Archive for category テーマ

Date: 7月 18th, 2020
Cate: ディスク/ブック

上海バンスキング(その1)

瀬川先生の「良い音とは何か?」からは、
一昨日も引用しているし、それ以前にも何度かしている。
にもかかわらず、と自分でも不思議に思うしかないのだが、
「良い音とは何か?」に出てくるレコードを、ずっと買っていなかった。

《ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ》
とある。

吉田日出子の「上海バンスキング」。
1981年に、「良い音とは何か?」を読んだ時には、
さして興味が持てなかった。

吉田日出子の歌というのに、興味がなかった、ともいえる。
きいたこともなかったのに、そうだった。

ただ、それでも瀬川先生が《いましびれているのだ》と書かれているは、
ずっとどこかにひっかかっていたのも事実である。

それでもここまでの39年間、聴こうとも探そうともしてこなかった。
ここにきて、なにかレコード(録音物)の落穂拾いをやっているな、と自覚している。

それでも、吉田日出子の「上海バンスキング」を、無性に聴きたくなっていた。

Date: 7月 17th, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その1)

ある人から、十年以上前にきいた話である。
オーディオ業界の人たちが集まっての、とある飲み会で、その評論家の方は言った、という。
「私は二流のオーディオ評論家ですから」と。

詳しく話をきくと、自分を卑下しての言い方ではなかったようである。
飲み会だから、酔った上での発言ではあろう。

それでも「私は二流のオーディオ評論家ですから」と、そう公言できる人はどのくらいいるだろうか。
いないのではないだろうか。

私は、いま生きているオーディオ評論家に一流はいない、と思っている。
そう断言してもいい。

それでも、いま生きているオーディオ評論家の人たちのなかで、
多くの業界関係者がいる場で、そういえる人がいるだろうか。

二流どまりと自覚している人(そんな人がいるのだろうか)であっても、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」とはなかなかいえない、と思う。

なのに、この人は卑下することなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったという。
二流の人ほど一流ぶるところがある。
オーディオの世界だけでなく、ほかの分野でもそんな人は大勢いる。

なのに、この人は「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったのはなぜなのか。
この人が誰なのかは、書くつもりはない。

私は、この人が書くものを、その時までほとんど読んでいなかった。
名前はよく知っていた。顔も知っている。
まったく読まない、ということはなかった。

ステレオサウンドで仕事をしていると、オーディオ雑誌には目を通していた。
仕事としては読んでいたが、個人的に読んでいたわけではなかった。

私は、この人のことを二流のオーディオ評論家だ、と思っていたし、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」をきいたあとでも、そう思っている。

それでも、ここで書いているのは、
この人は自分の役割をきちんと自覚している人だから、と思うからである。

決して一流ぶることのない二流のオーディオ評論家だからだ。

Date: 7月 17th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その8)

私がコーネッタを購入したのと、ほぼ同じ金額でいま何が買えるのか。
いくつか調べてみた。

たとえばエアパルスのA80というスピーカーシステムがある。

製品の詳細はリンク先を見てほしいが、小型2ウェイのアクティヴ型である。
オープン価格となっているが、ペアでコーネッタとほぼ同じ金額である。

A80を見ていると、いい意味で時代は変ったな、と感じる。
確かにA80は、コーネッタよりもずっと小さい。
それでもアンプ内蔵で、しかもバイアンプドライヴである。

このスピーカーシステムの設計は、フィル・ジョーンズである。
A80の音を聴いているわけではないが、ひどい製品なわけはない、といえる。

1978年ごろ、小型アンプが各メーカーから現れ始めた。

最初はパイオニアだった。
続いてテクニクスが、コンサイスコンポという名称で、さらに小型のアンプを出してきた。
さらにオーレックス、ソニー、ビクター、アイワ、ダイヤトーンも続いた。

テクニクスはスイッチング電源を搭載していた。
そのおかげで、各社の小型パワーアンプのなかで、テクニクスのSE-C01は薄型ながら、
42W+42Wの出力を、W29.7×H4.9×D25.0cmのサイズで実現していた。

