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Date: 1月 22nd, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その12)

ほとんどのオーディオマニアが、使いこなしが大事だ、という。
だが、この使いこなしとは、どういうことなのか。

私は、オーディオには三つのingがある、といっている。
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)の三つであり、
私は使いこなしという言葉には、この三つを含めての意味で使っている。

使いこなしをどう定義するのかは人それぞれであっていいわけだが、
ただぼんやりと使いこなしという言葉だけを使っている人もいる。

そういう人は、セッティングとチューニングを一緒くたに考えがちのようだし、
さらにはエージングに関しても、どこか的を外しているとしか思えないこともある。

それでも多くのオーディオマニアが、使いこなしが大事、という。
いまはこういうことを書いている私も、
もしステレオサウンドで働くことがなかったら、使いこなしをどう考えていただろうか、と思う。

私が前回、恵まれていた、と書いたのは、ここである。
私はステレオサウンドの試聴室で、使いこなしを学ぶことができた。

特に井上先生は、はっきりと言葉にされたわけではないが、
セッティングとチューニングについて、学ぶ機会を与えてくれた。
考えるきっかけを与えてくれた、ともいえる。

教えてくれた、とは書かない。
あくまでも学ぶ機会を与えてくれたのであって、
そこで学べるかどうかは、こちら側の問題である。

井上先生の使いこなしは、いくつもの亜流を生んだ。
その亜流に接した人はそこそこいよう。

でも、それはあくまでも亜流であって、井上先生の使いこなしではない。
にも関わらず、一時期、井上メソッドなる言葉まで一部では流行っていた。

どこが流行元というか発信元なのかは知っている。
それが亜流なのも知っている。

でも、井上先生の使いこなしを見て聴いている人であっても、
亜流を亜流とは思っていないのだから、
まして見たことも聴いたこともない人は、亜流を井上先生の使いこなしと信じてしまうようだ。

Date: 1月 21st, 2017
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その3)

ベートーヴェンの音楽を理解したいがためのオーディオという行為。
これが私にとっての、40年目のオーディオである。

その2)を書いて気づいたことがある。
ステレオサウンド 56号に、安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評がある。
最後に、こうある。
     *
 しかし、五味は、最後には再生装置のことなどに心を患わすこともなくなったらしい。五味の良き友人であるS君はいっている。死ぬ半年まえから、五味さんは本当に音楽だけを愉しんでましたよ。ベッドに寝たままヘッド・フォンで、『マタイ受難曲』や『平均律』や、モーツァルトの『レクイエム』をきいて心から幸せそうでしたよ」
     *
ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記には、こうある。
     *
 オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。
     *
このときの入院では、テクニクスのアナログプレーヤーSL10とカシーバーSA-C02、
それにAKGのヘッドフォンを病室に持ち込まれていた。

EMTの930st、マッキントッシュのC22とMC275、
それにタンノイのオートグラフ。
五味先生の、このシステムからすれば、ずっと小型なシステムで最後は聴かれていた。

五味先生は
《私は多分、五十八歳まで寿命があるはずと、自分の観相学で判じているが、こればかりはあてにならない。》
と書かれていた。
58歳で肺ガンのため死去されている。

病状はひどくなる入院生活で、死期を悟られていたからこそ、
再生装置のことなどに心を患わすことなく音楽を愉しまれた──、
そう受けとめていた。

でも、そればかりではないような気が、ここにきて、している。
ベートーヴェンの音楽への理解にたどりつかれていたからではないだろうか、とも思えるのだ。

ベートーヴェンの音楽だけにとどまらない。
五味先生が生涯を通じて聴き続けてこられ、
聴き込むことで名盤としてこられた音楽、
マタイ受難曲、平均律クラヴィーア、レクイエムなどの深い理解にたどりつかれたからこそ、
再生装置に心を患わすことなく、というところに行かれたのだとすれば、
それは五味先生のネクスト・インテリジェンスなのだろうか。

Date: 1月 21st, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その3)

お詫びと訂正。

その1)でIt’s a Sony展でのH型テープレコーダーのリールの取りつけ方が間違っている、と書いた。
けれど現在の展示は正しい取りつけ方だということがわかった。

