Archive for category テーマ

Date: 1月 30th, 2017
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(マスターテープとは?・その1)

菅野先生のリファレンスディスクといえるコリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集。
エソテリックからSACDの第一弾として発売された時は、購入した。

好評だった、と聞いている。
採算ベースにのったのだろう。
その後、第二弾、第三弾……、といまも続いている。

コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集に関しては、
なぜかマスターテープが紛失していたそうだ。
その後は、マスターテープからのリマスターを謳っている(はず)。

その後のエソテリックのSACDは何枚か聴く機会があったが、
少しずつエソテリック色とでもいいたくなる独自の音色がついてくるように感じ、
購入したものはない。

それでもショルティのリングはかなり心が動いたけれど、
あの価格に手が出せなかった。

エソテリックのリマスターの評価は人によって違うようだ。
私と同じように感じている人もいれば、
どんどん良くなっていると高く評価している人もいるみたいだ。

ここで書くのはリマスターの音についてではない。
エソテリックから出たギレリスのベートーヴェンのディスクに関することだ。

このSACDは、1トラック目、エロイカ変奏曲の最後の方で、四小節分が欠落している。
そんな噂を聞いていた。
このあいだも、その話を聞いた。

そのSACDを持っていないので確認はできないが、
インターネットで検索してみると、抜けがあるのは事実である。

これは編集ミスなのだろうか。

Date: 1月 30th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その7)

ヤマハのA1というプリメインアンプのデザインについてこうして書いていると、
イギリスのいくつかのプリメインアンプのことを、対比として考えてしまう。

スペンドールのD40、
ミュージカルフィデリティのA1、
オーラ・デザインのVA40のことを考えている。

D40もA1もVA40も、
フロントパネルにあるのは電源スイッチと入力セレクター、レベルとバランスコントロールくらいである。
トーンコントロールもフィルターも、搭載していない。

D40はA1とほぼ同じころに登場している。
価格は当時145,000円だった。
1980年頃には、198,000円に値上りしていた。

A1の価格は115,000円、CA2000が158,000円だった。
A1もCA2000も、国産プリメインアンプの標準的なサイズと重量だったのに対し、
D40はW33.2×H9.6×D22.3cm、6.0kgという小ささで、出力も40W+40W。

内部を比較すると、国産プリメインアンプの同価格帯のモノとの落差を大きく感じてしまうほどである。

つまり国産プリメインアンプが、
自社製のスピーカーシステムをうまく鳴らすことをいちばんに考えていたとしても、
他社製のスピーカーシステムもきちんと鳴らすことを前提としているのに対し、
D40は割り切って、自社製(スペンドール)のスピーカーのみがうまく鳴ればいい、
そんな感じの音なのだ。

当時ベストセラーモデルだったBCIIと組み合わせた音を一度でも聴いたことのある方なら、
確かにそうだった、とD40の音を思い出してくれるだろう。

私はBCIIとの組合せでしか聴いたことがない。
BCIIIやSA1との音は聴いていないので、はっきりしたことはいえないが、
BCIIを鳴らすほどには、BCIII、SA1をうまく鳴らしてくれるわけではないだろう。

他社製のスピーカーシステムを鳴らすよりは、よく鳴らしてくれたであろうが、
そう思わせるくらい、D40はBCII専用と言い切っていいプリメインアンプだった。

Date: 1月 29th, 2017
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その6)

木曜日に会っていたAさんとの会話に、ある人の音のことが出た。
Bさんとしておこう。

Aさんも私もBさんの音を聴いている。
一緒にではなく、別の機会にである。

Aさんと知りあったばかりのころだったか、
AさんにBさんの音のことをきかれて、「時計の音が気になった」と答えたことがある。
もう十年くらい前の話だ。

Aさんは、その話を憶えていて、木曜日に、そのことが会話に出た。
そういえば、確かにそう話した。
話した本人も忘れかけていたことを憶い出せてくれた。

Bさんは、私が伺ったときは、別のスピーカーを鳴らされていた。
その後、(その5)で書いている世評の高いスピーカーにされている。
その音は、私は聴いていない。

私が時計が気になったのは、以前のスピーカーでのことではあるが、
おそらくスピーカーを入れ替え後であっても、同じように時計の音が気になったであろう。

時計の秒針が動く音。
規則正しくカチッ、カチッ、と動く音が、どちらかといえば苦手だ。
かすかな音であっても、何かの拍子に気になると、ひどく耳障りに感じる。

この時計の音が気になる音とそうでない音とがあるように感じている。
Bさんの音は、はっきりと、私にとっては時計の音が気になるものだった。

時計がリスニングルームにあって、秒針の音がしていても気にならないこともある。
そういう音と、秒針の音が気になる音とは、私にとっては大きな違いのある音だ。

これは「「音楽性」とは(映画性というだろうか)」で書こうとしていることにも関係してきそうだ。
つまり記録のような音と記憶のような音、
この違いが、秒針の音が気になり、気にならないにつながっていくようなきがしている。

