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Date: 7月 25th, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その19)

その一方で、そんな理屈は分かっている。けれど物量を投入すれば音は良くなる。
音が良くなる以上、そこに投入される物量は必要量であり、
これ以上、物量を投入しても音は良くならない、
そういう領域がほんとうにあるとすれば、そこまでの物量が必要量ということになる──、
こういう考えも成りたつ。

AGI・511と同時代のコントロールアンプ、GASのThaedraの電源部は余裕のある容量である。
ラインアンプがA級動作で8Ωのスピーカーに対して、数Wの出力を確保できるように設計されているためでもある。
もっともラインアンプでスピーカーを鳴らす必要はないわけだから、
それを必要量とはいえないのではないか、そうもいえよう。

511の数年後に登場したスタックスのコントロールアンプ、CA-Xは511と対照的な電源部をもつ。
スタックス独自のスーパーシャント電源回路を採用した外付けのシャーシーは、
小型のプリメインアンプほどの大きさで、アンプ本体のシャーシーよりもずっと大きかった。

音質を追求し、理想の電源を目差した結果が、CA-Xの電源部の大きさということになるわけだ。

どちらが正しい、と断言できることではない。
設計者が、どの立場にいるのかを考えなければ答を見つけることはできない。

AGIのエンジニアであったスピーゲルも、511の電源トランスをもっと大きくして、
平滑用コンデンサーの容量をもっと増やせば、音質の向上につながることはわかっていたはず。
それはQUADのピーター・ウォーカーも同じであったはず。

405の電源部をもっと大きなものにすれば、どういう音の変化をするのかは、
キャリアの長いだけに、充分にわかっていたうえで、
あえて、あの電源のサイズなのだ、受けとるべきである。

Date: 7月 25th, 2013
Cate: 音の良さ

音の良さとは(その3)

私はオーディオを、完全なコントロール下におきたいわけではない、
支配したいわけではない。

それを心がけている。

ある人に、そのことについて話したことがある。
彼から返ってきたのは、「それじゃ、自分の音じゃないでしょ!」だった。
彼は、私とは違い、スピーカーから出てくる音、どんなにささいな音であっても、
すべての音をコントロールした音でなければならない、そうでなければ自分の音とはいえない、
そういうスタンスの人だということが、そのときわかった。

つづけて彼はいう。
「オーディオは自己表現だから」

自己表現だから、オーディオのシステムの自発性的な要素で鳴ってくる音は自分の音とはいえない。
そういうことだった。

その理屈がわからないわけではない。
彼の考え、つまり「オーディオは自己表現」に立てば、彼のいうことが正しい、といえなくもない。

だが私は「オーディオは自己表現」とは、彼ほど強くは思っていない。
自己表現であらねばならない(彼の口調だとそう感じられる)、そこからスタートした音と、
私の考えによってスタートした音とでは、
「音は人なり」の解釈に、大きな違いが生れてくる。

こんなことを含めての「音は人なり」ということにもなる。

Date: 7月 25th, 2013
Cate: 音の良さ

音の良さとは(その2)

少しでも良い音を求めて、時にはオーディオ機器を買い替えることもあるし、
細かな調整をやっていくこともある。

スピーカーの位置・向きをわずかに変えてみる、
スピーカーにレベルコントロールがあれば、ほんのわずか動かしてみる、
他にも細かなことはいくつもある。
ここに書き切れないほど、またうまく言葉でいいあらわせないような細かな多くの要素で音は変っていくのだから、
丹念に音を聴き、地道にやっていくことになる。

こんなことを年がら年中やっているわけではない。
やるときは、集中してやる。
いわば、それはオーケストラのリハーサルのような感じでやっている。

指揮者は楽器に直接ふれない演奏家である。
指揮者にとってのオーケストラが、オーディオマニアにとってのオーディオのシステムということになる。
オーディオのシステムの調整は、リハーサルそのものといっていいだろう。