通常のオープンリールデッキのリールの回転は反時計回りである。
このことが頭にあったので、取りつけ方が間違っていると思ってしまった。
けれどH型テープレコーダーは、左側のリールは通常と同じ反時計回り、
右側のリールは時計回りという設計だそうだ。

つまり右側(巻き取り)側のリールには、
磁性粉が塗布されている面が外側にくるようにテープが巻かれる。
実はもしかすると時計回り? と一瞬思ったが、そうすると通常とは反対の巻き方になる。
そのままでは次の再生には使えない。
だから時計回りという可能性を、何も確認せずに排除して(その1)を書いてしまった。

ここにお詫びと訂正をしておく。

ただ11月にIt’s a Sony展が始まった時点では、
左右のリールともテープが巻かれている状態で、間違った状態での展示だったことも確認できた。
誰からの指摘があったのだろう、いまは正しい展示になっている。

それにしてもH型テープレコーダーは、なぜ右側のリールを通商とは逆の回転にしたのだろうか。
H型テープレコーダーで再生したら、巻き戻さなければならない。
使い手にそういう手間をかけさせても、技術的な、何からのメリットがあったからこそ、
ソニーは右側のリールを逆に回転させたのだろう。

結果として(その1)で間違ったことを書いてしまい、
その点は反省しているが、
でも書いたことによってH型テープレコーダーの特徴を知ることができた、ともいえる。

同時に(その1)を書いた二日後にKK適塾の三回目があったこともあり、
「安」という漢字と、ここでのテーマで世代について考えることもできた。

Date: 1月 20th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その2)

きくところによるとIt’s a Sony展でのH型テープレコーダーの展示は、
いまはまだいいほうらしい。
It’s a Sony展が始まったばかりのころは、
巻き取り側リールにもテープがいっぱいに巻かれていたそうだ。

つまり左右ふたつのリールともテープがいっぱいに巻かれていた状態だったらしい。
これはあくまでもきいた話で確認をしたわけではない。
もしかした間違っているかもしれない。

でも仮にそんな展示をしていたとしたら、いまの展示は誰かからの指摘があって、
あるところまでは正した、ということだろう。
それでも、あの状態なのか。

こんなことをねちねちと書いているのは、ソニーが憾みがあってことではない。
今回はたまたまソニーだった、というだけのことだ。

他のオーディオメーカーが、It’s a Sony展のようなことをやったとき、
似たようなミスをやらかさないと自信をもっていえるだろうか。

十年ほど前か、あるオーディオ関係者から聞いている。
古くからのオーディオ・ブランドが、いわゆる投資会社に買収された。
海外のメーカーで、誰もが知っているブランドである。

それまでは新製品の発表や、日本でのオーディオショウの際に来日するスタッフは、
自社製品のことを、そして自社の歴史のこともきちんとわかっている人ばかりだった。
だから古いモデルの、こまかなことを質問してもきちんとした答えが返ってきたそうだ。

それが買収されてからは、来日するのは買収先から派遣されている人ばかりで、
彼らは会社の規模や業績といった、
経済誌が記事にするようなことはことこまかに説明してくれても、
こちらが訊きたいこと、つまりオーディオ詩が記事にしたいことはまったく知らないそうだ。
製品のこと、歴史のことは知らない。せいぜいが新製品についてだけだそうだ。

どこかに買収されたからといって、すべてがこうなるとは限らない。
でもそうなる可能性はある。
買収されなくとも、世代が変っていくごとに失われていく何かがあるのだろう。

今日のKK適塾の三回目で、川崎先生が「安」という漢字について話された。
だから、これを書いた。

Date: 1月 20th, 2017
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その2)

好きな音楽を少しでもいい音で聴きたい、
オーディオマニアなら誰もがそうおもって、オーディオの世界に足を踏み入れたであろう。

「五味オーディオ教室」で出逢って40年。
いまもそうかといえば、そうだと答えながらも、もうそればかりではないことに気づく。

いまもオーディオに、こうも取り組んでいるのかを改めて考えてみると、
私にとっては、ベートーヴェンの音楽を理解したいがためである、ということにたどりつく。

そして「それぞれのネクスト・インテリジェンス」とはいうことについて考えはじめている。

Date: 1月 19th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その11)