Date: 1月 29th, 2017
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その5)

昨晩もまたオーディオ仲間であり友人のAさんと呑んでいた。
Aさんといっても、木曜日に会っていたAさんとは別のAさん。

昨晩はAさんの友人のIさんも一緒だった。
Iさんとは初対面だった。

17時過ぎから日付が変るころまで呑んでいた。

Iさんもまたオーディオマニアである。
話の中に、あるスピーカーのことが出た。

世評の高いスピーカーである。
ステレオサウンドでも高く評価されているし、
このブランドの新製品が出るたびに、多く取り上げられる。

勘のよい方ならば、どのブランドなのかは察しがつくであろう。
あえてブランド名は出さないが、
このスピーカー、優秀ではあるが、まったく欲しいという気が起きない。

それは私だけでなく、AさんもIさんも同じだった。
木曜日に会っていたAさんも同じだ。

二人のAさん、Iさん、私、ほぼ同じ歳である。
だからといって世代的な理由から意見が一致するのかといえば、そうではない。

同じ世代であっても、われわれ四人が欲しくないと思っているスピーカーを購入している人は、
けっこう世の中にはいる。
だからこそ世評が高いだけでもある。

ならばこの四人が、なぜこのブランドのスピーカーを拒否するのだろうか。
ひとつ思いあたるのは、血の気の多さかもしれない。

Date: 1月 28th, 2017
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その11)

ドキュメンタリーは、いわば記録である。
そう考えると、テレビは記録を写し出すに適しているのかもしれない。

映画でもテレビでも、ドラマがある。
映画でのドラマとテレビでのドラマの違いは、
記録を写し出すに適しているテレビでのドラマであり、
一方の映画は、記録ではなく記憶を映し出す、と考えれば、
同じドラマであっても、テレビでのドラマと映画でのドラマの違いが、
浮び上ってくるような気がする。

記録と記憶。
写し出すと映し出す。

そんなことを考えているところに、ステレオサウンド 130号を開いていた。
このころのステレオサウンドには、勝見洋一氏の連載があった。

「硝子の視た音」の八回目の最後に、こうある。
     *
 そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
     *
フェデリコ・フェリーニの、この言葉が映画の本質を見事言い表しているとすれば、
記録のような物語、記録のような光景、記録のような音を、映画は必要としていない、となる。

Date: 1月 27th, 2017
Cate: audio wednesday

第73回audio wednesdayのお知らせ(アナログディスク再生・序夜)

2月1日のaudio wednesdayは、アナログディスク再生・序夜である。

喫茶茶会記のアナログプレーヤー(ガラード401にオルトフォンSPUとRMG309の組合せ)で、
当日鳴ってきた音を聴いて、やれることをやっていく。

昨年の音出しでは、CDプレーヤーかパソコンを使ってだった。
アナログプレーヤーは今回は初めて鳴らす。

喫茶茶会記の通常のセッティングの音は短い時間ではあるが聴いている。
セッティングはかなり違うわけだから、初めて聴くようなものである。

私はスピーカーのセッティングに必要なモノを持参するために、
アナログディスクまで持っていくつもりはない。

喫茶茶会記にあるアナログディスクはジャズが中心である。
だから聴きたいものがあれば、アナログディスクは持参していただきたい。
アナログプレーヤー関連のアクセサリーもどうぞ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 27th, 2017
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(その23)

「仕事は?」ときかれたときに、
「オーディオマニア」と答えることがある。

相手が男性だと、怪訝な顔をされることが多い。
女性だと興味をもつ人が時々いる。

そして訊ねられることがある。
「いい音って?」

これに答えるのは、難しい。
オーディオに関心のない人が相手であるからで、
オーディオマニア相手に、いい音について語るようにはいかない。

そんなときに使ったのが、(その21)で引用した瀬川先生が書かれていることである。
それをそのまま伝えたわけではなく、
疲れて帰宅して、一分でも早く寝たいんだけども、
十数分でもいいから、この音を聴いてから寝よう──、
そう思える音はいい音だ、と答えたことが何度かある。

