Date: 9月 22nd, 2020
Cate: ベートーヴェン, 正しいもの
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正しいもの(その21)

瀬川先生が、「あなたはマルチアンプに向くか向かないのか」で書かれている。
     *
 もう何年も前の話になるが、ある大きなメーカーの研究所を訪問したときの話をさせて頂く。そこの所長から、音質の判断の方法についての説明を我々は聞いていた。専門の学術用語で「官能評価法」というが、ヒアリングテストの方法として、訓練された耳を持つ何人かの音質評価のクルーを養成して、その耳で機器のテストをくり返し、音質の向上と物理データとの関連を掴もうという話であった。その中で、彼(所長)がおどろくべき発言をした。
「いま、たとえばベートーヴェンの『運命』を鳴らしているとします。曲を突然とめて、クルーの一人に、いまの曲は何か? と質問する。彼がもし曲名を答えられたらそれは失格です。なぜかといえば、音質の変化を判断している最中には、音楽そのものを聴いてはいけない。音そのものを聴き分けているあいだは、それが何の曲かなど気づかないのが本ものです。曲を突然とめて、いまの曲は? と質問されてキョトンとする、そういうクルーが本ものなんですナ」
 なるほど、と感心する人もあったが、私はあまりのショックでしばしぼう然としていた。音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断することだ、と信じているわたくしにとっては、その話はまるで宇宙人の言葉のように遠く冷たく響いた。
 たしかに、ひとつの研究機関としての組織的な研究の目的によっては、人間の耳を一種の測定器のように──というより測定装置の一部のように──使うことも必要かもしれない。いま紹介した某研究所長の発言は、そういう条件での話、であるのだろう。あるいはまた、もしかするとあれはひどく強烈な逆説あるいは皮肉だったのかもしれないと今にして思うが、ともかく研究者は別として私たちアマチュアは、せめて自分の装置の音の判断ぐらいは、血の通った人間として、音楽に心を躍らせながら、胸をときめかしながら、調整してゆきたいものだ。
     *
これを読んで、私は勝手に、「ある大きなメーカーの研究所」は、
きっとあそこだな、と思っていた。

40年ほど昔のことである。
10代の私は、あるメーカーのことを思い浮べた。
いまも、そのメーカーのことだろう、と思うが、メーカー名は書かない。

書きたいのは、そこではない。
井上先生のことである。

10代のころの私は、
ステレオサウンドに載っている井上先生の試聴記を読んで、
「この人も、これに近い聴き方をしているんだろうな」と思ってしまっていた。

ものすごく耳のいい人だということは書かれているものからは伝わってくるし、
黒田先生が鬼の耳といわれていたのも知っていた。

それでなんとなく、そんなふうに思い込んでしまった。

けれどステレオサウンドで働くようになって、井上先生の試聴を間近で接していて、
なんという勘違いをしていたんだろう、と気づいた。

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