19時から開始して23時近くまでやっていた。
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」の七曲目でのチューニングを経て、
最後に最初にかけたディスクをもう一度鳴らした。

①から⑧までの音で使ったディスクである。
⑧の音から「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」でのチューニングを経た音。
それを聴いてもらった。

①から⑧までの音では聴いてもらったのは時間の都合もあるし、
あまり長く聴いても、場合によっては違いがわからなくなることもあるため、
冒頭の数分だけを聴いてもらっていた。

最後は、通して聴いてもらった。

常連のHさんが、こういってくれた。
「AさんとKさんが来られた時に、もう一度やるべきです」と。
AさんとKさんも常連の方たちだ。
今回は先約があって来られなかった。

まだまだやりたいことはあるし、
こういう内容のことは一度やったから終り、というものでもない。

一度体験したからといって、すくに身につくものではない。
私がやったことをすべて記憶して帰ったとしても、
同じことを自分のリスニングルームで再現できるとは限らない。
うまくいくこともあれば、そうでないこともある。

それにたいてはすべて記憶して、というのはまず無理である。
記憶しているつもりでも、気づいていないところがあるものだ。

見て聴いているだけでは、そうなりがちだ。
やはり自分の手でやってみないと、すべてを記憶するところまではいけない。

私が恵まれていたと感じるのは、この点である。

Date: 1月 19th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その10)

あとやったことといえば、
セッティング、チューニングの過程でディスクを決めて、
一度もCDプレーヤーの中から取り出さない理由も、音で確かめてもらった。

特別なことではない。
トレイにディスクをセットして再生する。
再生をストップしてトレイを出す。
ディスクには手を触れずに、もう一度再生する。

CD登場後、しばらくして話題になったことである。
そんなことで音は変らない、と言い張る人もいた。
実際に音を聴かせても、変らないじゃないか、という人もいた。

インターネットでも、そんなことで音は変らない、という人はいる。
変らないのと聴き分けられないのとは、同じではない。

そしてセッティングが不備があれば、この違いは確かに出にくい性質ではある。
もちろんCDプレーヤーによっても、差の出方は違うし、
必ずしも二回目が音が良くなるとは限らない。

一回目と二回目で差が出るということは事実である。
だからといって常にそうやって聴いているわけではない。
慣れれば、うまく鳴っていないということはすぐにわかる。
そういう時だけトレイの出し入れをやるくらいだ。

とはいえ、この音の違いは、こまかなセッティング、チューニングにおいては無視できない。
ディスクを何枚も聴いてやるのもいいけれど、そうすることで、
変えているつもりはないところが変っている可能性があることを常に意識しておくべきである。

ラックスのD38uは、一回目と二回目の音の差はあるほうだといえよう。
参加された方が、こんなに違うんだ、と驚かれていた。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その1)

上京したばかりのころ、行きたいところはいくつもあった。
秋葉原もそうだったし、銀座のソニービルのそのひとつだった。

昔は銀座に行けば、かなりの頻度でソニービルに寄っていた。
この十数年はめったに寄ることはなかった。

ソニービルも老朽化のため建替えになる。
2月12日まで、カウントダウンイベントとして「It’s a Sony展」を行っている。

まだ行ってないが、
インターネットのニュース系サイトGigazineで取り上げられていた。

この記事を読んでいて、スクロールする指が止った。
H型テープレコーダー(1951)のところで止った。

オーディオマニアならば、この写真を見てすぐにおかしいと感じる。
何がおかしいのかはあえて書かないが、
いまのソニーには、どこがおかしいのかがわかる人、
つまりオープンリールデッキの正しい扱い方を知っている人がいないようである。

わからなかったら、社内の誰か、わかっている人に訊ねることもしないのだろうか。
展示だから、この程度でいい、という判断なのだろうか。

いまの、それがソニー(It’s a Sony)なのか。

(2017年1月21日追記)
ソニーのH型テープレコーダーに関して、私の知識不足ときちんと確認せずに書いてしまった。
11月の開始時点では正しくなかったリールの取りつけは、
上記リンク先の写真が正しい。
このことは(その3)で書いている。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その40)