でも、これだけでいい音について答えたことにはならない。

「いい音」とは、便利な言葉である。
なぜ便利かといえば、曖昧さを多分に含んでいるからだ。

確かに親しいオーディオ仲間との会話で、「いい音だよ」で伝わる場合はある。
でも、それは限られた条件において、であって、
オーディオ雑誌やブログのように不特定多数の人を相手に書いているところでの「いい音」は、
何も伝えてはいない、ともいえる。

だから2016年12月から、「いい音、よい音」というタイトルで書き始めている。

Date: 1月 27th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その11)

ひとりで酒を呑むことは、もう30年ほどやっていない。
誰かといっしょに呑むのは楽しい。
だから親しい人からの誘いがあれば、極力出掛けるようにしている。

今日も出かけていた。
友人で、オーディオ仲間のAさんと会って、あれこれ話して帰ってきたところである。

オーディオの話も、もちろんした。
それ以外の話のほうが多かったけれども。

オーディオの話で驚いたことを聞いた。
オーディオの話というより、オーディオマニアについての話である。

Aさんは私よりも、多くのオーディオマニアを知っている。

AさんがSNSに、あるオーディオ機器を買った、と書いたとする。
それが高額なモノであれば、彼を知っているオーディオマニアの方から連絡が来るそうだ。
聴かせてほしい、と。

ところが、新しいモノを何も買わずにいると、
まったく連絡がなくなるそうだ。
そういう人の中には、Aさんから連絡をしても無視する人もいるとのこと。

なんだろう、と思う。
そういう人は、Aさんに会いに来るのではなく、
Aさんが購入したオーディオ機器に会いに来ているのか。

そんな人も「音は人なり」というのだろうか。
だとしたら、Aさんが購入したオーディオ機器を聴きに来るということは、
Aさんの音を聴きに来ると同義であるのに……、とも思う。

Date: 1月 26th, 2017
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その10)

テレビと映画の違いは、
映画は銀幕とも呼ばれるスクリーンに映写機によって映し出されるところにある。
つまり映画は、スクリーンに投影された反射像である。

サイズがどちらも100インチであったとしても、
液晶ディスプレイとスクリーンとでは、この点が決定的に違う。

昔、テレビはいまのように液晶ディスプレイではなかった。
ブラウン管だった。
だからテレビというモノ自体が、ひとつの箱だった。

テレビが登場したばかりのころ、
テレビの箱の中に人がいて、演じていると思っていた、というシーンが、
そのころを描いた映画やテレビドラマでもある。

ほんとうにそんなことがあったのだろうか、と思う。
すでに映画はあったのだから、そんなことを思う人がいるのか、と、
その時代を知らない私などは、そんなふうに捉えるわけだが、
でも、このことは映画とテレビの違いを、端的に表している。

つまりテレビは、家庭に入りこんできた。
つまり日常に入りこんできた。

日常の空間の中にテレビの空間(世界)がある。

映画館に行き、入場料を払って、暗い空間で観る映画と、
スイッチを入れてチャンネルを合せるだけで、居間で見れるテレビの世界とでは、
日常の生活(世界)との連続性を感じさせる点においての違いがある。

もしテレビが存在しなかったら、
ドキュメンタリーという手法はかなり違ったものになっていたかもしれない。

Date: 1月 26th, 2017
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(音楽室のオーディオ・その1)

「いい音を身近に」というタイトルで書き始めたのは、
ある知人が、同じテーマで書いて公開しましょう、といってきたことがきっかけだ。

知人はステレオサウンドの特集のタイトルである「いい音を身近に」を選んだ。
2010年春のことだ。

知人は適当な組合せ例を書いて、それで終り。
いまではそれも見られなくなっている。
いつもの知人のやることだ。

私は、またか、と思うだけで、
「いい音を身近に」というタイトルは、考えて書いてみて面白い、と思っている。

私が子供のころ、テレビは一家に一台だった。
高級品だったからだ。

それが一人一台に変っていった。

音楽を聴く装置も、同じだった、というか、
テレビよりも普及率は低かった。

それがウォークマンの登場により、テレビ同様、一人一台といえるくらいになっている。

でも私が子供だったころ、ステレオと呼ばれていたモノは、
一般家庭には、それほど普及していなかった。

その頃の身近なステレオ(オーディオではなく、ステレオのほうが合っている)は、
中学校の音楽室に備えつけてあった装置である。

私が通っていた小学校には、音楽室はなかった(と記憶している)。
中学校にはあった。
そこには、ビクターのステレオがあった。

スピーカーはバックロードホーンのFB5だった。
プリメインアンプとプレーヤーもビクターの製品だった。
FB5は壁に取りつけられていた。床からけっこうな高さまで持ち上げられていた。

