程々の音(その24)
この項の(その1)を書いたのは、
それほど深い意図があってではなく、とにかくタンノイ・コーネッタについて何かを書きたかったから、であり、
コーネッタの最終的な組合せをイメージしてのタイトルとして「程々の音」をつけた。
(その1)を書いたのが2013年12月、半年以上かけて書いているわけだが、
書いている途中で、ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” を何度か思い出していた。
“plain living, high thinking” どう訳すか。
Googleで検索すれば、いくつかの訳が見つかる。
plain livingをシンプルな生活と訳してあるのは、ちょっとひっかかる。
程々の音を直訳的な英語にすれば、moderate soundになるが、
私のなかでは(中途半端な英語だが) “plain living, high thinking” なsound ということに落ち着く。
これではあまりにも中途半端すぎるから、もう少し考えれば、
“plain sounding, high thinking” というところか。
決して “high sounding, high thinking” ではない。
“high sounding, high thinking” があり得ない、といっているのではない。もちろん、ある。
“high sounding, low thinking” があることをいいたいのだ。