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Date: 12月 30th, 2016
Cate: 書く

毎日書くということ(キーボードで書くということ)

このブログは、インターネットに接続して書くわけだから、
キーボードで入力している。
私の場合、親指シフトキーボードだから、
JISキーボードでのカナ入力、ローマ字入力とは違うタイプミスがある。

読み返すことをせずに公開しているから、
後で気づいて、こっそりタイプミスや変換ミスを直している。
それでもすべてを見直しているわけではないから、
まだまだ残っているはずだ。

昨夜公開した「オプティマムレンジ考(その11)」では変換ミスがあった。
音量が音良になっていたのを、facebookでの指摘があった。

そのコメントには、指摘だけでなく、
音良量、音良幅(レンジ)、というコメントもあった。

音量が音良になった変換ミスは偶然なのだが、
音良は、確かにオプティマムレンジにつながっていくところがあるのを、
コメントを読んで感じていた。

手書きでは起らない変換ミスには、
時々ではあるが、どきっとして、考えさせられることがある。

先日も変換ミスをしたわけではないが、
音場(おんじょうと読むかおんばと読むかについては以前書いている)について、
おんじょうの音場は、音の乗算、つまり音乗といえるかもしれない、と思っていた。

Date: 12月 15th, 2015
Cate: 音影

音影と陰翳礼讃

音像と音場。
これだけでなく、音影という、再生音の捉え方があると考えるようになった。

音像はおんぞうと読む、
音場は、おんじょう、もしくはおんばと読む。
ならば音影は、おんえいとなるわけだが、いんえいとも読める。

いんえいは、陰翳でもあり、
陰翳礼讃であり、
私の中では、音影と陰翳礼讃のつながりについて書いていくのが来年のテーマになりそうだ。

Date: 10月 21st, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・余談)

音場をどう読むか。
(おんば)か、(おんじょう)か。
これについては以前書いている

音場を(おんば)と読むか(おんじょう)とよむかで、微妙なところで意味するところが変ってくる。
それをここでくり返しはしないが、
オーディオ・ホームシアター展で、8KのデモでNHKのスタッフの人は音場(おんば)と発音されていた。

これがNHK全体でそう発音しているのか、
それとも8Kの開発に携わっている人たちにおいてのことなのかまでははっきりとしない。
そして意識的に音場(おんば)なのかどうかもわからない。

ただ8Kのすごさとともに、音場(おんば)であったことが印象に残っている。

Date: 12月 2nd, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その2)

映画が映し出されるスクリーンの大きさは無限大ではないから、縁がある。
縦と横にそれぞれが縁があるからこそ、映画は成立するものであり、
だが時としてその縁を観客に意識させないようにしたいと考えている制作者もいるのではないだろうか。

船は時にあるららぽーとの西館に新しくできた映画館(TOHOシネマズ ららぽーと船橋)、
私がスタートレックを観てきた劇場は500人ほどの大きさ。
都内にはこれよりも大きな劇場があるし、その劇場のスクリーンよりもサイズとしては小さくなる。

けれど縁を感じたか、ほとんど感じなかった、ということでいえば、
TOHOシネマズ ららぽーと船橋のスクリーンは、大きさ(縁)をさほど意識しなかった。

これが今回はじめて体験したドルビーアトモスがもたらしてくれたものなのかどうかは、
まだなんともいえない。
それでも無関係とは思えなかった。

TOHOシネマズは来年日本橋にもできる。
その後上野、新宿にもできる。
おそらくドルビーアトモスも導入されることだと思う。
そうなってくれれば船橋まででかけなくても、もう少し近くの劇場で体験できるようになる。

最近ではホームシアターを熱心に取り組んでいる人の中には、
映画館よりも自宅の方が音も映像もよい、と感じている人が増えているらしい。

確かに昨日のTOHOシネマズ ららぽーと船橋は質の高い映画館だったが、
それほどでもない映画館があるのも事実で、
ホームシアターのマニアが、映画館よりもよい、と思うのはわからないわけではない。

でも、別項で書いている現場(げんば)と現場(げんじょう)
音場(おんば)と音場(おんじょう)でいえば、
ドルビーアトモスが体験できた映画館は現場(げんじょう)である、とはっきりといえる。

Date: 8月 12th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その24)