普及クラスのステレオではあっても、
単品コンポーネントとして販売されていたモノの組合せであった。

学校にきちんと鳴らすことができる人がいれば、
そこそこの音を鳴らしてくれただろう、とは思う。

けれど、実際にはそうではなかった。
音楽の授業で、レコードを聴くくらいで、
中学生活の三年間で何度聴いたかといえば、数回くらいである。

Date: 1月 25th, 2017
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(その22)

瀬川先生はパイオニアのExclusive M4のあとに、
SAEのMark2500に、パワーアンプを交換されている。

Mark2500は、ウォームアップに時間のかかるアンプでもあった。
電源をいれておくだけではだめで、信号をいれて鳴らしはじめて三時間ほどすると、
本領発揮といえる音を聴かせる。

Exclusive M4は、そのへんはどうだったのだろうか。
Exclusive M4を聴いたことはある。
オーディオ店で、瀬川先生が来られた時で、
アンプの電源はすでに入れられていて、そういうことを確かめることはできなかった。

Exclusive M4はステレオサウンドの試聴室で聴くことはなかった。
すでにExclusive M4aになっていた。

Exclusive M4aは、回路的にはM4と同じで、
他社製アンプがDCアンプ化される中で、ACアンプのままだった。
改良点は、使用部品の変更だけのはすだ。

Exclusive M4aがウォームアップに時間のかかるアンプという印象はない。
特別に早いという印象もないが、遅くもなかったはずだ。

Exclusive M4も同じのはずだ。
そういうExclusive M4だったから、
《どんなに多忙な日でも、家にいるかぎりほんの十数分でもこの音を聴くことが、毎日楽しくてしかたない》
と書かれたのかもしれない。

レコード芸術1976年1月号の時点で、SAEのMark2500になっていたら……。
どうだったろうか。

あまり時間がとれない。
それでも音を聴きたい。
そうまでして聴きたい音だから、いい音でなくては困る。

なのに鳴らしはじめて三時間経たなければ……、というアンプでは、どうだろうか。
ほんの十数分のために、三時間ほど鳴らしておかなければならないのだとしたら、
《どんなに多忙な日でも、家にいるかぎりほんの十数分でもこの音を聴くことが、毎日楽しくてしかたない》、
この部分はなかったかもしれない。

Date: 1月 24th, 2017
Cate: サイズ
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サイズ考(LPとCD・その3)

私にとって、大口径といえる(思える)サイズといえば、
なんといっても38cm(15インチ)以上のウーファーになる。

30cmだと大口径とは感じないのは、
それはLPと同じサイズだからのような気がする。

いいかえれば38cm以上を大口径と認識してしまうのは、
LPよりも明らかに大きいからである。

少なくとも私にとって、オーディオのサイズに関しては、
LPの直径が深く関係しているようだ。

仮に他の人もそうだとしよう。
私と同世代、上の世代はLPが基準となるが、
その下の世代で、音楽を自発的に聴きはじめたころはすでにCDだった、という人たちにとっては、
CDの直径、12cmが基準となるであろう。

とすればその世代の人たちにとっては、
15cm口径のウーファーから大口径となるのかもしれない。

38cm口径からを大口径と感じる世代と、
15cm口径からを大口径と感じる世代とでは、サイズ感は大きく違ってくる。

CDよりも小さな記録媒体。
ミニディスクではなくて、iPodやiPhoneが記録媒体、
さらにはインターネット上のクラウドともなると、もうサイズという概念はなくなる。
容量という概念すら消えてしまうだろう。

そうなってくると、もう10cm口径ですら大口径ということになるのだろうか。

人間のサイズに対しての感覚の形成について、
専門的なことは何も知らないし、何も調べていない。
ただ自分の感覚で書いているだけだから、まったく見当違いかもしれないとは思いつつも、
ヘッドフォンからスピーカーへと、オーディオの世界を拡げていく人が意外に少ないのは、
このあたりのことも関係しているのではないだろうか。

Date: 1月 24th, 2017
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その9)

