Archive for category テーマ

Date: 9月 19th, 2016
Cate: ロマン

オーディオのロマン(Car SOS)

イギリスのテレビ番組に”Car SOS”がある。
日本では「カー・SOS 蘇れ! 思い出の名車」というタイトルになっている。
車、オーディオの修理のことを書いていて、この番組について書きたくなった。

番組の存在は知っていたけど、私が見始めたのはシーズン4からである。
見事な修理がなされる。
文字通り、ボロボロだった車が新車かと思うほどに仕上がって、オーナーの元に帰ってくる。
いい番組だと思う。

シーズン4からしか見ていないので、
すでにそういう内容の回が放送されていたかもしれない。
私が、この番組で、ぜひとも見たい、と思うのは、
その後である。

番組自体も、「その後」である。購入後といえる。
なんらかの事情で、愛車が傷んでいくばかりの状態に置かれている。

これが新車同様になって戻ってくるわけだが、
私が知りたいのは、新車同様に戻ってきた車の「その後」である。

シーズン1の初回は2013年2月とある。
番組に登場して三年以上が経っている車もあるわけだ。
三年では、ちょっと短い気もする。
個人的には、もう少し経ってから、修理されて五年、十年後を見たい、と思うのだ、
ロマンについて考えるうえでも。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: ロングラン(ロングライフ)

自分で直すために必要なのは……(その1)

古いオーディオ機器だと、メーカーが修理を受け付けてくれなくなる。
愛着のあるオーディオ機器が修理を必要とするようになったとき、
メーカーが修理してくれなくなったらどうするか。

修理をあきらめるか、修理専門の業者に依頼するか、自分で修理するかのどれかになる。
若いころと違って、50をすぎると、音が出なくなったオーディオ機器は、
修理可能なモノであっても、そのまま手元に置く、という選択もありだ、と思うようになってきた。

人にも動物にもモノにも寿命があるわけだから、
その寿命をまっとうしたモノは、腐っていくわけでもないし、
スペースがゆるせばそのままにしておくのもいい、とも思う。

新品同様に修理するのもいい。
そのまま手元に置いておくのもいい。
どちらもいい、と思うようになってきたのは、歳のせいなのだろうか。

数ヵ月前、秋葉原にパーツを買いに行った。
目的の店には先客がいた。
店の人にあれこれ訊ねていた。

けっこうな声の大きさだったので、話が聞こえてくる。
国内メーカーの古いアンプを自分で修理しよう、としている様子だった。

ただ話していることからすると、電気的な知識はあまりない人で、
おそらく初めてのアンプの修理に挑戦するように思われた。

その人は秋葉原にコンデンサーを探しに来ていた。
なんでもメーカーに問い合せたところ、すでに修理に受けつけていない機種でことわられた。
でも、修理担当の人は、自分で修理するときはどうすればいいのか、アドバイスをしたようだ。

その人は、この容量で、この耐圧のコンデンサーはありませんか、と聞いていた。
その店に来る前にも、秋葉原にあるいくつかのパーツを扱っている店に寄ったけれど、
どこにもなかったそうだ。

その規格(容量と耐圧)のコンデンサーは、いまでは一般的とはいえない。
知識のきちんとした人であれば、代替できる規格のコンデンサーを選択する。

店の人も、容量はそのままで耐圧だけは高いものにすれば、といっていたけれど、
その人は、メーカーから必ず同規格のコンデンサーにしてください、と何度もいわれたから、
同じ規格コンデンサーでなければ困る……、そんな会話がなされていた。

人によっては、不親切なメーカーの修理担当者だと思うであろう。
でも私は、その場にいて、話が耳に入ってきていたから、
その修理担当者が、そのように答えたのもわかるような気がする。

店の人も、私と同じだったのか、
メーカーの方がそういわれたらそうされた方がいいですね、と返事されていた。

店の人も、最初は容量だけ同じにして、耐圧は高いものを、とすすめていた。
けれど相手をしているうちに、考えを少し変えたように感じられた。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その9)

TDKのMA-Rには、亜鉛ダイキャストのハーフが使われている。
当時、MA-Rが最初に金属ダイキャストのハーフを採用したカセットテープだと思っていた。

けれどMA-Rの一年前に、テクニクスがダイキャストのハーフを採用している。
テクニクスの広告には材質にはふれていないが、
テープのハーフに磁性体を使うわけはないから、アルミか亜鉛のはずだ。

