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Date: 11月 14th, 2016
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その12)

真空管アンプは、いま世に溢れている、といっていい。
そうとうに高額で大掛かりな真空管アンプもあれば、
よくこの値段でできるな、
感心するというかあきれるほどの低価格のアンプ(おもに中国製)もある。

自作アンプもある。
技術系雑誌に掲載されているアンプもあれば、
インターネットで検索してヒットするアンプもある。

それこそアンプの数だけのレベルの違いが、見てとれる、ともいえる。

真空管アンプは、半導体アンプよりもトランス類の数が多くなる。
電源トランスはどちらにも共通しているが、
真空管アンプでは出力トランスが、ここでテーマにしている五極管シングルアンプでは不可欠である。

チョークコイルも不可欠とまではいえないものの、あったほうがいい。
それにしてもオーディオ雑誌は、なぜチョークトランスと表記するのだろうか。

少なくともこれだけのトランス類は必要で、
例えば単段アンプならば入力トランスも必要となる。

入力トランスを使わなくとも、
ステレオアンプならば、出力トランスが二つ、電源トランスが一つ、チョークコイルが一つとなる。
鉄芯のコアをもつものが、シャーシー上に四つ乗っている。

これらのトランス類は干渉し合う。
漏れ磁束がある、それに振動も発している。
重量もある。

トランスの影響はトランスだけが受けているわけではなく、
他のパーツも受けている。

メーカー製のアンプでも、雑誌に載っているアンプの中にも、
これらトランス類の配置に無頓着としか思えないモノがある。

トランス自体がシールドされていると、すぐにはコアの向きはわからないが、
シールドなしのトランスであれば、どの向きに配置しているのか、すぐにわかる。

なぜ、こんな配置に? というモノが少なくない。
なにも真空管アンプだけの話ではない。
スピーカーのネットワークのコイルの配置にも同じことがいえる。

高音質パーツを使いました、と謳っていながらも、その配置には無頓着。
そういうモノが少なからずある。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その101)

ステレオサウンド 58号の、927Dst vs Referenceの文章は、
次の書き出しではじまる。
     *
 すでに56号386ページ「話題の新製品」欄で詳細をご報告したトーレンスのプレーヤー「リファレンス」。EMT930と、同一のTSD15型カートリッジをつけかえながらの比較試聴では、明らかに930を引離した素晴らしい音を聴かせてくれた。こうなると、価格的にも同格の927Dstとの一騎打ちだけが、残されることになった。「リファレンス」358万円、「927Dst」350万円。これが、いま日本で、一般の愛好家に入手できる最高のプレーヤーシステムということになる。
     *
別の書き出しも、実はある。
書き出しだけの短い原稿が残っている。
     *
 すでに本誌56号(386ページ「話題の新製品」欄)で、スイス・トーレンス社の驚異的なプレイヤー「リファレンス」システムについて、詳細をお報せした。その折の試聴では、参考比較用に、エクスクルーシヴP3、マイクロ5000(2連)+オーディオクラフトAC3000MC、それにEMT♯930stの三機種を用意したことはすでに書いた。
 そして、これら三機種のどれよりもいっそう、「リファレンス」の音のズバ抜けて凄いこともすでに書いた。
 一式358万円という「リファレンス」に、その1/3ないし1/7と価格に違いはあるにしてもP3のよくこなれた形とDDモーター、マイクロの2連糸ドライブ、EMTのスタジオ仕様のアイドラードライヴ……と、三者三様ながらそれぞれのコンセプトの中でのベストを選んでいるのだから、ここまできてもなお、プレイヤーシステムを変えるだけで、全く同一のカートリッジとレコードの、音質や音のニュアンスないし味わいがびっくりするほど変化するという事実は、非常に考えさせられる。
     *
同じようなところもあるが、そうでないところもある。
この書き出しで始まったとなると、続く内容は58号掲載のもと違ってくるはずだ。