徹底的にリハーサルを行う。
つまり、徹底してオーディオのシステムの調整を行う。
時には、ほかの人が気にしないようなところに執着しながらも、やっていくしかない。

そうやってオーケストラを鍛え上げるように、
オーディオのシステムを鍛え上げる。
そういう感覚が必要なのではなかろうか。

だからといって、本番で求めるのは、去勢された演奏(音)ではない。
高い演奏技術のうえに成り立つ自発性の高いものである。

Date: 7月 24th, 2013
Cate: 音の良さ

音の良さとは(その1)

音を聴く。
どこか誰かのリスニングルームで、その人の「音」を聴かせてもらう。

一枚目のディスクが鳴る。
一枚で終ることは、まずない。
二枚目、三枚目とディスクはつづいていく。

それまでまったく耳にしたことのないジャンルの音楽だとそうはいかないけれど、
よく聴くジャンルの音楽であれば、
それが初めて聴くディスクであったとしても、
三枚目あたりから、このディスクならこんなふうに鳴ってくるだろう、という予測ができるようになる。

三枚目あたりのディスクも初めてであったとしても、
途中まで聴いていれば、クラシックであれば曲そのものは知っているわけだから、
つづく箇所がどう鳴るのかは予測がつくものである。

予測のとおりの音が鳴ってきた。
そうかぁ……、とひとりおもっている。

予測した音が鳴ってくることは、悪いことではない。
ある程度、そのシステムが鳴っていることでもある。
どこかに大きな不備があれば、予測は外れることもあるからだ。

とはいえ予測のとおりの音が鳴ってきたら、それでいいのかといえば、そんなことはない。
むしろ、ここが「出発点」なのだから。

経験によって、予測は少しずつ精確になってくる。
だからといって、その予測が精確なことを自慢したいわけではない。
予測のとおりの音を求めているのでもない。
求めてきたわけでもない。

求めているのは、常に予測をこえる音である。

Date: 7月 24th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その2)

ケーブルを、オーディオのシステムにおける関節とするならば、
ラジカセは、ひとつの筐体にカセットデッキ、チューナー、アンプ、スピーカーがおさめられているから、
外付けのケーブルは必要としない。
その意味では関節のないシステムということになり、
だからこそ1パッケージであり、ひょいと片手で持ち運べるし、
セッティングもどこかに置くだけだ。

もちろん置き場所によって音は変化するけれど、
コンポーネント・オーディオ的なセッティングの気難しさは、そこには存在しない。

つまりセッティングの自由度がほとんどないかわりに、
セッティングの面倒からも解放されているわけだ。

以前は、一体型ステレオと呼ばれるものがあった。
これもラジカセと同じつくりであり、ひとつにまとめられていた。
セパレート型ステレオもあった。
スピーカー部だけが独立している。つまりスピーカーケーブルが必要となる。
ここで関節が一箇所(正確には左右チャンネル必要だから二箇所)加わる。

そのことでスピーカーのセッティングの自由度は大きく増すことになる。
それまでは左右のスピーカーの間隔も固定されていた。
スピーカー部がセパレートされたことで、
スピーカーケーブルの長さ次第では、ふたつのスピーカーの間を大きく離せる。

コンポーネント・オーディオとなると、プレーヤー、アンプ、スピーカーと分離される。
また関節が一箇所ふえる。
アンプがセパレート型になれば、また関節が増える。
マルチアンプになれば、関節はまた増える。
今度は一箇所ではなく、パワーアンプの数によって、関節の増設も増えることになる。

オーディオが高性能化(高音質のため)にセパレートされてきたことで、
ケーブルの存在箇所(関節)は増えていった。

さらにレコードだけでなく、ラジオも聴きたい、テープも聴きたい、
CDも聴きたい、ということになると、直列的にではなく、並列的に関節が増えていく。

つまりコントロールアンプの入力端子に接続されるケーブルは、並列的な関節ということになる。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その18)