テクニクスが金属ダイキャストのハーフを採用したのは、三種のテストテープにおいてである。
RT048CFが周波数特性/角度補正用のクロームテープで、25,000円(桁は間違っていない)。
RT048Wがテープ速度/ワウ・フラッター試験用で、17,000円。
RT048NFが周波数特性/角度補正用のノーマルテープで、25,000円。

テストテープということもあって、プラスチック製の一般的なカセットケースではなく、
厚手のハードカバーの書籍を思わせるケースとなっている。

テクニクスのRT048シリーズはあくまでもテストテープであるから、
いわゆる生テープと呼ばれる録音可能なテープとは違うから、
生テープで最初に金属ダイキャストのハーフを採用したのはTDKのMA-Rであり、
RT048シリーズのことを知っている人もいまでは少ない、と思う。

RT048の実物は見たことがない。
カラー写真で見たきりだ。
ダイキャストのハーフの写真がなければ、
RT048の写真を見ただけで、ダイキャストのハーフであることに気づく人は少ないはずだ。

よく見れば、質感が通常とは違うことは気づいて、金属ダイキャストであるとは思わない。
RT048とMA-Rの違いを、写真でもいいからじっくりと比較してほしい。

MA-Rというデザインが、はっきりとしてくるからだ。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その4)

今年のインターナショナルオーディオショウにはテクニクスが出展することは、
その1)でも書いているが、書きながら、どのブースを使うのだろうか、と思っていた。

ハーマンインターナショナルが出展しなくなって開いたブースも埋まっている。
これまで出展してきたところが、今回は出展しないわけでもないからだ。
テクニクスのブースは、D棟1階のホールになっている。

某社の試聴会でも使われたところのはずだ。
G棟のブースよりも広いはずである。
けっこう人は来るであろうし、それだけの人が入る空間でもある。

テクニクスは、当然テクニクスのスピーカーシステムを鳴らす。
あの空間で鳴らすのか、と思ってしまう。

一昨年、昨年の音展での音出しのままでは、D棟1階のホールでは通用しないであろうことは、
テクニクスのスタッフの人たちは、わかっているはずだ。
わかったうえで、D棟1階のホールに出展するのであろう。

テクニクスの本気の音が聴けるのは、
ヤマハのNS5000の音とともに、今回のインターナショナルオーディオショウでの楽しみとなっている。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その12)

オーディオよりも自動車の世界の規模ははるかに大きい。
雑誌の数だけをみても、オーディオ雑誌と自動車雑誌とでは、後者の数が圧倒的に多い。

きく所によると、自動車雑誌ではリセールバリューについての特集が組まれることがあるそうだ。
私が20代前半のころに会った人、
オーディオ機器購入の際、手放すときのことを考えて、という人は車好きの人だった。

車が好きで、それこそ数年ごとに新しい車に乗り換えたい──、
そう考えて、それを楽しみにしている人にとっては、
購入時に、手放すときの価格について考慮するのは重要なことなのだろうし、
自然なことなのでもあろう。

頭では、そう理解できる。
理解できても共感はできない。

別項「価値か意味か」をここでも考える。

Date: 9月 19th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その6)

コルグにメールアドレスを登録している人には、
メールが届いていているであろう、Nutubeが、やっと発売になる。
9月23日から個人向けの発売が行われる。

個人向けの販売が始まる前に、
無線と実験、ラジオ技術に製作記事が載るのであろう、と思っていた。
製作記事が広告にもなるからだ。

でも無線と実験にもラジオ技術にもNutubeを使ったアンプの製作記事は載らなかった。
なので市販はもっと先になるのか、と思っていたところに、今回の報せである。

それからデータシートも更新され、より詳細な情報が得られる。
これも嬉しい。あれこれ想像できるようになるからだ。

少なくとも年内発行の無線と実験、ラジオ技術には製作記事が載るであろう。

Date: 9月 18th, 2016
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その11)

私が買ったオレンジ色のデ・ローザは、すでに組まれた状態だった。
もしフレーム単体で見て一目惚れして購入したのであれば、
パーツ類は、デ・ローザと同じイタリアのカンパニョーロにした、と思う。

でも完成車での一目惚れであった。
メインパーツはカンパニョーロではなく、日本のシマノのデュラエースで組まれていた。
シートピラー、ステム、ハンドルも日本製。
リムはフランスのマビックだった。