それにしても、なぜ、この書き出しの原稿は残っているのだろうか。

さらに瀬川先生はもう一本、書かれている。
こちらも途中までであるが、けっこう長い。
     *
 すでに本誌56号(386ページ、話題の新製品)で、スイス・トーレンス社の特製プレイヤー「リファレンス」については、詳細をお知らせしたが、その折の試聴では、エクスクルーシヴP3、マイクロ5000(二連)、それにEMTの930stを比較用として用意した。だが、文中でもふれたように、「リファレンス」の桁外れの物凄い音を聴くにつけて、これはどうしても、EMTの927Dstを同一条件での比較試聴をしてみなくてはなるまい、との感を深めた。
     *
この書き出しも同じといっていいが、このあとに続くのは、
927Dstと930stの音の違いが、どこから生じるのかについて書かれている。

58号の文章には、
《 それぐらい、927Dstと930stは違う。そのことが殆ど知られていないし、その違いがどこから生じるのかについても、実は詳しく書きたいのだが、ここでのテーマは「リファレンス」と927Dstの比較であって、与えられた枚数が非常に少なく、残念乍ら927Dstそのものについては、これ以上説明するスペースがない。》
とある。

私の手元にある瀬川先生の原稿は、そこのところを書かれたものだ。
書きたかったけれども、原稿枚数が足りなくて書けなかったのか──、
と58号を読んだ時には思ったが、実際は書かれていたのだ。
書いた上で、枚数が足りなくなってしまい削除されている。

Date: 11月 13th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その100)

瀬川先生が担当されていたのは、一本だけだった。
927Dst vs Referenceである。

「The Match いま気になるライバル製品誌上対決!」は、
タイトルはともかくとして、企画そのものは間違っていない。
事実、瀬川先生の担当分はおもしろかった。

他のものにしても、機種の選定は、いま見ても間違っていない。
にも関わらず、読んでいても、わくわくしてこない。

手抜きされているわけではない。
伝わってくるものが、瀬川先生のにくらべると明らかに少なく感じる。
こちらの読み方が悪いのか、と当時は思って、何度か読み返した。
それでも同じだった。

このライバル対決は、その後のステレオサウンドでも、何度か行われている。
けれど、それほどおもしろいとは感じなかった。

結局、この企画は書き手にとってかなり難しいものだといえる。
瀬川先生のがおもしろいのは、瀬川先生の文章が優れているからではなく、
瀬川先生自身、927Dst、Reference、そのどちらも惚れ込まれたモノだからである。

この点が、他の方の、他のライバル機種とで、決定的に違っている。
瀬川先生以外は、みな冷静に比較されている。
それでいいといえるのかもしれない。

だがこの企画の最初にあるのは、
瀬川先生の927Dst vs Referenceである。
まず最初に、これを読んでいる、ということを忘れてはならない。

いま、同じライバル対決を行うのであれば、
どうやればいいのかは自ずとはっきりしてくる。

そう難しいことではない。
ステレオサウンド編集部が気づいているかどうかは、私は知らない。

Date: 11月 13th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その99)

《STATE OF THE ART》賞だけでは特集としてのボリュウムが少ないため、
58号には特集2がある。
「The Match いま気になるライバル製品誌上対決!」である。

どういったライバル機種が取り上げられているか、というと……。
 EMT:927Dst vs トーレンス:Reference
 スペンドール:BCII vs ハーベス:Monitor HL
 パイオニア:S955 vs ダイヤトーン:DS505
 エスプリ:APM8 vs パイオニア:S-F1
 ビクターA-X7D vs サンスイ:AU-D707F
 ラックス:PD300 vs ビクター:TT801+TS1+CL-P10
 パイオニア:Exclusive P3 vs マイクロ:RX5000+RY5500
 フィデリティ・リサーチ:FR7 vs テクニクス:EPC1000CMK3

これらのライバル機種を、
上杉佳郎、岡俊雄、瀬川冬樹、柳沢功力の四氏が担当されている。

この企画は、それまでのステレオサウンドにはなかった。
新しい試みであり、扉ページをめくると、927DstとReferenceの写真が出てくる。
瀬川先生の担当である。6ページある。