スピーカー設計の考え方の違いは、
タイムアライメントの重要性を謡ながらも、実際にどういう方法で対処するのかにもあらわれる。

リニアフェイズという言葉が使われるようになった1970年代後半、
当時マランツのスピーカー部門の責任者であったエド・メイは、
マルチウェイスピーカーの場合、個々のユニットの前後位置をずらして位相をあわせるよりも、
ネットワークの補正で行なった方が、より正しいという考えを述べている。
ユニットをずらした場合、バッフル板に段がつくことで無用な反射が発生したり、
音響的なエアポケットができたりするため、であるとしている。

エド・メイが開発にあたったスピーカーシステムは、
ステレオサウンド 44号、45号のスピーカーの総テストに登場している。

一方KEFのレイモンド・クックはネットワークでの時間軸の補正は、
部品点数が増え、複雑で高価になるため、
ユニットの前後位置をずらしたModel 105を開発している。

エド・メイとレイモンド・クック。
どちらが正しいかを判断するのは難しい。

マランツ、KEFともに使用ユニットはコーン型とドーム型。
いわゆるダイレクトラジエーターだから、この問題について両者の技術の比較はまだいいが、
これがホーン型とコーン型の組合せとなると、ホーン型についてまわる仮想音源の位置が問題となる。

音像がホーンののどあたりに定位するのか、それとも開口部に定位するのか。
ホーンの設計・形状によっては、音の高さによって定位がわずかとはいえ前後するモノもある。

音響レンズつきのホーンの場合、音像の定位、
つまり仮想音源の位置は開口部となり、振動板の位置(実音源の位置)はずっと奥にあり、
この差を無視してのタイムアライメントはありえない。

ときどき見かけるのが、JBLのスタジオモニターのホーンとドライバーを取り出して、
前に突き出すことで、ウーファーとドライバーの振動板の位置合せを行っている人がいる。

こうすることで実音源の位置は確かに合う。
けれど音響レンズつきのホーンだけに、中高域の仮想音源の位置はホーン開口部にある。
つまりフロントバッフルよりも前に突き出しているのだから、ズレが生じている。

そのことに何も感じないのだろうか。
振動板(ボイスコイル)の位置が揃っていれば、いいという考えで音を判断しているのか。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その39)

タンノイとアルテック。
イギリスの同軸型ユニットとアメリカの同軸型ユニット。

タンノイのユニットはロックウッドのスピーカーシステムにも搭載されていた。
アルテックのユニットはUREIのスピーカーシステムにも搭載されていた。

UREIのModel 813は、アルテックの604-8Gを使いながらも、
独自の特許取得のネットワークにより、
ウーファーとドライバーのタイムアライメントをとっていた。

そのUREIにもエレクトリックデヴァイディングネットワークはある。
Model 525である。
このモデルは、タンノイのXO5000がいわばタンノイ専用モデルなのに対し、
いわゆる汎用モデルである。

Model 525は2ウェイ・3ウェイのデヴァイダーで、
二台用意してモノーラル使いにすれば4ウェイ・5ウェイ用となる。
そのためだろうか、XO5000にはある遅延機能(タイムアライメント)はない。

タンノイはスピーカー内蔵のネットワークでは、タイムアライメントをとっていない。
おそらくネットワークが複雑になるのを避けたのだろう。
かわりにXO5000を使ったバイアンプドライヴではタイムアライメントがとれるようにしている。

UREIはネットワークでタイムアライメントをとっている。
けれどModel 813をマルチアンプドライヴしようとしたら、
604-8Gに関しては内蔵ネットワークを使い、サブウーファーのみをバイアンプドライヴとするか、
内蔵ネットワークを使わずに3ウェイのマルチアンプドライヴとするのであれば、
当時市販されていたデヴァイダーではタイムアライメントがとれない。

対照的といえるコンセプトの違いである。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: the Reviewの入力

電子制御の夢(カセットデッキの場合)

the re:View (in the past)の更新を再開している。
といってもiMacは故障したままなのでテキストでの更新である。

昨日は井上先生のナカミチの1000ZXLの記事を入力していた。
ステレオサウンド 57号(1980年)の記事である。

このころからオーディオ機器の広告、記事に、マイコン搭載という文字が登場するようになった。
カセットデッキに最初に搭載されたマイコン(マイクロコンピューター)は、
4ビットだ、と聞いている。その後、6ビットのものを搭載した製品があらわれ、
1000ZXLになると、8ビット・マイコンが搭載されていて、
各部の調整が電子制御となっているのが特徴である。

