Archive for category テーマ

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その13)

もう五年くらい前のことになるだろうか、
電車に乗ってきた時に耳にはいってきた話だ。

スーツ姿の、40代から50代くらいの人たちが、オシロスコープについて話していたのが聞こえてきた。
オシロスコープにも液晶ディスプレイが採用されはじめてきているけれど、
反応速度の点で十分とは言えず、まだまだCRTのオシロスコープを使っていくことになりそうだ、ということだった。

その液晶ディスプレイの反応速度も向上してきている。
この人たちも、いまはどうなのか。
まだまだ液晶ディスプレイの反応速度では不足なのか、それとも実用に耐える速度になってきているのだろうか。

iPhoneに採用されている1インチあたりの画素数300dpi前後の液晶を見ていると、
液晶ディスプレイによるメーターについて、だれもが考えることだろう。

液晶ディスプレイにメーターを表示させるのであれば、どんなデザインのメーターも可能になる。
メーターを取り付けることでの音への影響については、(その2)で書いた。
液晶ディスプレイにすればゼロとはいわないまでも、実際のメーターを使うのよりは少なくなる。

それにいいメーターが少ない。
瀬川先生が、LNP2についているメーターはひじょうに信頼できる、といわれたが、
そのメーター、ウェストンのメーターもいまは手に入れにくい。

メーターを自製できるメーカーであれば、満足のいくモノを調達できようが、そういう会社はいまではわずかだ。
ならば液晶ディスプレイによるメーターは、自然と行き着く考えといえる。

今年のオーディオ・ホームシアター展で、そんなヘッドフォンアンプが展示してあった。

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その3)

同等のクォリティであれば、競合製品よりも高い値付けの方が売れる──、
そんな時代がオーディオにもあった。

ケーブルを作っているメーカーが、新製品(新素材)のケーブルをあるところにもちこんだ。
ケーブル会社の人たちは、このくらいの価格で売り出そうと考えています、
そういったところ、「もっと高くした方が売れますよ、高くしましょう」と言われたそうだ。

これはその場に居合わせた人から直接聞いた話で、
ケーブル会社がどこなのか、持ち込み先がどこで、誰が言ったのかも聞いている。

晒し者にしたいわけではないから、そういった細かなことは書かないが、
そういう時代がオーディオにあった、ということは確かなことである。

メーカーも利益をあげなければ事業を継続していけなくなるのだから、
適正価格である必要がある。無理に安くしてくれなくともいい。
メーカーにとっても、高く売れれば、それだけ利益が上るのだから商売としてはいい、ということになる。

それでもメーカー側がこれだけの価格で、といっているのを、もっと高くして売れ、
というアドバイス(?)するのは、おかしなことである。

これと同じような話は、他にも聞いている。
それらは又聞きだったりするので書かないけれど、高くしても売れる、
高くした方が売れた、というのは、豊かな時代だったのだろうか。

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その13)

いまやラックは、家具としてではなく、オーディオ機器のひとつとして存在しているかのようだ。
そしてラックの種類も増えてきた。

面白いアイディアだな、と思えるラックもあれば、まゆつば物だな、としか思えないラックもある。
棚板の素材もいろいろあるし、その形状にも工夫がこらされてきている。

棚板を支える柱に関しても、数の違いがあり、
棚板のどの部分を支えるのか、という違いがある。

いま、ヤマハのGTラックのような開放管の形状のラックはあまりない。
柱と棚板からなるラックが主流である。

ラックの基本的な構造だけを見た場合に、
ほとんど変化はない、ともいえる。

四本柱と棚板というラックでは、棚板とそこに設置されたオーディオ機器の重量は、柱が受けとめている。
柱があり、柱と柱をフレームで結合し、このフレームが棚板を支える構造にしても、そう変ってはいない。

棚板が重量級なのか軽量級なのかも、そう大きな違いとはいえない。
だから、どんなラックが登場してきても、新しいラックとは感じられない。

オーディオでは、いい音が得られることが大事なことだから、
新しいラックでなくとも、結果としてえられる音がよければそれでいいことはわかったうえで、
これからもラックの新製品はけっこう数が登場してくるであろうが、それが新しいラック、
つまりいままでなかった基本構造のラックであることはあまり期待できなそうだ。

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その26)