必要量とは、いったいどれぐらいのもの・ことなのだろうか。

昔の高能率のスピーカーユニット、スピーカーシステムは100dB/W/mをこえる出力音圧レベルをもつ。
いまどきの低能率のスピーカーよりも10dB、ときには20dBほどレベルが高い。

ということはアンプの出力もそれほど大きなものは必要としない、といえる。
それに、そのころのスピーカーのインピーダンスは16Ωが一般的だから、
同じ1Wでも、電流の値は8Ωよりも小さくてすむ。

最大音圧時でも、これだけの電流しか流れない、
だからスピーカーの入力端子は、これだけの容量のものでことたりる、という考えができる。
その一方で、音質を追求するのであれば、少しでも音が良くなるのであれば、
より太いスピーカーケーブルをしっかりと接続できる端子が必要ということにもなる。

アンプの出力にしても同じように、ふたつの考え方ができる。

どちらも必要量といえば、そうなる。

コントロールアンプの後に接続されるのはパワーアンプである。
パワーアンプの入力インピーダンスは、コンシューマー機器において高い値になっている。
いまでは10kΩが多いが、AGI・511の時代は47kΩ、50kΩが多かった。
真空管アンプでは100kΩもあった。
低いインピーダンスの代表は、GASのAmpzillaの初期モデルの7.5kΩである。

これらの値の入力インピーダンスの機器に、1Vなり2Vの信号を送り出したときに、
ケーブルに流れる電流を計算してみると、いかに少ないかがわかる。
そんなことを考えれば、コントロールアンプの電源の容量(必要量)はさほど大きくなくてもすむ──、
そういう考えが、まずひとつとしてある。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その17)

AGI・511の天板(といっても平らな板ではなく、コの字上になっている)を取り、
内部を見ると、大きなプリント基板が目に入る。
この基板に、フォノイコライザー、ラインアンプ、電源トランス以外の電源部を構成する部品が取り付けられている。
プリント基板はもう一枚使われていて、これはリアパネルの入出力端子が取り付けられていて、
この、少し小さめのプリント基板とメインのプリント基板はフラットケーブルで結ばれている。

リアパネル右側から入力端子が配置されていて、左側にはACアウトレット用のコンセントがある。
この裏側にトランスが、もうしわけなさそうについている。

扱う信号レベルがもっとも低いフォノイコライザーから物理的に遠いところに電源トランスを置く。
平面上でだけ考えればシャーシーの隅となる。
511では平面上だけの遠い距離ではなく、
プリント基板と同一平面上よりも高いところに取り付けることで、
立体上での距離を確保しているわけだ。

511は主要増幅部はOPアンプだから、完全にディスクリートで構成されたアンプよりも、
消費電流は少ないだからそれに見合った容量の電源トランスといえなくもない。
それでも、ほんとうに小さいな、と思ってしまうほどのサイズである。

平滑用のコンデンサーの容量も、大きいといえない。
定電圧回路を採用しているとはいえ、いかにも最小必要限度の電源部だろう。

どちらかといえば物理投入のアンプが多いアメリカにおいて、この電源部である。
単にケチくさいとはいえないようにも思う。
節倹というべきなのかもしれない。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: 純度

純度と熟度(その1)

大人の男が、実年齢より若く見られて喜んでいるのは、日本人くらいだ、
そんなことをずっと以前に何かに書いてあった。

これがほんとうのことなのかどうかは私にはわからない。
欧米の人でも、若く見られて喜ぶ大人の男はいるかもしれない。
日本人の大人の男全員が、若く見られて喜ぶわけでもないはず。

人によって違うだろうし、同じ人でも現役のときと、仕事をリタイアしてからでは違ってくるのかもしれない。

若く見られる、ということは、つまり貫禄がない、ということだ、とそこでは指摘されていた。

私は以前から実年齢よりも若く見られる。
いまでもそうだ。
これは、年相応の貫禄がない、ということでもあろう。

二年前に、オーディオマニアとしての「純度」(追補)を書いた。

オーディオマニアとしての「純度」を思いついたのは、残り時間を意識しているからなのかもしれない、
と書いた。
それから二年。
オーディオマニアとしての「純度」とともに、
オーディオマニアとしての「熟度」について考えるようになってきた。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その4)

