ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その20)
わかっている──、
理解とはどういうことなのか。
2004年に公開された映画「イノセンス」に出てくるセリフが忘れられない。
「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」
映画序盤での荒巻大輔のセリフである。
このセリフを聞いて、何も感じない人は、考えようとしない人は、
つまりこのセリフがひっかかってこない人は、
わかっているつもりで留まっていると断言してもよい。
ここでの願望とは、誰の願望なのか。
私の願望に決っている。
私には私の願望があり、別の人には別の願望があり、
その願望に基づいての理解であることが、すべてとまではいわないまでも、
ほとんどといっていいのかもしれない。