598のスピーカーシステムが加熱していた1980年代、
私はステレオサウンドの試聴室で井上先生が鳴らされる音を聴いている。

だから598のスピーカーシステムがうまく鳴った時の音は知っている。
けれど、一本59800円のスピーカーシステムを買う人の多く(すべてといってもいい)は、
使いこなしの実力のある人とはいえない。

598のスピーカーが最初のオーディオという人も多かったし、
システムコンポーネントからの次のステップとしての598のスピーカーを購入した人も多かったと思う。

そういう人たちがうまく鳴らせるスピーカーではなかったことは、はっきりといえる。

ステレオサウンドの試聴室という、音を聴くだけの環境で、
アンプにしてもCDプレーヤーにしても、
598のスピーカーとは価格的にアンバランスな機器を組み合わせることがほとんどである。
スピーカースタンドもしっかりとしたモノが用意されていた。

そしていちばんの大きな違いは、鳴らす人。
つまり井上先生が、その場にいるかいないかである。

確かに598のスピーカーシステムは、この価格のスピーカーとは思えないほど物量が投入されていった。
その意味では、お買得なスピーカーといえるけれど、
それはあくまでもスピーカーシステムを、そこに投入された物量だけで判断してのことでしかない。

これだけの物量が投入されていれば、いい音で鳴ってくれる可能性はある。
あるけれど、その可能性をほとんどの人が抽き出せなければ、無駄になるどころか、
そのために使いこなしが難しくなっているのであれば、害になっていたともいえる。

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その23)

電子制御トーンアームを搭載したアナログプレーヤーを出したソニー、ビクター、デンオン三社で、
デンオンだけが業務用アナログプレーヤーを開発製造していた。
その意地なのか、後発のデンオンの電子制御トーンアームが、完成度という点では良くできていたと思える。

デンオンのDP100は、ダイレクトドライヴに不信感をもっていた私でも、
一度聴いてみたい、と思わせるだけの内容だった。

業務用に準ずる、と先に書いているが、
それまでの国産プレーヤーにはほとんどなかった形態で(唯一マカラがあった)、
どこかEMTの930stに通じる、というよりも、意識したところがある。
決して嫌いではないプレーヤーだった。

ただ930stに憧れていた私には、電子制御トーンアームを搭載したDP100Mになると、
トーンアームの部分だけがコンシューマー用になっている感じを受け、
そのわずかなちぐはぐさが、業務用に準ずる、といいたくなる点でもある。

だから当時は、DP100Mではなく、アームレスのDP100のほうに関心が強かった。
DP100MとDP100の差額(200000円)があれば、当時市販されていたトーンアームならばどれでも選べる。
ならば他のトーンアームを選択したい、などと夢想していた。

でも、いまはDP100Mの方に興味がある。

DP100MもDP100も販売店で実物をみたことはあるけれど、
ステレオサウンドの試聴室で聴く機会はなかったし、どこかで聴く機会もなかった。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・余談)

音場をどう読むか。
(おんば)か、(おんじょう)か。
これについては以前書いている

音場を(おんば)と読むか(おんじょう)とよむかで、微妙なところで意味するところが変ってくる。
それをここでくり返しはしないが、
オーディオ・ホームシアター展で、8KのデモでNHKのスタッフの人は音場(おんば)と発音されていた。

これがNHK全体でそう発音しているのか、
それとも8Kの開発に携わっている人たちにおいてのことなのかまでははっきりとしない。
そして意識的に音場(おんば)なのかどうかもわからない。

ただ8Kのすごさとともに、音場(おんば)であったことが印象に残っている。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その3)

オーディオ雑誌におけるショウ関連の記事は、誰のためのものだろうか。
ショウを開催した人たちを満足・納得させるためのものではない。
ショウに行きたくとも行けない・行けなかった人たちのものである、と私は考える。

私自身がずっとオーディオフェアに行きたい、と思っていたから、余計にそうだ。
東京に住んでいても、都合がつかない人は大勢いることだろう。
多くの人は土日は休みだけれど、そうでない職種の人も多い。

仕事の都合はついても、その他の都合がつかないことだってある。
行きたくとも行けない。
そういう人たちにとっての記事であってほしい、と私は思う。
そういう記事を、中学生のころから求めていた。

この気持は、オーディオに興味を持ち始めた時から、
オーディオフェアやオーディオショウに行くことが出来ていた人には生れてこないものかもしれない。

ステレオサウンドが以前二冊出したオーディオフェアの別冊は、
インターネットがなかった時代ならば、あの編集でもよかった。
けれどそれから30年以上が経過して、時代は変っている。