この時代の8ビット・マイコンを、現在の家電に搭載されているCPUに置き換えたら……、
そんなことを入力しながら考えていた。

ナカミチという名前だけはまだ残っているようだが、
当時のナカミチという会社は、すでにない。
1000ZXLのようなカセットデッキを開発できるところは、いまではないだろう。
カセットテープに関しても、TDKのMA-Rレベルのものを製造できるところもないだろう。

だから単なる妄想にすぎないのだが、
いまも当時のナカミチに匹敵する会社があって、
そこが本気になって1000ZXLを超えるカセットデッキの開発を行ったら……。
そこに搭載するマイコン(いまではこんな表記は使わないけれど)は、
1000ZXLのそれとは比較にならないほど処理能力は高い。

いまなら、どこまでカセットテープの性能を引き出せるだろうか、と思うのだ。
あのころのナカミチの技術者が目指していながら実現できなかったところはあるはずだ。
いまの電子制御の技術があれば到達できるレベルがあったはずだ。

片方の技術が進歩すると、もう片方の技術の進歩は止ってしまうどころか、
退歩してしまうこともある。
ふたつの異る技術が融合することで素晴らしいモノがうまれるところにおいても、
そうであったりする。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: audio wednesday

第73回audio wednesdayのお知らせ(アナログディスク再生・序夜)

喫茶茶会記のCDプレーヤーは、ラックスのD38uである。
このCDプレーヤー、音質のためなのだろうが、サーボのかけ方をあえて弱くしているようだ。
CD再生中はちょっと手が当っただけで音飛びがおこる。

先日も喫茶茶会記の店主・福地さんのおすすめのCDを鳴らしていたら、
途中で音飛びが連続して発生し、先へと進めない。
この時は手が当ったわけではなく、ディスクについたキズが原因だった。

盤面をみると、キズは多いが、
大半のCDプレーヤーならは音飛びせずに再生できる程度であり、
喫茶茶会記のもう一台のCDプレーヤーでは音飛びが発生することはない。

CDプレーヤーの初期のモデルは、サーボがかなり強くかけられていた。
けれどサーボがCDの音に与える影響がわかってくると、
サーボのかけ方を弱くするメーカーも出てくようになった。

それでもすべてのCDが再生できればいい。
けれど実際にはそうではない。
ならば盤面にキズをつけないように注意すれば済む話かといえば、
たとえばそういう盤面であっても、どうしても聴きたいCDを中古で見つけたならば、買ってしまう。
それがきちんと再生できないCDプレーヤーがあるわけだ。

それにCDの寿命の問題もある。
読み込めなくなったCDを持っている人もいる。

音質のためにサーボを弱くするのは理解できる。
けれど、世の中にはそれで再生できるCDばかりではない。

アナログディスク再生であれば、なんとかできるのに、
CDプレーヤーはいわばブラックボックス的であり、何の手も下せない。
せめてサーボの強弱をユーザーが選択できるようになっていれば、
キズの多いディスク再生時には、一時的にサーボを強くかけて、ということもできる。

でも、そんな機能はD38uにはない。
同じ趣旨のことを「井上卓也氏のこと(その25)」で書いている。

アナログディスク再生は、ブラックボックス的ではない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: 数字

数字からの解放(その6)