おもしろかった。
927Dstは3,500,000円、Referenceは3,580,000円。
学生にはとても手の届かないアナログプレーヤーではあっても、
それまで瀬川先生の書かれてきたものを熱心に読んできた者にとっては、
このふたつの比較記事は、なによりも読みたかった、といえる。

期待外れではまったくなく、期待以上におもしろかった。
だから、この新企画はおもしろい、とも感じた。

そうなると、続くライバル機種のページへの期待も高まるのだが……。

Date: 11月 13th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その98)

ステレオサウンド 58号の表紙はスレッショルドのSTASIS 1だった。
57号の表紙と同じで天板をはずしての撮影で、アングルも近い。

57号表紙のハーマンカードンのCitation XXもいいアンプのひとつなのだが、
STASIS 1が次号の表紙となると、フロントパネルに色気(のようなもの)が足りないことに気づく。

58号の特集は《STATE OF THE ART》賞である。
三回目の《STATE OF THE ART》賞ということもあって、
一回目の49号とは特集自体のボリュウムも違う。

12機種が選ばれている。
一回目が49機種、二回目が17機種である。
一回目は現役の製品すべてが対象だったため、選ばれた機種が多いのは当然で、
二回目以降はいわゆる年度賞的に変っているのだから、機種数が減って当然である。

何が選ばれたのかについて、ひとつだけ書いておく。
オーディオクラフトのトーンアームAC3000MCのことである。

AC3000MCは1980年に登場した新製品ではない。
二回目の《STATE OF THE ART》賞選定で洩れてしまっている。
     *
 実をいえば、前回(昨年)のSOTAの選定の際にも、私個人は強く推したにもかかわらず選に洩れて、その無念を前書きのところで書いてしまったほどだったが、その後、付属パーツが次第に完備しはじめ、完成度の高いシステムとして、広く認められるに至ったことは、初期の時代からの愛用者のひとりとして欣快に耐えない。
     *
と瀬川先生は書かれている。
これを読んで、なんだか嬉しくなったのを憶えている。

オーディオクラフトのトーンアームは、そのころは触ったこともなかった。
58号の《STATE OF THE ART》賞では、SMEの3012-R Specialも選ばれている。
特集の巻頭にカラーのグラビアページがある。

そこではAC3000MCと3012-R Specialが並んで写っている。
レギュラー長のトーンアームとロングアーム。
違いはそれだけではない。

単体のトーンアームとして見たときに、SMEはなんと美しいのだろう、と思う。
一方AC3000MCは単体で見た時以上に、洗練されていないことを感じてしまった。

ここにメーカーとしての歴史の違いが出てくるというのか、
それ……、いくつかのことを考えながらも、
AC3000MCは、いかにも日本のトーンアームだと思っていた。

オーディオクラフトのトーンアームは、アームパイプ、ウェイト、ヘッドシェルなどのパーツが、
豊富に用意されている。
これらをうまく組み合わせることで、
使用カートリッジに対して最適な調整ができるように配慮されている。

もっともパーツ選びと調整を間違えてしまっては、元も子もないわけで、
そのことについては瀬川先生が58号で、
メーカー側にパンフレットのようなカタチで明示してほしい、と要望を出されている。

SMEとは違うアプローチで、それは日本的ともいえるアプローチで、
ユニヴァーサルアームの実現を、オーディオクラフトは目指していた。

3012-R Specialは、ナイフエッジ採用のトーンアームとしての完成形ともいっていい。
AC3000MCは、その意味では完成形とはいえない。
まだまだ発展することで、完成形へと近づいていくモノである。

SMEとオーディオクラフトは、
受動的といえるトーンアームにおいて、実に対照的でもある。

瀬川先生が、こう書かれている。
やはりこういうキャリアの永い人の作る製品の《音》は信用していいと思う、と。

瀬川先生の文章を、いま読み返すと、
賞に対して、何をおもうか、を考えてしまう。

Date: 11月 13th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その15)