いまでこそデ・ローザもシマノで組まれることが増えてきたけれど、
いまから20年前はそうではなかった。
デ・ローザはカンパニョーロで組むべきモノという空気が、非常に濃かった。

それでも目の前にある自転車はシマノで組まれ、それに一目惚れしたのだし、
パーツをカンパニョーロに交換してもらえば、予算をさらにオーバーすることになる──、
そんなことは実は考えなかった。

もうこれがいい、という感じで決めてしまった。

私が買ったロードバイクを買い取ってもらうとすれば、
それほどの高値はつかないと思う。
パーツのほとんどが日本製であるからだ。
むしろフレームとパーツを、バラバラにして売った方がいいであろう。

でも買うときは、そんなことはまったく考えない。
目前にあるモノが欲しい! と思ったから買ったわけだ。

だがこれも人によって違う。
買うときに、常に手放すことを考えて買う、という人がいるのを知っている。
何もひとりではない。

オーディオ機器であっても、他の趣味に関するモノであって、
買取り、下取りで値が崩れないモノ、できれば高くなる可能性のあるモノを選ぶ人がいる。

20代前半のときに、はじめてそういう人に会った。
その人の口から直接聞いた。
さもあたりまえのように話していた。

年齢は彼の方がずっと上である。
それが大人の考えなのか──、とは思わなかった。
他に、こういう人がいるとも思わなかったが、その後、何人かいた。

ということはもっといるということである。

Date: 9月 17th, 2016
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その18)

変換効率が低い、つまり出力音圧レベルが低いスピーカーであれば、
同じ音圧に得るのには、より大きなパワーを必要とする。

低能率のスピーカーにつながれているスピーカーケーブルにかかる電圧は、
高能率のスピーカーよりも高くなるし、
電流に関しても多くなる。

しかも高能率時代のスピーカーのインピーダンスは、
多くが16Ω、32Ωというものもあった。

アンプがソリッドステートになり、スピーカーのインピーダンスは8Ωが主流になった。
その後、6Ωのモノも増えてきた。
最近では4Ωのモノも当り前のようにある。

低能率で低インピーダンスとなると、
電流はさらに増えることになる。

電力の伝送においては、
ケーブルに起因するロスをできるだけ減らすために、
同じ電力であれば電圧を高くして、電流を抑える。
逆に、電圧を低くして、電流を増やしてしまうと、ロスが増えてしまうことになる。

ロスが増えるということは、ケーブルの影響をより大きく受けている、ともいえる。

低能率・低インピーダンスのスピーカーにつながれるケーブルは、
その意味で太くならざるをえない。
導体が太くなるということは、静電容量も増えがちになる。

静電容量を抑えるには、線間をできるだけ確保するのが効果的である。
そうなるとケーブルは太くなる。

同時に導体そのものの振動も増える。
この影響も、もしかすると低能率スピーカーで聴くほうが、顕著に聴きとれるかもしれない。
増えた振動を抑える対策によって、ケーブルはまた太くなる。

Date: 9月 17th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その2)

セレッションのSL6という小型スピーカーシステムが登場したときのことは、
いまもはっきりと憶えている。

ステレオサウンドの試聴室で、山中先生の新製品の試聴がそうだった。
それまでの小型スピーカーのイメージは、
良くも悪くもロジャースのLS3/5Aによってつくられていた。
すくなくとも私はそうだった。

それを覆したのがSL6であり、
さらにクレルのKMA200(モノーラルで、A級動作200Wのパワーアンプ)で鳴らした音は、
低音域の相当に低いところにおいても見事としかいいようがなかった。

SL6は、だから売れた。
セレッションはエンクロージュアのみアルミハニカムに変更したSL600を続いて登場させた。
SL600は、すぐに購入した。

購入してわかるのは、以前も書いているように、
SL600にはある種の聴感上のS/N比の悪さがある。

いろいろ試してみた結果、
エンクロージュアの材質であるアルミハニカムに起因するものだ、といえる。

SL600を聴感上のS/N比の悪いスピーカーというと、
逆だろう、と思われるかもしれない。

確かによくなっているところはある。
アルミハニカム・エンクロージュアの特質といえる音があるのは確かだ。

でもそれは良い面ばかりでなく悪い面もある、というだけの話で、
それはSL600だけに限った話ではなく、すべてのどんな材質、方式にもいえる。

アルミハニカム・エンクロージュアの可能性は、SL600を鳴らしていて感じていた。
でも、そのままではどうしようもない欠点も感じていた、ということだ。

見た目をまったく気にしないのであれば解決法はある。
けれど、それではあまりにもみっともない見た目になってしまう。

SL600の欠点をはっきりと確認するためには、実験としてそういうことをやっても、
そのままの状態で聴き続けることはしない。

それではどうするのか。
こうすれば解決するのではないか、という方法は考えていた。
でも、それを試すには、当時は無理だった。

Date: 9月 17th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その1)