オーディオ雑誌において、スピーカーの傾向をあらわすのに、
音場型と音像型にわける人がいる。
この分け方はスピーカーだけとは限らなかったりするのだが、
音場(おんじょう)ということを考えていけば、これは奇妙な分け方であることにすぐ気づかなければならない。

音場がきちんと再現されているのであれば、音像も再現されている。
また音像がきちんと再現されているのであれば、音場も再現されている。

にも関わらず音場型・音像型という分け方をする人がいまだにいるし、
そのことに疑問を感じない人がいる。
そういう人が書いたのを読むと、音像に対しての捉え方にひどい異和感を感じてしまう。
この人が感じている音像とは、いったいどういう現象なのだろうか、と。

音場型・音像型という分け方、表現をしている人が聴いてるのは、
もしかすると音場(おんじょう)ではなく、音場(おんば)なのではないだろうか。
こうも感じてしまう。

さらにいえば、音場と音場感は似て非なるものだと私は考えている。
そんな私からみれば、音場型・音像型を使う人のいうところの音場型とは、音場感型なのではないのか。

音場型・音像型は、いっけんわかりやすく感じられる。
だが音場の定義、音像の定義をきちんと、その分け方をしている人は、どこかで書いているのだろうか。
音場と音場感の違いについても、書いているのだろうか。

音場(おんじょう)と音場(おんば)があるように、
音場感(おんじょうかん)と音場感(おんばかん)があるようにも思っている。

Date: 7月 17th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その23)

オーディオの「現場(げんじょう」は、どこなのかが、やっと見えてきたような気がする。

そして音場をおんじょう、と呼ぶのか、おんば、と呼ぶのか。
これについての私なりの答もはっきりとしてきた。

左右への拡がりも同じようにあり、
奥行きの深さも同じようにある、ふたつの再生音があったとする。
ひとつの再生音には、ステージの存在が感じられ(意識され)、
もうひとつの再生音にはステージが存在が感じられない(意識されない)、
としたら、ステージがある再生音の音場は(おんじょう)であり、
ステージがない再生音の音場は(おんば)と呼ぶべき、
これが私の考えである。

こう定義すると、意外にも音場(おんば)である再生音が多いことにも気がつく。

Date: 7月 16th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その22)

最近ではあまり使われることが少なくなった気もする言葉に、臨場感がある。
1970年代には、この臨場感はよく目にしていた。

臨場感は必ずしも音場感と完全に一致するものではないにも関わらず、
音場感という言葉が誰もが使うようになってきた1980年以降、
音場感と交代するかのように臨場感の登場回数は減ってきたのではなかろうか。

臨場感にも「場」がついている。
臨場感は、りんじょうかんと読む。
音場を、おんじょうではなく、おんばと読む人でも、臨場感はりんじょうかんである。

「場」をじょう、と読むわけだ。
つまり現場(げんじょう)と同じで、そこで何かが起っている「場」に臨む、
臨んでいるかのような感覚を、臨場感というわけだ。

では、いったい何に臨んでいるのか。どういう「場」に臨むのか。
ここで考えるのは、オーディオについてのことだから、
答は、ひとつしかない、といいきっていいだろう。

ステージ(stage)こそが、「場」(じょう)である。

そう考えていくと、オーディオにおける現場(げんじょう)とは、
ステージであり、ステージのあるところ、であるはずだ。

Date: 7月 1st, 2012
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その1)

中学、高校のときは、音場を「おんば」と呼んでいた。
現場を「げんば」と呼ぶし、磁場は「じば」と呼ぶから、「おんば」なんだと思っていた。

おんじょう、と呼ぶようになったのは、ステレオサウンドで働くようになってからだ。
音場は「おんじょう」か「おんば」か、どちらが正しいのか。
現場は、「げんば」とも読むし「げんじょう」とも読む。
現場という単語が使われる状況によって「げんば」であったり「げんじょう」であったりする。

音場は、オーディオの世界ではすくなくとも「おんじょう」と読まれることが圧倒的に多い。
だから、それにしたがって、「おんじょう」と読んでいるわけだが、
「おんじょう」と読むことによって、
原音(げんおん)を「げん」と「おん」に分解して漢字変換したのと同じように、
「おん」と「じょう」に分解して変換することができる。

こんな当て字を思いついた。
「音情」だ。