アキュフェーズのT104は、同時期に発表されたコントロールアンプのC240、
パワーアンプP400との組合せを前提としてデザインされたチューナーである。

C240は以前書いているように瀬川先生によるデザインである。
ということはP400もT104も、瀬川先生のデザインと見るべきだろう。

ステレオサウンド 59号のベストバイの特集で、T104について書かれている。
     *
ほんらいは、コントロールアンプC−240、パワーアンプP−400とマッチド・ペアでデザインされた製品。三台をタテに積んでもよいが、横一列に並べたときの美しさは独特だ。だがそういう生い立ちを別としても、アナログ感覚を残したディジタル・メモリー・チューニング、リモートコントロール精度の高いメーター類などは信頼性が高い。そしてそのことよりもなおいっそう、最近の同社の製品に共通の美しい滑らかな音質が魅力だ。
     *
別々の人がそれぞれをデザインしていたとしたら、
「横一列に並べたときの美しさ」は生れなかったのではなかろうか。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その3)

ステレオサウンド 55号での瀬川先生のMy Best3のチューナーに関しては、やや意外な感じを受けた。
ケンウッドのL01T、アキュフェーズT104は新しい製品で、
チューナー以外の項目、スピーカーにしてもアンプにしても、旧製品よりも新製品を中心に選ばれている。
何を選ばれているのかについて、そして選考理由については、こちらをお読みいただきたい。

例外的なのがプレーヤーにおけるEMT・930st、チューナーにおけるパイオニア・Exclusive F3の選出だ。
930stは瀬川先生にとって、ながく愛用のプレーヤーシステムであったから、わかる。
けれどExclusive F3は愛用のチューナーではない。
ステレオサウンド 38号での瀬川先生のリスニングルームの写真には、 F3は写っている。
これは、おそらく43号で書かれているモニター期間だったのだろう。

瀬川先生の新しいリスニングルームの写真には、
アキュフェーズのT104は写っているけれど、Exclusive F3はない。
にもかかわらず、ステレオサウンド 55号でのチューナーのMy Best3として、
すでに旧製品と呼んでいいExclusive F3を挙げられている。

41号で、デザインについてやや否定的なことを書かれていても、
My Best3として挙げられるのには、音質面での、他には買え難い魅力を感じてのことだと思ったからこそ、
Exclusive F3への私の興味は強いものになっていったわけである。

同時に、Exclusive F3の音を聴いてみたい、と強く思うようになってもいた。
けれど聴く機会は訪れなかった。
オーディオ店で、電源の入っていないExclusive F3を見たことはあったけれど、
そこまで留まりだった。

ステレオサウンドで働くようになっても、チューナーの試聴の機会はほとんどなかった。

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その6について、さらに余談)

私がトーレンスのTD224のカラー写真を見たのは、ステレオサウンド 39号が最初だった。
「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」にはカラーが4ページある。
扉にはガラード・301とトーレンスのTD124/IIを真正面撮った写真、
つづく見開きのページには斜め上からの301とTD124/II、
カラーページの最後にTD224だった。

この39号のカラー写真が最初だったこともあり、
TD224のデッキ部分の色は、こんな感じなんだ、とずっと思っていた。
同じトーレンスのTD124とはずいぶん色合いが違うけれど、
これもターンテーブル単体のTD124とプレーヤーシステム、それもオートチェンジャーのTD224、
それぞれの性格の違いから、あえてデッキ部分の色を変えているのだと、そう受けとってしまった。

TD124、301は実物を見る機会も、触る機会も、音も聴くことができたけれど、
TD224に関しては、岩崎先生のTD224を対面するまで、それらの機会はなかった。

