Date: 2月 16th, 2009
Cate: 井上卓也
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井上卓也氏のこと(その11)

音の聴き方について、以前、話してくださったがある。
「前のめりになって、聴いてやるぞ、と構えてしまうと、意外とだまされやすいし、
そういう人を音でだますのは、そう難しいことではない。構えてしまってはダメ。
むしろゆったりして、網を広げるようにするんだ。
で、その網にひっかかってきたものに反応すればいいんだよ」

例えは網でもクモの巣でもいい。
感性の網なりクモの巣をひろげる。

網(クモの巣)の形も、若いころは、ある部分が突出してとんがってたり、
違う所はひっこんでいたり、また網の目(クモの巣の目)も、ところどころやぶれてたりする。
それらのいびつなところは、音楽を聴き込むことで、いくつもの経験を経ていくことで、
細かくなっていくし、きれいな円に限りなく近づいていき、
また網(クモの巣)そのものも大きくなっていくものだろう。

井上先生の感性の網(クモの巣)は、とびきり大きく、そして円く、キメの細かさも、
これ以上はありえないというほどだった。
だから、その網(クモの巣)にひっかかかる音の数も、ひときわ多く多彩だ。

黒田先生が、「鬼の耳」と言われたのも、当然だ。

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