ショウに来れなかった人は何が知りたいのか、何を求めているのか。
それに応えるためには、どういう記事を編集すべきなのか。
その答が、ショウ終了後の取材であり、
各ブースのスタッフの人たち、各ブースでデモもしくはプレゼンテーションを行った人たちへの取材である。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その25)

新製品が出るたびに重量が増していく──、
まさにそんな感じだった当時の598のスピーカーシステムは、使いこなしという展ではやっかいな存在でもあった。

まずスタンドを選ぶ。それまでのブックシェルフ型スピーカーシステム以上にスタンドの影響を受ける。
まず、重くなった重量をきちんと受けとめるだけのしっかりしたスタンドであること。

これが満たされていなければ、当時の598のスピーカーがうまく鳴ってくれることはなかった、といえる。
しかもがっしりしたスタンドは重量もあり、材質も剛性の高いものということになってくる。
そうすればスタンド固有の音も、以前よりも顕在化してくる。

それから重量バランスが重量増とともに悪くなっていた598のスピーカーシステムでは、
スタンドとの位置関係でも、音のバランスがはっきりと変化してくる。

専用スタンドであれ汎用スタンドであれ、
スタンドのどの位置にスピーカーを置くのか。
それをどう調整していくのか。

まず最初はスタンドがスピーカーシステムの底面の真ん中にくるように置く。
スピーカースタンドがスピーカーの底面よりも小さな場合、特に顕著に音にあらわれるが、
量感のある低音は得にくくなる。

つまり前側(フロントバッフル側)が重いスピーカーを、
そんなふうに置いてはスタンドの前側に歌集がかかりすぎる。
これをスピーカーの前後位置を少し後にずらす。
これだけのことで帯域バランスは変化していく。

その変化が、重量の軽いスピーカーシステムよりも重量のある(ありすぎた)598のスピーカーでは、
はっきりとシビアに出てくる。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その3)

NHKのブースを出た後にソニーのブースの前を通ったら、
4Kのデモをもうすぐ始める、ということだった。

8Kの後でなければ素通りしていた。
けれど4Kをきちんと体験してみたいと思った。

NHKのブースもソニーのブースもスクリーンとプロジェクターによる。
NHKのブースでの器材の説明はなかった。
ソニーでは、最上級機のプロジェクターということだった。

最初にスクリーンに映し出されたのは、アメイジング・スパイダーマン2だった。
春にドルビーアトモスの映画館で観ているだけに、はじめて観る映画よりも何かを掴みやすい。
その次はホビットであり、アラビアのロレンスも映し出された。

8Kを観た後でなければ、なかなかいいな、と思えただろう。
でも8Kを観て、それほど時間は経っていなかった。

NHKのブースで8Kを観ていて考えていたことのひとつに、情報量はどこまで必要か、ということがあった。
8Kの情報量は、明らかにこれまでと違う領域に入ってきている、と感じる。
4Kとは、ここが決定的に違うのではないか。

私が幼いころ、テレビはまだモノクロだった。
小学校にあがるころくらいにカラーテレビになった。
それからブラウン管のサイズが大きくなり、音声多重放送が始り、
衛星放送、ハイヴィジョン、といった技術が登場してきている。

幼いころのモノクロテレビの画質を憶えているわけではないが、
4Kと比較すると、それはものすごく大きな差である。

それでもモノクロテレビから4Kまでは、私のなかでは連続している。
けれど8Kは、技術としては連続していても、それが与える印象は連続しているようには感じられなかった。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その22)

デンオンのDP100Mに搭載された電子制御トーンアームは、
価格的にソニー、デンオンのモノより高価だったのが違いではない。
違いはトーンアームのデザインにあった。

すでに書いてきたようにソニーのモノもデンオンのものも、ひと目で電子制御とわかる外観だった。
それもいい意味ではなく、悪い意味でそうであって、電子制御という新しい技術に対して、
オーディオマニアに期待を抱かせるようなデザインにはなっていなかった。

デンオンのDP100Mのトーンアームは、見た目で電子制御がどうかの判断はできない。
デンオンのトーンアームは、DA307、DA308、DA309、DA401に共通している外観、
柳腰といいたくなる外観が特徴であった。

