手本のような音を目指すのか(その5)
昨晩もまたオーディオ仲間であり友人のAさんと呑んでいた。
Aさんといっても、木曜日に会っていたAさんとは別のAさん。
昨晩はAさんの友人のIさんも一緒だった。
Iさんとは初対面だった。
17時過ぎから日付が変るころまで呑んでいた。
Iさんもまたオーディオマニアである。
話の中に、あるスピーカーのことが出た。
世評の高いスピーカーである。
ステレオサウンドでも高く評価されているし、
このブランドの新製品が出るたびに、多く取り上げられる。
勘のよい方ならば、どのブランドなのかは察しがつくであろう。
あえてブランド名は出さないが、
このスピーカー、優秀ではあるが、まったく欲しいという気が起きない。
それは私だけでなく、AさんもIさんも同じだった。
木曜日に会っていたAさんも同じだ。
二人のAさん、Iさん、私、ほぼ同じ歳である。
だからといって世代的な理由から意見が一致するのかといえば、そうではない。
同じ世代であっても、われわれ四人が欲しくないと思っているスピーカーを購入している人は、
けっこう世の中にはいる。
だからこそ世評が高いだけでもある。
ならばこの四人が、なぜこのブランドのスピーカーを拒否するのだろうか。
ひとつ思いあたるのは、血の気の多さかもしれない。