終のスピーカー(Saxophone Colossus・その5)
《今迄このレコードには、たくさんの〝借り〟がある。だが、それをまだ返したことはない。僕にできることといえば、いつも自分のそばに置いておくことだけなのかもしれない。》
*
岩崎先生にとってソニー・ロリンズのSaxophone Colossusは、
そんな存在のレコードだった。
「あの時、ロリンズは神だった……」は、Saxophone Colossusについての岩崎先生の文章だ。
ビクターの社内報のために書かれた、この文章は、若い時よりも、
歳を重ねたいま読むことで、感じるものがずっと多く、ずっと重い。
最初に読んだ時より、ずっと確かなものが感じられるようになった。
「あの時、ロリンズは神だった……」はSaxophone Colossusとの出合いから始まる。
Dというジャズ喫茶での出合い、というよりも、「僕を襲った」と表現されていることからもうかがえるように、
それがどれだけ衝撃的だったのか、
なにかほかの表現がぴったりくるであろう、そういう出合いである。
《戦慄が背筋を駆けあがる。一瞬、僕はすくむ。後は、ただガタガタ身震いが続いた。
あの何か得体の知れないスゴイものに出合った時に共通する感覚……。》
Dというジャズ喫茶をでた後、都内のレコード店を奔走し、
Saxophone Colossusの輸入盤を見つけ、抱えて帰宅。
《その夜は、スピーカーを通して語りかける〝神〟の声を聞きながら眠った。》
《確かに僕はこのレコードの背後に〝神〟の存在すら垣間見るような気がする……。》
翌朝も早く起きて、薄明りの中でSaxophone Colossusを聴かれている。
《それから、何週間かは他のレコードを聴く気になれなかった。だから、ターンテーブルの上には、しばらく〝サキソフォン・コロッサス〟が乗せたままになっていたのである。》
いったい、どれだけ集中してSaxophone Colossusを聴かれたのだろうか。