そんなこともあって、いま私のところにあるTD224、
確かに汚れはあるけれど、デッキ部分の色はステレオサウンド 39号のままだ、と思った。

昨日、Exclusive F3のクリーニングのために「激落ちくん」を買ってきた。
「激落ちくん」に関しては、特に説明は要らないだろう。
ドイツ生れの新素材のスポンジで、水に濡らして、あとは軽くこすっていくだけである。

特殊な薬品を使わずに汚れを簡単に落していける。
Exclusive F3はずいぶんキレイになった。
まだ細部のクリーニングは残っているけれど、
この「激落ちくん」でTD224もクリーニングしてみよう、と思い、
こっちを優先してしまった。

塗装面ということもあってか、Exclusive F3のときよりも劇的に汚れが落ちるわけではないけれど、
少しずつ汚れは落ちていく。
すると、ステレオサウンド 39号のTD224のカラー写真は、
実は煙草のヤニによって変色していたことがわかる。

ステレオサウンド 39号は1976年出版、
岩崎先生が中野でやられていたジャズ・オーディオは1974年春に閉店している。
いまとは違い、当時は禁煙席などないし、煙草の煙はきっと店内に充満していたことだろう。
なにせ1970年代のジャズ喫茶なのだから、それが当然の風景であったはず。

そういう場所・時代で使われてきたTD224だから、その汚れも「勲章」なのかもしれない。
いわば時代の証しとして、TD224の表面を覆っている、この汚れ、
すでに一部落し始めてしまった。落した汚れはもう元には戻せないから、
これから先ゆっくりとキレイにしていくしかない。

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その2)

ステレオサウンド 43号で、瀬川先生はExclusive F3について、こう書かれている。
     *
自宅で数ヵ月モニターしたのち、返却して他のチューナーにかえたら、かえってF3の音質の良さを思い知らされて、しばらくFMを聴くのがイヤになったことがある。C3やM4と一脈通じる、繊細で、ややウェットではあるが、汚れのない澄明な品位の高い音質で、やはり高価なだけのことはあると納得させられる。
     *
これだけでなく、トリオのKT9700のところでも、Exclusive F3については少し触れられている。
     *
音の傾向は、9300と同系統の、やや硬質で輪郭の鮮明な印象。反面、音のやわらかさやふくらみや豊かさという面では、たとえばパイオニアのF3あたりの方に軍配が上がるが、この辺は好みの問題だ。
     *
ステレオサウンド 43号はベストバイの特集号で、
KT9700は五人(井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三)による選出、
F3はふたり(上杉佳郎、瀬川冬樹)だけである。

KT9700とExclusive F3の音の傾向は正反対であることがわかる。
チューナーとしての性能は、KT9700は150000円と、
Exclusive F3(250000円)よりも安いけれど、
トリオはチューナーを得意としていただけに遜色はないレベル。
それだけに、このふたつのチューターは好対照のように、当時の私は捉えていた。

とにかく瀬川先生の文章によって、F3の音に興味をもった。
43号の一年後の47号でも、
《エクスクルーシヴシリーズに共通のエレガントな音質が独特の魅力。》と書かれている。

51号、55号は筆者別のコメントはなくなり、
どの人がどの機種に点数をいれたのかもわからなくなっている。
それでも55号では、各ジャンルからMy Best3が挙げられている。

瀬川先生にとってのチューナーのMy Best3は、アキュフェーズのT104、ケンウッドのL01T、
それにExclusive F3である。

ここにきて、私のExclusive F3への興味は、やっと強いものになってきた。

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その5)

《今迄このレコードには、たくさんの〝借り〟がある。だが、それをまだ返したことはない。僕にできることといえば、いつも自分のそばに置いておくことだけなのかもしれない。》
     *
岩崎先生にとってソニー・ロリンズのSaxophone Colossusは、
そんな存在のレコードだった。

「あの時、ロリンズは神だった……」は、Saxophone Colossusについての岩崎先生の文章だ。
ビクターの社内報のために書かれた、この文章は、若い時よりも、
歳を重ねたいま読むことで、感じるものがずっと多く、ずっと重い。
最初に読んだ時より、ずっと確かなものが感じられるようになった。