別項でヴィンテージをテーマにして書いている。
これから先、どう書いていくのかほとんど決めていないが、
それでもヴィンテージをテーマにして、JBLの4301について書くことはない。

4301が登場してそろそろ40年になる。
かなり古いスピーカーではある。
けれど、4301はヴィンテージスピーカーと考えたことは、これまで一度もなかった。

なのにこんなことを書いているのは、
ネットオークションに4301が出品されていて、
そこにはヴィンテージの文字があったからだ。

オークションだから、売り手はできるだけ高く売りたい。
売り文句としてヴィンテージなのかもしれない。

それとも売り手は、本気で4301をヴィンテージスピーカーと思ってるのだろうか。
そして、それを見た人の中にも、4301をヴィンテージスピーカーと捉えてしまう人がいるのか。

4301をヴィンテージと呼ぶ人が、どういう世代なのかはわからない。
私と同じ、もしくは上の世代であれば、4301をヴィンテージとは呼ばないだろう。

4301が製造中止になって十年以上経ってからのオーディオマニアなのだろうか。
だとしても、だ。
私がオーディオに興味を持つ以前の、4301よりもずっと古いスピーカーで、
4301的位置づけのスピーカーを、ヴィンテージとは捉えない。

売らんかなだけの商売。
そこで使われる「ヴィンテージ」。
それがつけられてしまう4301(オーディオ機器)。
時代の軽量化を感じてしまう。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その3)

アルテックのイギリス版といえるヴァイタヴォックス。
CN191、Bitone Majorがよく知られていた。

1970年代では、アルテックのA5、A7の音と同じで、
いくぶん古めかしいが、響きの豊かで暖かい音だ。

Bitone Majorは、システム構成からしてアルテックのMagnificentと同じといえる。

ヴァイタヴォックスの名も、1980年代以降あまりきかなくなった。
そしてカタログからも消えていった。

ヴァイタヴォックスという会社は、
軍需用を含めた業務用スピーカーメーカーとしてもいまも健在だが、
いわゆるトーキー用、コンシューマー用といわれる部門からは撤退していた。

ヴァイタヴォックスの製品ラインナップは、アルテックよりも少なかった。
ユニットの数も少ないし、スピーカーシステムの数はさらに少ない。
新製品はずっと登場していなかった。

しかもイギリスのオーディオ関係者からも存在を忘れられている──、
そんなことを瀬川先生が、ステレオサウンド 49号に書かれている。

そんなヴァイタヴォックスのスピーカーが消えてしまったのは、
会社がなくなったわけではなく、収支があわなくなった故の、その分野からの撤退なのだろう。

そうなっていったのは、新製品が発表されないから、でもあろうし、
時代にそぐわないから、なのかもしれない。

時代にそぐわない音、といえば、そうかもしれない。
だが必要とされない音ではないと思う。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その2)

1980年前後は、スピーカーのマグネットが、
アルニコからフェライトへと全面的と移行せざるをえなかった時期と重なる。

アルテックもユニットをフェライト化していった。
同軸型ユニットの604-8Hは604-8KSになっていった。
ウーファー、ドライバーもフェライトになった。

タンノイもそうだが、同軸型ユニットはアルニコとフェライトの違いは、
ユニットの設計を全体でやり直すことが必要となる。

マグネットの磁気特性の違いから、アルニコとフェライトでは最適な形状が異り、
そのためフェライトにすることでユニットの奥行きはアルニコよりも短くなる。
そうなると同軸型ユニットの場合、中高域のホーン長が短くなるということに直結する。

604シリーズ中、フェライトになった604-8KSを傑作と評価する人がいるのは知っている。
その人が、アルテックに精通している人であることも知っている。

その評価を疑うわけではないが、アルテック全体として見た場合、
JBLがフェライト化に成功したのに、アルテックはお世辞にもそうとはいえない。
むしろ失敗したように映った。