いまでは驚くほどのスペックではないが、当時としてはなかなか驚かされた。
いまではスイッチング電源も当り前になって、D級アンプも進歩してきた。
それにともないパワーアンプは、ずっと高効率化している。

体積的には、昔のパワーアンプの何分の一になったのだろうか。
ヒートシンクも、ほとんど不要になっている。

そういう進歩があって、小型スピーカーのアクティヴ化は、
より積極的に行われているといえる側面がある。

コーネッタのころの技術では、A80のようなスピーカーの開発は難しかったし、
かなり高価になっていたはずだし、エンクロージュアの寸法も奥行きがかなり長くなったはずだ。

A80があれば、メリディアンの218とiPhoneがあれば、
そうとうにコンパクトなシステムが、意外にも安価で実現できる。
おそらく、けっこういい音が聴ける、と思っている。

Date: 7月 16th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その7)

瀬川先生が、レコード芸術の「良い音とは何か?」で書かれていた。
     *
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
 あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
 男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     *
これは、そのとおりだ、と、オーディオをながくやるほどにそう思う。
《スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず》、
これはそのとおりである。
同感である。

けれど、この文章は1981年夏のものだ。
その当時のオーディオ機器のラインナップは、すごかった。
各社から、ほぼすべての価格帯に製品が出ていた。

当時は、ここまで多くなくてもいいだろう、と思うこともあったし、
新製品の登場のサイクルも早すぎる、と感じていた。

いまも、そう思うのだが、それでもどの価格帯にも選択肢があった、といえる。
いまは価格帯によっては、何を選んだらいいのだろうか、となる。

1981年は、《スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず》が通用した。
いまも、そういいたいのが本音だが、
では、何を買えばいいのかと訊ねられたら、迷う。

コーネッタを、つい最近中古で買ったばかりだ。
けれど、1981年当時、私は18だった。
いまは57である。そのぶんオーディオのキャリアが違う。

Date: 7月 16th, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その6)

FX-AUDIOのFX-D03J+を使っている。
四千円ほどのD/Dコンバーターである。

手を加えて使っている。
四千円ほどのD/Dコンバーターとは思えない、と感じるようになってきた。

その点はいいのだが、やっぱり四千円ほどだな、と感じるのは、
端子部分の強度である。

SPDIF出力の端子はリアパネルに固定してあるのではなく、
プリント基板への固定である。
手を加えた時から、この箇所の強度は心配であった。

ずっとケーブルを接続したままであれば、抜き挿しをしなければ、
とりあえず大丈夫かな、と思えるのだが、実際の私の使用では、わりと頻繁に抜き挿しする。

メリディアンの218にSPDIFの同軸入力が二系統あればいいのだが、一つしかない。
そのためCDプレーヤーのデジタル出力を受けるとき、
iPhoneを接続するときにケーブルを抜き挿しすることに、どうしてもなってしまう。

注意してやっていても、プリント基板に固定なのだから、
二ヵ月前くらいから、けっこうあやしい感じになってきている。

しかたないから、端子を外して、
FX-D03J+のプリント基板から同軸ケーブルを直出ししようか、と考えた。
そうすると、今度は218側の端子を痛めないか、と心配になる。

なので、そろそろ次を考えている。

Date: 7月 16th, 2020
Cate: ディスク/ブック

伝説の歌姫 李香蘭の世界(その1)

今日、たまたま寄った書店でみかけた「川島芳子」の名前。
続けて思い出したのが李香蘭だった。

といっても、すぐに思い出せたわけではなかった。
そうだ、そうだ、と頭のなかでくり返しながら、どうにか思い出せた。

李香蘭(山口淑子)を、それで聴きたくなった。
李香蘭の歌、といっても、はっきりとした記憶があるわけではない。

ずっと以前にテレビでみたのかもしれない──、
その程度の記憶でしかない。

まったく聴いたことがない、というわけでもないが、それに近い、ともいえる。
なのに川島芳子の名前にふれた途端に聴きたくなったわけだから、
なんらかの記憶が、どこかにあるのかもしれない。