いまの時代、スピーカーの自作は、昔と比べてどうなのか、と思うことがある。
ここでいう昔とは、私にとっては1970年代後半から1980年代前半ぐらいのことを指す。

JBLのユニットはコンシューマー用、プロフェッショナル用ともに充実していた。
アルテックも、そのころは健在だった。
タンノイもユニットを単売してくれていた。

私が好きなフィリップスのフルレンジユニットも現役だった。
ジョーダン・ワッツのModule Unitもあった。
他にも使ってみたい、鳴らしてみたいユニットが、いくつもあった。

エンクロージュアをつくってくれるところもいくつもあった。
いまはみななくなってしまったが、エンクロージャー、インペリアル、進工社などがあった。
他にもいくつかあった。

その時代のHI-FI STEREO GUIDEをめくっていると、
おもしろかった時代だったな、と思う。

ある時期、昔より自作には向いていないことがあったのは確かだ。
でもいまの時代はどうだろうか。
昔とは違うのはインターネットがあり、さまざまな情報を得られるようになり、
同時にインターネットの普及がサービスを大きく変えていっていることも考え合わせると、
いまの時代、昔よりもスピーカーの自作がおもしろいといえるようにもなってきている、
そのことに気づかされる。

もちろんすべての面で……、とはいわないが、
いまの時代がおもしろいといえることがいくつもある。

Date: 9月 17th, 2016
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その17)

スピーカーの変換効率を向上させていく。
現時点では1%以下の変換効率のスピーカーが大半になってしまっているが、
それを理想といえる100%までもっていく技術が開発されたと仮定する。

そうなったときにスピーカーの音色の違いはなくなるのだろうか。

私が生きているうちには、そんなことはやってきそうにないけれど、
それでも考えてみた。

100%の変換効率をもっていたら、
スピーカー間の音色の違いはほとんどなくなる、といえるかもしれない。

100%の変換効率を実現するスピーカーの方式とは、
いったいどういうものになるのか、それはわからない。

たとえばステレオサウンド 50号に長島先生が書かれていたような、
スピーカー周辺の空気を磁化し、振動させるという方式で100%の変換効率が実現できたとしたら、
振動板がないわけだから、少なくとも振動板の素材がもつ固有音は排除できる。

少なくともなんらかの素材を振動板にするかぎりは、変換効率を100%にすることはできないはずだ。

──そんなことを考えていたこともある。
実際にはありえない100%の変換効率のスピーカーだと、
スピーカーケーブルの違いをどう表現するのか、とも考えた。

ケーブルの違いが、
いまわれわれが聴いているスピーカーとは比較にならないほどはっきりと聴きとれるのか。
そうだとしたらケーブルメーカーは、さらにあの手この手でさまざまな新商品を出してくるんだろうか。

こんなことも考えていた。
同時に、1%以下の変換効率のスピーカーシステムで、
ケーブルの違いが音として聴きとれる、という不思議さに気づいた。

ただ、すぐさまむしろ逆なのかもしれない、とも気づいた。
むしろ変換効率が低いからこそ、ケーブルの違いが音として出てきている、といえる面もあるのではないか。

Date: 9月 15th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ヤマハNS1000M・その10)

ここまでヤマハのNS1000Mについて書いてきて、
ふと頭に浮んだことがある。
「NS1000Mはヴィンテージとなっていくモノなのか」である。

別項で「ヴィンテージとなっていくモノ」を書いている。
書いている途中で、NS1000Mについて、そこで書く予定はまったくなかった。
ついこの間まで、私はNS1000Mをヴィンテージとなっていくモノとして見ていなかった。

