の中にあってのみかろうじて成り立つことであって、
ひとたび言葉にして誰かに語った時点で、
どんなに言葉をつらねても、好き嫌いはどこまでいっても好き嫌いでしかなく、
決して良し悪しにはならない。

にも関わらず、あれは良いとか、悪いとか、といい、
しかもそういう人に限って、誰かのことばを聞こうともしない。

Date: 9月 6th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(その1)

一緒に音を聴いたことのある人から、ときどき受ける質問が、
「どこに注意して音を聴いているのか」である。
いわゆる音のチェックポイントはどこなのか、についての質問だ。

こういうところに注意して聴いている、と答えられるようでいて、
実はそうでない。

自分の愛聴盤を持ってきての試聴でも、
いわゆる聴きどころを決めているわけではない。
まして、その場で聴かされたディスクでは、聴きどころなど最初からない。

意識せずとも聴感上のS/N比、音のひろがり方はチェックポイントといえばそうだが、
これに関しては、いまはほとんどの人がそうしているはず。

その他には、というと、五年以上前に書いたことを、もう一度書くことになる。
井上卓也氏のこと(その11)」を読んでいただければいいことだが、
リンクをはったところで読んでくれる人はそう多くないことはわかっているので、
もう一度書いておこう。

ここ(チェックポイント)を聴いてやろう、という意気込みをまず捨てることである。
前のめりに構えてしまうことが、音を聴くとき、いちばんやっかいである。

Date: 9月 6th, 2014
Cate: 名器

名器、その解釈(その7)

(その6)で書いた「スケール」とは、どういうことなのか。

吉田秀和氏がカルロ・マリア・ジュリーニのことを、
大指揮者ではないが名指揮者であった、と書かれたのか語られたのかを読んだ記憶がある。

なるほど、と思った。
カルロ・マリア・ジュリーニは素晴らしい指揮者であり、個人的に好きな指揮者である。
シカゴ交響楽団とのマーラーの交響曲第九番、ベルリンフィルハーモニーとのベートーヴェンの交響曲第九番、
愛聴盤である。
なぜかベートーヴェンの第九はあまり評価は高くないように感じてしまうが、そんなことはない。

他にも挙げたいディスクはいくつもあるが、話を先に進めるために控えておく。

吉田秀和氏のいわれるように、ジュリーニは名指揮者である、
けれど大指揮者とはすんなりいえるかというと、ジュリーニ好きの私でも、少し考えてしまう。

では大指揮者とすんなりいえるのは誰か。
まずフルトヴェングラーがいて、クナッパーツブッシュが、私の場合、すぐに浮ぶ。
他にも何人か挙げられる。

そういう大指揮者と名指揮者を、私のなかで分けてしまうのはなんなのか。

先頃亡くなったフランス・ブリュッヘンも好きな指揮者のひとりであり、
彼もまた大指揮者ではないが名指揮者ということになる。

Date: 9月 6th, 2014
Cate: audio wednesday

第45回audio sharing例会のお知らせ

10月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

テーマについて、インターナショナルオーディオショウにする予定です。
今年のインターナショナルオーディオショウは9月23、24、25日ですから、
その感想について、あれこれ語ろうと思っています。

いまのところインターナショナルオーディオショウに行く予定ですが、
何かの都合で行けなかった場合には、当然ですが、他のテーマに変更します。
その際はまたお知らせします。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 6th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・余談)

オーディオでは、慎重のうえにも慎重にやっていかなければならないことがある一方で、
慎重になりすぎてしまうと、逆にダメなこともある。

そのひとつがカートリッジのレコード盤面への降し方である。
これについては、「私にとってアナログディスク再生とは(補足)」で、一度書いている。

三年前のことだし、読んでいない人がいたこともつい最近知ったので、
あえてここでもう一度書いておく。

レコードとカートリッジを大事にするあまり、
ゆっくりとカートリッジをレコード盤面に降ろす人がいる。
けれど、これがレコードを傷つけることになる。

カートリッジは針先が、あとすこしで盤面というところまでもってきたら、
ヘッドウェルの指かけから指を離して、あとは自然落下にまかせるものである。

溝に針先がリードインするまで指を離さないということが、
どういうことになるのか一度想像してみてほしい。

指かけから最後まで指を離さずに降ろす人は、ほとんどがリードインの音を聴いていないことが多い。
針先がリードインしてからボリュウムをあげるわけで、これはけっこうなことなのだが、
一度はリードインの音を聴いて、自分の操作がどのレベルにあるのかを確認した方がいい。

気になっている(その5)

「趣味は?」ときかれたら、オーディオと答えることは、まずない。
オーディオ以外の、いくつかのことを答える。
自転車と答えることも多い。

ロードバイクに興味を持つようになって20年以上。
自転車に関する知識は、けっこうあるほうだと思っている。
でも、自転車の玄人だとはまったく思っていないし、自転車の玄人でいよう、とも思っていない。

自転車に関しては、はっきりと素人である。

自転車について話せば、詳しいですね、といわれることもある。
それでもオーディオと比べれば、これは私のなかでの比較として、詳しいとは到底言えない。

少なくとも私のなかでは、オーディオと同レベルになれば、自転車の玄人かな、と思うけれど、
これから先どんなに自転車のことに詳しくなろうとも、オーディオと同じレベルになることはない。

だから、素人でいる。
素人でいるからこそ、オーディオとは違う楽しみ・接し方があり(でき)、
それゆえに趣味なのである。

素人のまま、自転車とつき合っていきたい。

Date: 9月 5th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その3)

カートリッジの針先がレコードの外周方向にふれる。
もしダンパーに使われているゴムの反発力が強ければ、
すぐさま反対方向(レコードの内周側)に戻そうとする力が生じる。