液晶ディスプレイの大きなサイズが困難だった時代には、
複数の液晶ディスプレイを複数配置して、ひとつの大画面にしていた。

いまでは70インチ、80インチの液晶ディスプレイが製品化されているし、
100インチ超のサイズでも製造は可能になっている。

以前は100インチといえば、スクリーンに頼るしかなかったのが、
いまでは液晶ディスプレイでカバーできるサイズとなってしまった。

100インチのスクリーンと100インチの液晶ディスプレイ。
家庭で映画を観るのに適しているのは、どちらだろうか。

昔、東京には多くの名画座があった。
けっこう大きなスクリーンの名画座もあれば、かなり小さなスクリーンのところもあった。
もう記憶があやふやだが、こんなに小さいの? と思った映画館もあって、
それこそ100インチくらいのサイズだったろうか。

仮に100インチ程度の表示だったとしたら、
液晶ディスプレイの100インチの方が、部屋を暗くしないでも見られるし、
暗くしても見られるのだから、便利で手軽ということになる。

100インチのサイズで家庭で映画を観るのに、
価格を無視した場合、どちらを選ぶのか、液晶ディスプレイかスクリーンか。

この選択は、オーディオに通ずる。

Date: 1月 24th, 2017
Cate: サイズ

サイズ考(LPとCD・その2)

ステレオサウンドにいた時に、富士通のワープロが導入された。
OASIS 100Fというモデルだった。
5インチのフロッピーディスクがシステムディスクであり、記録メディアだった。
ずいぶん昔の話だ。

Macを使ったDTPの仕事を一時期していた時、
光磁気ディスクはバックアップ用にもデータの受け渡し用にも必要だった。
受け渡し用には3.5インチだったが、バックアップ用には容量の関係で5.25インチだった。

3.5インチのディスクも、私が使っていたころの容量は128MBだった。
その後、容量は増えていっている。

情報密度は増していき、記録媒体のサイズは小さくなる。

LPとCDは直径では半分以下であり、
面積的には1/4以下である。

その後、ミニディスクが登場し、音質面はともかくとして、サイズはさらに小さくなった。

プログラムソースといえばLPという時代にオーディオの世界に踏み込んだ者のサイズ感と、
CD以降の世代のサイズ感とでは、ずいぶんと違うのかもしれない。

LPでは直径30cmのディスクだったから、
アナログプレーヤーの大きさはそれなりのサイズになり、
アンプもスピーカーも、それなりの大きさであっても、バランスがとれていた。

けれどCDは12cmの直径である。
LPとCDのサイズの違いだけからすれば、
それまでの感覚でバランスがとれていたと感じていたアンプやスピーカーは、
すでに大きすぎなのかもしれない──。
そう考える世代がいても不思議ではないのかもしれない。

そう考えると、ヘッドフォンのみで、スピーカーで音楽を聴かない、
もしくは大型スピーカーを毛嫌いする人たちが増えていると聞くのも、
むしろ当り前なことなのかもしれない。

CD、ミニディスク……、いまではもっとサイズは小さくなっているといえるのだから。

Date: 1月 23rd, 2017
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その1)

オーディオのプロフェッショナルの条件として挙げられるのは、
資本主義の日本だから、オーディオで稼いでいる、ということがいえる。

オーディオ業界で仕事をしている人ならば、オーディオのプロフェッショナルといえる。
メーカーに勤務している人、輸入商社に勤めている人、
オーディオ店の店員、オーディオ雑誌の編集者、
それにオーディオ雑誌に書いている人たちは、オーディオのプロフェッショナルということになる。

個人でブログを公開していて、
アフィリエイトで何らかの収入を得ている人も、オーディオのプロフェッショナルといえるだろう。
ジャズ喫茶、名曲喫茶の店主も、その意味ではオーディオのプロフェッショナルということになる。

こう考えると、日本だけでも、けっこうな数のオーディオのプロフェッショナルがいるということになる。
少なからぬオーディオのプロフェッショナルがいるわけだが、
これがオーディオのプロフェッショナルの条件とは、まったく思っていない。

オーディオ店のスタッフで、売上げをどんなにあげていようと、
それはモノを売ることに長けているのであって、
オーディオのプロフェッショナルであるかというのと、別の話である。

オーディオ業界にいて、収入を得ている。
それはオーディオで稼いでいるわけだが、
オーディオのプロフェッショナルとして稼いでいるとは限らない。

売ることに長けているのと同じように、別のことが得意であれば、
オーディオで稼ぐことはできる。