検索してみると、日本コロムビアから何枚か出ている。
そのなかで「伝説の歌姫 李香蘭の世界」を選んだ。
理由は、ジャケットの写真である。

注文したばかりで、まだ聴いたわけではない。
リンク先のサイトでは、いくつかの曲が試聴できるけれど、あえて聴いていない。

李香蘭の名前を思い出したのも、
もしかするとコーネッタを聴いたからなのかもしれない──、
とそんなこともおもったので、8月のaudio wednesdayでかけるつもりだ。

Date: 7月 15th, 2020
Cate: audio wednesday

第114回audio wednesdayのお知らせ(再びTANNOY Cornetta)

8月のaudio wednesdayは、5日。
コーネッタを再度鳴らすわけだが、
7月は、いわばいきあたりばったりで鳴らしたに等しいかった。

私のところにやってきたコーネッタと、なぜだか片側だけキャスターがとりつけられていた。
移動しやすいようにだろうが、なぜ片側だけなのだろうか。

想像するに、コーネッタはコーナー型だから、部屋のコーナーに置きたい。
おそらく一本はコーナーにすんなり置けたのだろう。
もう一本は、どうしても部屋のドアのところになったのではないのか。
出入りのために音を鳴らさない時は邪魔にならないように動かす。

部屋に入ってしまえば大丈夫だから、ドアのあるコーナーにコーネッタを移動する。
そんな使い方をされていたのではないだろうか。

キャスターをつけることで音への影響とあるけれど、
それでもコーナーに置けることを優先しての選択なのだろう。

前の持主がどんな鳴らし方をされていたのかはわからない。
どんな人なのかもわからない。

そして、前の持主が手放してから、どのくらい経っているのかもわからない。
どのくらい鳴らされていなかったのだろうか。

中古のスピーカーの場合、そういったことを無視しての、いきなりの鳴らし方はしないほうがいい。
様子見的な鳴らし方からやっていく。

7月のaudio wednesdayでは特別なことは何もやらなかった。
とにかく聴きながら鳴らしていっただけである。
いつもより(アルテックの時よりも)、多少は慎重に、前半は鳴らしていたぐらいだ。

割と丁寧に鳴らされていたのだろう。
それでも、おとなしい鳴らし方をされていたのだろう、とも感じていた。

コーネッタが目を覚ましてきたように感じたのは後半になってからだった。
7月が1日、8月は5日だから五週間あく。
まったく、そのあいだ鳴らさないことになるのだが、
それでも一度鳴らしているのだから、8月は、より積極的に鳴らしていけるはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 7月 13th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その28)

ここでは、インターナショナルオーディオショウと書いてきているが、
正しくは東京インターナショナルオーディオショウである。

けれど、今回のコロナ禍による中止という状況を考えると、
これから先「東京」を外したほうがいいのかもしれない。

つまり東京での開催にこだわることをやめる。
今年でコロナ禍が、ほんとうに終息するのであれば、
今年だけの中止で、これからも東京インターナショナルオーディオショウのままでいい。

けれど終息どころか収束も、なんともいえないのであれば、
東京以外での開催の可能性も考えてみるべき時期に来ているのではないだろうか。

国際フォーラムのような建物は、他にはないのかもしれない。
多くの輸入元、メーカーは東京に集中しているのだから、
会場が東京以外に移ってしまえば、搬入・搬出のための運送の時間もかかるようになる。

たいへんな点がいくつも出てくる。
それでも、東京での収束を期待しているだけでいいのだろうか。

Date: 7月 13th, 2020
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その12)

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、になる聖域)」で、
覚悟なしな人は、自分のヘソだけを見つめていればいい、と書いた。