アルテックは没落していく。

アルテックもJBLも元を辿ればウェスターン・エレクトリックに行き着く。
このふたつのスピーカーメーカーは浅からぬ縁もある。
JBLは生き残り、アルテックは消失した(といっていいだろう)。

アルテックが没落した理由について書きたいわけではない。
その理由は、ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」を読めばわかる。

アルテックという会社が消失したことで、アルテック・サウンドと呼べる音も消えつつある。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その1)

1970年代後半くらいまではアルテックは健在だった、といえる。
私がオーディオに興味をもちはじめてステレオサウンドを読みはじめたころ、
A7、A5といった古典的なモデルの他に、Model 15、Model 19といった、
コンシューマー用モデルも登場したばかりで、Model 19の評価は高かった。

Model 15は写真で見ても、いい恰好とはいえず興味をもてなかったが、
Model 19はずんぐりむっくりしたプロポーションが、
安定感を感じさせるとともに、そのことがアルテックの音を表しているようにも思えた。

数年前、中古を扱うオーディオ店にModel 19があった。
ひさしぶりに見たな、と思いながら、
やっぱり、このカタチは好きだな、と思い出していた。

Model 19のころ、アルテックは2ウェイでありながら、高域のレンジを延ばそうとしていた。
専用トゥイーターに比べればまだまだといえても、
従来のアルテックよりはワイドレンジになって、成功している、といわれていた。

実は私が最初に聴いたアルテックはModel 19だった。
A5、A7も現役モデルだったし、より有名ではあっても、
オーディオ店に置いてあるかどうかによって、
歴史の長いブランドにおいては、最初に聴いたモデルは、
世代によっても、どこに住んでいるのかによっても、違ってくる。

私はModel 19であり、好感をその時からもっていた。
その後、604-8Gが604-8Hになる。
620Aも620Bとなる。
そして604-8Hを中心に4ウェイ・モデル6041が登場した。

JBLの新製品の数からすればアルテックは少なかったが、
アルテック健在と思わせてくれた。

けれど1980年代にはいると、あやしくなってくる。
9861、9862のころからである。

それ以前にもA7にスーパートゥイーターを加えて3ウェイ化したA7XSを出していた。
音は聴いたことがないけれど、成功作とは決していえない。
すこし迷走しはじめた感じもあったけれど、6041の登場がそれを吹き消していた。

私は9861、9862にA7XSと同じにおいを感じていた。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その97)

41号から読みはじめて57号。
四年ステレオサウンドを読んできて、気づいたことがあった。

特集に山中先生はあまり登場されないことだった。
《STATE OF THE ART》賞、ベストバイなどは書かれている。
けれど総テストとなると、なぜか登場されない。

プリメインアンプの時も、スピーカーの時も、モニタースピーカーの時も……。
最初のころは気づかなかったが、あれっ、と思うようになっていた。

理由はステレオサウンドで働くようになってわかった。
山中先生は、そのころ、他の筆者の方から、セメントと呼ばれていた。

?だった。なぜにセメント?
最初は聞き間違いとも思ったが、やはりセメントである。
セメントは、あのセメントのことである。
自分なり理由を考えてみたけど、まったくわからなくて訊いたことがある。

山中先生は1982年春ごろには辞められていたけれど、
それまで(57号のころも)日立セメントの社員だったから、ということだった。

会社勤めをしながら、オーディオ評論家もされていたわけだ。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その96)

ステレオサウンド 57号は、実のところ印象が薄い。
なにか手抜きをしているとか、そういうことではなく、なんとなくそう感じていた。

それでも特集のプリメインアンプの総テストはよく読んだ。
瀬川先生が、JBLの4343以外のスピーカーとしてロジャースのPM510も使われいてるからだった。

57号の試聴記を読んでも、テストの方法を読んでもわかるように、
常時鳴らされたのは4343と620Bで、このふたつのスピーカーを鳴らした結果で、
PM510をうまく(なんとか)鳴らしてくれそうなプリメインアンプだけ、試されている。