これはカートリッジのダンパーとして、望ましいのだろうか。

ステレオサウンド 61号の長島先生の記事を読んで、そう考えるようになった。
実を言うと、それまではダンパーはカンチレバーを中央につねに戻すための機構だと考えていた。
ゴムが使われているのだから、そうだと思い込んでいた。

だがよくよく考えてみると、勝手にカンチレバーを中央に戻されては、
カートリッジの針先(つまりカンチレバーの先端)が溝を追従するのを邪魔することになる。
カンチレバーは、つねに溝に対して自由な動きをできるようになっていなければならないし、
ダンパーがその動きを妨げてはならない。

長島先生は「ゴムの分子間の結合が切れて、半分ヤレたゴム」という表現をされている。
こういうゴムの反発力は、新品のときよりもずっと低下している。

つまり長島先生がいわれる、オルトフォンのSPUがいい音がしてくる時期のダンパーは、
なかば反発力が低下している状態である。
一般的なゴムのイメージからすると、ゴムらしくない、ともいえる。

ここまで考えて、ダンパーとは、いったい何のためにあるものか、と考えるようになり、
そのためのダンパーとして求められる性質とは、どういうものなのか、に考えがいたるようになった。

Date: 9月 5th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・さらに補足)

カートリッジとは直接関係のないことだが、ひとつ思い出したことがある。

マークレビンソンのアンプ、LNP2、JC2のモジュールはピッチで固めてあった。
それからしばらくして、日本でもコンデンサーをエポキシ樹脂で固める、という記事が出てくるようになった。

固めれば音が良くなる──、
ということで、ある海外製のコントロールアンプの内部をエポキシ樹脂で固めてしまった人がいる。
結果は、というと、故障してしまい修理に出してしまうことに。
しかも、そのアンプは正規輸入品ではなく並行輸入品であった、ということも、
そのアンプの輸入代理店の人から聞いている。

いまはどうなのか知らないが、
そのころは並行輸入品でも修理の依頼を正規代理店はことわれないように定められていた。
ただ修理代金は正規輸入品よりも高く請求してもよかったようだが。

そのアンプはマークレビンソンとはずいぶんと性格の違うンプである。
エポキシ樹脂で内部を固めて使うようなアンプではない。

それでも、すこしでも音が良くなる可能性があるのなら、試してみることを止めはしない。
けれど慎重にやってならなければならない。
このことは絶対に忘れてはならない。

私もオーディオ機器には手を加えることがある。
スチューダーのCDプレーヤーA727にも手を加えた。
当時40万円をこえていたから、安易に手を加えて故障させてしまうわけにはいかない。

だからA727と同じピックアップメカニズム、デジタルフィルター、D/Aコンバーターを搭載している、
他社製のCDプレーヤーを中古で手に入れて、これであれこれ試したあとでA727にとりかかった。

ステレオサウンド 61号で長島先生もいわれているように、
慎重のうえにも慎重にやっていかなければならないことがある、ということ。

ただあまりにも慎重になりすぎてしまい、
以前書いているように、着脱式の電源ケーブルがきちんと挿っていなかったという例もある。

この辺の力の兼ね合いは言葉で完全に説明できるものではない。
ややつきはなすようだが、自分であれこれやって身につけるしかない。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その2)

IT企業のITは、いうまでもなくInformation Technologyの略である。
だが、日本のIT企業の中には、Information Technologyを持っていないのではないか、と感じる企業もある。

そういう企業もInformation Technologyということになっている。
そういう企業が考えるTechnologyと私が考えるTechnologyが違うのかもしれない。

そういう企業トップが、「日本のモノづくりには……」と発言する。
そういうIT企業の「ような」会社のトップのいうことだから──、と私はおもう。

今回のテクニクス・ブランドの復活は、オーディオ機器というモノづくりを、
パナソニックが復活させた、ということである。

今回発表されたアンプやスピーカーシステムの出来がどの程度なのかについては、
まだ写真を見ただけだから、あれこれ書くのは控えておく。
だが、パナソニックは、先のIT企業の「ような」会社ではない。

それに技術者がいないのでは……、ということは、必ずしもネガティヴなことではない。
テクニクスの製品でいえば、オープンリールデッキのRS1500U。
このモデルの開発には、新しい感覚、新しい考え方を盛り込むために、
あえて半数以上がテープデッキの開発に携わったことのない技術者で編成されたグループが行っている。

RS1500Uの開発に関する記事は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号で読める。
テクニクス号はすでに絶版だが、電子書籍となっている。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その1)

昨夜、ドイツでのIFAでテクニクスの発表があった。
現地時間の15:00〜16:00時におこなわれたカンファレンスの内容は、
インターネットのおかげでその日のうちに知ることができた。

それに大手新聞のウェブサイトでも伝えられていた。
そしてブログやSNSに、発表された製品についての意見が出て来ている。
あえて検索しないでも、facebook、twitterをやっていれば目に入る。

いろいろな意見、感想がある。
その中に、もうオーディオの技術者がいなんじゃないのか、
もしかするとアウトソーシングなのではないか、という書き込みも目にした。

今回のテクニクスのように、開発をストップしてからの復活の場合、
技術者はどうなのか、ということは、つねにいわれる。
私だって、20代のころならば、おそらく同じことを言っていた、であろう。

「何年オーディオの開発から遠ざかっているんだよ」

モノづくりとは、こう言い切れるものだろうか。
つい最近も、日本のモノづくりについて、あるIT企業のトップが発言していたことを目にした。
日本がモノづくりで競争力をとり戻せる日は来ない、というものだった。
これに同調したライターの記事も目にした。