Date: 12月 17th, 2016
Cate: オーディオ評論
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ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その20)

わかっている──、
理解とはどういうことなのか。

2004年に公開された映画「イノセンス」に出てくるセリフが忘れられない。

「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」
映画序盤での荒巻大輔のセリフである。

このセリフを聞いて、何も感じない人は、考えようとしない人は、
つまりこのセリフがひっかかってこない人は、
わかっているつもりで留まっていると断言してもよい。

ここでの願望とは、誰の願望なのか。
私の願望に決っている。

私には私の願望があり、別の人には別の願望があり、
その願望に基づいての理解であることが、すべてとまではいわないまでも、
ほとんどといっていいのかもしれない。

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