DP100Mのトーンアームは、柳腰的なイメージはまったくなくなっている。
リジッドなトーンアームに仕上っている。

アームパイプはS字型とストレート型のふたつが附属している。
パイプの径はストレートの方が細く、しかも仕上げは黒ということもあって、
ストレートパイプを装着すると、DP100Mのトーンアームの軸受け部のマスの大きさはより強調される。
ここにマスの大半が集中している。

DAシリーズのトーンアームの面影は完全になくなっているかというと、そうでもなく、
カウンターウェイトの形状はDAシリーズのイメージを残っている。
この部分で、何も知らずにこのトーンアームも見せられても、デンオンのトーンアームかな、とわかる。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その21)

デンオンもソニー、ビクターに続いて電子制御トーンアームを搭載したプレーヤーシステムを出した。
デンオンは、ダイナミックサーボトレーサーと呼んでいた。

デンオンは、ソニー、ビクターとは少し違っていた。
ソニーの最初の電子制御トーンアームを搭載したPS-B800は200000円だった。
PS-B800の上には1977年発売のPS-X9(380000円)があった。
PS-X9はカートリッジ附属(XL55Pro)、イコライザーアンプ搭載のプレーヤーシステムであるから、
PS-B800とは製品としての性格が異る面ももつため、
完全な比較はできないというものの、
PS-B800は少なくともソニーにとって最上級のプレーヤーシステムではなかった。

PS-B800は1981年ごろ製造中止になっている。
後継機種といえば、PS-X700、PS-X75、PS-X600Cといった、PS-B800の普及モデルでなっていた。

ビクターも最上級機に電子制御トーンアームは搭載していなかった。

デンオンは普及クラスだけでなく、最上級機のDP100Mにも電子制御トーンアームを搭載していた。
DP100Mは、プロ用機器に準ずる内容をもったプレーヤーシステムである。
DP100MにはアームレスタイプのDP100もあった。

価格はDP100Mが900000円、DP100が700000円。
単純に計算すれば、DP100Mの電子制御トーンアームの価格は200000円ということになる。
1981年当時、トーンアーム単体の価格として、200000円は最も高価だった。

とはいえすば抜けて高価だったわけでもない。
フィデリティ・リサーチのFR66Sは140000円、パイオニアのExclusive EA10は130000円、
マイクロのMAX282は150000円、サテンのAR1Sは148000円だった。

Date: 10月 20th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その7)

川崎先生の講演が終り、展示してある七枚の羽二重=HUBTAEに触れる。

私は布地の専門家ではない、素人である。
専門の人たちがどういうふうに七枚の羽二重=HUBTAEに触るのかを見てから、
それをマネして触ってみようと思っていたけれど、最初の一枚に触ってみると、
そんな真似をしなくとも、オーディオマニアにはオーディオマニアとしての触り方があるように感じて、
ピンと張ったりしながら、あれこれ触ってみた。

七枚を触った後で、また最初から触っていた。
会場には多くの人がいたから納得するまで触っているわけにはいかない。
それから子供のころよくやっていたことを思い出していた。

紙や布をピンと張って口を付けて振るわせる、というものだ。
実はこれを試してみたかったけれど、顰蹙をかうことは必至だからしなかった。

七枚の羽二重=HUBTAE、

こし:もちもち・しこしこ
はり:バリバリ・パリパリ
ぬめり:ぬるぬる・べとべと
ふくらみ:ふかふか・ふわふわ
しゃり:しゃりしゃり・しょりしょり
きしみ:きしきし・きゅっきゅっ
しなやかさ:しなしな・たらたら

これらを振るわせて音を出してみたら、
どういう違いが出てくるのだろうか。

手で触っていた時に感じていた違いよりも、はっきりと感じられるのか、それともそれほどでもないのか。

Date: 10月 20th, 2014
Cate: 憶音

憶音という、ひとつの仮説(その4)

小学校のころ飲んでいたコカ・コーラはガラス瓶に入っていた。
それからコカ・コーラをケースで買うと、コップがついてきた。
このコップに注いで飲んでいた。

小学生だと一気に飲めない。
しかも氷を入れていた。
しばらくすると氷は溶け、炭酸も抜けてしまう。
そんなコカ・コーラをストローで吸って飲んでいた。

そうなってしまったコカ・コーラに、あまり薬っぽい味はしなかった。
そして思うのは、いまコカ・コーラを買ってきて、炭酸が抜けた状態で飲んだ味は、
実のところ、昔とそう違っていないのではないか、ということだ。

