名器、その解釈(その7)
(その6)で書いた「スケール」とは、どういうことなのか。
吉田秀和氏がカルロ・マリア・ジュリーニのことを、
大指揮者ではないが名指揮者であった、と書かれたのか語られたのかを読んだ記憶がある。
なるほど、と思った。
カルロ・マリア・ジュリーニは素晴らしい指揮者であり、個人的に好きな指揮者である。
シカゴ交響楽団とのマーラーの交響曲第九番、ベルリンフィルハーモニーとのベートーヴェンの交響曲第九番、
愛聴盤である。
なぜかベートーヴェンの第九はあまり評価は高くないように感じてしまうが、そんなことはない。
他にも挙げたいディスクはいくつもあるが、話を先に進めるために控えておく。
吉田秀和氏のいわれるように、ジュリーニは名指揮者である、
けれど大指揮者とはすんなりいえるかというと、ジュリーニ好きの私でも、少し考えてしまう。
では大指揮者とすんなりいえるのは誰か。
まずフルトヴェングラーがいて、クナッパーツブッシュが、私の場合、すぐに浮ぶ。
他にも何人か挙げられる。
そういう大指揮者と名指揮者を、私のなかで分けてしまうのはなんなのか。
先頃亡くなったフランス・ブリュッヘンも好きな指揮者のひとりであり、
彼もまた大指揮者ではないが名指揮者ということになる。