そうやって心を塞いでいれば、キズつくことから逃げられるかもしれない。
けれど心を塞ぐということは、耳も塞いでいる、ということだ。

自ら耳と心を塞いで、オーディオで何を聴くというのだろうか。

Date: 7月 11th, 2020
Cate: ディスク/ブック

WOOD BASS

ブライアン・ブロンバーグの「WOOD BASS」、7月17日に発売される。

ブライアン・ブロンバーグの名前は知っていたけれど、
そのCDを買って聴いたのは「HANDS」だった。

なぜ、「HANDS」だったかというと、帯に菅野先生の推薦文があったからだった。
それを読めば、とにかくほしくなった、聴きたくなった。

今回の「WOOD BASS」に先に発売されている三枚のアルバム、
「WOOD」、「WOOD II」、それに「HANDS」からそれぞれ四曲ずつ選んでSACDにしたものだ。

「HANDS」は愛聴盤ではない。
でも、買った当初は頻繁に聴いていた。
それからは、さっぱり聴いていない。

「WOOD BASS」の帯には、菅野先生の推薦文はない(はずだ)。
それでも、SACDとなると、やっぱり聴きたくなる。

期待したいのは、またか、と思われるだろうが、MQAでの配信である。
キングはMQAにわりと積極的なレコード会社である。
可能性はゼロではない。

Date: 7月 11th, 2020
Cate: 欲する

偶然は続く(その2)

去年の6月には、KEFのModel 303をヤフオク!で入手した。
探していたわけではなかった。
なのに、ヤフオク!のお探しの商品からのおすすめのところに、Model 303が表示されていた。

安かった。
この価格で落札できるとはほとんど思わず、
でも、この価格で落札できれば嬉しいなぁ、ぐらいの気持での入札だった。

結果は誰も応札してこなかった。
こういうこともあるものだと思っていた。

一年後、同じことをやっている。
やはりヤフオク!のお探しの商品からのおすすめのところに、コーネッタが表示された。
コーネッタを、この価格で落札できるとは思っていなかった。
なのに何人か入札していたけれど、私が最高値ということで、
思わぬ価格での落札だった。

去年は、Model 303のあとに、ヤマハのカセットデッキK1dを、
その後にサンスイのプリメインアンプAU-D607、
さらにテクニクスのアナログプレーヤーSL01と一ヵ月にほぼ一機種のペースで手に入れた。

もちろんすべて中古、ヤフオク!での入手だ。

別項で書いているので簡単に書くに留めるが、
AU-D607をアンプに選んだのは、ステレオサウンド 56号での、
瀬川先生の組合せを自分の耳で確かめたかった、自分で鳴らしてみたかったからである。

今年も去年と同じことをやってしまうのか。
そうだとしたら、次に手に入れるのは何なのか──、
というよりも、次にヤフオク!のおすすめに表示されるのは、なんなのだろうか。

Date: 7月 10th, 2020
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その10)

私がステレオサウンドにいたころは、
はっきりと賞の効果というのが、売上げに関係している、ときいていた。

ステート・オブ・ジ・アート賞、名称が変ってコンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー賞、
これらの賞に選ばれたオーディオ機器は売れる、ということは、
そのころは確かに賞の影響力があった時代だ。

私だって、高校生のころはそうだった。
高校生ではステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれたーディオ機器を、
そう次々と購入できるわけではなかった。

なのでベストバイに選ばれている、ということ。
私にとっては、瀬川先生がベストバイに選んでいるオーディオ機器というのは、
ステート・オブ・ジ・アート賞とほぼ同じくらいだった。

あのころは純真だった……、というつもりはまったくない。
「オーディオ機器の付加価値」というタイトルの、この項で書いているくらいである。

AU-D907 Limitedを手にした時は、
限定品であること、ステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれたこと、
これらのことを付加価値とはまったく考えなかった。