私が小学生のころは炭酸飲料はそう多くはなかった。
いまはかなりの数があり、ハタチをこえれば炭酸入りのアルコールも飲むようになる。
そうやって炭酸という刺戟になれてきてしまっている。

炭酸への耐性が、小学生のころはほとんどなく、いまはしっかりとある、といえるだろう。
とすれば、コカ・コーラの味、初めて飲んだ時のコカ・コーラの味は、
炭酸という刺戟があってこそのものではないのか。

氷点下の三ツ矢サイダーは、通常の三ツ矢サイダーよりも炭酸がきめ細かく強い。
だから、はじめて飲んだ三ツ矢サイダーの味を思い出せたのかもしれない。

菅野先生が麦茶と思って口にしたコカ・コーラの味が、初体験のコカ・コーラの味をよみがえらせたのは、
炭酸飲料ということを知らずに飲まれたからではないのか。
麦茶と思ってだったから、炭酸は予期せぬ刺戟だったわけだ。

Date: 10月 20th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その2)

以前のオーディオフェアには、プロトタイプが展示されていることがあった。
製品化されるかどうかはわからないけれど、その時点での最新の技術による、独自のモノがあった。

いま、プロトタイプの展示はまずない。
製品化の一歩前の製品が展示されていることはある。
でも、それらは新製品として、いずれオーディオ雑誌の新製品紹介のページに登場してくる。

だから、このブースには、こういうアンプ、スピーカーが展示されていました、と、
写真と簡単な文章が誌面に載っていても、関心をもつ人がそれほどいるとは考えられない。

それにショウ関係の記事は、いまではメインの記事扱いではない。
特にステレオサウンドでは12月発売の号は、毎年恒例のステレオサウンド・グランプリとベストバイであり、
このふたつにページ数の多くは割かれてしまう。
他の記事に割り当てられるページ数は残り僅かである。

ショウに実際に行けば毎年実感するのだが、
くまなく取材していこうとすれば、三日でも足りない。
各ブースでは、スタッフによるデモも行なわれれば、オーディオ評論家によるデモもある。
それらをひとつひとつ取材していくのは、編集部総出で三日間来ても、十分な取材といえるかどうかである。

いまショウ関連の記事を、ベテランの人が書く、ということはまずない。
けれど昔は違っていた。
ステレオサウンド別冊のオーディオフェアのムックの巻頭は、岡先生が書かれていた。
七頁にわたる記事である。

こういう記事を読みたい、と思うが、いまの筆者で書ける人は誰がいるだろうか、と考えると、
私には思い浮ばない。
それに岡先生の記事が、いまの時代、ベストというわけでもない。

いま私がオーディオショウ関連の記事で望むのは、ショウが終った後の取材である。

Date: 10月 20th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その1)

インターナショナルオーディオショウが終った。
オーディオ・ホームシアター展も、ハイエンドオーディオショウも終った。
あとは今週末のヘッドフォン祭で、秋のオーディオ関係の催し物は終る。
(大阪は11月にショウがあるけれども)

11月以降発売になるオーディオ雑誌には、これらのショウのことが記事として載る。
けれど、どのオーディオ雑誌の、ショウ関連の記事にはまったく期待していない。
この記事は、いま必要なのだろうか、と編集者は考えていないのだろうか、とも思う。

これだけインターネットが普及していると、
ショウの初日は各ブースの写真が、いくつかのサイトやブログで公開される。
個人サイトもあれば、出版社のサイトもある。主催者のサイトやfacebookにも写真が載る。

どのブースの音がどうだったとか、その他いろいろなことが、やはりサイトやブログ、掲示板にも書きこまれていく。
私だって、こうやって書いている。
これらが一段落した後に、オーディオの雑誌は出る。

そこに何を書くのか。
ほんとうに難しくなってきた。
写真にしても、インターネットにはページ数の制約がないから、載せようと思えばどれだけでも載せられる。
しかもサイズも大きくできるし、カラーである。

もちろん世の中のオーディオマニアの全員がインターネットをやっているわけではないことはわかっている。
その人のためにも、オーディオ雑誌での記事が必要、ということなのか。

けれど、それにしては記事のボリュウムが少なすぎる。