「あの時、ロリンズは神だった……」はSaxophone Colossusとの出合いから始まる。
Dというジャズ喫茶での出合い、というよりも、「僕を襲った」と表現されていることからもうかがえるように、
それがどれだけ衝撃的だったのか、
なにかほかの表現がぴったりくるであろう、そういう出合いである。

《戦慄が背筋を駆けあがる。一瞬、僕はすくむ。後は、ただガタガタ身震いが続いた。
あの何か得体の知れないスゴイものに出合った時に共通する感覚……。》

Dというジャズ喫茶をでた後、都内のレコード店を奔走し、
Saxophone Colossusの輸入盤を見つけ、抱えて帰宅。

《その夜は、スピーカーを通して語りかける〝神〟の声を聞きながら眠った。》
《確かに僕はこのレコードの背後に〝神〟の存在すら垣間見るような気がする……。》

翌朝も早く起きて、薄明りの中でSaxophone Colossusを聴かれている。

《それから、何週間かは他のレコードを聴く気になれなかった。だから、ターンテーブルの上には、しばらく〝サキソフォン・コロッサス〟が乗せたままになっていたのである。》

いったい、どれだけ集中してSaxophone Colossusを聴かれたのだろうか。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・修理のこと)

パイオニアのExclusive F3は、C3、M3と同時発表ではなかった。
M3の次にA級動作のM4が出て、F3の登場は翌1975年だった。

その後、C3、M4は小改良を受け、C3a、M4aになったが、
F3はそのまま製造販売されていた。

いつまで製造されていたのかまでは知らないが、
すくなくとも1980年までは現行製品であった。

最初に製造されたExclusive F3は38年、
1980年に製造されたモノでも33年経過している。

今日、岩崎先生のお宅からExclusive F3をいただいてきたわけだが、
これが故障したら……、どこで修理できるのだろうか、そんなことを思っていたら、
パイオニアでいまでも修理を受けつけてくれることを知った。

Googleで検索してみると、確かに受けつけている。
パイオニアサービスネットワークという会社が、2007年4月に、
「専門性の高いハイエンド製品の修理に特化した拠点を設立し、高品質の修理対応を実施」
を趣旨として設立されていた。

集中修理対象機種として、主にエクスクルーシブ製品、とある。
Exclusive F3も集中修理対象機種リストにはいっている。
ただリストには、Exclusive F3の発売年月が、なぜか1982年11月となっている。

あと二年で発売から40年を迎える製品を、いまでも修理してくれる。
もちろん故障の状況によっては、完全な修理は無理になろうが、
とにかく、こういう体制をつくってくれていることは、ありがたいことである。
すこしでも永くつづいてほしい、と心底おもう。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その1)

パイオニアのFM専用チューナー、Exclusive F3の存在を知ったのは、
ステレオサウンド 41号の特集、井上先生の文章によってだった。

Exclusive F3に興味を持つようになったのは、
ステレオサウンド 43号の特集、ベストバイでの瀬川先生の文章を読んでからだった。

なぜ41号で存在を知った時には興味を持たなかったのか。
それはコントロールアンプのExclusive C3、パワーアンプのExclusive M4とともに、
Exclusive F3も一枚の写真におさまっていたのだが、
C3、M4、F3の中では、F3だけデザインで、なにか違う、という気がしていた。

それに瀬川先生も、41号で、
「チューナーの方は、性能は第一級品だと思う。が、デザインがC3、M3、M4の域に達していない。結局、性能と仕上げの両面のバランスのとれているものはC3とM4、ということになる。」
と書かれていた。

C3もM4もシルバーパネルなのに、
なぜかF3だけヒンジパネル内に細かなボタンを収納するという共通点はあるものの、黒を基調としている。
FMチューナーだから、という理由も考えられなくもないけれど、
Exclusiveシリーズの製品として眺めた時に、どこか違和感がある。

Exclusive F3のデザインが違ったものであったら、
ステレオサウンド 41号の時点で、きっと興味をもったと思う。