むしろ価値そのものだ、と受け止めていたところもある。
変れば変るものだ、と自分でも思う。

私も、高校生のころ、40年前とは変ってきている。
オーディオ雑誌の賞のありかたも変ってきた。

1980年代前半までのころのような賞が放っていた輝きは、
すでになくなった、と私は感じている。

どのオーディオ雑誌も年末に賞を発表する。
あきらかに冬のボーナスをターゲットにした企画といえる。

もちろん編集者はそんなことはいわない。
一年をふりかえっての──、というはずだ。

意外に思われるかたもいるだろうが、
コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤーは、一時期6月発売の号の特集だった時期もある。
ステート・オブ・ジ・アート賞のころは冬号だったのに、である。
そのころは、冬のボーナスよりも夏のボーナスのほうが消費をもりあげていた。

Date: 7月 9th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その27)

インターナショナルオーディオショウの中止は予想していたことだけど、
それでも残念に思っているのは、
今年からハーマンインターナショナルが戻ってくるのに……ということだ。

インターナショナルオーディオショウにハーマンインターナショナルが出展しなくなって、
何年になるのだろうか。
OTOTENに出展していた。それでもインターナショナルオーディオショウにも、という気持が強かった。
そういう人は、私と同世代、上の世代には多いことだろう。

しかも、今年はJBLのモニタースピーカー50周年記念モデルが発表される、といわれている。
4343に憧れてきた私は、それだけにハーマンインターナショナルの復帰は嬉しかったし、
今年のショウの中止は、記念モデルを聴く機会がなくなったに近い。

こういう状況だから、
インターナショナルオーディオショウが中止になったからといって、
大々的な試聴会をかわりにやることもできない。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その26)

やはりインターナショナルオーディオショウも、今年は中止である。
これまでは開催されるのが当り前と受け止めていた。
これからは、どうなっていくのか。

コロナ禍のゆくえ次第では、当り前が逆転することだって考えられる。
それに考えてほしいのは、開催が当り前であるのは、大都市だけのこと、ということ。

インターナショナルオーディオショウに行きたい、と思っていても、
遠くに住んでいる人のなかには無理、という人もいる。

私だって熊本に住んでいたころ、学生だったころ、
オーディオフェアに行きたく行きたくてたまらなかった。

けれど熊本から東京まで往復の旅費、一泊したとして宿泊費、
そんなことを考えると、とうてい無理だった。

だから、当時のオーディオ雑誌のオーディオフェアの記事は、熱心に読んでいた。
読むよりも、写真を熱心に見ていた。

ステレオサウンドは、あのころ二年続けてオーディオフェアの別冊を出してくれていた。

東京にながいこと住んでいると、そんな感覚が失われてしまう。
それにオーディオ雑誌でのオーディオショウの記事も、昔からすると、
かなりおざなりになっているようにも感じていた。

もっともおざなりになっていく理由の一つは、
出展社のスタッフのなかには、覇気がないというか、
マンネリ感が染みついてしまったのか、せっかくの新製品を来場者に紹介しているのに、
何も伝わってこないことも出てきていることにも関係しているかもしれない。

とにかく当り前のことが当り前ではなくなるのかもしれない。
本音をいえば、今年中止になってよかった、と思うところもある。

おざなり、マンネリ、なげやり、そんな空気が漂い始めてきたように感じていたから、
そういった空気が払拭されるかもしれてないと期待するからだ。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: TANNOY, 型番

タンノイの型番(その2)

タンノイの同軸型ユニットは、1974年登場のHPDシリーズからは、
ユニット口径をインチから変更した。

それまではモニター15とかモニター12とか、インチだった。
モニター15はHPD385に、
モニター12はHPD315に、
モニター10はHPD295になっている。

15インチ、12インチの型番が385、315になったのはわかるけれど、
なぜ10インチが295なのか、と疑問に思う人もいるだろう。

この295という数字は、フレームの最大外径からきている。
HPD295だけフレームの形状が違うからだ。

いまコーネッタのことを書いているが、コーネッタのスペルはCornettaだ。
英語が堪能な人は、コルネッタ、もしくはコㇽネッタと発音している。

おそらくコーネッタよりも、そちらのほうが正しいのだろう。
でも、ステレオサウンドが企画してうまれたCornettaは、コーネッタでいい。