瀬川先生の試聴記には「スピーカーへの適応性」という項目がある。
ここにPM510の型番が登場するのは、ビクターのA-X7Dだった。
108,000円の中級機である。

「スピーカーへの適応性」のところにはこう書いてあった。
     *
アルテック620BカスタムやロジャースPM510のように、アンプへの注文の難しいスピーカーも、かなりの満足度で鳴らすことができた。テスト機中、ロジャースを積極的に鳴らすことのできた数少ないアンプだった。
     *
56号で、いつの日かPM510と思うようになっていた。
4343とPM510、両方欲しい、と思うようになっていた。

PM510を買えるようになったとしても、
すぐにこれに見合うだけのアンプを買えるわけでもないから、
当面はプリメインアンプで鳴らすことになるだろう、
なるほどビクターのA-X7Dだったら、そこそこ満足できそうだ……、
そんなことを夢見ながら、A-X7Dの試聴記を何度も読み返していた。

瀬川先生は特選とされている。
しかも試聴記の最後に、
《今回のテストで、もし特選の上の超特選というのがあればそうしたいアンプ》
とまで書かれている。

PM510にA-X7D、カートリッジに何にしようか。
カートリッジだけは少し奢って、EMTのXSD15か。
瀬川先生の試聴記には、
《ハイゲインイクォライザーも、ハイインピーダンスMCに対して十分の性能で、単体のトランスよりもむしろ良いくらいだ》とまで書かれている。

EMTのカートリッジは出力も大きい。
ゲインだけでなく、音質的にも問題なく使えるはずである。

この組合せが、57号のころの目標でもあった。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その95)

ステレオサウンド57号の表紙は、ハーマンカードンのパワーアンプ、
Citation XXである。

55号のBestBetsに、ハーマンカードンについての情報があった。
「ハーマン・カードン(ジャパン)設立のお知らせ」だった。

新白砂電機がハーマン・カードンを買収し、
同ブランドの国内市場への本格的参入が進められる、とあった。
日本ブランドとなったハーマンカードンのフラッグシップが表紙になっている。

ただし新製品紹介のページにはまだ登場していない。
設計者のマッティ・オタラのインタヴュー記事が、57号には載っていたし、
プリメインアンプA750が、特集で取り上げられている。

このことからわかるように57号の特集は「いまいちばんいいアンプを選ぶ・最新34機種テスト」で、
ようするにプリメインアンプの総テストである。

52号、53号もアンプの総テストだった。
こちらではセパレートアンプ、プリメインアンプ、含めての総テストだったのに対し、
57号はプリメインアンプのみであり、42号以来といえる。

56,800円のモノ(オンキョーIntegra A815)から、
270,000円のモノ(ケンウッドL01A)までの34機種。

42号では53,800円(オンキョーIntegra A5)から195,000円(マランツModel 1250)までの35機種。

上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏で、個別試聴である。
スピーカーは4343は三氏共通で、
上杉先生は五万円台のアンプにはテクニクスSB6、六〜七万円台にはデンオンSC306、
八〜十万円台にはハーベスMonitor HL、十万円以上にはダイヤトーンDS505もあわせて使われている。

菅野先生は4343の他に、参考としてKEFのModel 303を、
瀬川先生はアルテックの320BとロジャースのPM510をあわせて使われている。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その94)

ステレオサウンド 56号の巻末、BestBetsというページがある。
各メーカー、輸入商社のキャンペーンや、
ショールームでのイベントなどの情報を伝えるページである。
お詫びと訂正もここに載る。

このページにひっそりとあった。
「瀬川冬樹氏によるJBL4343診断のお知らせ」とある。

4343ユーザーで使いこなしに困っている人のところに瀬川先生が出向いて、
診断の上、調整してくれる、とある。

当時の私は夢のような企画だと思った。
高校生の私は、4343は憧れるだけだった。
いつかは4343、と夢見ていた。

この時は、十年くらい早く生れていれば、4343を買っていただろう。
そうすれば瀬川先生に来てもらえるかもしれない──、
そう思ったことを、忘れてはいない。

結局、この企画が誌面に登場することはなかった。
応募はどのくらいあったのだろうか。

Date: 11月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その93)