でも、ここまで書いてきて、
これから書いていこうと考えていることを照らし合せているうちに、
NS1000Mはヴィンテージとなっていくモノといえる気がしてきた。

このことが頭に浮んだときは、そうとはいえないな、と即座に否定したけれど、
でも考えれば考えるほど、否定の気持は薄れていっている。

かなり薄れてきているから、いまこれを書いているわけだ。
まだヴィンテージとなっていくモノとは断言できずにいる。

そのことを含めて、今後書いていきたい。

Date: 9月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 200号に期待したいこと(その3)

すでにステレオサウンド 200号は書店に並んでいるのだから、
ここのタイトルも変えなければならないのだが、
それでも、あえて変えずに書こう。

まだ200号は見ていない。
それでも目次だけは、ステレオサウンドのウェブサイトで見ることができる。
ざっと眺めて思ったり感じたりすることは、いくつもある。

そのひとつを書けば、先ほど別項で書いた「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
この種の、いわば地味な記事、けれど年月が経って読んでも興味深い内容、
むしろ年月が経つことで、よりおもしろく読める内容の記事を、
いつのころからか現ステレオサウンド編集部は軽んじている、と感じることだ。

200号には附録がついている。
200号らしい、創刊50周年らしい附録と思う人の方が世の中多いであろう。

でも、今回の附録は200号らしい、というか、200号にふさわしい附録だったのだろうか。
これまでの50年が終り、次の50年への一歩となる201号のほうが、よりふさわしかったのではないだろうか。
そんなことを思う。

200号らしい、つまり50年という区切りをつける号の附録としてふさわしいのは、
地味で、手間もかかるけれど、50号の巻末附録である。

50号の巻末附録は、地味である。
けれど役に立つ。丹念に見ていくことで気づくことがいくつもある。

文字だけ、といっていい巻末附録。
丹念に見ていくのは、けっこうしんどいと感じても、得られることが多々ある。
50号分(正確には49号分と別冊分」だけでもそうだった。
200号(50年分)となれば、50号の四倍以上のボリュウムになる。

こんな面倒で、しかも誌面が地味になってしまうことを、
現ステレオサウンド編集部がやろうはずがないことはわかっていた。
それでも……、というおもいがあって、(その1)で書いた。

それにしても地味でも味わい深い記事が、まったくなくなってしまった。
違う表現で書けば、
これからのオーディオについて考えていくうえできっかけ、手がかりを与えてくれる記事が、
過去の記事ばかりという現実である。

Date: 9月 14th, 2016
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その4)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に掲載されていた瀬川先生の文章を、
別項で引用した。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」そのものをひっぱり出してこなくとも、
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている瀬川先生の文章はテキスト化しているから、
このブログを書いているMacのハードディスクに記録されている。

それでも「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」をひっぱり出してきた。
ひっぱり出して、実際にページをめくることで気づくことがあるのを知っているからだ。

巻末に「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」という記事がある。
インタヴュー形式で、聞き手は相沢昭八郎氏。

糸川英夫氏についての説明はいらないだろう。
ばっさりと省かせてもらう。
知らない人は、Googleで検索していただきたい。

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」は1978年に出ている。
ほぼ40年前の本であり、「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」は40年前のインタヴュー記事である。

タイトルになっている未来学の「未来」とは、すでに過ぎ去った時代のことだろうか、
それともまだ来ていない時代のことなのだろうか。

こんなことをあえて書いたのは、昨夜読み返していて、実におもしろいと感じたからである。
正直にいえば、1978年にも、この記事は読んでいた。
でも当時は、15歳の私は、それほどおもしろさがわからなかった。

この記事に「空間のマルチ化」という表現が出てくる。
それから伝声管のことも出てくる。

こんなにおもしろい記事だったのか、といまごろワクワクして読んだ。

Date: 9月 13th, 2016
Cate: オーディスト

「オーディスト」という言葉に対して(その23)

audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)とは、
神の御言葉を聴けない者は不完全な人間である、
神から与えられた言葉を聴けない、話せない者は不完全な人間である、
と主張する人たちのことだ、と聞いている。

このことを知っていたから、(その22)で、
五味先生の「マタイ受難曲」を引用したうえで書いた。

(その22)の最後に書いたことを、もう一度書いておく。

オーディスト(audist)という言葉ではなく、
オーディスト(聴覚障害者差別主義者)を生み出したのは、教会という、人が作ったシステムである。

五味先生の「マタイ受難曲」を読んでも何も感じない輩は、オーディストと名乗ればいいし、使えばいい。