別項を書くためにステレオサウンド 131号を、ここ数日手元に置いている。
パラパラとめくって、目に留った記事を読む。

勝見洋一氏の「硝子の視た音」を読んでいた。
     *
 こんなことで気分のすぐれない日々を送っていたら、フランスの美術館から写真の束が送られてきた。
 以前、私の本業である美術品の鑑定を受けた美術館からなので、興味深く写真を見つめてびっくりした。
 ほとんどが偽物である。
 写真を見ただけではっきりと判るくらいなのだから、よほど性質の悪いものなのだ。
 てっきり偽物美術展を冗談まじりでやるのかと思ったら、大まじめ、近ごろの鑑定人たちも質が落ちたものだ。
 写真と一緒に分厚い資料があった。中を見るとコンピューターを使った鑑定方法ばかりの結果だった。なるほど、原因はこれである。
 昔ならばその道の権威が自分のプライドをかけて良いといえばそれで済んでしまったことである。もし間違えれば世間で笑いもの。美術館の展覧会の鑑定を引き受けるということは真剣勝負そのものだった。
 ではなぜコンピューターによる鑑定が基本的な間違いを起こすのだろうか。これは単純な話である。
 コンピューターに入れたデータの上をいく偽物が増えてきたのだ。
 しかしコンピューターをだますために作られているのだから、経験のある人間の眼をだますためには作られていない。ひどくめちゃくちゃな偽物が、コンピューターの結果で本物になってしまう。まあそれ以上に、見る目がなくなった若い鑑定人たちが増え過ぎたということが原因なのだが、と言って溜飲を下げるのである。
     *
131号は1999年の夏号だ。
18年ほど前に出ている。

ここまでインターネットは普及していなかった。
個人のウェブサイトも数はそう多くはなかった。
SNSもなかった時代だ。

そのころ読んだ感想と、いま読んだ感想とでは、その点が違っている。
131号が出て以降、インターネットは急速に普及して、
さまざまな面をディスプレイを通して伝えてくる。

勝見洋一氏の文章は、そのままオーディオにいえることだ。
このことを強く感じている。

当時でも、測定結果・数値のみに拘泥する人たちはいた。
でも、それほどとは思っていなかったが、
インターネットの普及は、意外にもそういう人たちが少なくないことを伝えている。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その9)

システム全体の音をどこまで振れるか。
これはもうオーディオの想像力がなくてはできないことだ。

しかも反対方向にも振るのだから。
その反対方向がどの方向なのかを見定めるのも含めて、オーディオの想像力なくしては無理である。

トーンコントロール変化量は、上限も下限も、アンプによって決っている。
その範囲内だけでツマミを動かすだけ、ともいえる。
スピーカーユニットの位置決めもそういえなくもない。

ただしこちらは位置を動かすことは、
ウーファーとの相対的な位置関係が変化するだけでなく、
エンクロージュア上部への加重の掛かり方も変化していく。
それにともないエンクロージュアの振動モードが変化していく。

そのため物理的な位置の中間が、中点とは限らない。
とはいえ振り幅はわかりやすい、といえる。

オーディオの再生系には、こうした振り幅が各所にある。
かなりの数あり、その振り幅の組合せが、システム全体の振り幅なのだから、
これを把握しようとして、
すべての振り幅をひとつひとつ確かめて、順列組合せの数だけ確かめることは、
まず無理といえる。

順列組合せの数といっても、たいした数ではないじゃないか、
という人はセッティングというものがわかっていない。
実際はものすごい数になる。

仮に時間をかけて、順列組合せの数すべての音を確かめたとして、
それでシステム全体の振り幅がどのくらいなのかを把握できるとは限らない。

結局、システム全体の振り幅を見極めるのは、オーディオの想像力であり、
チューニングにはオーディオの想像力が必要だという理由でもある。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その8)

オーディオに興味を持ち始めたばかりの人が、
トーンコントロールやグラフィックイコライザーを調整しようとする際
おそるおそるツマミをいじるのではなく、
大胆にいじったほうがいい、とは昔からいわれている。

トーンコントロールならば、ツマミを右に左にまわしきる。
トーンコントロールはBASS(低音)とTREBLE(高音)、ふたつのツマミがある。
同時にふたつのツマミをいじるのではなく、どちらかをいじる。

BASSだとして、まず右にまわす(左でもかまわない)。
徐々にではなく、右にまわしきる。
つまりいっぱいまで上げた音を聴く。
そして反対方向にまわしきる。下げきった音を聴く。

両端に振り切った音を確認する。
そして中点にあたる音(トーンコントロールの0ポジション)を聴く。
この後で変化量を少なくしていく。

自作スピーカーで、中高域がホーン型であれば、
その位置決めはおろそかにできない。
前後に移動したり、左右に移動したりする。

前後に移動する場合も、左右に移動する場合も、
基本はトーンコントロールと同じである。

いちばん前にもってきた音を聴く、
それからいちばん後にした音を聴く、
それから中間の音を音を聴く。

つまり振り子を思いきり左右に振ってみることで見えてくる「点」がある。