ステレオサウンド 56号には、もうひとつ書評が載っている。
安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評がある。

ここに「〝言葉〟としてのオーディオ」という言葉が登場している。
安岡章太郎氏だからの書評だ、と改めておもう。
     *
 この本の『オーディオ巡礼』という著名は、まことに言い得て妙である。五味康祐にとって、音楽は宗教であり、オーディオ装置は神社仏閣というべきものであったからだ。
     *
この書き出しで、「オーディオ巡礼」の書評は始まる。
全文、ここに書き写したい、と思うが、
最後のところだけを引用しておく。
     *
 しかし五味は、最後には再生装置のことなどに心を患わすこともなくなったらしい。五味の良き友人であるS君はいっている。「死ぬ半年まえから、五味さんは本当に音楽だけを愉しんでましたよ。ベッドに寝たままヘッド・フォンで、『マタイ受難曲』や『平均律』や、モーツァルトの『レクイエム』をきいて心から幸せそうでしたよ」
     *
書き出しをもう一度読んでほしい。

「オーディオ巡礼」と「虚構世界の狩人」の書評は、
見開きページにあわせて載っている。
この約一年後に、瀬川先生も亡くなられるとは、まったくおもっていなかった。

Date: 11月 10th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その92)

岡先生による「虚構世界の狩人」の書評の見出しには、
「瀬川さんの知られざる一面がわかるエッセイ集」とつけられている。
     *
 オーディオ評論を純粋にハードの面からやっている人は別として、聴いて何かを書くという(それがわが国のオーディオ評論のほとんどなのだが)場合、音についてのいろいろなことを文章でいうということは本当にむずかしい。聴感で何かをいうとき、どうしても音楽がどういうふうに鳴ったか、あるいは聴こえたか、ということを文章に表現するために苦労する。そのへんのことで一ばん凝り性なのが瀬川さんであることはいうまでもない。しかし、その背後に、どういう音楽観をもっているかということがわからなくては、評価にたいする見当はつけられないわけである。だから、何らかのかたちで、音楽やレコードについて語ってくれると、手がかりになる。ある音楽なりレコードなりを、こういうふうにきいたとか、作品を演奏・表現についての見解が具体的に書かれたものが多ければ多いほど、そのひとがオーディオ機器についてものをいったときの判断の尺度の見当がついてくるものである。大ていのオーディオ評論家はそういう文章をあまり書かないので、見当をつけることもむずかしいどころか、何のことかわからぬ、というヒアリング・テストリポートが多いのである。
 瀬川さんが、音楽をよく知り、のめりこんでいることは、一緒にテストをやる機会が多いぼくは、いつも感心している。いろんな曲の主題旋律をソラでおぼえている点ではとてもぼくなんかかなわないほどで、細かいオーケストレーションの楽器の移りかわりまで口ずさんだりするのにおどろかされる。そういう瀬川さんの知られざる一面が、本書によってかなり明らかにされているのである。
 本書を読んで、瀬川さんのテストリポートを読みなおしてごらんなさい。きっと納得されるところがおおいはずだ。
 瀬川さんは何か気にいったことにぶつかると、ひととおりやふたとおりでないのめりこみかたをする。時にははたで見ていてハラハラするようなこともある。そんな瀬川冬樹の自画像としての本書は、最近やたらと出ているオーディオ関係の本のなかでも、ひときわユニークな存在となっているのである。
     *
岡先生らしい書評だ、いま読んでもそう思う。
瀬川先生の文章からは、背後にある音楽観が伝わっていた。

いまのオーディオ評論家と呼ばれている人たちも、音楽について書いてはいる。
それで、その人がどんな音楽を好きなのかはわかる(わからない人もいるけれど)。
けれど、それで音楽観がこちらに伝わってくるわけではない。